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2014年4月2日水曜日

「素粒子」


イメージです


四月一日エイプリルフール。
いつも嘘八百なのにこの日帰宅し、ふと思うとウソをついていなかった事に気づいた。
正直者だったのだ。

大増税の日、この筆者の文章には消費税はかからない。
朝日新聞夕刊の名物コラム(?)というよりは、与太話、酔っ払いの戯言。
おそらく現在の日本において最も高い文章といえるだろう。
決して質が高い訳でも、格調が高い訳ではない。

コラムの名を「素粒子」という。
宇宙の中のチリのようなものだが、一日わずか150文字位(句読点含)で年収ン千万を得ているという。このコラムと「天声人語」、それに「社説」を担当することが朝日新聞の記者の頂点だという人もいる。

で、消費税が上がる。武器輸出三原則が破られる。STAP細胞の問題を小保方さん一人に背負わす理化学研究所のノーベル賞受賞者(理事長)や調査委員会の無責任な面々の記者会見。みんなの党の渡辺喜美代表の八億円熊手問題などなど重要なテーマがあるにかかわらず、こんな与太話を書いていた。

読んでない人のために書いておく事とする。
「素粒子」□大きなものには、みなその名をつけた。宝くじもプロゴルファーも。そんな時代を運び。ジャンボ機最後の離陸。
☆□時流は世界に広がりCO2は噴き出し。温暖化の後戻りも難しく。生物は絶え食料が不足し、どうなる沖ノ鳥島。
☆□後戻り出来ぬ増税の時世。きょう新生活を始めた若者の気分やいかに。いいさ、ジャンボ時代はもう来なくても。

以上である(大切なテーマもあるのに)、さてこれをシラフで書いたのだろうか。
丸谷才一氏の「女ざかり」や元朝日新聞記者の「たかが朝日、されど朝日」を読んでいただければ堕落を極める論説委員だか解説委員だかの実態が分かるはずだ。
日本国からジャーナリストやジャーナリズムが消えて久しく全く期待していないが私は特にこの素粒子だけは許しがたいと思っている。

昼ごろ出社、一流ホテルで高級ランチ(女性と一緒)高級ワイン。
ちょいと出社しチロチロ書いて退社→高級料亭や高級寿司店、高級レストランへ。
その後高級BARでホラ話をし、次に高級クラブで得意の与太話、その後ハイヤーでご帰宅か高級ホテルにしけ込むのが定番メニューなのだとか。

ザケンジャネエってんだよと日々怒っているのだが、一応情報ネタも朝日新聞にはあるので購読しているのだが一考せねばならない。
他の新聞も等しく一考せねばならないのだが渡世の義理もあるので購読を続けなければならない新聞もある。
勿論朝日新聞に有能かつ正義感ある人も多い事は分かっている。

ちなみにこのブログは四月一日エイプリルフール内の午後十一時四十六分二十二秒に書き終えた。一日の最後に一つウソをついたかもしれない。
テレビのニュースでみんなの党の渡辺喜美代表が“声が出なくなった”ので顔を出せないとの事であった。この政治家は完全に終わるしかない。
これは“ウソ”に決まっている(エイプリルフールだからかな…(?))。

必ず来る増税不況の中、どうやって私たちは生き残っていけるか、与太話を相手にしている場合ではない事に気づいた。あらゆる世界が重大な時代になった事を真剣に考える事とする。

いつものグラスに酒を注いだ。夜明けまで時間はある。
冷やしたトマトを四分割して塩をかけた。

2014年4月1日火曜日

「トドメの桜」




風流な人とは実は天邪鬼であったのだろう。
花見と言えばみんな上を見てウァーキレイ、ウワァーサクラダなんて至極単純に喜ぶ。
風流人といえば、散る桜の方が好きだから下を向いて花見をするなあんて言うのだ。

桜満開の季節は大嫌いだというのは、大きな会社の人事部長や人事課長たちだろう。
花に嵐にたとえもあるさ、さよならだけが人生だなんて、人事で冷や飯を食わされ遠くへ飛ばされた人たちが、桜を見ながら「恨み酒」を飲む。

