友、遠方より来たる。と言う言葉があるが、友、映画に現わるを見た。石井裕也監督といえば、「舟を編む」とか「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」などでベストワンを生んだすばらしい才能だ。まだ30代というから注目をつづけている。その監督の作品に、「生きちゃった」というのがあることを知り、本日明け方まで見た。うすめのコーヒーと、バウムクーヘンの小袋入りを用意した。朝からシンドイ話の電話で、いささか重たい日であった。で、私の場合は映画を見るのが何よりの癒しとなる。「生きちゃった」という映画のタイトルからどんな内容かと思ったが、実に不思議な気分で、今どきの若い夫婦の一面を見た。おそらくはじめてというシーンが、物語のスタートにある。30歳の主人公の男(仲野太賀)が、その日体調が悪く会社を早退する。家に帰ると娘を幼稚園に行かせている妻が、(大島優子)見知らぬ男と激しくSEXをしている。夫である男はそれを見て、ただボー然として見る。フツーなら夫は逆上して、殴ったり、蹴ったり、包丁で斬ったり、刺したりする。ところがこの映画では何もしない、何も言わない。むしろ大島優子演じる妻の方が、攻撃的でありつづける。私はあなたから愛情を感じなかったので苦しかったのよと、開き直る。このシーンに石井裕也監督の斬新さを見た。無感情の感情表現だ。結婚前の夫にはかつて好意を持っていた女性がいた。開き直った女性ほど恐い者はない。娘は私が育ってるからと言い今はお金がないから、このままこの家に住むと言う。夫婦はとりあえず何ごともなかったように生活をつづける。怒声のない時間、見る側にボールを投げつけられたのは、あなたならどうするみたいなクセ球だ。妻はスーパーで働いているのだが、そこの店主と話すシーンがある。おだやかな丸い顔。こんもりとした体つき、オッヨヨと思ってそのシーンを止めた。どこかで見た顔、見た姿ではないか。で、プレイバック、プレイバック。やっぱりそうだっと、しばらく会っていない友人の名を口にした。映画のラストのクレジットを見るとやはりそうであった。制作に協力もしていた。次の日電話をすると、えっ、見てくれたの、うれしいと言った。見たよ、見た見た、さすが石井裕也監督作品だけあって、妻が不倫している生々しい姿を見て、何の感情も現わさないという、はじめての体感をしたよと言った。そうでしょ、凄いヒトですよ、シナリオは三日三晩で書いた作品なんだとか。いやいや思わぬところで友人に会えた。いい映画なのでぜひ見てほしい。何故「生きちゃった」というタイトルをつけたのかが不明のままだから、もう一度見る。清き一票を投じた選挙が終った。戦いに敗れた者、勝利を手にした者、いつもながら天国と地獄のような、生々しい姿が議員会館にある。白い蘭の花を持つ列があり当選を祝う。ダンボール箱をトラックに入れ込む敗戦の列がある。戦いつづける者に敗者はいないという賢人の言葉がある。何より大切なのは“志”だ。それを貫くために、何をすべきかをしっかりと見直さなければならない。戦いをやめた者、それを敗者という。さあ“志”あればすぐに行動開始だ。これからは“熱量の時代”、何をやっているか“真実の時代”となって行くだろう。長引くコロナ禍でシンドク、キビシイと入る電話に、オレだってとは言えない。決して泣きは入れないとずっと生きて来た。人間界とは、“六道”の一つである苦界だと感じる。コロナ禍はマスクばかりだから、笑い声がない。笑顔もない。仕方ないので尊愛する坂田利夫師匠が出演している“嘘八百”という映画の第二弾を見た。偽物作りのメンバーの一人が師匠だ。二束三文の骨董品を、嘘八百で、ん百万、ん千万円で売るグループ「なんでも鑑定団」という人気番組のパロディだ。坂田利夫さんはヴェルサーチみたいな派手派手の姿で出て来て、何でもペロペロとなめまくる。コロナ前なら抱腹絶倒なのだが、私自身笑いを忘れていて、ただ無言で手を叩いただけだった。銀座中央通りにあった、テイラーメイドの超名店「英国屋」が三丁目に移転していた。昇進御祝にネクタイ一本をと思って行ったらなかった。四丁目の「鹿乃子」2階で、きしめんでもと思って行ったら、2階はやっていなかった。コロナ禍はこれからどうなるのか、誰も明確にしてはくれない。今夜はなんとしても笑いたいと思っている。余りに気が重いからだ。佐賀の超人「江頭2:50」のビデオを選んでいるのだ。日本で唯一、全裸で街中走り回れる(?)。“違法人”なのだ。無理にでも笑っちゃったとなりたいのだ。それにしても大島優子の演技はすばらしかった。
(文中敬称略)
(文中敬称略)
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