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2009年12月16日水曜日

人間市場 ドライブイン市篇







先々週丹沢に行ったよ。その前は深大寺でそば巡り、その前は鷹取山・・・・ずっとその前を語る中年夫婦。

ドライブインで隣合せ。

私はかなりウキウキで串カツ一本、ジャガコロッケ一ヶ、あっ、あれが白鯛焼きか、何か冷たい感じだな。そのうち白い今川焼き、白いとんかつ、白いコロッケなんか出たらもう人間止めてしまおうと思った。たこ焼き一ヶ、焼きそば一ヶ、焼き鳥の皮を人数分一本ずつ買う。焼き鳥は大人気。

どこへ行くんですかと聞くと、御嶽山です何しろ毎日暇でやる事が無くてね。

お歳は、私は71歳、妻は69歳、アチコチ食べ回っている同行者も似たり寄ったりですよ、ウァハァハァと空声の笑い。笑い終るとすこんと肩の力が抜ける。

あなたは何処へと聞かれた。

奥多摩です、奥多摩と言っても色々あるんですよ、霊感を探しに行くんですよ、え、何ですかそれ、人間の霊を見に行くんです。そんなのあんですか、あるのです。

へぇ~といいつつ、母さんあそこのイワナの塩焼き2本買って、焼きたてだよ、黙って言うと冷めた方を出すからなんて的確な指示、慣れてるんです。霊感はどこに居るんですか?御嶽山に入る途中にある神社、登って行く石塔に挟まれた階段(結構キツイ、でも夏に登った羽黒山の2443段に比べれば楽チン)に霊が歩く、それから樹齢千年近い木々の側。それから多摩川の上流、特に水の溜まりがある大きな石の上。

私は川の流れる音が大好きなんです。特に陽が落ちそうな時、朝、陽が昇る寸前がいいんです。おっ、イワナ旨そうですね俺も食べたいな、イワナとなるとやっぱりキリンビールだな、オイッ、ビールよろしくとなる。あなた何の仕事をしているんですか、何に見えます?う~ん、その格好から見るとテレビ局かなんかの人?違います。でも少し近いです。テレビはライバルです、じゃラジオ?違います。

この串カツ旨いないけますよこれ、こういう処では何食べても旨いですよね、縁日と同じでパックの焼きそばそのまま家で食べたら旨くないですよね。たこ焼きだって、パックっていうのは、家庭生活に合わないんですよ。

私の友人で、奥さんがしょっちゅうパックのままご飯を出すので頭来て離婚しましたよ。京都の大金持ちの娘、家業は代々質屋でした。そうですよね、オイッよく聞いとけよ、なんて奥さんに言う。

人間の霊って本当に居るんですかね、居ると思えば居る。居ないと思えば全然居ない。それじゃ肝試し(?)違います、そこにある時間と空気感を探すんですよ。音、光、闇、温度、石、樹、風、落ち葉、今が丁度紅葉でいいんです。へぇ~何だか、そちらさんのが面白そうですね。こちらは、年金、施設、介護、戒名、葬儀、相続、嫁とか婿の悪口ばかりなんです。面白そうじゃないですか、そっちのテーマも皆さんかなり霊に近づいている人ばかり、生霊だから、私好きなんですそういう人の話。あなた変わってますね、面白い方ですね、とここまでの会話は約十分位。

ドライブインは一期一会。


いざ、奥多摩へレッツゴー!次はあのケーブルカーの登り口で鮎の塩焼き、昼はあの川のほとりの店で四色そば、うどん&釜飯一膳(これは人から少し頂く)といくか。


奥多摩辺りには、確か太占(ふとまに)という鹿の肩甲骨を斎火で焙り、出来た割れ目の位置でその年の農作物の出来、不出来を占う(相場師たちが来る)人がいるとか。会えるといいな霊と占い師。

実は、私は霊感というか、直感というか人の運命が見えるのです(?)。もちろん自分の今後の運命もしっかり見えているんです(?)。

2009年12月15日火曜日

人間市場 夜は変市篇

動物や人間には眠るという一応の決まりがある。

しかし、その夜に働いている人々がいる。

夜勤の看護師さん、長距離の運転手さん、タクシードライバー、カタカナ産業の人々、物書き、病と戦い続けている人、人生の不安を抱えて眠れない人、疲れ過ぎた人、明日が恐い、夜が恐い、朝が恐いと思っている人、夜は静かな中に激しい鼓動を鳴らす。