あの人事課長めオレの事色々告げ口しやがってオボエテヤガレとか、アノ人事部長め盆暮色々贈ってたのにオレの事ヒデエー査定しやがってオボエテヤガレとか、大声で叫んではウルトラ悪酔いをする。

こういう人たちは風流な人とは程遠い人たちで、桜の花などを見ずしてひたすら絡み続けて遂には警察に保護されたりする。
留置場に泊められても悪態を晒し、何がさよならだけが人生だ、フザケンなと暴れた後一気に眠りに入り猛烈なイビキをかき、他の留置人たちから質の悪いサラリーマン野郎だ静かにしろなんて叱られるのだが、本人は朝までゴーゴーと眠る。

朝、看守から起床の掛け声を浴びせられてここはどこですか、私はどうしたんですか、なんでここにいるんですかと泣き声になる。
桜の木を何本も折りやがって、会社クビになるぞクビに、と脅されて塩を掛けられたナメクジみたいに縮こまってしまうのだ。
上野や千鳥ヶ淵、青山墓地や新宿御苑などの桜の名所付近の警察のトラ箱は満杯状態となるのだ。

私は夜桜の花見が大の苦手だ。
何度かやったことがあるが風流な思い出や、いい思い出はなかった。
ブラブラ歩きながら、オッこんなところに桜の木があったのか、オッこんなところに小さな桜の木だけどいい感じだな〜、オッあんなところにキレイな花筏が流れているではないか。そんな発見をするのがこの季節の楽しみだ。
花見はキョロキョロするものと思っている。

私の知っているある風流人は(?)花見を一度だけするらしい。
桜前線の最終章、東京から北海道の果て稚内に行き、これより先に桜を見る場所はなしという所にポツネンと咲く一本の桜を見てワンカップ大関をグイと呑む。
つまみは名物トドの缶詰で、これぞトドの詰まりだとか、トドメの桜だなどといって悦に入るのだという。ウソかマコトか見た事は一度もない。
一緒に行ったという人もいない。だが本当だとすると風流の極みではないだろうか。
稚内→ワッカナイ→ワカンナイ…。

2014年3月28日金曜日

「冗談じゃない話」


野口哲哉 Rocket Man 2007年


想像を絶する人の、想像を絶する作品に出会うと、私の様な浅学非才の人間にはその驚きをどう表現したらいいのか全く言葉が見つからない。

三月二十七日午後五時、元サントリーの宣伝部長であったワカチョーさんこと、若林覚さんが館長をしている練馬区立美術館に行った。
元電通のキャスティング部長でサントリーを二十数年担当していた現イー・ユニット社長の江原立太氏と、サントリーの広告で名作を数多く手がけたアートディレクターの井上嗣也氏と三人で「野口哲哉展—野口哲哉の武者分類図鑑—」展を見るためであった。 

1980年香川県高松市生まれ、広島市立大学芸術学部油絵科入学、同大学大学院卒。
三十五歳という若さである事を知り三人共言葉を失った。
博覧強記の若林覚さんから説明をしていただき、驚きは強烈な驚きに変わっていった。

とにかく何とその驚きを表現したらいいのか分からないのだ。
超絶天才、細密天才、功微天才、巧妙天才、冗談天才、平面立体天才と思いつく言葉は全て天才につけられる。

わずか10センチとか15センチの武者たちがまるで生き返ったかの様に作られている。
顔の表情、手の動き、足の指の動き、鎧兜は徹底的に精密に作られている。
髪の毛一本の動きも信じられないテクニックで作製されている。
武者絵については同時に展示されている国宝級の絵をはるかに凌ぐほどだ。
木に、紙に、何百年の月日を経て来たかの様に描かれている。
一つ一つの立体、一枚一枚の絵にはユーモアのセンスが満開だ。

国内外での評価は並みいる大家より高い。勿論大きな作品もある。
大きい程お驚きは当然大きくなる。
何だか世の中つまんねえな、何かびっくりしたいな。こんな人は是非観に行って下さい。ウソ、ホントかよと笑っちゃう、何だこの作者は空想世界から来た宇宙人ではないかと思うこと100%保証付です。

