日本人からいい笑顔が消えてしまったと思っていたら、すばらしい笑顔に出会えた。岡山出身の渋野日向子選手(20)が、全英女子オープン初出場で初優勝した。午前3時頃最終18番ホールで、6メートルほどのバーディパットを壁ドン(カップの外側にドンと当てて入れる)したときは、思わず「ヤッタァー」と声を発した。強気のパットでないと壁ドンにならない。オーバーすれば負けていたかも知れない。ゴルフのパットは弱気のショートパットでは、永遠にカップインしない。岡山の菓子といえば、カバヤ食品が有名だった(私の少年の頃)。物事をダラダラやっていると、先輩たちから「チンタラ、チンタラやってじゃネエ」と叱られた。渋野選手がプレー中にお酒のつまみみたいなのを食べながら笑顔をふりまいた。そのお菓子の名が「タラタラしてんじゃね〜よ」というネーミングの商品だった(100円であった)。イカが不足しているのでタラでイカ風に作ったとか。山梨県の「よっちゃん食品工業」が製造元であった。問い合わせが殺到しているのは言うまでもない。どの世界でも同じで、女子プロの世界も嫉妬社会である。これから相当なイジメと嫉妬の嵐となるが、笑顔を絶やさずがんばってほしいと願う。女子プロ社会は「ボッコーキョーテー」(ものすごく恐ろしい。岡山の方言)なのだ。大好きな甲子園大会が昨日始まった。原爆が落とされた日だ。高校球児たちの入場式を見ているといつも思う。それは雨の神宮球場で行われた学徒出陣である。訓示をしたのが東條英機首相である。陸軍の階級は陸軍大学校での成績順位によって決められていた。東條英機は100番目ぐらいだったという。陸軍に大天才の二人の中将がいた。一人は長野出身の永田鉄山中将(軍務局長のとき相沢三郎中佐に刺殺される)。もう一人が山形出身の石原莞爾中将であった。満州国を生んだ軍人である。この二人が戦略論も戦術論も持たず、ただ“根性論”だけの東條英機を嫌った。石原莞爾は煙たがれ予備役とされた(一丁上がり)。本来ならいの一番にA級戦犯になったはずの石原莞爾は、この事によって畳の上で死ぬことができた。東條人事はラッキーだったのだ。終生東條英機をバカ者扱いしていたと言う。戦後74年、世界は戦争前夜のようになっている。渋野日向子選手の笑顔の陰で、熱闘甲子園の汗と涙の陰で、ヒタヒタと戦争の足音が聞こえる。有志連合などというおぞましい言葉が行き交っている。吉本興業の闇営業報道の洪水の陰で、100億円近い国家予算が闇の中で動き始めている(吉本興業へ)。表現の自由が愛知の芸術展中止で露骨に奪われた。日本記者クラブで渋野日向子選手に質問が飛んだ。今、何を食べたいですか(?)これからかなり嫉妬されますよ。バカ者記者たちの質問能力とセンスのなさにガク然とした。チンタラ、チンタラしてんじゃネエーよ。
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