ひっそりと暮らす山間の村にも、勢いを失ったシャッター通りの町にも、かつては活気に満ちた漁村にも、灰色のビルがまるで墓場の様に立ち並ぶ街で人間関係と仕事と、売り上げとストレスと戦う夜にも鼓動がある。

歴史は夜作られるとも言う。夜は人間を変える。

白い巨塔の支配者や学識者たちは、風俗の中で一匹の動物と化し、国会議員のバッジを付けた権力者は完納の世界に息を弾ませる。部下を詰り倒した男はSと化しMと化す。生徒の規範となるべく教師は、ホストにひざまずき、高級官僚はただの幼児となり捕乳瓶を吸い、名のある評論家、エコノミストたちは、死体にたかるハエの様に女体に群がる。およそモラリストを声高に演じる者ほど、金と性と酒と背徳の世界の住人となる。

私は長い間信じられない光景を見続けてきた。

「異常も日々続けば正常になる」と書いた言葉の達人がいた。その名を仲畑貴志と言う。彼も又、私と同様人間を見続けた男だ。夜だ、暗夜だ、闇だ。漆黒の中の斜光の交差だ。空には歪んだ月が浮かび、夜光の動物が獣道で動き出し赤外線のカメラで捉えられる様に人間の隠れた本性が写し出される。

そんな夜に心のオアシスの様なラジオ番組がある。NHKラジオ深夜便だ。

名だたるアナウンサーが赤児を諭す母親の様に静かに語りかける。その声は慈愛に満ちあふれている。リスナーが誰であっても一切の差別はない。言葉を吟味し、曲を選び、話を選び、本を選び、エピソードを選び、人々の心のふる里を語る。

異常を少しでも正してくれる仁術あふれる医師の様に。そうか、ナイチンゲールは小夜啼鳥とも言う。やさしき看護師さんの様に村を、町を、街を癒してくれる。夜と朝の間にラジオは流れる。その流れの早さはせせらぎである。決して答えを押しつけない、答えを求めない。人間は迷える子羊、悩める小鳥、群れる小魚。鳥網に突っ込んで身動き出来なくなった鳥の様に、刺し網に頭を突き刺し、抜け出せない魚の様に、金というエサを求め突撃を繰り返す。隣に死に絶えそうな人間がいても声をかけるでもなく、跨いで行く。大都会の烏は凶暴化し、彷徨する野犬は栄養を取り過ぎ肥大し、地下を走るネズミは猫ほどになり、猫は野犬と化す。

ラジオ深夜便は夜をいたわる様に流れる。

過日、そのラジオ深夜便に出演した。午前一時五分から一時四十五分迄であった。アナウンサーは二十年のキャリアを持つ、宇田川清江さん。正に慈愛あふれる、優しい人であった。小柄でチャーミングな女性であった。井上陽水のコンサートを楽しみにしていた。二百万人のリスナーに静かに、深く、眠れぬ者に寄り添うが如く語りかける。一人一人に。貴重な体験をさせてもらった。私も夜眠れぬ人間である。「ただし背徳な行為は一切しない」

ラジオはテレビと違い言葉が姿であり、言葉が人生の履歴書である。ブースの中で宇田川清江さんがナイチンゲールに見えた。

2009年12月14日月曜日

人間市場 視力市篇

内藤大助敗れる。(かなり遅いニュースですね)

友人がネット上に亀田興毅のバンデージが異常に盛り上がっている、と教えてくれた。

鉛を入れたのか(?)昔のボクシング界でよく使った手口だ。内藤が第2ラウンド左ストレートを完璧に受けた。

一発で鼻は曲がり、異常に腫れ上がった。長い間ボクシングを見て来たが、確かに異常であった。

鼻血が詰まり、息が出来なくなり集中力に欠ける。あれだけの角度で入った左ストレートで内藤がダウンをしなかったのは亀田のパンチが弱いのだろう。


内藤の敗因はやはり年齢のせいだ。動体視力が断然違っていた。見切りが違った。入ったと思ったパンチは瞬間避けられ、避けたと思ったパンチは入った。その差が出ていた。スポーツ選手は全て動体視力の衰えから来る。

