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2017年5月18日木曜日

「だって、だって」


シャンソンの名曲に「さよならはダンスのあとに」というのがある。
故吹越吹雪が日本語にカバーして大ヒットした。

現代社会においてさよならは、刺してから、首を絞めてから、水に沈めてから、解体してから、溶かしてから、埋めてから、そして燃やしてからとなった。
少年少女から老年老女まで別れる時は残忍である。冷酷無比である。

会うが別れの始めという。人間は会った瞬間から別れ→別離に向かう。
どんなに愛し合ってもどっちかが先に死ぬ。それが嫌だと思えば無理心中となる。
愛とは別れなのだ。否そもそも愛などというのは何の実体もない。
実体のないものを見つけようとするからトラブルが生じる。

この時によく使われる言葉が「だって」だ。
だってあの時はこう言ってたじゃないか。だってあの時こう言ったでしょ。
だって違うじゃん言ってたことと。だって違うだろ言ったことと。

「だって、だって」は別れのシーンに使われる。
だってはバーチャルな夢の世界を連想させる。さっきまで抱き合っていた恋人同士が、だって奥さんと別れるって言ったでしょうと叫びブスっと刺す。
だって結婚は無理って言ってただろうと首を絞める。
だってオレは疲れてんだよ少し寝かせろよ、ウザいんだよとボッコボコにする。
だって今日はお金持って帰るって言ったでしょと火をつける。

「別離」という名画があったがウソみたいな映画だ。
この頃起きている事件はあまりにだってな感じがする。
男と女は別れるために一緒にいると思えばいい。
なんだかずーっと何十年も一緒ねとなればそれが結論。理由はない、説明もつかない。
そんなものと思えば「だって」はない。だってもともと他人なんだから。



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