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2012年4月5日木曜日

「今日から作詞家」




好き18,326件、信じて10,326件、愛して8,107件、抱きしめて6,683件、一緒に6,106件、奇跡3,759件、扉3,287件、大丈夫3,011件、目を閉じて2,879件、翼2,869件、会いたい2,568件、切ない2,266件、そばにいて1,833件、ありのまま1,347件、歩き出す1,093件、手を伸ばし1,063件、空の向こう412件、どこにいるの337件、君らしく253件。

このフレーズと件数は43日現在の「歌ネット」検索ヒット数だ。
このフレーズをミキサーに入れてセロリやニンジンやバナナやパイナップルを入れてしまえば新鮮出来たてのフレッシュラブジュースソングが出来上がる。誰でも今日から作詞家の仲間入りが出来るのだ。

ポイントは決して恥じない、鼻をつままないととても書けないクサイフレーズを平気で使う事だ。
芸術は恥知らずの形ともいえるのだから、早速コクヨのノオトを買って来て今思っている言葉を書いて下さい。
間違ってもスーパーのチラシの裏なんかに書いてはいけません。
挽肉、粗挽き、ロース、フィレ、サーロインなどはどうやってもラブソングにはなりませんので。

2012年4月4日水曜日

「猫まっしぐら」


猫に小判


猫は何で走るのか。
本来猫は炬燵で丸くなり、跳びはね、ひっかき、魚を見つけるとあっという間に口にくわえて逃げ去る。
猫なで声を出して美人のひざ枕の上で一休みする。そして「我が輩は猫である」などとイバッテいる。
猫は大体家の中か、その近辺で行動するだけなのだ。

ところが猫ひろしは凄いぞ42.195㎞のフルマラソンでロンドンオリンピックに行く。
その大きな夢に向かって走る、走る、走るのだ。ある時宇宙に何かしらの天変地異が起きて人間がこの地球に生まれた。
その人間の祖先たちは、その日の食べ物を求めて生き物を追って走った。
又、大きな生き物達に食べられない様に逃げ足早く走ったという。

生存競争の中で人間はランナーとなって行ったのだ。
 腹が減っては走り、のんびりしていては追いかけられたのだ。現代社会も同じだ。

猫ひろし、本名瀧﨑邦明。お笑い芸人とはもはやいえない。
真剣人間なのだ。暗い話ばかり、嫌な話が多いこの頃、とんでもなく嬉しいニュースであった。
ひょっとしてロンドンで猫に小判ならぬ、猫に金メダルだ。

2012年4月3日火曜日

「水とんでおわり」



東京西麻布に凄腕のマタギがいる。
その名は大島衛さん68歳。

自分で撃って仕留めた熊、猪、鹿、鳥類を刺身にし、網焼きにし、鍋にして食べる店を出している。
店の名もズバリ「マタギ」だ。又、漁船を持ち相模湾で漁をし新鮮な魚も出す。
長方形のテーブルの真ん中には灰を入れてあり、そこに炭を置く。又、個室式のコーナーもある。かなり広く30人は入れるだろう。横綱もチャンピオンんもアスリート達もここに来てパワーをつける。

その味絶妙、その効果絶大にして闘志漲る。元気のない人間も鼻血がブーと出る程だという。
どの肉も臭味はまるでない。柔らかく脂身がない、その力は深く広く体中に野性を呼び起こす、その味はたっぷりと内蔵に染み込む、北海道の熊などは松阪牛も飛騨牛も佐賀牛も束になってもかなわない。
ゴボウとの相性抜群で鍋は泣けるほど旨い。その後仕上げは水とんだ。味噌味に又、又、泣ける。

大島さんが我々の処に来た。白髪、筋肉降々、身長は175㎝位だ。
目が鋭く200mから300m以内ならほぼ外さないという。

330日(金)夜6時、5人で集まった。映画製作の打合せだ。
マタギ上がりの殺し屋と漁師上がりの殺し屋が主役、一人は九州出身の元不良グループ?のリーダ、今は劇団を主宰し銀座でBarを経営している指宿豪氏(通称レッツゴー)、その後輩というか役者仲間、現役のムエタイの世界チャンピオン、リヨン樺澤氏、群馬でジムを持っている。前橋から来てくれた。見るからに強烈だ。黒の革のスーツ上下。
 それと180㎝以上ある監督の寺尾学ぶ氏、黒い革ジャンのプロデューサー、ヤクザ者よりヤクザっぽいキャスティングディレクターの江原立太氏だ。その四人と私だから知らない人は100%ヤクザ者の集まりと思ったであろう。
まずは顔合わせという場であった。

