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2013年5月21日火曜日

「霧雨に似合うもの」


※写真はイメージです


この世は10%の富裕層が更に富裕層になり、90%の人々がより生活苦になる。

私が通う東海道線が多摩川の長い鉄橋を渡る、上りなら渡ったら東京、下りなら渡ったら川崎だ。その鉄橋の側下に大きく広いゴルフの打ちっ放しがある。
その側にホームレスのブルーシートの家(?)が最近増え続けている。

 一週間の内四日は人身事故による列車の遅れが放送される。
その度心の中で手を合わせる。

ある飲み屋でこんな会話を耳にした。
「オレヨォー、土日はゴルフの打ちっ放しに行くのヨォ、時々ヨォホームレスの家(?)に向けて打ち込んでやるんだ」
「そりゃマズイじゃないんですか、万が一の事があったら殺人ですよ」
「大丈夫、おれ下手だから滅多に当たらないよ」
「でも先輩そんな事いけませんよ、絶対」
「ウソでしょ」
「本当だよ、ドライバーなんかで思い切り打ち込んだのを見たぜ」

私は知人と二人でその声がよく聞こえる席に居た。
二人の男、一人は四十二、三歳位、一人は三十四、五歳であった。
場所は赤坂ヤッカン通り(ヤクザ者と韓国バーが多い)の入り口、三十年以上通っている店だ。

二人は今まで見た事はない。 
IT成金なのか私には全くわからないカタカナ用語が交わされている。
また一億、二億の金額がポンポン出る。売り抜けたとか、損切りしたとか、株式用語がブイブイ出る。ゴルフ好きなのか話の途中でゴルフの自慢話がグイグイ出る。

私といえば頭の中でコノヤローシメテやるか、いや放っとけやが入り交じる。
飲んでいた酒が旨くないので店を変える事に決めた。
いい年して怒っちゃダメと自分に言い聞かせる。

で、伝票を持ってレジに向かう。
二人の男の横を通りながら、オイ二度とこの店に来るなよ、今度あったらお前らに向かってドライバーを打ってやるからなといった。
二人はポッカーンとしていた。知人が随分大人しくなりましたね、むかしだったら大変だったのにといった。

店のオヤジはペコッペコッと頭を下げた(すいません、一見の客なんですといっている様だった)。弱い者をイジメる奴は決して許して来なかった人生だ。
外に出ると霧雨が降り続いていた。雨には短刀、短刀には赤い血が似合う。
霧雨には一人で殴り込むのが似合う。映画のワンシーンを思い出した。

2013年5月20日月曜日

「日本語の日」



吉田秀和氏 ※朝日新聞デジタルより転載


517日、竹橋でフランシス・ベーコン展を見た次の日の18日、早朝千葉船橋の娘宅に居た。二人の孫の運動会があり前夜より泊まっていたのだ。
 七時に起床せよとの事であったのでずっと起きていた。

晴れの運動会の日に朝から汚い日本語がテレビから放出されている。
橋下徹なる下劣な男が自己弁護を語る。
子ども達には聞かせられない言葉ばかりであった。
売春、性の奴隷を連発しては恥の上塗りを重ねる。

この男はいつも放言と暴言、修正と謝罪。
自己弁護と他人転嫁をシェーカーの中にいれては言葉のカクテルを作って逃げ回る。
壊れた機関銃の様に出る言葉を止め、それを論破する、喝破する政治家も政治評論家もコメンテーターもいない。その口先に強烈な一撃を加える事が出来ない腰抜けだ。

橋下徹はきっと大阪市長を辞任し、7月の参議院選に出るだろう(いい口実が出来たと)。大阪人はそんな橋下徹に一票を投じる筈だ。
しかし日本維新の会はいよいよ解体に向かうであろう。
石原慎太郎という強力な接着剤がなければただの異心の会、野心の会にすぎない。

運動会の開会の挨拶をPTAの会長が行った。
赤組の人、白組の人、戦いはいつやるのと子ども達に声を掛けた。
子ども達は「今でしょー!」と応えかけた。PTAの会長の日本語のレベルに愕然とした。

国旗日の丸が風に揺れ国歌が斉唱された。
私は立ち上がらず天を仰いだ。
4の女の子、小1の男の子、お目当てのかけっこは共に一着、リレーの選手にもなった。とても速かった。

