詩人のサトウハチローは子供の頃、手が付けられない不良少年だったらしい。
落第や退学を繰り返し、父親から二十回近く勘当されたという。
ある時、原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら、赤く色づいた櫨(ハゼ)の葉があった。
秋なんだなと感じて書いたのが有名な「小さい秋見つけた」という詩だった。
「誰かさんが 誰かさんが 誰かさんがみつけた ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた めかくし鬼さん 手のなる方へ 澄ましたお耳に かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた」
私の目の前に小さな櫨の木があっても詩など全く浮かばない。
詩才ある人は別世界の人に思える。
日本には童謡という世界に類を見ない言の葉の調べが生まれた。
鮮やかな色をつけて。
かつて童謡作家の人と話をした時、あまりに純粋な心を持ち、子どもの様な澄み切った目をしていたので自分が恥ずかしかった。
その時足元を見ると革靴の先が少し穴空きとなっていた。
十月一日、今日は衣替えだ。
下手な詩でも書いてみようと思うが全く書き出しが浮かばない。朝の富士山がぼんやり見えるのだが沢山の屋根やマンションや電線ばかり目に入ってしまう。
穴の空いた革靴の詩人は今児童劇団を主宰している。秋の公演の案内が届いた。
「どんぐりころころ」という劇だ。
子どもの頃どんぐりをいっぱい拾って来てYの字型のパチンコという武器をつくりその弾としてどんぐりを使った。当てられると目から火が出る程痛かったのを思い出した。
嫌いだった近所のおじさんの頭に打ち込んだ時、こっぴどく怒られたのを思い出す。
可愛かった女の子のおしりに当てたら、泣きながら追いかけて来たのを思い出した。
たき火の後にできた灰の中にドングリを入れて焼き、友達と皮を剥いて食べた。
ある時どんぐりがポップコーン(爆弾あられといった)みたいにババアーン、パパアーンと弾けて輪になって焼けるのを待っていたガキ共を飛び散らした。
「はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた」サトウハチローの詩はこの言葉で終わる。
誰かさんいい童謡を書いて下さい。子どもの頃を思い出して。
コラッコラ、仕事をサボってパチンコ屋にばかり行ってはイケマセン!
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