我々の場にマタギの大島さんが登場するともう大島氏の独壇場、その話はまるでマタギ小説そのもの。撃つ、殺す、解体する、手なずけた猟犬の話になるともう絶好調!なんでも紀州犬との交配から生まれた犬が最速、最強だと。
もうヤクザ風の怪しい五人組もたじたじ。最後の仕上げに水とん食べてウメーなどといって可愛く喜ぶのだ。

今度は肉食系ダイエットの人たちと、又デスクの女性と映画製作に多大な理解を持ってくれている広告界の売れっ子赤城廣治君と行こうと思う。鹿肉はいくら食べても、太らずその力を頼りに美しさが売り物の芸能人達がこぞって来るらしい。

830分すっかりお客さんでいっぱいになっていた。
超、超、超低予算の自主映画にしては豪華な味であった。映画ほど極上の獲物はない。

2012年4月2日月曜日

「安い男」

 


私の大嫌いな正義漢ぶった古館伊知朗とそっくりなユニクロの柳井正が日本人の資産家NO.1,その額8800億円だとフォーブス誌が発表、だからなんだといいたい。 

8800億持ったって、世のため人の為に使わない男だ。
1020億なんて被災地に送ったって砂漠に水をまく位なもの。
どーんと8799億円送れといいたい。それでも一億残るでしょ。

アジアの人たちを安い工賃で使い、安物を高い物らしく売っているだけだ。
ユニクロを5兆円企業にすると言っているだからその先はなんだといいたい。
シャネルは米粒にしてもシャネルブランドだが、ユニクロは巨大な虫眼鏡で拡大してもユニクロにすぎない。
間違っても銀座百店に載せてもらえない。

ダイエーの中内功、西武の堤義明、武富士の武井保雄など金で支配した独裁者の後を追う運命。
多分そんなに長生きしない顔をしている、しっかり世の中の為に使う様遺言を残して欲しいものだ。

ちなみに第2位はサントリーの社長佐治信忠、第3位はソフトバンクの社長孫正義とか。
お願いします。お金持ちの人、たった一億でいいんです映画に出資して下さい。

2012年3月30日金曜日

「パラサイト」


就活デモ

大学は出れる、だがしかし会社には入れない。
十社、二十社、三十社、何社も落ちた、就活に失敗して自殺する若者が激増しているという。
 警察庁の調べで明らかになった。

髪の手入れが悪い、靴が汚れている、爪が伸びたまま、話せば満足に喋れずドギマギし目は泳ぐ。
字を書かせれば小学生、会社を何で選んだかも定かでない。
ただ内定が欲しいという心が見え見え、面接力のない人間はまず入社出来ない世の中だ。

親のスネをかじり続けパラサイトと化して来た人間を正社員に入社させる会社はない。
お母さんごはんわとか、お母さん洗濯しといてとか、お母さん必ず朝起こしてよとか、お母さんお風呂わとか、着替えはとか言って家から離れない人間は世の中が必要としていないのだ。

若者よ夢を持て志を持てそして家を出ろ自分で生きよといいたい。
会社なんか入れなくても仕事をする気になれば幾らでもある。二十代を過ぎたらあっという間に三十代、そして四十代。
パラサイトが一年を取るのは早い。パラサイトはまず女性に、あるいは男性にもてない。だから余計に家が恋人になってしまう。

気持ち悪いゾッとする、そんな人間はゲーマーとなりAKB48を追い、パソコンを恋人にしやがて沈んで行く。親に頼るな、会社なんかどうって事ないんだ。もっと人に会え。若い内から安定なんて目指すな。

もっと旅をしろ、もっともっと苦い経験をしろ。
家にパラサイトを抱えている人達はその気色悪い寄生虫を外に放り出しなさい。面接力は育った様にしか生まれない。
二流、三流、名も無き大学の学歴なぞは無きに等しいと思い開き直る事だ。
就活に失敗した人間がデモをしている姿なんてマンガより仕未悪いんだ。大学出たらいきなり一人で社長になりゃいいんだよ。

