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2014年6月10日火曜日

「五億円より家族愛」




過ぐる日、私は一軒のラーメン屋さんに感激、その店のメニューを借りて帰って来た。
おじさん今度来た時に返すからねと言って店を出た。

そのメニューはいつもカバンの中に入れておいたのだが、その機会に恵まれずにいた。
何故メニューを持ち帰ったかといえば、その店が原宿にしては余りに美しくなく、安く、そして昔の味がしんみりしていたからだ。

九時閉店というのもラーメン店にしては早い。
赤い旗竿に「本場長崎ちゃんぽん」という白ヌキの文字が目に入ったからだ。それと店名が「昭和軒」というのも気に入ったのだ。

私が後輩と入ったのは八時を過ぎていた。
ポコンと腹の出たおじさんがたっぷり汗を吸ったヨタヨタの白い(黄色に変色中だった)Tシャツで、一人で何役もこなしていた。
いつからやってんのみたいな私の質問に、おじさんは五十年前から、私は二代目ですと人のいい顔をして少しだけ笑った。

この店には何かがある、私の読みは当たっていた。
六月一日(日)フジテレビ、午後一時四十分〜二時三十五分。
アホでバカな事ばかりの番組を作るフジテレビ唯一の良心的番組といってもいいドキュメンタリー番組で、あの「昭和軒」を取り上げたのだ。

この番組のチーフプロデューサー味谷和哉さんは絶えず弱者や、時代に取り残された者や、数奇な運命を背負った人間たちの喜怒哀楽を丹念に追い求める、日本を代表する作り手だ。実は今から六年前にも「昭和軒」を取り上げていたのだった。

概略を記す。
明治通りから少し中に入る、通称裏原宿。
かつては原宿三丁目といった。現在は神宮前、宿場町の名であった原宿の町名は消えた。先代夫婦は新潟より上京した。東京オリンピックの頃は四人の従業員がいた。
お客はジャンジャン入った。バンバン収入もあった。
陽気な先代はやがて糖尿病を悪化させて片足を切断し義足となる。
長男、長女、次女に恵まれる。八十五歳で無くなるまで夫婦は仲良しであった。
長男は小学校の教師をしていたが辞めて店を引き継ぐ、四十代の頃離婚する。

地下一階、地上二階の小さなビルを先代は建てた。
地下は食材の倉庫、お客さんに喜んで貰えばと手製の漬物を作る。
一階が店で二十名ほど入る。二階は先代夫婦の生活の場だ。
店は家族全員で切り盛りする。

と、ここまではそんなに珍しくないのだが、これからが実にいい話なのだ。
バブル全盛の頃、この小さなビルに売ってくれ、売ってくれという業者が群がる。
何しろ表参道の直ぐ側という超一等地、三億円出すとか五億円出すといって迫られた。
新しくビルにすれば家賃収入は二百万円は入ると言われた。

先代も体の不自由もあり売ってしまおうかと迷うが、この店は家族の場だと思い断る。
バブルは弾ける。また表参道や原宿には様々な飲食店が出来る。お客は激減する。

先代を亡くした長男は、もう辞めようと思い長女や次女に相談する。
長女は八十歳となった母を思っていう。店を閉めたらお母さんが辛いと思う。
それに家族でやる仕事がなくなってしまう。次女もそう言う。

二代目は口を真一文字にし、目をキョロキョロして悩む。
お腹はボッコリと出ているのだが、この人は実にかわいい。
もうすぐ六十歳になるけどお母さんのためにこのままやりますかという。
長女の顔はほころぶ、やりましょ、やりましょと。家族の意見は一致する。

祭りの日、次女は大好きなお神輿を担ぐ、二代目の祭り半纏の背中には「原三」の文字がある。かつて原宿三丁目だったからだ。
お金より安定収入より、父と母の思い出を守る人間に心打たれたのだ。

というわけで「昭和軒」のメニューは返さない事にした。
家族愛の証として大切にする。二代目に白いTシャツをプレゼントしようと今デザインを考えている。サイズは多分トリプルLだろう。

番組の題名は「昭和軒のオリンピック〜表参道ラーメン人生〜」であった。
あの時、三億、五億で店を売っていたならば、きっと家族はバラバラとなり不幸の渦の餌食になっていただろう。ガンバレ!「昭和軒」フレー、フレー「昭和軒」。

代々引き継がれて来た、とろみのある名物ラーメンは今、外国人たちの人気メニューとなっている。この番組を見た人たちは東京オリンピックのある六年後まできっと通い続けてくれるだろう。

