私は「イヌ」である。使用する言語は、ワンフレーズだ。イヌと言っても誰かの番犬でもポチでもない。雑種であるが意地もプライドもある。今は猫ブームであるが、かつては愛犬ブームであった。私イヌは何よりキレイ好きなので、散歩が大好きである。できれば朝夕してくれると、とってもウレシイ。飼い主が老人化して面倒になった。でもやさしい飼い主は私イヌのことを、人間以上にかわいがってくれる。世の中では強い者にくっついて、尾っぽをフリフリしていると、あいつは、あいつの犬だ、ポチだと蔑まされる。人間が集団を生むと、そこにヒエラルキーが生じる。人間の本性は実にシンプルで、あいつには負けたくない、あいつらの風下には立ちたくない。あいつより出世したい。でヒエラルキーの上の人間に接近を試み、日々密着する。遠くへ物を投げれば、すっ飛んで行ってそれを持ち帰り、飼い主に頭をナデナデしてもらう。余りにうれしい時などは、オシッコをもらしてしまう。それは出世を表わすポストである。私イヌは、主人を持たない、一匹オオカミならぬ、一匹イヌだ。えばりくさった強い者を見ると、飛びかかりたくなる。犬のくせに上等な洋服や毛糸の足首ウォーマーや、マフラーなんかをつけていると、お前それでも犬かと、私イヌは吠えてやる。私イヌは、今犬に関する本のプロデュースをしている。いわば「犬が人間を躾けるような」ものだ。ずい分時間がかかっているのは、予算と時間のためだ。先日立憲民主党の枝野代表が、ノンベン、ダラリ。ヘンナリ、モッタリと政権寄りの棚橋予算委員長に、政権のポチかと怒ったが、これはいくら相手が自民党の変わり者でも、公然と言ってはならない。せめて、ポーチ(肩からナナメにかける小さなバック)位にしといたほうがよかった。戦いは正々堂々だ。ペットを愛してくれる人は、ペットを失うとペットロスと言って、人によってはかなりの“うつ状態”になる。でも時が来ればきっと治る。やさしい人がなるので、そっとやさしく接してほしい。たかがペットがなどとは絶対禁句だ。犬は愛してくれた飼い主の恩は絶対に忘れない。(人間はすぐ忘れる)私イヌは今ある言葉にとまどっている。「濃厚接触」という言葉だ。飼い主が愛犬を抱きしめる姿は濃厚接触だが、新型コロナウイルスの問題で、やたらに濃厚接触という言葉を耳にすると、なんという役人言葉なんだと思う。濃厚接触と聞くと、“男女の愛”“男と男の愛”“女性と女性の愛”の濃厚なシーンを想像してしまう。早急に表現を変えてもらいたい。私の友人がむかし、いいキャッチコピーを書いた。口臭を気にしないで、近づけますという、何かの商品だった。それは「30センチ以内のおつきあいなら」だった。そこで短くして、「30センチ接触」なんかどうだろうか。私イヌは遂に自衛隊の護衛艦「たかなみ」が中東地域に向かって出撃(?)するのを見た。軍艦マーチが鳴っていた。いよいよ戦争と濃厚接触となる。国会議事堂前で私イヌは怒りを込めて吠えまくった。しかしJNNの調査によると、中東派兵賛成の方が、反対を上回っていた。私イヌは、この国の人がよく分からない。猫によく聞いてみよう。
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