冗談は本気でやらねばならない事を真正面から見る事が出来ます。
何やってんだよ、冗談は髪型と顔付きとにしておいてくれ。

口先ばかりのアジェンダ男、渡辺喜美(みんなの党代表)が土下座して8億円も借りて自分の都合のいいように使いました。
酉の市の熊手を買いましたなんて記者会見で喋っていた。
こんな冗談がまかり通ったらこの国は本当にお終いだ。
みんなの党は渡辺喜美の“女房の党”になっちまっている。
有能な浅尾慶一郎さん、どうしようもない男の代表の代表を断捨離した方が仲間たちみんなのためだ。

せっかく野口哲哉展で久々高級な冗談にあったのに、低級な熊手買い話で言葉を失ってしまった。野口哲哉展は四月六日までです。
現在友人のテキ屋に8億円で酉の市の熊手がいくつ買えるか計算してもらっています(冗談)。

2014年3月27日木曜日

「消費税増税寸前」


ポストに入っていたチラシたち


白いマスクをしたオジサン、オバサンがデパートやスーパーに雪崩をうって入り、目を血走らせて消費税増税前のセールに殺到する。
怒声と叫声と歓喜の声が飛びかかっている。

その光景を見ると恐怖すら感じる。
意地でもそんな事はオリャーしねえぞと覚悟を決めているのだが、郵便ポストに毎日の様に小さな一色刷りのチラシが入っている、当然消費税増税前への誘惑だ。

ドライクリーニング、ドライ品全品10%割引。特選牛肉に限り三日間半額。
スポーツジム入会金割引。庭の手入れお早めに。ペットのトリミング割引。有機野菜いきいき割引。等々なのだがやっぱり気になってくるではないか。

クリーニング冬物早めに出すかとか、週末牛肉買ってくるかとか、相変わらず意志が弱い自分にガックリするのだ。
この手の話には普段全く無頓着なのにやはり歳のせいだろうか。

どこへ行っても消費税、消費税の文字が踊る。
オレも白いマスクをしてサケ缶、牛肉大和煮缶、サバ水煮缶、コンビーフ、オイルサーディン、イカ丸煮缶、鯨肉缶を買い漁るか。まるでキャンプに行く前みたいに。
 
デパートやスーパーに殺到しているのは戦後の貧しさを味わった経験がある年代が多い。
私もそうだが何より飢餓に対する恐怖心が身に染み込んでいるのだ。
小学生から中学生になった時、二泊三日の夏休み林間学校なんていう時に、決められた額の中で友だちと買い物に行った。缶詰はキャンプの王様の味だった。
飯盒で炊いたご飯に缶詰は生涯忘れられない。

きっとオジサン、オバサンたちはその味を求めてぎゃー押さないで、ヤメロイテエじゃねえか、ソレワタシの取らないで、何すんだバカヤローなんて争っているのだ。
やっぱり白いマスクは止めにして騒ぎが収まるのを待つこととしよう。
意地でもと思いながら、冬物のジャンパーや、カーディガンや、マフラー類を大きな紙袋に入れている。

ピンポーン、誰(?)塗装屋ですが外から見ると壁がかなり変色してます、今なら消費税込みでキレイにしますよとオジサンは言った。
いいんだよ、ワビサビなんだから、古くなって行くのを楽しんでんだよと言ったら、(?)(?)の顔をしてそんじゃまたと去って行った。
もしかしてシロアリ退治も来るなと思った。

一円でも無駄に使いたくないという天下騒乱の中でこの国では、まだ食べれるのに破棄される「食品ロス」が500800万トンというではないか。
食品業界では賞味期限までの期間の三分の一を過ぎると小売店に納品せず廃棄するのだ。大量の食品が店頭に届かないまま無駄となっている。
この際在庫一斉セールを行ったらどうだろうか、消費税ゼロ、まだまだ美味しく食べれる期間切れ寸前セールを。

ワタシなんか賞味期限なんて見た事もなく食べているが腹を壊した事なんか一度もない。自分の嗅覚を信じている。
この国は実のところ融通の利かない食品無駄捨て大国なんだ。
この間買ってきた「おはぎ」は少し固くなっていたがどうしてなかなかいい味だった。我々世代を「ガッツキ世代」という。