2014年6月9日月曜日

「スルメイカと名画」


のどぐろ干物※イメージです


チューブに入っていたものが出なくなった時、人は逆さまにする。
天地を逆転させるのだ。
そして残り少なくなったものがじっとキャップに向かってずり落ちて来るのを待つ。

それは歯磨きジェルであったり、わさびやマスタード、トマトケチャップだったりする。気が急いでいる時などは早くしろと言ったりして上下左右に振るのだが、それは大して効果なく虚しい事となる。

私の知人ご夫婦がきっと大阪湾あたりを出て、四国、九州を経て富山湾に入ったのだろうか。寄港先からクール宅急便を送ってくれた。
開けるとそこには「のどぐろの干物」と「スルメイカ」が六枚ご丁寧にイカの足でぴったり縛られていた。きっと富山名産、その身は薄く、白く、繊細だ。
何よりの大好物だ。夜が深まるのを待って食す事にした。
水木金の深夜、そして土日と私はこの名産で楽しませて頂いた。

さて、スルメイカにはやはりマヨネーズとお醤油と唐辛子が決まりだ。
スルメイカはすこぶる白い肌、なまめかしく絡んでいるイカの足、ガスの上の金網の上にとろ火。
スルメイカは香ばしいにおいをその体から発しながら、ゆっくり、ゆっくり、藤田嗣治の描く白い裸婦像のモデルが喘ぎ狂うように、ベッドならぬ網の上でのけぞった後に丸まった。焦げ目が体についている。
手にしてほぐそうとすればアッチチとなり、指を耳たぶに持っていく。

小皿にお醤油をたらし、そうだいけねえマヨネーズだと冷蔵庫を開けると、キューピーマヨネーズは殆ど残り少ない。鷲掴みにし、上から下へと力を込めるが中身は動かない。
だが少しはある。仕方ない逆さまにして時を待つとする。

その間、スルメイカを細々とする作業に入る。
焦げ目の入った体を両手の指で引き裂いていく。アチチの温度も低くなってく。
作業効率は上がったが、目の前のマヨネーズは中々下りて来ない。

後輩が送ってくれたを、日本酒を亡き友がくれた志野焼の徳利の中に入れてある。
「のどぐろ」もいい感じで焼けて、赤い肌をジュウジュウさせている。
待つ事五分、六分、えーめんどくせえとハサミを持ち出し、動きの悪いマヨネーズの胴体を真っ二つに切り裂いた。そんでもって小さなスプーンでマヨネーズを取り出した。

雨が激しくコンビニに行けない。それ故この様な事となった。
深夜作業であった。特別、格別の味に旨い酒、雨もまた楽しの気分であった。

知人のご夫婦は超リッチな人、四国の宇和島で建造した木製の大型ヨットでアチコチ寄港して回るのだ。
もう一人大型ヨットを仲間で持っている人は、過日一週間位かけて九州の屋久島、五島列島方面を回った。スタートは確か宮崎(そこまでは飛行機で)、その時大きな「飛び魚」の干物を送ってくれた。これはガチガチに固いのだが、小さくばらして(歯が壊れてしまうので)やはりマヨネーズとお醤油で食すと、酒が何杯もすすんでしまうのだ。

フィンランドの巨匠、アキ・カウリスマキ監督の大傑作「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」173分と「愛しのタチアナ/浮雲」158分を観る。
夜明けまで、飛び魚とスルメイカとのどぐろと酒、名画にピッタリなのであった。
土日、この二本の映画にインスパイアされた二本の映画のシナリオを書いた。

2014年6月6日金曜日

「答えはいいえ、でも…」




バスや電車で一人で外出していますか。
日用品の買い物をしていますか。
預貯金の出し入れをしていますか。
友人の家を訪ねていますか。
家族や友人の相談にのっていますか。
階段を手すりや壁をつたわらずに昇っていますか。
椅子に座った状態から何もつかまらずに立ち上がっていますか。
十五分位続けて歩いていますか。
転倒に対する不安は大きいですか。
六ヶ月で2〜3kg以上の体重減少がありましたか。
お茶や汁物等むせることがありますか。
半年前とくらべて固いものが食べにくくなりましたか。
口の渇きが気になりますか。
昨年と比べて外出の回数が減っていますか。
周りの人から「いつも同じ事を聞く」などの物忘れがあると言われますか。
自分で電話番号を調べて電話をかける事をしていますか。
今日が何月何日かわからない時がありますか。
毎日の生活に充実感がない。これまで楽しんでやれたことが楽しめなくなった。
以前は楽にできていた事が今は億劫に感じられる。自分が役に立つ人間と思えない。
わけもなく疲れたように感じる。

