ある人が言った。
人間は不安だから群れるのではない、群れているから不安なのだ。
またある人はこう言った。民衆とはいつも観客であると。
教会で祈る人、神社で願う人、お寺で手を合わせる人。
何を求めてか、過去への贖罪か、今日の犯ちへの懺悔か、明日への安寧か。
また悪知恵の限りを尽くして脱税、節税対策(?)をした命より大切な金がパナマ文書によって発覚する怖れかもしれない。
地震は揺らす相手を選んでいるのだろうか。
もし東京直下型地震が皇居の下で起きたら誰かが腹を切るのだろうか。
ケイマン諸島で起きて島が消滅したら、日本人や日本の企業の隠し財産が60兆円以上消える。この島には銭本位主義者の邪心が群れているのだ。
人が不幸に見舞われている時、その不幸の当事者ではない民衆は観客となる。
東日本大震災の時、連日連夜テレビに出まくって原発安全、放射能大丈夫と言っていた、その道の第一人者という何人もの学者は今どこで何を語っているのだろうか。
観客たちは最早震度3とか震度5や6では満足せずに、内心は震度7とか8が起こす地獄絵を待っている。
ラーメンと半チャーハンの男、マーボーナス定食の男、ホイコーロー定食の男、焼きギョーザ、シュウマイ、ザーサイをつま味にビールを飲み干す男たち、モヤシ中華をすする和服のマダムと、タンタン麺をすする男、それぞれ小さなテレビを見ながら、食欲を増進させる。
何だい、何故水がないだ、毛布がないだ、パンは一個だ、トイレがないだと大騒ぎしてんだ。バカじゃねえのこの国はと可々大笑している。
ラーメンと半チャーハンの男はスポーツ紙を見ながらでありすでに地震への関心はない。マーボーナス定食の男はスマホをいじりながらでやはり関心はない。
ホイコーロー定食の男はジッとテレビを見上げては白いご飯にホイコーローを少しずつのせて食べる。全身脱力感に満ちている。
いいわよワタシが払うから、すいませんお勘定をとモヤシ中華とタンタン麺の初老のカップルは冷たい水を飲む。
さて、皇居をまん中に人が群れなす東京に地震は来るかと言えば、その道の学者は必ず来るという。トマトスパゲッティを食べている人。
いきなりステーキではずかしもなく立ち食いで肉を食べている人。
大阪名物串かつにソースたっぷりかけている人。
山のような生クリームがのったパンケーキを食べている人。
万世でパーコー麺を食べている人。寿司一人前お好みでよろしくと言っている人。
何、何、ヤダァー、ホーデンて豚のアソコなの、えっホントでもメチャウマイじゃんとホーデンを食べている人。ここ数日間でいろんな人たちを見た。
外から、内から、隣から。
東京駅、新橋駅には黒いスーツを着た新入社員たちが一気飲みの洗礼を受けて横になっていたり、座り込んでいたり、飲んだものを外に吐き出している。
私はそんなシーンを見ながら、様々なことを祈り、願い、手を合わせる。
その一つ、四月二十一日、愛する後輩二人がある新人賞を受けることができるか、その最終選考日なのだ。
目出度く受賞できたらみんなでまず“かつ丼”を食べることにしているのだ。
九州では不安が広がっている。私に何が出来るのだろうか。
このブログを書きながら映画「バベル」を見直している。
神は人が群れ合うことを許さなかったか(?)神への挑戦を許さなかったのか(?)神はいつも「沈黙」している。
「バベル」は言葉の違いによる混乱とディスコミュニケーションを描く。
昨日はかつ丼への前祝いとして“親子丼”を食べた。
新人たちは私にとって子も同然だから。
彼等二人は言葉をつくる。4・21は足すと「7」、ラッキーセブンだ。
1 件のコメント:
ドキ!(当たってるだけに)
祈ります。入賞を!
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