2014年3月26日水曜日

「少年と少女を守る者」




ある年、私は横浜少年鑑別所にいた。
といっても私が入っていたのではありません。

高校時代の友人が日本テレビの報道番組のプロデューサーをしていた「聞け非行少年の声」という政府提供の番組のレポーターとしてお前やってくれというから、俺でよけりゃと引き受け、二日間起床から就寝までレポートした。

ある少年はただひとつの物を盗んだだけで少年院送りとなった。
ションベン刑といえる小さな犯罪であった。
身元引受人がいれば保護観察処分であったがその人間がいなかった。
少年は四国から出て来ていて両親はおらず、親戚は知らない身であった。

ある少女はわずかなお金を盗んだ。二度三度と捕まっていたので少年院送りとなった。
親がそれを求めた。お金持ちの家の子であった。
少年院で治してやって下さいと審判官の前で頼んだという。

少女にインタビューすると、あのクソババア出て来たらぶっ殺してやると言った。
学歴を自慢し、気取っている父と母を困らせてやりたかったから友達のお金を盗んだのだ。

三月二十五日夜帰宅しテレビのニュースを見ると、今や過去の人となった前東京都知事の猪瀬直樹が、地検の取調べで五千万円は本当は選挙の資金で借りました。
嘘ついてごめんなさい、だからブタ箱にはいれないでと全面降伏し、結局在宅略式起訴となるというではないか。

なんだったんだあの大騒動は、法の下では平等に裁きを受けなければならないのに、これにて一件落着となった。
このニュースを見ていて、鑑別所で会った少年少女たちを思いだした。
千円、二千円で少年院に行く子たちと余りに違う大人たちの行いではないか。

謝って済むなら警察はいらねえんだよ、なんて少年少女をパクッた警察官は吠える。
前知事がどうやって謝ったかは知ることは出来ないがきっと取調べをした検事たちは、ザマーミロと溜飲を下げていることだろう。

それともチクショウ、ブタ箱入れたかったが上からまた押さえ込まれてしまった。
虎ノ門の一杯飲み屋でヤケ酒とタコおでんで悔しい一夜を過ごしたやもしれない。
法の下に正義なんてネエーんだよなんて悪酔いしているやもしれない。

最近行かないが虎ノ門に「升本」というタコおでんが評判の店があった。
そこには“やけ”に法の番人たちが来て“ヤケ”酒を飲んでいた。

一人の人間がヤケッパチになって密告しなければ、五千万は何事もなく前知事のポッポに入り、オイラの天下だ、ガッポリ行くぞ東京オリンピックへとなっていただろう。
せめて「老年鑑別所」位へは入れないと少年少女たちへ申し訳ないだろう。

ところでとんと名が出ないが舛添要一都知事は何してんだろうか、きっと自民・公民のいいなりなのだろう。八万だか十万だかの養育費を払わないので訴えられていたのだが(当選したから払う事にしたのかも)前妻が生んだ我が子は障害を抱えているというのに、ケチな野郎だぜというより、語るに足らずの男だ。
警視庁はこの男の権力下に在る。

親たちに告ぐ、少年院に送って非行が治ったという話は殆ど聞かない。
こんな事件を起こしたのは、私たち親が悪かったのです。
少年院だけはご勘弁をと親が審判官の前で土下座したら一度は送られないで済む。
子を救うのは親の愛でしかない。権力やお金では絶対に解決はしない。

2014年3月25日火曜日

「思い出の音楽を」


北野理沙さん(ホームページより) 


♪〜何から何まで真っ暗闇よ、すじの通らぬことばかり 右を向いても左を見ても ばかと阿呆の…

この続きは人それぞれに当て込むといい。
ばかと阿呆の殺し合いとか、ばかと阿呆の騙し合いとか、ばかと阿呆の傷つけ合いとか。私と同年代の方々ならこの歌をご存知のはずだ。