こんなアンケートに答えろというのが茅ヶ崎市役所、高齢者福祉介護地域支援担当から送られて来た。茶封筒に「基本チェックリスト在中」と書かれていた。
人間歳はとりたくないもんだ。

今まで封を開けずにゴミ箱に捨てていたのだが、六月六日午前二時三十三分五十六秒封を開けて見たのだ。久々に打ち合わせ後愛する我が社の社長の一人と、友人とで食事をした。

お刺身盛り合わせ、小鯵の唐揚げ、蛤の酒蒸し、鯨の竜田揚げを三人でつまんでは飲んだ。体の中に旨い味、いい気分が残っていたせいか何通か来ていた封筒を開けた。
友人の個展の通知、絵の先生からの展覧会の案内、お中元の案内、山形のさくらんぼ農園の案内、国定資産税の支払い通知と一緒に雨が染み込んだポストの中にあった。

誰がこのアンケートに答えるのか、本人か、家族か。
本人だとしたらこのアンケートにちゃんと答えたらボケていないという事なのだろう。
この答えは、「はい」「いいえ」で答える。で、全て「いいえ」だった。

だがしかし、背筋痛、首痛、腰痛、坐骨神経痛、足のしびれ、耳鳴り(耳の中にジェット機数機、セミ百匹)不眠症などへの質問がない。なんだいつまんねえじゃないかと思い、アンケート用紙の上に筆ペンで諸症状を書いた。どうやら頭はボケていない様なのだ。

雨音を聞きながら、オンザロックをいつものグラスでゴクッと飲むと、カァーと体が熱くなり、てやんでバカヤロー、これからが人生の勝負だと気合が入った。
我が社の社長の一人(三社あるので)が唄った河島英五の歌を思い出した。
また友人の井上陽水の歌を思い出した。少年時代を思い出した。

テレビをつけるとヤンキースの田中将大投手がマウンドに立っていた。
午前三時二分三十八秒、2対1でヤンキースが勝っていた。
夕刊を読み始めた。あと少しで朝刊が来る。

2014年6月5日木曜日

「ジムビームで乾杯!」




井戸を見つけた人、井戸を掘った人、その井戸の水を飲む人。
世の中はこの歴史で今日を迎えている。

捕鯨の世界ではクジラを発見した者がその功一番といわれる。
次は銛を刺した者。ことわざに漁夫の利というのがある。

私はサッカー界のことは詳しくはない。が、三浦知良の名は知っている。
野球界にミスターと呼ばれる人は長嶋茂雄をおいて他にいない。
サッカー界にキングカズ、即ちキングを名乗ることを許されるのは、三浦知良しかいない。キング本田といったら皆笑い転げるだろう。

マイナーなスポーツをメジャーなスポーツにするために少年はサッカーの本場ブラジルに単身向かった。Jリーグは三浦少年の成長と共に生まれた。
正真正銘のサッカー界のパイオニアである。
が、日本代表監督、岡田武史はワールドカップの代表選手に三浦知良を選ばなかった。
諸説いろいろあるようだが、岡田武史の小さな器量は私の心の中に大きな汚点として今も色濃く残っている。バカヤロー、ダセイ、ジャージ男と。

プロの世界はそれぞれ強烈な個性を持っている人間の集まりである。
皆自分こそが一番だと思わなければ世界と戦う事はできない。
代表監督の仕事はそれを束ねる事にある。岡田武史はそれから逃げてしまった。

日本のサッカー界は三浦知良から巨万の富を生み出す井戸の水を与えられ、巨大な利権を手にすることが出来たといっても過言ではない。
私は何ら三浦知良との関係値はないが、スーパースターを大切にしないスポーツ界があってはならないと思っている。

メキシコオリンピックで活躍した「釜本邦茂」なる人物がいる。
聞くところによるとサッカー界の重鎮だという。が、この人は日本の選手をこれでもか、これでもかとテレビや新聞でくさし続ける。
一点取れば二点取れた、三点取れは四点取れたはずだと。
アイツは役立たず、アイツは動けない、守れない、走れないなどと批判する。

お前は誰の味方かと記事を読んだりする度に思う。早い話すこぶる嫌な奴だ。
セルジオ越後なとどいうのも同じで文句ばかりだ。
キケンだ、シンパイだ、ダメだと、ネガティブな事ばかりで心底嫌な解説者だと思っている(日系◯×人らしい)。