ゴルファーはパットラインが読めなくなる。野球は球にくい込まれ詰まる。バレーも、バスケも、サッカーも、卓球も全て動体視力の衰えから、入る筈のものが入らなくなり、がっくり来る。プロゴルファーは一本の芝、一ミリ二ミリのパットラインを読むという。

松井秀喜やイチローは自分のバットを作ってくれているバット職人にグリップの処を一ミリ二ミリ細く、又は太くしてくれと頼むと言う。バトミントンや、テニス、卓球はラケットの中心でスマッシュを、一ミリ二ミリずれると駄目だと言う。

バスケのシュートしかり、バレーもしかり、しかり、しかりである。

内藤VS亀田の一戦は紅白歌合戦並の瞬間最高視聴率50%強であった。その70%は内藤頑張れだった。アリスの名曲「チャンピオン」を思い出した。「立ち上がるな、これでもういいんだ。おお神よ」その夜私はアリスまみれになってしまった。

世の中はデフレ社会、デフレファイターなる新しい言葉まで生まれた。こちらは一ミリ二ミリではなく、一円二円の勝負をしている。娘夫婦が家に来てチラシを見る。あっ、こっちが二円安い、おっこっちは一円安い。クーポンも付いている。行こ、行こと言っている。男はスーパーなんかに行ってはいけないと心に決めて生きて来た。コンビニは新聞を買いに行くだけ(?)。お父さんは何かというと男のくせにと言うけど大変なんだからと言われてしまう。


「竜二」という映画で、堅気になった主人公竜二が、肉屋のバーゲンに並んでいる妻と子を見て、堅気と決別してヤクザな世界に還って行く。かなり判る気がする大好きなラストシーンだ。本日割引の赤い旗が印象的であった。その映画を作った、金子正次は「竜二」の初日に胃癌で死んだ。35歳であった。瀬戸内海の小島で生まれた男であった。

生きていれば60歳だ。その男が残したシナリオ四本の内の一本「チ・ン・ピ・ラ」を友人の増田久雄さんとフジテレビと共に製作した。(増田さんは今矢沢永吉の映画「ROCK」を製作・監督して上映中。是非観て下さい)この場合、金子正次という男の生き様に一票を投じたかった。

幸い映画は大ヒット。担保にした家は取られずに済んだ。無欲であった。

すっかり話がズレてしまった。私の動体視力も衰えた。一歩間違ってスーパーやユニクロに入ってしまうかもしれない。

実は生涯で十回位は入っているんです。そっと、一人で。

買い物、乗り物は大嫌い。自分で切符が買えるのは東海道線だけ。何事も人任せ、人頼り。始末が悪い人間なんです。

2009年12月13日日曜日

人間市場 果たして市篇

まず始めに私は弱者の味方である事を宣言す。

その上でホームレスや、派遣村の村民たちは全て同情すべき人々なのだろうか。
見れば五体満足、若い人々も多いではないか。何故、君たちはそこにいるのかを私なりに問いたい。

一、 何故朝から酒を飲んだりしているのか。
一、 多重債務の原因は何か。競馬、競輪、パチンコ、投資の失敗等、働かず楽して儲けようと思った結果ではないのか。
一、遅刻ばかり。
一、時間、約束にルーズ。
一、金銭にルーズ。
一、異性間の事にルーズ。
一、向上心がなく、協調性がなく、挨拶も満足に出来ない。
一、服装にルーズ。
一、清潔ではない。

等が因で会社を辞めさせられたり、親、兄弟、親戚、友人、知人、に迷惑をかけて居られなくなり、逃げ回っていたりしている。何かにつけて自分を自分で擁護し、被害者意識に立ち、社会や会社や人のせいにする。
人間本気で働く気になれば仕事はある。全ての物事には原因があるという。こんな気持ちを持っているのは、私だけだろうか。身体が不自由な人だって一生懸命働いている。