今は亡き鶴田浩二の大ヒット曲だ。
いつの世も人と人との“絡み合い”は変わらない。
人間がラクダの様に砂漠の中を歩いているかの様だ。
愛も、情も、夢も、浪漫もカラカラに乾いてしまって、右を向いても左を見ても心のオアシスが無い。

東京砂漠を歌ったのは前川清であった。
♪〜あなたがいれば ああ あなたがいれば 陽はまたのぼるこの東京砂漠〜と。

「あなたを大切に思う人は、すぐそばにいます」その電話の声はきっとあなたのいのちにつながっている。JR東日本いのちのホットライン0120-556-834(ココロヤサシイ)
三月は自殺対策強化月間です。
何故期限があるのか、三月二十一日、二十二日の二日間だけだった。

その夜私は両手にずっしり重い資料を持って国府津行きの列車に乗っていた。
打ち合わせの後、戸塚駅から乗るとドアの上に自殺対策強化月間の細い横長の車額ポスターがあり、その上にロール式のインフォメーションがあった。
そのインフォメーションに中央線が人身事故で運休中とあった。
三月十九日夜九時四十分頃であった。

このところ連日人身事故がある。
かつて山谷親平さんという名物パーソナリティがラジオで人生相談の番組をしていた。
そのはじまりは「絶望は愚か者の結論なり」であった。
その頃は未だ自殺は少なかったからだ。
山谷親平さんが生きていたら今の時代に何というイントロのフレーズを用意しただろうか。果たして愚か者の結論なんていえるだろうか。

「人」の「身」になって人と人が助け合い励まし合い、弱いもの同士が手と手を取り合えば、命が救えるのではないだろうか。
一人でも多くの命を守るために何かが出来るはずだ。
“チェ、また人身かよ、まったく迷惑なこった”こんなつぶやきが時代のアッチコッチから聞こえて来る。

明日は我が身かという言葉もある。
弱者に冷たくしていると必ず不幸の雨が降り注ぐという事を知るがよい。
今日は人の上、明日は自らの上と賢者は教えている。

心がカラカラに乾いた人にオアシスの様な歌手を紹介する。
その名を「北野理沙」さんという。
音楽大学でクラシックを習い、苦学してイタリアで声楽を学んだ努力の女性だ。
その美しい姿から発する声は、透明を極めている。ザラつきのない純度100%の歌声だ。
未だワンマンショーが二回目という新人だ。

二十三日(日)午後四時〜六時、渋谷道玄坂プライム6階でその二回目というワンマンショーに行った。知人の広告代理店社長に紹介されていた。
友人の写真家と後輩のデザイナーと共に。
人間でゴッタ返す東京砂漠の中でオアシスに出会った様な二時間だった。

こんな世の中と別れたい、逃げたい、もう嫌だ駄目だと思っている人に音楽を進めたい。自分がいちばん好きだった曲を聴いて下さい。
楽しかった日の出来事を思い出して下さい。音楽は一人ひとりの味方です。
図々しい位生きて生きて、生き抜いて下さい。
絶望の先にきっと希望のオアシスがあるはずです。
何から何まで真っ暗闇ではありません。

2014年3月24日月曜日

「三年稽古」


時事ドットコムより


人間は生きている限り勉強だ。

それを実行する横綱が出た。
大相撲の「日馬富士」が法政大学大学院政策創造研究科に合格した。
四月から都内のキャンパスに通い、経済学や企業論を学ぶという。
スポーツ、文化に関心があり勉強家の日馬富士は、角界に入門後、モンゴルの国立法科大学通信課程に挑戦。
 昨春には「日本とモンゴルの法律の違い」をテーマに卒論を提出して卒業。
警察官と弁護士の資格も得た。

人間として、相撲だけではなく、いろんな事を知っている大きな人間になりたいという。横綱といっても日馬富士は未だ二十八歳の若者だ。
食って寝て激しい稽古をしての繰り返しの中で勉強を続けるのは余程の覚悟がないと出来ない事だ。既に「体験授業」も受け、同期となる会社員、公務員、企業経営者たちとも対面済み。何年掛かっても修士課程を修了すると固く誓っている。