皆大声で「頑張れ、頑張れ」という親と子、親類たちの日本語が万国旗の下でつぶてとなって飛び交った。懸命に走る子どもの姿にこの国の未来がある。
おにぎり、ウィンナー、唐揚げ、玉子焼きの先に小さな本当の幸福がある。

朝、汚い日本語にうんざりし、昼、親子一体の日本語に喜び、夜、日本語の美しさに出会った。船橋→戸塚→辻堂、横須賀線から東海道線に乗り継いで夜九時四十分頃帰宅した。愚妻は娘宅にもう一泊、テレビをつけると、また、また、また橋下徹だらけ。

うんざりするのも嫌だから2日分の新聞を読む事とした。
番組表にNHK Eテレで夜12時より137分まで、昨年亡くなった音楽評論の巨人、超人、哲人、日本史上最高の名文家でもある文化勲章受章者「吉田秀和」先生のドキュメントがあるのを見つけた。鎌倉の閑静なお宅は、知に満ち溢れている。
原稿を書く机は極めて小さく、本棚にはほんの少しの本しかない。

ドイツ人の奥さんに先年先立たれてひとり暮らし。
六時起床、毎朝小さな台所で330秒かけてゆで卵を一つ作る(玉子に衝撃を与えるのだと)ドイツパンとヨーグルト、シリアルだけの食事が毎日の決まりとか。
急須からTEAを注ぐ。こじんまりしたお庭そこは緑の芝生とあじさいの葉であふれている。(まだ花は咲いていない)音楽を聴く部屋には畳が八枚位、ごく普通の音響機器(特別高いものでなくてもいいという)障子と襖。
決して特別な家具も調度品もない。あるのは先生の頭の中にある世界中の名曲の音譜だ。

番組の中でインタビューに応える、作家石田衣良の家はまるで白い図書館の様、本による本の壁だ。パソコンを打つ石田衣良のなんと嘘っぽい、薄っぺらな姿。
吉田秀和先生の小さな住居自体がピアノ・ソナタの名曲を奏でているのとは大違いだ。

子どもの勉強机の上に原稿用紙を置き、細長いガラス戸から差し込む光を指揮者にして万年筆を走らす。
原稿用紙の一言一句、その行間、句読点までが一つ一つの音譜となり名文が生まれていく。その姿は「神」の如くであった。

芥川賞作家の堀江敏幸氏とのお庭での対話は93歳とはとても思えず、気品有り、気高く有り、流麗にして知力が満ち溢れていた。
現代の作曲家で吉田秀和先生の教えを感じていない人は一人もいないだろう。
日本語とはそれを使う人によってあまりに違う事を知った。

殆ど眠らずの一日であったが、その終りは極めて充実した。
冷やしたスミノフをお気に入りのバカラグラスに入れて飲んだ。
先生はおっしゃった。僕の文章は機械からは決して生まれないんだよと。

2013年5月17日金曜日

「平塚行にて」


※写真は転載です


あなたの側に億万長者がきっと居る。
本人は気付いていないのだから周りが気付いてあげねばならない。

宝くじの当選に気付いていない人の事だ。
去年のドリームジャンボ宝くじ一(1億円)7本が13日現在換金されていないとみずほ銀行が発表した。支払期限は617日迄。さあ買ったと思われる人を見つけよう。

未換金の売り場は次の通り。
みずほ銀行郡山支店(福島)、TFC北朝霞宝くじショップ(埼玉)、西銀座チャンスセンター(東京)、四谷ドリームステーション(東京)、みずほ銀行平塚支店(神奈川)、特設横浜ポルタチャンスセンター(神奈川)、天文館チャンスセンター(鹿児島)だ。


友人、知人、愛人、他人にいませんか、よく宝くじを買う人。
なぜだか埼玉、神奈川、東京が多い。
もしかして一人で買い回っていたりしているやもしれない。

だとしたら一人で三億とか四億かも。
もったいないじゃありませんか。
映画が作れるじゃありませんか。

印刷業界には様々な業界用語があります。
例えば活版印刷の世界(最近は少ないのですが活字の味は別格です)では、よく使用する活字を「大出張」よく出て行くからでしょう。
次が「小出張」「袖」は和数字や年号です。中に「泥棒」というのがあるのを新聞記事で知りました。丑とか亥。
あまり使われないから“こそこそ出入りする”そこで泥棒となったと書いてあった。