先日、ある公園に行った。そこに十数人の男たちがビニールやら、そのままやら毛布の上で昼間から酒盛りをしていた。
生ウーロン割、缶焼酎、ワンカップ、あろう事かアサヒスーパードライの500mlを飲んでいる中年男がいた。サントリーの角瓶を飲んでいる男たちもいた。ブランドはともかく安くはない酒だ。私の連れは、こういう場合私が何か言うのを知っているので早く行きましょう、止めなさいよと言った。そうだなと思った時、その中の一人、二人が、いいねーお二人はなんてぬかしやがった。トーゼン!プッツンです。
オイ、昼間っから酒かっくらってんじゃねぇよ。汚ねぇし、掃除しろ、掃除を!と言った。
かなり大きな声であったので池の鯉も全匹ビックリしていた。
働け!というと、仕事がねぇ~んだよときやがった。スポーツ新聞や、競馬、競輪新聞が散乱していた。ギャンブルやる金があるなら、石鹸でも買って顔を洗って来いと言った。おお~こえ~と言った。この人たちも同情しないといけないなら違います。自滅なのです。無気力なのです。何なら、お前らみんな俺の所に面接に来いと言おうと思ったが、目やにが一杯付いて、あんまり酒臭いので止めました(来てもOKです)。アカデミックな一日にしようと思っていたのに。なんたるこったです。


それにしても安部公房は凄いな。何十年も前に「箱男」という小説で、段ボールに入り込む人間を書いていたのだから。
一度入ってみっかな。

2009年12月12日土曜日

人間市場 辛抱市篇

新聞記事を読んで思わず大拍手したくなる事がある。久々にあった。

11月28日朝刊。私は小さな頃から大相撲が大好き。マムシの栃錦、一直線の柏戸、内掛けの琴ヶ浜、吊り出しの明歩谷、潜航艇の岩風、うっちゃりの北葉山等が大好きであった。
この頃では悪役を一手に引き受けている朝青龍だ。

東京場所の時は見に行く。ヨーダの様な顔をした朝青龍の天敵、内舘牧子。この人がもし、暗闇からでたらほとんどの人は気絶するでしょう。人の前には出てはいけない顔なんです。通販生活位は許します。(それ位の人なんです)何しろ私は美人派の代表ですから。

おっと、大事な記事の話を忘れました。なんと初土俵からワーストの38場所連続負け越しの記録に終止符を打った力士が出ました。年6場所ですから、6年半勝ち越してないのです。その力士の名は、森麗(もりうらら)序の口は16枚目です。
何とか山でも、なんとか海でも、なんとか錦でもない、「もりうらら」ちゃんなんです。カワユイではないですか。よくぞマァ頑張り続けたものです。どえらい人です。この日、16歳の力士に攻め込まれたが土俵際でうっちゃりの大逆転勝ち、努力すればいつかきっと達成できると語ったとか。
4勝3敗。こういう人には心から脱帽です。力士的というより人間的に尊敬です。こんな話があるから相撲は面白いのです。入門してからず~っと序ノ口、つまりは入り口に入ったばかり。中には入っていないのです。入門7年目、千葉県出身22歳、本名森川勇樹。170センチ、120キロ、血液型O型、大獄部屋(親方はあの大鵬の娘婿、元貴闘力)。この夜、父さん母さん(両方とも59歳)。遂に勝ち越したよと電話するとお母さんは号泣したとか。


同じ日、横綱白鵬は年間84勝目。うららちゃんには天文学的数字、でも同じ1勝。
その価値は全く変わりありません。大きな笊に沢山の勝栗を貰ったうららちゃんに、一足早く春うららが来たのです。人間辛抱だ、と言ったのは初代横綱若乃花でした。世の中はどうしようもないですが、努力、精進、辛抱の先にきっと春が来るはずです。
出来たら一度飲みたいなこんな力士と。

2009年12月11日金曜日

人間市場 戦友市篇

男が女性達から、あの人はいい人です優しい人ですと言われたら、モテない男という事です。

いい人とはどうでもいい人であるし、何か頼めば何でもやってくれる優しい人という事なのです。

恐い、危険、近づきたくない、嫌い、と言われたら本物の男です。

一番の理想は、嫌いだけど好き。恐いけど会いたい。危険だけど一緒にいたい。

これが男と女。男の値打ちは、女房がいようがいまいが、どんな女性が側にいるかで判る。


過日、友人を見舞った。妻有り、子有り、孫有りの男であった。すさまじい手術の跡があった。首に腹に、癌はすでに末期であり、一度手術をしても直ぐに閉じてしまった。私の四十年来の戦友である。身長は180cm位あり手術前は体重80kgはあった。酒は一滴も飲まない、キャデラックとハーレーダビットソンを愛する男である。庭いじりを愛し、土と木を愛した。