釜本邦茂はきっと代表監督になりたいのだろう。
だから正直にオレがやったら必ずワールドカップで優勝させると言えばいいんだ。
あるいわ、頼むやらせてくれと平伏すればいいんだよ。但しその時は三浦知良を例え10分でも5分でもいいからピッチに立たせろだ。

ザッケローニ監督が三浦知良を補欠でもいいから選んでくれないかと思ったのだがそれは敵わなかった。日本人の熱狂を呼ぶキャスティングができない者共だ。
やっぱり岡田武史監督が私にとって最もサッカー界の嫌な奴なんだ。
コテンパンに負けて、次の代表監督は三浦知良にと思っているのだが、ひとまず心を鎮めてニッポンチャチャチャだ。

今夜は会いたかったけど会えなかった若い才能の声が聞けた。
まずはその声に乾杯をだ!いつものグラスに濃い目のバーモン、ジムビームだ。

2014年6月4日水曜日

「乳房の味」




脳梗塞で倒れた父親は全身麻痺なのだが、男の機能は薬の副作用で日々高揚する。
死ぬ程の唸り声を鎮めるために、母親と娘は日々交代で身を捧げる。
貧困を極める狭い家、やり場のない性の声が小部屋に充満する。

子は親を選ぶことは出来ない。
与えられた運命と宿命に従って生きなければならない。

函館といえば夜景で有名だが、この函館を舞台にした映画「そこのみにて光輝く」には闇しかない。救いようのない人間は、光なき深海でかろうじて生きているかもしれない生き物を探す様に、闇色の息をする。

ずっしり重いローキーな映像が観る者の心を暗く沈めて行く。
仮釈放中で無職の弟、父親の薬代と無力化した母親と弟の生活費を稼ぐために体を売る娘。この娘を小柄だが肉感的な池脇千鶴が好演する。
暗闇の中で大きく盛り上がった乳房、起立する乳首にすがりつき、赤子のように吸い付く男は綾野剛だ。自分の不用意なひと言で仲間を殺してしまい、自らの生き場を失った男にとって、その乳房は母の味なのだろうか。

この映画には「神」の存在は無い。
否、もしかしたら娘はマリアであり、男はその子イエスであったかもしれない。
迷い子を救う愛の味。

ラストシーン、波打ち際に立つ男と女に朝陽(夕陽かもしれない)があたる、だがその光は薄ぼんやりとして力は無い。確かに光は男と女にだけ射し込んでいる。

原作は佐藤泰志、監督は呉美保、プロデューサーは私がリスペクトする星野秀樹さんだ。弟役の管田将暉、また善良な社長だが実は肩に刺青を入れた倒錯者に高橋和也。
それぞれ出色の演技であった。モントリオール映画祭のノミネート作品、ぜひ受賞してもらいたい。その時は星野秀樹さんと乾杯だ。

「♪こうとしか生きようのない人生がある」確か小椋佳作詞の曲があった。
堀内孝雄が唄っていた。乾杯の時にこれを聞きたいな、ふとそう思った。
私もこうとしか生きようがない人生だったからだ。

テアトル新宿を出た後、新宿駅へ向かって歩きながら何故か十代の頃の自分を思い出した。マリア様の乳房の味を思い出していた。

「海で夕陽を」






心の病の名称や用語について日本精神神経学会が新しい指針を作り二十八日公表した。
こんな表現に。

アルコール依存症→アルコール使用障害、性同一性障害→性別違和、神経性無欲症(拒食症)→神経性やせ症、解離性同一性障害(多重人格)→解離性同一症、注意欠如・多動性障害(ADHD)→注意欠如・多動症、アスペルガー症候群・自閉症→自閉スペクトラム症、言語障害→言語症。

新しい病気、カフェイン使用障害、インターネットゲーム障害。
偉い先生方が集って変えたり、加えたりしたのだろうが、どうにも代わり映えしない。


日本にはTCC(東京コピーライターズクラブ)という集団がある。
優秀なプロフェッショナルの人々に一度頼むといいと思う。
きっとすばらしい表現が生まれる筈だ。難しい、固い、ややこしいのが学会表現だ。

時代は日々新しい表現を待っている。
私は、アルコール中毒でもないし、アルコール依存症でもないらしい。
でも毎日飲む。で、自分なりに表現すると「お酒大好き」という感じ。
それと眠れないから「クスリの恋人」クスリといっても睡眠導入剤レンドルミンのこと。
武者小路実篤風に言えば、「仲良き ことは ありがたき哉」二十年ずっとこれでやって来た。