私がお世話になった大手広告代理店に凄腕の取締役営業局長がいた。
世界一のコーヒー会社を担当して仕事をバンバン増やし、大きな実績を上げた。
大概の人間は、この人と対決をするとコテンパンにやり込められてしまう。
この人の凄いのは、定年となった後だ。六十を過ぎてからなんと司法試験に挑戦し始めたのだ。座右の書は六法全書、そして遂にとなれば良かったのだが、確か六十七歳の時に一点足らずで合格できなかった。本人によるとその一点が大変の差らしい。

七十歳になると試験は受けられないのだとか。
で、現在は七十五・六となったのだが、三田の慶応大学に聴講生として通学している。
過日友人の陶芸展でお会いしたら、目を輝かせて勉強を語っていた。
私の知る限りこの人以上の代理店の営業担当はいない。
思った事をズバズバ言うので役員の上の上には行けなかった。


だが人生の結果はこの人の方が全然勝っている。
何しろ誰よりもイキイキしているのだから。きっと頭を使っているからだ。
味方も多かったが、敵を沢山作ったのも頭のためには良かったのだろう。
いいものはいいと即断即決、ダメなものはダメ、ダメ、ダメ、ダメとぺっちゃんこにしてしまっていた。人間は人から好かれようとすると大きな傷を負う。

「嫌われる勇気」なんていう本が一番売れているらしい。
今からでも遅くない、徹底的に嫌われるために勉強してみるべしだ(私はずっと嫌われ続けている)。あの人は本当にいい人だといわれて、本当にいい人だったのは実に少ない。

大相撲が大好きだ。
二十三日(日)千秋楽、大関「鶴竜」が優勝し、第七十一代横綱になるのを決定的にした。二十八年前モンゴルの大地に生まれたマンガラジャラブ・アナンダが「鶴竜力三郎」となりコツコツ稽古に励んだ結果であった。

稽古は“三年稽古”という。今している地道な努力が三年後に実を結ぶ事からきている。
今まで一度も笑った顔を見せた事のない鶴竜の笑い顔を初めて見た。

ドスコイ、ドスコイ。
大学生となる日馬富士は休場明けながら横綱同士の戦いで白鵬に勝ち123敗であった。
ドスコイ、ドスコイ。
横綱は嫌われる程強くなければならない。“江戸時代”から数えて七十一人目の横綱誕生は改めて地味な努力の大切さを教えてくれた。

ドスコイ、ドスコイだ。男は勝負の世界、相手に好かれる様になった時はお終いなのだ。ちなみに内閣総理大臣は明治時代から九十六人もいる。粗製乱造ともいえる。
ドスコイ、ドスコイ。

2014年3月20日木曜日

「47分18秒」




駅弁が嫌いという人は先ずいないだろう。
旅といえば駅弁となかば法律で決まっている。

駅弁は不思議な食べ物で、着いた駅それぞれの名物駅弁を食べてもお腹は許してくれる。そして次を求める。三個位食べても満腹にならない。
駅弁プラスかつサンドとか、ハンバーグサンドとか、ゆで玉子を追加したりしても大丈夫なのだ。

あ〜もう会社は嫌だ、仕事は嫌だ、家に居てもストレスがたまるばかりだ。
ヨーシ旅へ出よう、そうだ京都行こう的決意をした瞬間から、心と体はルンルン開放状態になり、お腹は駅弁を求めてグーグー状態になる。

この頃旅に出ていないせいか、駅弁と対面していない。
で、東京駅から帰宅するにあたり駅弁を買うべしと思い、駅弁ショップに入った。
大混雑であり、ヤル気というか買う気を失ってしまったのだが、人と人の隙間から牛たん弁当とか、イカ飯とか、牛肉すき焼き弁とか、深川めしとか、海鮮うに丼とかが目に入る。

オッと目に入ったのが福井県名産、福井県知事賞受賞と金色の帯が付いた「焼き鯖寿し」だ。さすが鯖街道がある福井の鯖は肉厚で脂身十分、コゲ具合も気合十分、ご飯の色合いもすこぶる旨そうなので一本買った。

ペットボトルのお茶と共に、いざ行かん心は旅気分で列車に乗った。
ところが手頃な空席が無く駅弁の立ち食いはマナー上許されない。
仕方ないきっと横浜か戸塚で空くからそれまでじっと我慢だと決めた。

