何かの映画で見た記憶がある。
それは大自然に生きる動物たちや昆虫たちや草花の群衆である。
森羅万象の中で生きるものは驚異的な映像を生み出す。
人間という生き物もその映像の一部であるのは言うまでもない。
人間同士が戦う時、特に驚異的群衆の映像となる。
およそ軍隊というものは生きるか死ぬかであるから、チンタラ、チンタラは許されない。命令一下、一糸乱れぬ行動をとらねばならない。
一人ひとり死への恐怖と生への希望を持って。
ピンクフロイドの名作「ザ・ウォール」のように行進する。
人間は動く壁となる。
精神医学的にいうと人間は同じことを毎日ゝ復唱させられていると、それがどんな残酷無比な命令でもそれが正しく思え、やがてそれを信じ、やがてそれに逆らう者は敵になってしまうという。
五味川純平の大ベストセラー「人間の条件」は戦争という極限の中で、人間という生き物がいかに人間でなくなっていくかを書いた。
否、そもそも人間の条件とは何かを探し求めた。
主人公「梶」にその人間の条件を託したのだろうか「梶」は正義の存在を信じ、それを求め続ける。下町の気のいい靴屋のおじさんや金物屋さん、畳屋さんみたいな本当は善良なはずの人々が軍隊ではそこまでやるかの鬼のようになってしまう。
洗脳された結果だ。
38年振りという北朝鮮の党大会の光景を見て、オーストラリアかボルネオのジャングルに群集していた蝶の群れを思い出した。
無数の蝶が羽をバタバタさせる映像と、黒い背広の群衆が手をバタバタする映像はまるでコンピューターグラフィックのようであり、飛び切りのシューリアリズムであった。
まるで戦前の日本国のようでもあった。
かつてアメリカに石油資源を止められ石油を求めて戦争に突き進んだ日本に、アメリカのシェールガスが遂に輸入されるという。
どこまでも日本国はアメリカの手のひらの上で踊らされる。
再びこの国が蝶々の群れのようにならないことを願わずにはいられない。
アメリカにNO!といえる国にしよう、そんな勇気のあるメッセージを送った政治家がいた。そんな日本人のDNAが今こそ求められる。
連休が明けた五月九日夜、酒を飲みながら人間の条件って何だと考えさせられた。
読み慣れない本など読んだせいかもしれない。
かつて若者にその質問をした時、こう答えられた。
それは勿論、食欲と性欲ですよと。外は涙雨が降っている。
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