男はもう一つ愛していた。七年前から一人の女性を愛していた。凄い足フェチで、足の事を語ると徴に入り細に入りいくらでも話をした。お互いに男女の仲は話す事はない、これが男のルール。見舞いに行って初めて紹介された。すでに入院ニヶ月余、体重は十数㎏落ちていた。それでも私たちが来るからとパジャマからジーンズとアディダスのパーカーに着替えていた。男と男、友と友、いよっ、で始まる。大好きな目出し帽を被っていた。前の日までハルミオンも効かなかったが私たちが来るのに声も出ないのはみっともないと、屋上で管を引きずりながら歩いたと言う。そのお陰か前夜は久々にぐっすり眠れたと言う。声も出てるでしょうと言う。精一杯のジョークを飛ばす。二種類の抗癌剤に最後の望みを託すと言う。錠剤と液体を3週間一クールにして試すと言う。一種が50%、一種が25%。合わせると75%効くかもしれない。


膵臓と腹膜に転移していると行って腹の手術跡を見せた。お腹のど真ん中からベンツのマークの様に巨大に切られ、手術用のホッチキスの跡が生々しい。つい二ヶ月前まではピンピンしていたのだ。男の側に一人の美しい女性。萬田久子をもっと美しくした様な女性。足フェチの男が選んだだけあって、足首はしまり長く、背が高く、黒ずくめのコスチュームが知性的である。何事にもそっと気がつく。そっと眼鏡、そっとハンカチーフ、そっと水(これは私たちに)、そっとティッシュ、このそっと感を見た時、成る程と思った。女房、子供には悪いが人生の最後はこの女性と終わりたいんだ、そういう男が何とも魅力的であった。

正に愛しているのであった。説明は要らない。ただ愛しているのである。

一時間半、話して笑いました。翌日女性から、私に付いて来てくれた者にメールが入った。本当に楽しかったと。嘘でもいい、見栄でもいい、その言葉が嬉しかった。帰りに、病院の近くのそば屋さんに入った。一緒に行った者があの人は食い道楽だったですよね。未だ食べ物の臭いだけでも気持ち悪くなるって言ってましたね。何か悪いですねと言いつつ、あれや、これやを食べてしまった。

広い店にお客は私たち三人。三重県出身という23歳(本人が言った)の女の子が妙に私たちから離れない。目が何となくウルウルして、体がしなだれている。薄いブラウスの中からブルーの花柄のブラジャーがハッキリ見える。君どうしたの?そんな格好して、何やってんの?と聞くと、恋人と一緒に声優になりたいと言う。性優じゃないの?と聞くと、チュガイマチュシェイユデチュ、イヤダーなんて突っ立てる。電話番号と名前を書いて、今度オーディションしてあげるから恋人とおいでよと言ったら、ウヒャーホントデチュカなんて言っている。たっぷり手術跡を見た頭がクールダウンしない。でも、家庭を捨ててもあんないい女性と一生を終えたいなんて、負けてんな、カッコイイよな。自己破産して何もかも無くなったが凄い愛を残したのだから。俺は支持するよと言った。

いいか、間違っても女性からいい人なんて言われんじゃネェぞ。何て思った夜でした。

男と女が手を繋ぐシーンがあんなにいいと思ったのは久しぶりだった。

長い病院の廊下、二人のシルエット、いい映像でした。

友よ、奇跡は起こす為にある。

2009年12月10日木曜日

人間市場 心越す市篇

ココロコス、心越すという意味を込めたのか、離島大好きの親友渡辺修一さんは沖縄の瀬底島にフォールームスという四部屋だけのホテルを作りました。これが何とも素敵なホテルなのです。渡辺さんは、テレビやラジオ番組の企画や広告のコピーライターをしていました。


四十歳を目途に、いつか自分の手で、自分のイメージで、自分のホテルを作りたい、そう計画していました。大好きなお酒を少々にして、着々と計画を進めたのです。山を切り拓いた白いホテルです。一階が広い食堂、2階に4部屋、屋上がジャグジーです。フルチンだってフル○ンだって全然大丈夫。誰にも見られません。ジャグジーに浸かって、夕陽を見る。手にはオリオンビール。ワンダフルにしてビューティフル。


