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2011年1月11日火曜日

湘南の嵐便り 「つもり人間」


新年明けましておめでとうございます。本年もこのブログを宜しくお願いいたします。


賀状を出すつもりだった、ちゃんと作るつもりだった、御礼をするつもりだった、お詫びするつもりだった、読むつもりだった、見にいくつもりだった、手紙を出すつもりだった、お見舞に行くつもりだった、会いに行くつもりだった、励ますつもりだった。

世の中大概の人はつもりだった人間だ(私も勿論そうだが)。

水嶋ヒロ(本名齊藤智裕)がポプラ社の大賞を獲り、賞金2000万円を辞退した。
いいではないか、何か文句あるのかといいたい。書くつもりだったのを実行した事が素晴らしい。100万部売れている、素晴らしいではないか。



ゴーストライターがいるのではとか編集者が書いたのではとかやかましい。
今、世の中に出ている新人作家なんて出版社に持って行けばみんなボツ。ちょっと面白いぞと編集者が見抜けば(氏素姓、人生の歩き方に対して等だが)後は編集者が段取りをつけ書き手を用意してくれる。本人の書いた元の原稿なんて真っ赤っか、空の雲の上の様に朱が入り元の原稿がほぼなくなる。誰でも始めは新人である。


ただ優秀な編集者?がたった一行に、わずかな状況描写に、人物や人生や死生観や体験に興味を示すモノがあればいいのだ。だからモノ書きになりたいという志を持ったらまず「書くつもり」ではなく恥を承知で書いて書いて恥をかいてかきまくるのだ。

猿のなんとかみたいに頭がボー然となり思考回路が変わり果てる迄、指にタコが出来るまで書きまくる。何もしない者共は批判ばかりする野次馬、暇人達だ。
せいぜいテレビの前にかじりつきお茶を飲みながら煎餅などをかじり、お尻をぼりぼり掻きまくっている。私だって書けるわとか、下手くそだなどうせ誰かが書いたのだろう俺だって書けば書けるさなんて言う「カゲロウ」の様な人間達なのだ。


文藝評論家ほど(なんとなく小林秀雄、江藤淳、奥野健男あたりは別として)いい加減な連中はいない、斜め読みで終わり。出版社から概要をFAXかなんかで送ってもらってから読むだけ。で。出版社書評は褒めるのけなすのなんて指示を受ける。
モノ書きになれなかった「つもり人間」の成りの果てだ。


本なんて読んだ人が面白いと思えば面白い、つまらないといえばつまらない。ためになったし少し物知りになった。若い女性と恋愛したくなった。
古女房(駄目亭主)でも今夜はするか、そんな思いを読者が持ってくれればそれでいいのだ。難解な本は難解な人に読んでもらってしまう事だ。


誰だって小説家になれるのだ。書くつもりでなく一行でも二行でも書けばいいのだ。
水嶋ヒロがあんまりカッコよすぎてジェラシーを感じている悲しき人々よ、今日からせめて日記に一行でも書きなさい。ずっと続ければ積もり積もって立派な本が生まれるはずだから。歴史小説とか戦争小説とか宗教とか哲学とかに挑戦するには山ほど資料を読まねばならないが「私小説」は紙と鉛筆一本あれば十分なのだから。

この頃純文学、私小説が生まれない。近々私は挑戦しようかな思っている「つもり」である。
先日、近所の開高健記念館に行ったら既に大先生より十年近く年を食っている事に気付いた。何たる才無き人生、何たるナマケ者であったかを思い知った。
「明日世界が滅びるとしても今日あなたはリンゴの木を植える」そんな教えを書いた葉書を100円で買った。

今年こそ「つもり人間」から自覚して何か行動を始めましょう。

1 件のコメント:

こし さんのコメント...

私も少しづつ日記をつけていこうかな。

いつも考えさせられる文章を
読ませていただいております。
ありがとうございます。