お父さん、お母さん我が子の自慢話なんかしているととんでもない結果が待っているのです。就活に失敗したから死を選ぶなんて絶対に駄目、自分を鍛えれば必ず生きて行ける。

2012年3月29日木曜日

「WAKOにて」


WAKOの黒米のサラダ


銀座4丁目の交差点といえば服部時計店(セイコー)の時計台、その売り場はWAKOという。

その隣にWAKOの食品売り場がある。その二階にカフェレストランがある。 
4人掛けの丸テーブルが6つ、四人掛けのテーブル(ソファ+椅子)が7つある。
全てお客さんが入れば24+28=52人となる。 

329日(木)午後1時〜220分まで出版社の編集長と、230分〜4時迄中野裕之監督と打合せをした。
客席は全ていっぱい、ウエイティングの椅子にも数人いた。お客さんはほぼ8割は女性、ほぼおばさんであった。

私の様な人相の悪いのが隅っこにいて悪い目付きでいるのが場違いなのであった。
人と打合せしたい時WAKOが一番間違いないのでよく利用する。携帯を持たない身なので待ち合わせ場所には苦労する。

亡き友市川準が「亭主元気で留守がいい」というCMを作ったが正にオバサン達はよく食べ、よく喋り合うのだ。
久々にゆっくり話ができた中野監督の言葉は、冴えに冴えていて脳内のモヤモヤが流れる雲の如く消えていった。
そしてイマジネーションが入道雲の様にモクモクと浮かんで来た。才能ある人との時間は一分一秒価値がある。

その頃きっとおじさん達は「ババア病気で死ぬがいい」WAKOの裏通りにあるルノアールかなんかで喋り合っているのである。

2012年3月28日水曜日

「怪物一人」

松永安左エ門


色の道こそ男をつくる。
あらゆるものの根源はバイタリティにある。
その根源は性欲だ。間男、姦通当たり前、時として強姦も辞さず。 

97歳でこの世を去るまで女性を楽しみ続けた男。
人はこの男を「電力の鬼」という。その名は松永安左エ門。
宮本武蔵が日本一の剣豪と伝えられるならさしずめ日本一の性豪といえる。100年程前電力会社は全国に690社程あった。
その中で東邦電燈という会社が東京に乗り込んで来た。松永安左エ門48歳の時である。

そして次々とライバルを屈服させ弱小電力会社を買収、吸収、政財界を取り込み官僚達にむかって「きみたちは人間のクズだ」と言い放ったという。という事で現在まで東京電力のDNAは松永安左エ門なのである。

「電気料金を安く」をスローガンに生まれた東京電力がいつからか高い電力料金をの会社になってしまった。
値下げに反対したらスイッチを切って真っ暗にしてしまうぞという会社になってしまった。

松永安左エ門は晩年世間から離脱すべく「耳庵(じあん)」という庵を伊豆堂ヶ島につくる。62間であった。
浮き世の事は耳に入れるなという意味らしい。茶道を愛し、国宝級の蒐集品を集め楽しんだ。

強欲にして括淡、吝嗇にして豪奢。全てが二極化していた怪物であったと記憶され語り継がれている。
埼玉県新座市にある禅寺の中に高さ80㎝の墓石がある。
戒名はなし「耳庵居士 松永安左エ門」と横書きにされ生死の月日、97歳とだけ刻まれている。簡素の極みとか。

2012年3月27日火曜日

「アリラン」




私が大好きな、というよりその才能に恐怖を感じる監督がいる。
その名をキム・ギドクという。
現在52歳、その経歴は貧困との戦い、学歴との戦い、絵画との戦い、宗教との戦い、哲学との戦い、軍隊での戦い。
全て戦いの半人生であった様だ。

カンヌ、ベネチア、ベルリン等各映画祭でグランプリ等を受賞、キム・ギドクの作品は圧倒的な支持を得て来た。
今渋谷のイメージフォーラムで「アリラン」という映画を上映している。
自分との戦い、社会との戦い、仲間との戦い、映画界との戦いに疲れ切ったキム・ギドクは山小屋の中に一人籠もる。

一年、二年、三年そしてキム・ギドクは一台の小型カメラに向かって独白を始める。
その凄いのなんの狂気と殺気と正気と怒気がカメラに向けられる。この映画は製作、監督、脚本、撮影、美術、音楽、何もかもキム・ギドク一人である。出演者も本人だけ。