人間、夢を本当に形にする人は中々いません。評判が評判を呼んで予約はいつも一杯。何しろ、料理が抜群。沖縄料理じゃなく、フレンチやイタリアンが主です。但し沖縄のアグーという、黒豚のしゃぶしゃぶは、絶品を通り越して絶叫です。うめぇ〜。二頭の白い犬がまた可愛いんです。私の別荘と思って下さい、なんて優しい事を言ってくれるのです。いい奴なんです。最高なんです。今からでないと連休辺りはもう一杯になってしまいます。

美人でない人はあまり似合いません。ちょっと訳ありの感じで美人となんてかなりイケてます。

朝食なんて東京のホテルの比較になりません。正しいブレックファーストです。コーヒーが又旨い。ミシュランなんて田舎者のタイヤ屋がつけるマーク。私がつける☆印の方が正確です。☆☆☆です。

いい本一冊、いい女性一人、これが基本。フォールームスです。

私の名前を出せば、コーヒーは飲み放題、犬が好きな人は犬の散歩をさせたら、きっと卵料理は多めに出してくれます。

直ぐ側に海洋博の時に作ったでっかい水族館。これが又、海の中に入った気分。何時間でも見ていて飽きません。

2009年12月9日水曜日

人間市場 ヲットマン市篇

この世で気持ちいい事をしない人はあんまりいない。椅子に座り、足を伸ばす。

その足を乗せる物をヲットマン(オットマン)と言う。

私は、足は伸ばさないが、毎週体を伸ばす。その場所の名が「ヲットマン」。辻堂駅西口前にある、友人のフーちゃんこと尾崎文彦氏が友人と作った。鍼、お灸、マッサージ、アロマオイルマッサージの治療院だ。ここに行かないと私の全身はアウトになる。在宅の人の為の訪問マッサージもしている。個室のベットが一つ。間仕切りされたベッドが三つ。色々、ヘロヘロ、ヘトヘト、ボロボロになった人。ストレスでカチコチになった人。何かの後遺症でアチコチがコチコチになった人。アンチエイジングで美しい肌を保とうとしている人。など様々な老若男女が来る。ここは私の心身のオアシス。


デスクの女性細渕さん、私を見ると、大丈夫ですかぁ?必ず大丈夫ですかぁ?と言ってくれる優しい人。美人で可愛い女性。趣味はハーレーダビットソンに乗って、西湘バイパスをぶっ飛ばす。愛妻家のご主人がいる。私のマッサージとオイル担当は富田さん。パン食主義の女性、私の体の隅々を一部を除いて(?)知り尽くしている。「そうなんですかぁ、そうなんですかぁ」が口癖の人。私の情報を担当してくれるのが佐賀出身の内藤さん。マッサージもとても上手いがパソコンが凄い。とても優しい二児のパパ。とにかくパソコンから私の希望する情報をほぼパーフェクトに出してくれる。この人もハーレーダビットソンのメンバーの一人。私の体はこの三人で守られている。気持ち良い仲なのです。

もう一人、関西出身の長田さん。この女性は私の親友担当。ボーイッシュで男っぽく、切れ味のいい人。かなり博学の女性。在宅のメンバー以外はこの四人がテキパキと痛んだ人たちを元気にしてくれる。私にとっては家族同然の人たち。時々、食事にご招待する。坂本九ちゃんの親戚が経営している焼き鳥「鳥仁」はみんなお気に入り。(12月から銀座博品館裏に進出。茅ヶ崎に兄弟店がある。抜群に旨い店。体を不自由にした大島渚さんは今でも車椅子で来るらしい。)

人間の体は精密機械と同じ。キチッとメンテナンスしないとトラブルを起こす。鍼、お灸、マッサージ。どんなに痛くとも、どんなに熱くとも我慢が大切。自分への投資、自分への思いやり予算と思っている。私が帰る時、必ず四人で送ってくれる。一歩出た瞬間に体は、又してもらいたがってる。その引力は強い。こんな世の中に贅沢かもしれませんが、みなさん、三度のご飯を二度にして、二度のご飯は一度にし、一度のご飯は抜きにしてでもメンテナンスです。

