悪魔のキューピーこと大西政寛 |
「仁義なき戦い」という広島のヤクザ戦争を描いた映画はあまりにも有名だ。
元々は中国新聞がいかなる暴力にも屈せず暴力追放キャンペーンを掲載し続けた。
それはやがて「ある勇気の記録」という一冊の本となり、その本を飯干晃一が独自の視点を加え「仁義なき戦い」は生まれた。
中国新聞のキャンペーンは菊池寛賞を受け今も新聞記者のあるべき姿の教本となっている。
映画では深作欣二が監督をし、そのシリーズは映画史上に残る大ヒットとなった(日本の歴史に残る映画ベストテンの第三位)。
その映画の中に日本ヤクザ史上最も恐ろしい一人といわれた「悪魔のキューピー」こと大西政寛が出てくる。
その顔は可愛い小学生の様であった。
だがひとたび怒りの顔となると一変してその暴力は屈強なヤクザも逃げ出した。
凶暴の歴史は語り継がれている。
さて、今の日本にもその悪魔のキューピーの様な政治家が憲法改正を声高に叫び突き進んでいる。自民党が7月の参議院選挙の公約の中に草案として凶暴な条項を入れているそれは表現の自由を定めた21条の2項で“公益”や“公の秩序”を害する活動を認めない、また結社(活動)も認めないというものだ。
これはかつての悪法治安維持法と同じだ。
例えばこんなブログを書いているわたしも即ブタ箱へ。
2ちゃんねるとかフェイスブックとかツイッターで“公”のためにならないと判断されたら即ブタ箱行きとなる。勿論多くの冤罪が生まれる。当然拷問や不審死も続々となる。
宗教団体、政治団体、およそ団体と名のつくものが“公”のためにならないとなればまとめてブタ箱だ。生きて出てこれないかもしれない。
公園で友人二、三人とバットの素振りの練習をしたり、ゴルフの素振りのやっても、お前たちテロをやるために集まっているんだろうとしょっぴかれるのだ。
かつて“スパイ防止法”を作ろうとして猛反対され廃案となったが、その焼き直しを法案にするのだ。“表現の自由”と“結社の自由”は基本的人権として憲法の柱を成している。
安倍晋三という見た目は弱々しく、どことなくお坊ちゃん風、まさかこんなキューピーみたいなと思う人こそ、その顔の下に悪魔が潜んでいるのだ。
毎日総理大臣の動静を示す記事の中に大マスコミの経営者がひれ伏しに行っているのもその法案の怖さにあるからだ。
“国民総背番号制”により私たちは国家に番号で管理される事となる。
個人情報、家族の情報は丸裸とされやがて徴兵制へとするためのものとなり、思想弾圧の元となる。恐怖の政治が目の前に迫っている。
呑気に構えていると、あなたも、君も、あの人も、あの会社も、ソックリまとめて弾圧される事となる。ある日私が消えたらそれはきっとあの小林多喜二の様に拷問を受け全身内出血で息を引き取っていると思って下さい。
“公”を誰が何を基準にして判断するか、それは国家権力なのだ。私は命をかけても悪魔と戦う決意をしている。日本の安倍晋三は極右ナショナリストだとアメリカや諸外国は厳しく論評を始めている。中国やロシア、北朝鮮や韓国やイラン、イラク。
社会主義国や紛争国、タックスヘイブンの国に旅行に行って、ハイピースなんていうブログやフェイスブックは100%管理されている(出入国データから割り出されているのだ。スパイかもしれないと)今やネットは戦争の地と同じなのだ。
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