かつて観た映画「ゆきゆきて神軍」を思い出した。 
NO.1になった原一男の映画だ。自分に悩んでいる人はぜひ観て欲しい。
ただしキム・ギドクの用意したラストシーンを選んではいけない。アーティストやクリエイターはその一秒、その寸分まで戦いなのだ。人生とは全ての人間の戦いの歴史なのだ。決してあきらめるな。

「アリラン」とはそれは韓国の名曲の題名、人生の題名だ。

2012年3月26日月曜日

「ジュリーな日」


※サンスポより


鼻水がたれて口の中に入る。目から涙がこぼれ出てマスカラが取れてホッペにくっつく。
髪をふり乱しザンバラとなる。二段腹、三段腹をうねらせ、泣き叫び喚き黄色い声を張り上げる。
手を上げ振り過ぎて時計も腕輪も吹っ飛ぶ。

もうそこはこの世の光景とは思えない大同窓会、大クラス会場であったそうだ。
ジュリー!ジュリー!ギャー、キャアー、ジュリー!

20121月のある日の武道館、沢田研二ライブだ。岸部一徳、瞳みのる、森本太郎がステージで青春カムバックだ。
太ったがジュリーの声は相変わらず艶があって美しい。
白い髪でギターを弾く岸部一徳は相棒に出ていた警察官僚とは別人だ。岸部シローは一度ゲストで出たらしい。
男気のある沢田研二の思いやりだったらしい。借金まみれの岸部シローもジュリーありがとうと涙を流したという。

323日(金)雨の中家に帰りテレビ欄を見るとNHK3chでそのステージをやっていた。
残念ながら1時間30分の内11時からの30分しか見れなかった。
友人から聞いた通りそこはオバサンたちの熱狂の渦模様、オジサンたちもあの時の僕は若かった、恋をした、君だけに~、君だけに~、君だけわ~と。

ああ残念月日は残酷、もう帰ってこない。
知人の連れの女性はライブが終わりトイレに入り、鏡に映った我が顔を見て愕然とする。
口紅は鯉の口元の様になり、つけまつ毛は取れて行方不明、髪は流した汗で脱色し首筋にへばり付く。

ワァーこれ誰の顔と思わず両手で顔を隠す。何で早く出てくれないの、マッタクあのブス女、私もうオシッコ漏れちゃう、ジュリー!ジュリー!漏れちゃうよぉー(想像です)。

2012年3月23日金曜日

「仙台市八軒中学校」



2012年夏、少年少女合唱隊の声は東京日比谷野外音楽堂のステージから流れた。
3.11以降すっかり歌を忘れていた人々の心に染み渡った。

私がお世話になっている広告代理店、フェザンレーヴの社長大泉勉さんから電話があったのは金曜日であった。
日曜日の午後、日比谷の野音に仙台の少年少女合唱団を呼んだんだ、ぜひ聞きに来てよとの事だった。
南こうせつの野外コンサートの真ん中にその少年少女合唱隊が登場した。男女合わせて40人位であった。
 伊勢正三やイルカ、南こうせつの名曲の後会場は正に水を打った様に静になり歌い終わると万雷の拍手の渦となった。
なんだか出来すぎた青春映画のワンシーンの様であったが実話である。私も思い切り手を叩いた。

その少年少女達が通学した学校は仙台市八軒中学校、熱心な先生の指揮の中で沢山の表彰を受けている合唱隊の名門校だ。
大泉勉さんは震災にあった仙台に支店を持つ、傷ついた被災地の人々の心を癒す事はできないかとずっと考えていた。
 ある日NHKの番組で少年少女を知った。そして直ぐに交渉を始めぜひ日比谷へと熱意を語り実現したという。
そしてCD化したのだ。勿論ビジネスは度外視しての事という。その行動力に敬意を持った。

私の処にいた新人デザイナーの高橋舞ちゃんが仙台へ行き広瀬川の辺りで少年少女を撮影しCDジャケットのデザインをさせてもらった。その歌の名は「あすという日が」静かに聞くと静かに泣けて来る。熱く聞けばこぼれる涙が熱く感じる。

3月25日(日)TBS夜11時〜11時半「情熱大陸」でその歌の世界が放送される。是非観ていただきたい。
一人の広告マンの情熱と少年少女とそれに関わった人々の情熱を。被災地の方々に一人でも多く聴いて貰いたい。
その方法を私は考えている。第二次大戦後の焼け跡の大地に流れた“リンゴの唄”が国民に生きる希望を与えた様に。
この世の生き物の中で希望を持てるのは“人間”だけなのだから。