あっ、先生、ソコソコ。あっ、キモチイイ。あっ、効く効く。痛っ。かなりイケナイ気持ちです。

2009年12月8日火曜日

人間市場 団々市篇

暴力団から、暴力を取るとどうなるか。

団である。団となると色々ある。歌を忘れたカナリアと同じであって、俺たちは何をすりゃいいんだという事になる。バレエ団、雑伎団、消防団、応援団、青年団など様々になる。団という文字が一番恐いのがやはり暴力団である。本物の渡世人、ヤクザ者は暴力団と言われる事を極度に嫌う。プライドが許さない、キャリアが許さないのである。俺たちは筋者なんだと言う。筋者の世界では、揉める事が拡大すると踊ると言う。

例えば、「ヨシ、俺とトコトン踊るか、上等じゃネェか」なんて具合に使われる。踊るだけなら舞踏団だが、筋者はそうは行かない。一度筋道が狂うと行くとこまで行かないと話が終わらない。

世の中で暴力団と言うと、全国民が悪い人だと位置づける。暴力は最後の理性と言った哲学者がいた。ある意味究極の意志の表し方なのだろう。


この頃、弱い者を痛めつける暴力が酷い。老人へ、子供へ、若い女性へ、およそ理性のかけらも無い事が起きている。

本来、強い者と強い者が、どっちが本当に強いかを決める為の手段。あるいは、許されざる侮辱に対し決着をつける。あるいは、愛すべき者を守るために動物的本能を発揮する。そのために暴力はある。私は仇討ち令を作る事を提唱したい。子供や、身内が殺された者には仇討ちを許す。正しい暴力を許す。もし、あなたは自分の子供を殺めた人間が、のうのうと生き続けているとしたら許せるか。私なら許せない。一人しか殺していないからという理由で娑婆に出て来る。勿論殺される側に殺されるべく事も多いと思う。が、真っ当な人間が通り魔的に殺されたり猟奇的に殺されるのは許せない。又、保険金目当てで妻や夫を殺す。私は大した保険に入っていないので保険金目当ては大丈夫だ。積年の恨みは大いにあり得るが。

ある法律家が真面目に言った。(一)仇討ちを認める(場所は高田馬場にする。又は巌流島か鍵屋の辻。)(一)島起こしにもなるので、どこかの島でシメル。(一)暴力団に入れて徹底的にシメル(一)東大の応援団に入れる(もの凄く厳しい)この頃になると法律家先生はかなり酔いが回って来た。そこへある組の大幹部、いや、先生お久し振りで。おお〜と先生、その節はどうも。聞けばその人は、自分の組のケジメをビッシリつけて(暴力の極みをして)懲役八年を務めたとか。その時の担当の法律家でした。先生曰く、あの男は本当の男だ。ああいうのを一括りに暴力団と言うのは僕は反対だ。この頃、堅気の方がよっぽど悪党だからな。君、何かいい言葉考えろよ。正しい暴力団の言い方を。僕が特許を取ってやるよだって。もう先生はヘロヘロ、若い女の子の胸に顔を埋めてメロメロ。明日法廷があるけどシカトすっか、なんて言い始める始末でした。

その夜、帰りのタクシーの中で先生は運転手さんに手を出し、警察に保護されました。

暴力は最後の理性だったのでしょうか。次の日の法廷は果たして(?)ご想像にお任せします。

2009年12月7日月曜日

人間市場 ノーベル市篇

ノーベル賞を貰ったからって思い上がってはいけない。

科学者、研究者だからといって特権意識を持ってはいけない、そう思う。

科学者と大田区辺りで一人苦心を重ね発明、発見しているグリスまみれの社長とどう違う。


凄腕の職人や大工さんや庭師の人たちとどう違うと言いたい。国の予算、即ち税金を使っているのだから謙虚にならなければいけない。自民党の放漫経営で国は破産しているのだから。(私はどの政党にも属していない)確かに、科学は人類に貢献し、文明、文化を切り拓いて来た。

人間を月に立たせたり、歩きながら電話をかけられる様にしたり、宇宙から車を誘導出来る様にしたり、又、原爆や水爆を作ったりしてきた。人を生かすも殺すも、あらゆる便利も作って来た。だが、一方でこんな警告をしっかり心しなければいけない事がある。過日百歳で死んだ、フランスの社会人類学者、思想家のクロード・レヴィ=ストロースはこんな事を書いている。

「世界は人間無しで始まった。だから人間無しで終わるだろう」と。中国の言葉に「歴史は作った者によって滅ぼされる」とある。ならば、人間が作った文明、文化は人間によって滅ぶという事になる。