宝くじを買って当選しているのに気付いてない人、ふと考えると実は知っているのだがギリギリ617日にサッと現れてガバッとバッグに入れて、こそこそっと軽自動車かなんかに乗って姿をくらますのだ。
アルバイトを7人選別して七カ所に配置するとその隠れた活字の様な人に会える筈だ。
一度も買った事がない私には買った人の心理が読めないのだがどうなのだろうか。

会社の帰りに夕刊を買って紙面の隅にベタ記事に載っているのを見つけた。
こんな大事な記事は一面トップにすべきだと思ったりした。

東海道線下り平塚行、午後十時十二分東京発、私の横の50歳位の会社員風の男が、右手にサントリー角ハイボールロング缶を持ち、左手に中野物産の昆布“浜風”を持って飲んでは食べている。私は今夜もついてねえやと舌打ちをする。

斜め前に読売巨人軍のオレンジのユニホームを着た親子がコックリコックリしていた。家に帰りスポーツニュースを見るとジャイアンツがロッテにサヨナラ勝ちをしていた。宝くじを当てた人、くれぐれもバックレてサヨナラは行けません!

2013年5月16日木曜日

「OK牧場の血糖」


※写真は転載です


うどん県香川にどんどん増えている病気がある。
それは糖尿病だ。

香川県全17市町が全ての公立小で小学四年生もしくは五年生の児童を対象に糖尿病を見つける血液検査を実施する事がわかった。
文部科学省は「生活習慣病の予防を目的にこんな検査をするのは聞いた事がない」と。
つまり全国初なのだ。

香川県の糖尿病受療率は人口10万人に対し、男性が350人で全国1位、女性が269人で全国2位。それじゃ何故となる訳だが、その訳は県の代名詞うどんなどの炭水化物の過剰摂取ではとなったのだ。

東京にも香川のうどん店が沢山できている。
基本的にセルフサービス、トッピングは自分でする。
例えば素うどんにちくわ天、イカ天、えび天、春菊天と次々にのせながら前進して行くのだ。天、天とした人生行路が香川のうどんの食べ方なのだ。

すごい人は更に小皿にコロッケだとか、おにぎり、おいなりさん等をのせてひと息ふうーとして、取り放題の刻みネギをトングでつかんでドバっと天、天、天の上にのっけるのだ。

私はそば派なので数度行った事しかない。
シンプルなきつねうどんが好きだ。

人間という動物は目にした食べ物はオッ、オッと思い食べたくなるのだ。
香川のうどんは自己の制御能力というか意志の力とのせめぎ合いなのだ。
余程の根性者は素うどんにただの刻みネギだけで気高く食す。だが殆どの人はつい◯☓天、つい☓☓天、ついつい□△天となってしまうのだ。

結果炭水化物+揚げ物の食べ過ぎとなり幼き頃からイケナイ体となってしまうのだろう。行け行けどんどんは程々が肝心なのだ。 

B級グルメブームだがそのほとんどは炭水化物だ。
しかし人間の味覚と視覚はA級よりB級を受け入れるのだ。
気取った料理より目の前の料理の方が間違いなく上手いからだ。

ソース焼きそば、広島風お好み焼き、ラーメンに焼き鳥、おでん、焼きうどん、餃子、立ち食いそばやうどん。縁日の屋台に胸躍るのは五感が働くからなのだ。
だが同じ物ばかり毎日食べていてはいけない。

気をつけよう。炭水化物への過剰な愛を。私は明日大好きなおかめそばを食べるつもりだ。長寿庵か砂場で。私は血糖値は問題なしだ。
問題ある数値の高い人は「OK牧場の血糖」と心に決めて二本の割り箸を構えて下さい。
食事は日々毎食戦いなのです。

2013年5月14日火曜日

「弾圧開始中」


悪魔のキューピーこと大西政寛


「仁義なき戦い」という広島のヤクザ戦争を描いた映画はあまりにも有名だ。
元々は中国新聞がいかなる暴力にも屈せず暴力追放キャンペーンを掲載し続けた。

それはやがて「ある勇気の記録」という一冊の本となり、その本を飯干晃一が独自の視点を加え「仁義なき戦い」は生まれた。
中国新聞のキャンペーンは菊池寛賞を受け今も新聞記者のあるべき姿の教本となっている。

