空と同じ広さの広大な黄金色の小麦畑がある。それを見ながら山道を走る1台のクルマ。デコボコ道を進んで行く。運転するのは50代の男だ。見たところかなりのインテリである。映画はラストまでこの男の職業を教えない。大学教授(?)小説家(?)劇作家(?)行き詰まった映画監督のようでもある。男はガタゴト走りながら、時々出会う人たちをクルマに乗せてあげて、一つのことを頼む。ある一本の木のそばにシャベルで穴を掘る。そこに入って眠るから、朝見て欲しい。ちゃんと死んでいたら、シャベルで土をかけて欲しい。お礼にお金を払うと頼む。一人目は少年であった。そんなことは嫌だ、お金なんていらないと断る。二人目は少年兵だった。遠くで兵隊たちが訓練をしていた。少年兵はやはり、そんなことは嫌だと断る。男の顔には汗がにじみ出ている。かなり焦っている。なんで自ら死を選ぶのかはラストまで教えない。そして一人の老人を乗せる。老人は山村へ向かうある職員であった。クルマは美しい黄金色の中、土埃を上げて走り続ける。男はあの木の側の穴に入るから、朝死んでいたらシャベルで土をかけてと頼む。老人はいいよわかった、ちゃんと死んだら土をかけてあげるよと言う。男は生きていることは残酷だと言う。老人は死の方が残酷だ。見てごらん死んだらこんなに美しい風景が見れない、気持ちいい風にも出会えない。美味しい果実を食べることだってできないぞと言う。桜桃の味を、味わいたいと思わないのかい。山村のある施設で老人を下ろす前に、男は何度も死の手順を老人に説明する。目印の木、穴の深さ、死んでいるのか、眠っているのか確認する方法を。老人はわかった、分かったちゃんとしてやるよと。夜になり男はシャベルで穴を掘り、そこに横になる。雷の音、コヨーテかなんかの鳴き声、強く揺れる風音、胸の前 で手を結んで目を閉じる男。暗闇になった画面。さて生きているのと、死ぬとどちらが地獄なのか。先年亡くなったイランの名匠、アッパス・キアロスミタの、カンヌ映画祭最高賞パルムドール受賞作「桜桃の味」である。もう一作「風に吹かれて」とともに現代文明の中の「生と時間」について語りかける。両作品とも黄金色の中での詩である。 1日はあっという間だという現代人。1日はたっぷりと長いと思う高原の民。すべての民族にとって太陽は一つ、月も一つだけである。
そして1日は24時間である。人類は何故に分断して行くのだろうか。壊れたテープみたいに「アメリカファースト」 言い続ける壊れたトランプ。白人至上主義の指導者。移民の国アメリカは、ロシアと裏で握っていたギャンブラーに、どんなラストシーンを用意しているのだろうか。自分で自分の墓穴を掘っている男に、シャベルで土をかけるのは、トランプ自身か。もう日本のヨイショも成果はゼロだ。
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