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2019年1月29日火曜日

「女性は恐いからな」

昨日朝、長年連れ添ったご夫婦の、奥様が亡くなりその告別式に行った。とても穏やか美しい式だった。生ある者の運命とはいえ、平均年齢より20年も若い旅立ちであった。初孫の誕生間近かであり、無念の極みであった。その夜、昨年末の新聞を整理していたら、こんな記事があった。夫が60才とか、65才とか70才で無事定年となり、やっと夫婦で余生が楽しめる。と、まあこれがフツーだと思って記事を読むと。女性は70%位が離婚を願っている。又、一度や二度以上、殺意らしきものを感じたことがある。その原因とは何か、50数パーセントが、1日中夫が家にいるのがたまらなく嫌だ。外に出るといってもせいぜい図書館や本屋さんをブラブラ、犬の散歩とか、自分の散歩。昼には缶ビール飲んでゴロンゴロン、目は輝きを失いパソコンをいじっては、ヒマつぶしのもとを探す。髪の手入れもせず洋服へのこだわりもない。その逆に女性の方は活発に行動する。離婚を考える男は20数パーセントだ。つまり定年後男は、女性にしがみついて生きていく。女性にガタガタ言うと、別れてもいいのよ、なんてスゴまれると、オタオタとするのだ。人間はいかなる状況でも、働ける内は働いた方がいい。又、何かの目的をつくりそれに向かう方がいい。熟年離婚すると、女性は美しさと輝きを生み、男はボロ切れの雑巾みたいになって、公園のベンチでワンカップ大関なんかを飲み、サキイカなんかを口に入れてモグモグする。イカが歯と歯の間につまり、イケネエ〜楊枝を忘れたと、そこいらに落ちた小枝かなんかでその代用をする。別れた妻はプールで泳ぎ、ホットヨガをし、ランチバイキングを楽しみ、友達とアフタヌーンティーをする。捨てた女にはドラマがあるが、捨てられた男にはスキマと使い切れない時間がある。昨日旅立たれたご主人には、かわいい初孫が誕生する。そのことがきっと明るく生きる力となってくれるだろう。2020年いわゆる団塊の世代2500万人位が、75才となる。その内かなりの男が捨てられるはずだ。その存在のあまりのうっとうしさのために。梅のつぼみは膨らみ、椿の花がポツポツと咲き始めた。赤い椿ずっと前に、いきなり一輪、狂い咲きをした。季節には定年はない。小さな池の中の赤い金魚たちは、ほとんど動かず寒さに耐えている。放り投げた四つ切りにしたリンゴには、仲良い二羽(夫婦)がそれをツンツンと食べにやって来る。山バトが一度来たが、二羽に撃退された。大きいくせに根性なしであった。力を合わせた夫婦は強い。お前むかしはかわいくて美人だったのに、今じゃ見られたもんじゃない。なんてことを言った人が、熱湯をぶっかけられて、大ヤケドをさせられた。幸いすぐに水でバシャバシャ洗い、アヂーアヂーと泣きを入れたらしい。それでヤケドのあとはつかないらしいが、近所のそば屋さんに二人で来ていた。女性はおいしそうに天ざるを食べてデザートにお汁粉を、男はマスクを外し、つけとろそばをすすっていた。何だかズルズルと、泣いているようであった。女将さんが言うには、近々離婚するらしい修羅の春である。みたらし団子を食べながら渋茶を飲み、映画を見ながらこのブログを書いている。「女は二度決断する」これが実にスリリングでおもしろい。そして女は恐い。

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