映画では深作欣二が監督をし、そのシリーズは映画史上に残る大ヒットとなった(日本の歴史に残る映画ベストテンの第三位)。
その映画の中に日本ヤクザ史上最も恐ろしい一人といわれた「悪魔のキューピー」こと大西政寛が出てくる。

その顔は可愛い小学生の様であった。
だがひとたび怒りの顔となると一変してその暴力は屈強なヤクザも逃げ出した。
凶暴の歴史は語り継がれている。

さて、今の日本にもその悪魔のキューピーの様な政治家が憲法改正を声高に叫び突き進んでいる。自民党が7月の参議院選挙の公約の中に草案として凶暴な条項を入れているそれは表現の自由を定めた21条の2項で“公益”や“公の秩序”を害する活動を認めない、また結社(活動)も認めないというものだ。

これはかつての悪法治安維持法と同じだ。
例えばこんなブログを書いているわたしも即ブタ箱へ。 
2ちゃんねるとかフェイスブックとかツイッターで“公”のためにならないと判断されたら即ブタ箱行きとなる。勿論多くの冤罪が生まれる。当然拷問や不審死も続々となる。
宗教団体、政治団体、およそ団体と名のつくものが“公”のためにならないとなればまとめてブタ箱だ。生きて出てこれないかもしれない。
公園で友人二、三人とバットの素振りの練習をしたり、ゴルフの素振りのやっても、お前たちテロをやるために集まっているんだろうとしょっぴかれるのだ。

かつて“スパイ防止法”を作ろうとして猛反対され廃案となったが、その焼き直しを法案にするのだ。“表現の自由”と“結社の自由”は基本的人権として憲法の柱を成している。
安倍晋三という見た目は弱々しく、どことなくお坊ちゃん風、まさかこんなキューピーみたいなと思う人こそ、その顔の下に悪魔が潜んでいるのだ。

毎日総理大臣の動静を示す記事の中に大マスコミの経営者がひれ伏しに行っているのもその法案の怖さにあるからだ。

“国民総背番号制”により私たちは国家に番号で管理される事となる。
個人情報、家族の情報は丸裸とされやがて徴兵制へとするためのものとなり、思想弾圧の元となる。恐怖の政治が目の前に迫っている。

呑気に構えていると、あなたも、君も、あの人も、あの会社も、ソックリまとめて弾圧される事となる。ある日私が消えたらそれはきっとあの小林多喜二の様に拷問を受け全身内出血で息を引き取っていると思って下さい。
“公”を誰が何を基準にして判断するか、それは国家権力なのだ。私は命をかけても悪魔と戦う決意をしている。日本の安倍晋三は極右ナショナリストだとアメリカや諸外国は厳しく論評を始めている。中国やロシア、北朝鮮や韓国やイラン、イラク。

社会主義国や紛争国、タックスヘイブンの国に旅行に行って、ハイピースなんていうブログやフェイスブックは100%管理されている(出入国データから割り出されているのだ。スパイかもしれないと)今やネットは戦争の地と同じなのだ。

2013年5月13日月曜日

「心頭マヒ」




512日(日)は「看護の日」であった。
今日本中の病院で看護師さんが不足している。

私はずっと昔からこの世で一番高い報酬を受け取っていい職業は看護師さんだといい続けている。私が生活する神奈川県で看護師、准看護師、保健師、助産師を合わせた「就業看護職員」は2010年で66676人、人口あたりの数では全都道府県で最下位だ。
医療機関や福祉施設などでは12千人以上足りないと推計されている。

その一因は離職率の高さ、日本看護協会によると、県内の常勤看護職員の離職率は11年度で13.6%だ。看護師さんのいない世の中を考えてみるとゾッとする筈だ。
ミスは許されない中での過重労働、慢性的疲労、慢性的睡眠不足、ネムイ、ツライ、カワリガイナイ。でも頑張ってくれる看護師さん。

患者さんのオシッコだって、ウンコだって、ヨダレだって、耳ダレだって、鼻水だって処理してくれる。体を拭いてくれたり、ハイアーンしてなんていいながらご飯だって食べさせてくれる。

こんな事をしてくれる女性を神と思い誰より一番の報酬をあげるべきだと私は心底思うのだ。みなさんの祖父や祖母、父親や母親、難病と戦う知人や友人、業病と戦う先輩や後輩、猛烈な副作用と戦う恋人やクラスメイト、自分の命をかけても守りたいが守り切れない親分の看護を決して差別せず優しく微笑んで行なってくれる。
大手術だって小手術だって看護師さんがいなければどんな名医もお手上げだ。