ガタンゴー、ガタンゴー、座っている人間たちは崎陽軒のチャーハン弁当とか、牛肉どまん中とか、釜飯風なんかをシコシコ食べている。
ガタンゴー、ガタンゴーと進み大船駅で空席がいくつか出来た。

ヨシ!鯖ズジダーと急いで包装を剥がす、次は藤沢その次は下車する辻堂駅だ。
焦ってしまって包装を剥がすのに手間どってしまった。
出たぞぶっ太い一本の見事な鯖ズシガァーと喜んで切り分けた焼鯖を掴んだ。
予想以上にでかい、口に入れようとしたらご飯部分がボロっと落ちてしまった。
アリャーと下を向いたら鯖寿司が喉に引っかかってしまった。

ウオッ、グッルジィ、背中まで痛む。お茶だ、お茶だとペットボトルを開けた。
お茶はすっかりぬるくなっていたがそれを飲んでやっと鯖寿司は胃の中に向かって行った。列車も順調に目的地辻堂駅に向かっていたので、二つ目の鯖寿司を食べ始めたら藤沢駅に着いてしまった。チクショーと思い辻堂を通過させ次の茅ヶ崎に向かった。

旨い!この調子で食べ続ければ二本食べ終わるのはきっと平塚か大磯だ。
実は残り半分は家で食べたのです。駅弁は家で食べると実に物悲しい風情の食べ物になってしまうのです。

焼鯖寿司をじっくり味わいながら楽しむには、私の計算だと4718秒が必要です。
列車の中で食べれば絶品です(東京駅で売っています)。

2014年3月19日水曜日

「出船入船」




「親しき仲にも礼儀あり」という。
世の中でいちばん親しき仲はといえば、親と子といえるだろう。

先日とてもいいシーンに出会った。
私が親しくしている水天宮の歯医者さんは、ダメージジーンズに革ジャン、ネックレスにブレスレット、両手に指輪、両腕に数珠数本。どう見てもドクターには見えない。
パンクロックの歌手の様であり、暴走族の様でもある。

若くて腕がいいので人気がある。スタッフは美人揃い。
父君は高名な精神科の医師でもある。
先年渋谷の文化村で展覧会を行った時、ご夫婦で来て頂いた。

その日、私は水天宮のドクターの処に行った。
アレッ先生どうしたのその格好と聞いた。何故ならドクターは、身に付けていた金銀のジャラジャラや水晶玉のブレスレットや指輪などを身に付けておらず、チャコールグレーのスーツに白いワイシャツ、シックなネクタイをキチンと締めていた。

どうしたのと受付付近で追加質問すると、実は新しいクリニックを開設するにあたり両親に相談に行ったところ、例え親子でも大事な相談に来る時は「ちゃんとした格好でいらっしゃい」と叱られたと苦笑いした。

ほおー近頃いい話だねと私は言った。
礼儀が出来ない人間がなんと多くなった事かと常日頃思っていた。
親子の関係もすっかりお友達みたいになり、ケジメが無くなってきた。

何だかやけに新しい出来事に出会ったなと思っていたら、誠に品のいいご婦人が入って来た。七十歳位だろうか、ドクターが母親ですと紹介してくれた。
文化村で会っていたのだがその時はティールームに座っていたのでしっかり記憶をしておらず、大変失礼しましたとお詫びした。息子がお世話になっておりますとおっしゃった。

登録患者数1万人以上、スタッフを10人近く起用しているドクターもお母さんの前ではかわいい子どもであった。ワタシクリーニングして頂くわと言って診察室に向かった。
その後姿には気品と知性が溢れていた。

ドクターは、日頃僕は究極のブランド志向で、自分もブランドになりたいと言っている。母君の佇まいとの余りの違いに親子とは似て非なるものという言葉を思い出した。

ドクターは虎ノ門に建設中の高層タワービルの中に近々新しいクリニックをオープンする。私は一枚のポスターをデザインして御祝いにしたいと思っている。

水天宮近くトルナーレデンタルクリニック、龍信之助という名がドクターの本名だ。
先生は腕がいいんだからブランド名は後から付いて来るからねと常日頃言っている。
この世は「ネタミ」社会。有名税というのは高く付く。
私は場末の芸者で終わるのが理想だ。