科学の予算が削減されそうだと聞きつけて、普段は犬猿の仲の大学の学長十人がひな壇に揃う。

五人のノーベル賞受賞者が揃う。その中の一人は口をわなわなと震わせ、削減した者は後世の歴史の法廷に立てるのか、などと怒った。ips細胞の研究者もノーベル賞を受けるかもしれない。

その研究は、死んだ細胞を再生させるという夢の様なものである。ひょっとすると人間は永遠に死ぬ事が出来なくなるかもしれない。自分と同じクローン人間が自分の隣に座るかもしれない。神の領域に迫るものである。

宇宙の先に何があるか。あったらどうなるのか、夢は尽きない。その功績は計り知れない。だからこそ私は言いたい。もし、あの席でこんな話し方をしたらどれだけ値打ちが上がっただろうと。

例えば「今日はみなさんお忙しいところお集まり頂き誠に恐縮。我々ノーベル賞受賞者と言っても、大変な税金の無駄遣い者。何しろ浮世離れした夢を追って居りますので、誠に経済はオンチであります。科学は人間の欲望みたいなものでお金がかかってしまいます。この度、政権交代により科学研究の予算が削減されると聞き、これは一大事と思いここにうち揃ってこんな高い所に座って居る訳です。研究はSEXみたいなもので途中で止める訳にはいきません。あっ、イカンイカン、失言です。お許し下さい」等と言えば、流石という事になったでしょう。


私が尊敬している立花隆氏まで、事業仕分けしている者は、バーバリアン(野蛮人)だ。日本は科学技術でしか生き残れない等と言った。がっくりです。やっぱり彼も東大出の限界だと思った。それじゃ、農業、商業、林業、漁業、工業、職人、民芸、大衆芸能なんて全滅してしまうのかと言いたい。彼等はどこかに学歴主義、権威主義、見下し主義の特権意識がある。どうせなら、「ガバッと金を寄こせば、ガバッと国を儲けさせっから、発明、発見は無駄遣いの結果じゃけん、ケチケチしてたらイカンぜよ。」と坂本龍馬的に言った方が余程スケールがあると思うのです。いい女を抱くには、金がかかるんじゃけんのぉ〜(これは広島弁でした)

元々研究なんてものは私財を投げ売っていたのです。体を張っていたのです。華岡清州の妻の心が必要なのです。野口英世の母の心が必要なのです。


ちなみに、銀座のクラブで一番スケベェなのは大学の教授です。それを連れて行くのが文部科学省の役人、天下り団体、重機械業メーカー、教育関連メーカー、薬品メーカー、医療費メーカー等の関連会社。又、芝白金で愛人を囲っているのもその人たちが断然多いと聞きました。いい身分なのです。


立花さん、病気してから鋭さ不足です。この前の月刊文藝春秋の小沢一郎研究も、あの田中角栄を追い込んだ、殺気も熱気もありませんでした。私にとって唯一のジャーナリストと思っていたのですから、他のマスコミと一緒に群れを組まないでください。

あんだけ怒った次の日に五人はがん首揃えて宇宙人総理大臣に表敬訪問最敬礼。なってねぇな、やっぱり学者は。喧嘩の仕方が全く判ってないと見下したのです。もっと矜持を持てと言いたい。もっと自分の金を使って銀座で飲みなさい。


私は、権威主義者は大嫌いです。真っ向勝負です。

追記として、クロード・レヴィ=ストロースは「野生の思考」の中でこう主張している。

野蛮の中にも思想があり、技術があり、人間的生き方の尺度もある。サベージ=バーバリアンを植物に置き換えると野性という意味になる。

ミシェル・トゥルニエは「フライデーあるいは太平洋の冥界」の中で、文明と野蛮とを共存させようとした。つまり、戦争を起こす人間、その最新技術を生んだ科学者たちも。南海の孤島で、一人山羊と戦い、それを殺し皮を剥ぎ、骨で楽器を作り風に音を生ませる人間。そのどちらも野蛮人という事かもしれない。

教授達よ、一度南海の孤島で一人暮らししてみるといい。ロビンソン・クルーソーの様に。立花さんも又、孤島に一人になった時、その日その日を食べて行くために野蛮人、つまりバーバリアンとなるだろう。科学者はもっと人間的に偉い人になって下さい。

ご無礼はお許しを。