さあ、みんなで声を大にして看護師さんに感謝をいうのだ。
そして、一人ひとり身銭を切っても看護師さんに報酬を支払うのだ。
私は「看護税」という名の税金をつくってもいいと思う。
この税金を嫌だという人は居ない筈だ。一人でも多くの人に看護師さんになってもらうために学費の援助や産休手当て至れり尽くせりを国民全体で負担するのだ。

何に使うか訳の分からない税金ばかり、気がつけば国民一人当りの借金が800万円だなんてふざけんなだ。
あー頭の中がグワングワンして来た。怒り“心頭マヒ”だ。
すみません看護師さん来てください、いや看護師さん、看護師さーん。私はどうでもいいですからゆっくり眠って下さい。

2013年5月10日金曜日

「アホノヤバカオ」

※写真は転載です 




ある雑誌にこんな若者が紹介というか誌上公開されていた。
仮の名を私が勝手につける事とする。阿呆家馬鹿男(30)。

職業ネットを利用した広告システムを軸にしたIT関連会社社長。
六本木のタワーマンション最上階や広尾など、都内一等地に自宅を5つ所有。 
7000万のロールスロイスをはじめフェラーリ、ベントレーと外車三台、腕時計はパテック・フィリップにハリー・ウィンストン、時々利用するヘリコプターのチャーター費用は一回170万円、3800万円の費用を使って自著の広告を一週間関東全域のJRの列車内に提示させる。

彼女とランチのためヘリで長野に移動しそばをすする、空からの風景は前菜なんだとか。とまあ書いているだけで阿呆、馬鹿となる。夢を与える存在になりたいという。
「嫌消費」「さとり」同世代人と一線を画す。
ヒーローがいない世の中僕のような若い人間がこういう生活を見せる事で刺激を与えたい。僕は刹那的なのでこういう生活が全部なくなっても別に構わない。

23歳で起業するも2年前倒産、その直後に現在のビジネスモデルを考えたとある。
ただいま月商5億円とか。

おい、ちょっと映画作りに出資しろ、いやいいシナリオがあるのでどうか出資して下さいか。いや、やっぱり映画に出資しろ、でないとパチンコでヘリコプターを撃ち落とすぞと、ボールペンを持った手に力が入るのだ。


こんな若者が実はニョキ、ニョキ増えているのだという。
IT成金というらしい、またはネット長者とか。
愛は金で買えるといっていた人間がヘリで長野ではなく、護送車で長野刑務所に入所。
現在ダイエットに成功して釈放された。

ヨォーイスタート、ハイカット、もうワンテイク、ハイ本番、ヨォーイスタート。そんな掛け声を出してもらいたい人がいるのだが私は全くのIT音痴だ。

喫茶店の片隅でチクショウと思いながら350円の珈琲を飲む。
オッオッ、ロールスロイスだ。
もしかして阿呆家馬鹿男では、オーイ、いいシナリオがあるだと立ち上がるもアホガキめと座り直して残りの珈琲を飲むのだった。

と、空にはバリバリバリとヘリコプターの音、オッまた出たかアホガキめ、と言いながら指でパチンコのゴムを引いて紙を丸めて玉にして、空に向かってプシっと打つのであった。何すんだよイテエーじゃねーか、と紙玉が当たった斜め前のオッサン。エライスミマセン。(連休明けの白昼夢です)

2013年5月9日木曜日

「上と下」



※イメージです



株式市場が外国人のヘッジファンドの買い増しで偽活況化している。
私は全く株式投資に縁はないのだが、あの大バブルの時期大手証券会社の仕事をさせていただいた。

相場の世界では「獅子は眠れるうちに、うなぎは動き出す前に捕まえろ」という格言があるらしい。今は時すでに遅しかもしれない。

日本橋兜町には証券会社が立ち並ぶ。
兜町の栄枯盛衰を見守ってきたのが「うなぎ屋」さんだ。
最盛期には十数店舗あったが今は僅か五店舗だと聞いた。

うなぎ上りという言葉がある。株があがるとうなぎ屋さんの売上も上がるのだ。
長引く不況と株の低迷、またシラスウナギの激減で仕入れ価格がうなぎ上りで経営が苦しくなり一店、一店と店仕舞いをしていった。