四月二十六日、会社は赤坂の明るいオフィスに引っ越すのだが私は銀座の芸者、今までのオフィスの片隅に兄弟分と共に一人残る事にした。
若者たちにはどんどん有名ブランドになってほしいと願っている。
それには何より「気持ちいいあいさつ」が最大必要条件だ。

出船入船朝の一発という。
港を出て行く漁船は行って来るぞと大きな一発を鳴らす。
帰港して来た時は、帰って来たぞと一発を鳴らすのが決まりだ。
オハヨーとオツカレさんが大切なのだ。残念ながら我が家では行ってらっしゃいも、お帰りなさいも無い。すーっと出て、ピンポンと帰るのだが、アラッ鳴らしたのとか、アラ早いのねとかが多い。
テレビのホームドラマじゃないんだから、いい歳していちいち行ってらっしゃいも、お帰りなさいも言わなくたっていいじゃないが、愚妻の主義主張なのだ。

バカヤロー、親しき仲にも礼儀ありだと言った処で後姿しかない。
矢吹健の歌に「後姿は他人でも」というフレーズがあったが、夫婦は元々赤の他人だからな。みなさん良き三連休を。ご先祖様への礼儀も忘れずに、お彼岸ですから。

2014年3月18日火曜日

「母悲し」




「私は死ねない」が口癖だった、歌手安西マリアが六十歳でこの世を去った。
母は我が子のために命がけで懸命に生きていた。
それは、三十歳の長男が知的障害を抱えていたからだ。
また八十五歳の母親は認知症であった。

♪〜ギーラ、ギーラ太陽が〜、でお馴染みの「涙の太陽」が大ヒットしたが、それ以上のヒットには恵まれなかった。
皮肉にも安西マリアにそれ以上の太陽は降り注いでくれなかった。
生んでくれた母親と、自ら生んだ我が子の介護のために身を粉にしてその歌を歌い続けた。

六十歳になった時、オールヌードになったのもお金を稼ぐためだった。
こんな悲しい話を知った時、一本の映画を思い出した。

映画の題名は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」第53回カンヌ国際映画祭グランプリのパルムドールを受賞した作品だ。平塚の映画館の片隅で、泣いて、泣いてしまった。
主人公セルマ(ビョーク)は昼は工場、夜は家で内職、一日中働き続けている。
遺伝子的疾患でいずれ視力を失ってしまう息子の手術代を稼ぐために。
セルマ自身も遺伝病で視力を失っていた。

ある日、親切だと思っていた隣人に必死に貯めたお金を奪われ、それを取り返す過程で殺人を犯してしまう。運命の歯車は音を立てて狂ってしまう。
囚人となったセルマは静かで謙虚な女性だった。

大好きな歌を頭の中で歌う時だけミュージカル映画の主演女優になれる。
高らかに歌い、華麗に舞う、歌うのは辛すぎる現実から離れるためのセルマの唯一のはけ口だった。明るく歌いながら心は泣いている。
空想の世界で楽しそうに歌うほど、心は泣き続けていた。

そしてクライマックス、セルマの歌は空想の世界を破り、現実に喉を震わす時がやってくる。現実の艱難辛苦が重すぎて、空想の中で処理する事ができなくなってしまったのだ。聞こえてくるのは、余りに美しく儚い。

この映画を観て泣かない人は、きっといないだろう。
安西マリアよ、母として懸命に生きた母を、知的障害を抱える身の我が子はきっと、きっとお母さんありがとうと言っているだろう。
認知症の母はきっと我が子よありがとうと言っているだろう。
夫とは離婚していたのでその苦労は計り知れないほど大きかったはずだ。

歌は華やかでも、歌手の一生はそれとは逆だ。涙の太陽に合掌。
来たる休日、ダンサー・イン・ザ・ダークを観て下さい。
レンタルされています。日頃の親不孝がきっと治ります。