「♪春に春に追われし花も咲く きすひけ きすひけ きすぐれて どうせおいらの 行く先は その名も網走番外地」
ここに出てくる花とは赤い、真っ赤なハマナスであり、きすひけ きすひけとは「きす」を「酒」と置換え、「ひけ」を「飲む」にすると分かりやすい(きす→酒のこと)。
酒を飲み、酒を飲みの事だ。
網走番外地とはご存知網走刑務所の事だ。
酒ばかり飲んだくれている男の行き先を自嘲的に歌った。
日本の脱獄王といわれた西川寅吉の脱獄の方法がこの地にある「博物館網走監獄」に再現されている。明治の世になんと六度も脱獄を遂げた。
今、何故こんな事を書くかというと「人間が造ったものは必ず壊せるよ」といった西川寅吉の言葉が現代社会に響いてくるからだ。
西川寅吉の脱獄については、作家吉村昭が「破獄」という本にし、ベストセラーとなった。
東京電力福島原子力発電所からの汚染水やら、JR北海道の杜撰な管理、みずほ銀行の反社会的融資行為、日々起きている異常犯罪、バラバラ事件などは既に驚きを失うほど慢性化してしまった。
これらを起こしている元は、長い間の腐食であるといえる。
小さな綻びを見過ごし、先送りし、他人のせいにする。
また憎悪の心の変化に気づかず、気がつけばバラバラにされ、溶かされ、燃やされ、棄てられ、埋められる。ネット上には完全犯罪のテキストや死体処理のテキストみたいなのが氾濫しているという。
西川寅吉は太い鉄格子を長い時間をかけて腐食させた。
それを引っこ抜いた。毎日味噌汁を鉄格子の根本に垂らし続けたのだ。
「味噌汁」の塩分を使って。
社会も会社も、家族も家庭も友人関係も、ましてや元々偶然的に知り合った夫婦の間にも味噌汁の塩分がヒタヒタと染み込み腐食をしている筈だ。
気がつくとその関係はボロボロになっている。
私の様な放言居士、失言居士、大言居士は腐食の種を常々蒔いている。
(恨まれてナンボの身だから)人の心ほど恐いものはないと知りながら。
人間は社会という鉄格子の中に無数の鉄格子の檻を作り、その中で生きているがそれぞれそこからの脱獄、破獄を夢見ているのだ。
幸福そうに見える鉄格子の中ほど腐食は進んでいる。
それ故私は絶えず人生のリスクを背負い込む事にしている。
私に殺意を感じている人はホタテのエキスを日々味噌汁の中に、珈琲の中に、お茶の中に、水の中に、酒の中に入れればきっと私は腐食しこの世とオサラバだ。
出来る事なら是非お願いしたい。人間が造ったものは必ず壊れる日が来る。
それを恐れていては何も出来ないのだが、人の心を傷つける事には十分に気を付けねばならないと反省を肴にグラスを傾けながら思っている。
西川寅吉は脱獄するという事によって自分の命の存在を、自分の価値を示したのかもしれない。服役した後は担当だった一人の刑務官の家を訪れ友交を始めたという。
今、この日本国は確実に腐食まみれになっている。どこもかしこも何んもかも。
「秘密保護法」という名の悪法が成立すれば、いつでも人を鉄格子の中に入れる事が出来る。全ての自由は失われる。目を覚ませそれに気がつけ日本人よ。
法もまた人が造り、人が犯す。