「松よし」という店のご主人の記事が目を引いた。
株価は五割以上も上昇、政府も好況感を煽るが庶民の懐具合がよくなった実感はない。
客は一日7080人で変わらないが、特上4000円が一日10個以上出るようになった。
おまけに領収書なし、ポケットマネーが潤ってきたかもしれない。
最大の関心はやはり業界トップの野村證券の夏のボーナス、野村が上がらないと本物ではないらしい。
お客さんの8割は証券関係以外だと、山一證券が破綻してから証券会社が次々に消えていってしまったのだ。
ご主人は投資への誘惑も多いけど、やっていたらこの店もなくっていただろうと語っていた。

月に二回、私は証券取引所の横を通る。
水天宮に通う用件があるからだ。
私も証券会社の仕事を沢山させてもらっていた時、投資を勧められたが本業をするので手一杯、また博打の怖さは若い頃嫌という程学んだので仕事上で勝つか負けるかに集中した。1950年創業の「松よし」へ行ってみんなで特上を食べる日を願っている。

上がったら下がるものがあるのが世の常だ。
私大下宿生への仕送り額が最低になった。 
12年連続のマイナスだ。一ヶ月の平均仕送り額は前年度より1800円減、過去最高だった94年度124900円より3割近く落ち込んだ。その額平均89500円。家賃を除いた生活費は27700円、一日あたり923円という。
果たして多いか少ないか(?)
親が一生懸命働いて仕送りしているのに、親不孝を重ねている学生も多いがこの国の未来は彼等にかかっている。

私の若者への期待はいつでもうなぎ上りなのだが彼等に特上のうなぎは奢れない。
が、並ならごちそうできる。世の中を自らの力で動かしてやる、そんな気がある人は是非会いに来て欲しい。「うなぎ+肝吸い+お新香」を一緒に食べよう。
ただし、ヌルヌルと掴みどころのない者はお断り。
ビシっと気合の入った目をしている人を待つ。

2013年5月8日水曜日

「ひとり位は」




私にとって、長嶋茂雄は正真正銘の「神」でありつづけている。
あの10月14日の引退試合にはカメラマンを配置し写真を撮りまくった。
そして泣いた。

監督になった時、後楽園の内野席を2席契約した。
解任された日、行きつけの店で怒りそして泣いた。

スポーツを政治的利用され大イベント化された5月5日のこどもの日、私は心から感動できなかった。私の大切な「神」を邪な政治家に奪い取られた気がした。

体が不自由になったミスタープロ野球にいまさら国民栄誉賞という選考の在り方が気に入らない。
謙虚がユニホームを着た様な「ゴジラ」松井秀喜の居心地の悪そうな姿を見ればそれが見てとれた。


今までは首相官邸内で行われていたはずだ。
今回厳重な警備の中でイベントを行ったのは、来る七月の参議院選挙で圧倒的に勝利し憲法改正に突き進む人気取りに他ならない。

同じ賞を受けた王貞治、衣笠祥雄はなぜグランド上で表彰されなかったのか。
この二人の表情は複雑であった。
森光子はなぜ舞台の上でなかったのか、吉田沙保里はなぜリング上ではなかったのかという事になる。他の受賞者も皆同じである。
私は不公平が嫌いである。
国民栄誉賞というなら今後は国民が選ぶべきだろう。


長嶋茂雄を打者にし、松井秀喜を投手にし、原辰徳を捕手にした。
そして総理大臣安倍晋三は背番号「96」をつけて審判となった。
はしゃぎ回る安倍晋三は明らかに躁状態となっている。「96」という数字が96代の総理であるという事と「96」条を改正するぞという意味を示している事はいうまでもない。

ちなみに、プロ野球のルールでは審判はユニホームを着てはいけない。
勿論洒落のつもりだろうがここでも邪な浅知恵を感じた。

純粋な長嶋茂雄、律儀な王貞治、一途な衣笠祥雄、一人ひとりきっと良き両親に躾けられたのであろう、正心な松井秀喜。四人に共通しているのは決して人の悪口をいわない、決して泣き言を言わない事だ。
私の様な日頃悪口雑言ばかりの嫌われ者とは違う制御の効いた人間である。

