少年たちは礼儀正しい。少年たちは励まし合う。
少年たちはグローブ、バット、スパイク、ボールをキチンと揃える。
脱いだ靴もバッグも実にキレイに置く。
審判員の人たち、協会の人たち、当番のお母さんたち、コーチやOBの人たち、そして応援に来てくれた人たち一人ひとりに、帽子を取ってキチンとあいさつをする。
「コンチワ」と。
少年たちはルールを守って練習をし、試合をし、終わると握手し、相手のベンチに行って礼をし、審判や公式記録員やアナウンスの人にも礼をする。
グランドをトンボという道具で整えてグランドに礼をする。
汚れたボールや道具をキレイにする。
勝った方は元気だが負けた方はやっぱりションボリに見える。
スポーツにはルールがある。社会には法というルールがある。
さて大人社会はどうだろう。ルール無視が横行する。
ある資料はないと言い、ないと言っていた資料はやはりあった。
今でも水俣病に苦しむ人を、もはや人としての文化が出来ないから人ではないと言う文化人がいれば、癌患者の人は働かなければいいという政治家がいる。
一人で300人を斬りまくる映画を傑作だと評す評論家がいれば、数ページ立読みしたら苦痛を感じる本をヨイショする文芸記者もいる。
文部科学省という教育の総本山が、ルール無視の代表となっている。
汚れた人間の巣だ。この巣の人間に少年少女は教育をゆだねている。
なんて可哀想なんだと思う。
私はよくこう言う「勉強ばかりしていると本当のバカになるぞ」と。
東大法学部を出た勉強バカの役人たちは、答案用紙に向かうと秀才だが、世の中という答案用紙に向かうと“臭才”と化す。
出世、権力、利権、それを臭いで追う。
そのためにはルールがない、というルールで生きる。
人間の本質を知らない人間たちが人間を評すなど許されない。
子どもは一人ひとりの個性を伸ばすのが教育なのだ。
人間学校で人間を学んだ者にとって、東大法学部なんて相手じゃない。
勉強じゃ負けるが人間力では絶対に負けない。
何しろ相手は遊んでないから弱点だらけ、隙きだらけ。失う物が多いからだ。
学歴というプライドとつまんねえ肩書だ。
まずはルールを守れ、ルールを。
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