今回のイベントを見て国民のほとんどは心から感動した事だろう。一方それを観た権力者とその側近たちはしてやったりと思った事だろう。
NHKのドキュメント番組で二時間長嶋茂雄の壮絶なリハビリと戦う姿を見た。

 同じ様に日々戦っている人々にはきっともう一度やりたい「何」かがあるのだろう。
このままでは終わりたくない「何」かが。

本来始球式は儀礼的に投げれられた球を儀礼的に空振りするものであった。
が、熱える男長嶋茂雄の目は打つぞという気迫に満ちていた。
左手一本で空振りした。高めのボールを悔しがった。その姿に私は涙を流した。

と、同時に安倍晋三は7月、憲法改正に「YES」か「NO」かで、衆参同日選挙をやるであろう事を強く感じた。そして彼の大嫌いな公明党を外し、やりたい放題の巨大権力を生むだろうと。こんな想いをするのは私ひとり位だろうか。
後世この55日こどもの日が実はその決意表明であったと判るだろう。


すでに自衛隊を国防軍にすべき様々な球は投げ始められている。
公園で野球をする子どもたちがかつて神宮球場から学徒出陣していった事と同じ軍国主義の中にいる。そんな悪夢を見た。 
56日、安倍晋三内閣総理大臣は、ゴルフ場の芝生の上を勝利者の様に会心の笑みを浮かべて行進していた。

総理!支持率最高、やるなら今でしょ!の掛け声が聞こえた気がした。
7月にやらねば三年後体が健康である保証はない。
また、アベノミクスという人類史上初の日銀による実験は大失敗に終わっているはずだからだ。急いで歴史に名を残したいと思う人間には、今そこにある果実しか目には入らない。(敬称略)

2013年5月7日火曜日

「予想以上」



※イメージ


その日、辻堂駅北口にあるテラスモール湘南4階の本屋さん有隣堂から頼んでおいた本が入りましたとの電話、よし、食前の運動とばかりゆっくり三十分程歩いてモールに着きました。

午後一時を少し過ぎていました。
エスカレーターで上がったところ、レジは大行列でした。
で仕方なく四十番目位に並びました。
ところてんの様に少しづつ押されてレジに近づいて行きました。
二十番目位になった時、行列は渋滞となりました。

 ごっそりマンガを買った親子、数冊買った本にあれこれうるさくカバーを付けさせる嫌味な男、マガジン一冊にも領収書を書かせねばならない会社員風の女性、図書券を使って買う小学生とカウンターは詰まってしまいました。

さて、と左を見ると村上春樹著の「多崎つくる・・・」の新刊がごっそり平積みされている、どこも売り切れなんて言っていたけど。見るとへんなりと薄べったい。
何のオーラも出ていない、誰も手にしていない。

思わずその本を手にした。
357頁、作家の命はじめの一行はイマイチだった。とその時列が動き出した。
本を手にズルズルと前へ進んでしまった。結局買ってしまったのだ。

家に帰ると、え、村上春樹を買ってきたの、みたいな視線。
午後四時位から読み始めた。マズった、やはり予想どおりというか予想以上に不出来だった。読み進むほど遠藤周作の名作「深い河」を思い出した。 

180頁位読んで麻婆豆腐、回鍋肉、小籠包、野菜スープを食した。
そして再び読み進めた。

いやはや参ったなんの、ハルキストの人には申し訳ないがフツーの青春小説だ。
全てが辻褄合わせ。村上春樹氏なる男は余程女の子にモテなかったのだろう。
かなり気恥ずかしくなってしまう。そしてクドクド同じ事が多すぎる。

後で知ったが有隣堂では二箇所で平積みをしていたとか(追加大増刷した)。
村上春樹氏は名古屋人が嫌いなのがよくわかった。

かつて読者から小説はどう書いたらいいのですかとの問に村上春樹氏はこんな答えをしていたという。まず何を書くか、次にどう書くか、だから何を真似るか、そんな意味の事を。でもまあ売れたが勝ちか。

昨日ある大学で講演をした。撮影NG、録音NG
人に顔を見せるのが嫌いだとか。出席した人の話によると、自分の書いた小説を、今度のは良くなかったが、次に期待する。そんな待っていてくれている読者が好きだとおっしゃっていたとか。先生はやはり優れたプロデューサーだ。

その日の麻婆豆腐は想像以上に甘かった。