お酒とくすりは悪魔の組み合わせというが、悪魔もまた良き友なのだ。
中野裕之監督が、海へ行って夕陽が落ちるまで二時間くらい海を見ているときっと眠れるよと、優しいアドバイスをしてくれた。
一度やってみようかと思っている。

2014年6月2日月曜日

「年上の味」






お相手は32歳年下のセクシー美女。明石家さんま密会。
いいじゃないですか。独身さんまの恋愛、ウラヤマシイではないですか。
銚子駅構内のセブンイレブンの中に置いてある雑誌の表紙に書いてあった。

私といえば銚子名物「ぬれ煎餅」と、銚子名産「さんまの日干し」を手にしながらルーツ・コーヒーブラック缶を買っていた。
銚子電鉄倒産の危機から生まれた奇跡の煎餅とパッケージに書かれている。
銚子にはヤマサ醤油とかヒゲタ醤油という名門がある。
その味を活かす方法は無いかと知恵を出した結果、名物は生まれた。

歌舞伎揚げを2.5倍位にした大きな煎餅を一度揚げたのを醤油につけるという、煎餅界の常識と掟と食感を全て変えてしまった。ポリポリとかバリバリとかパリパリは一切なし。
二つに割る時パキッという音はしない。音無しの構えだ。グニャと割れる。
恐る恐る一口噛むと、グニョーとする。長い間の煎餅界との付き合いがここで絶たれる。なんだかな〜これってと思いながらグニョグニョ食べ進むと、じわぁーと焼け焦げたような香りと共にお醤油の味がしみ込んで来る。一度知ったら別れられない奥深い味だ。

若い時初めて知った年上女性の濃厚かつへばりつく味だ。
ああ、これはなんだ、なんなんだと列車の中で二枚も食べた。
明石家さんまは歯並びのいい出っ歯で美味なるものを齧ったのか。

一度仕事をした時、撮影に二時間当然の様に送れて来た。
ある通信会社の社長たちが花束を持って待っていた。“エライスイマセン”(謝るという概念はハナから持っていない)、ドコドコで撮りハルの、ヤロ、ヤロ、ハヨ、ヤロと言ってメイク室へ。

それでもさすがにプロ、遅れた二時間分をキッチリ埋め合わせして一年分を撮り切った。凄腕のプロデューサー立花守満氏が見事に仕切った(約束は確か十時間だった)。
スタジオ丸ごと借り切って、第一から第二へ、第二から第三へ、そして二階へ。
頭の回転力、お笑いのプロとしてのサービス精神、言葉の発信力、女性にモテるオーラの全てを持っていた。

キャッチフレーズは「日本一しゃべる男の。」であった。
達人、岩崎俊一氏が書いた。明石家さんまは、バリバリ食べるといい味の煎餅。
銚子の「ぬれ煎餅」はその真逆。逆もまた、真なりというから、銚子電鉄を救った逆転の発想、その土地を生かした商品開発に乾杯であった(お酒の友としてもいい味)。
知らずにいた私が恥ずかしいのだ。

2014年5月30日金曜日

「ローリングさざ波」






会うが別れの始めという。
645年大化の改新以来、千数百年に渡り権力を求めて集合離散、裏切り、寝返り、宙返りを繰り返して来た。

アロンアルファで、強力ボンドで、ガムテープで、セロテープで、セメダインでくっつけても人間という生き物は集合離散する。これは人間の本性だから。

国家権力というものを持った人間は例え、××でも、××でも、人事権を握った強さは計り知れない。君には××を、君には××をとささやかれた瞬間に全身に漲っていた反抗心はグラグラ、フニャフニャ、メロメロになってしまう。
それが不渡り手形だと知るまで期待に胸を踊らす。
人間=人事と置き換えても過言ではない。人事=人の事なのだから。

民主党、日本維新の会、みんなの党、結いの党、生活の党、その全部を足しても支持率は10%位でしかない。ある調査によると権力政党自民党は37%。
ここで100引く47をすると、残りは53%、この中に公明党がいて共産党がいて社民党がいる。これらを足すと8%ほど、53引く845。これが支持政党なし。
ほぼ45%位が無党派という事になる。強大な国家権力に立ち向かえるのはこの人たちなのだ。

歴史も日本史も教える。
全ての王朝、帝国、独裁国を倒したのは弱き民たちだ。
この民たちが怒りを爆発させた時、人事、人事、人事、ポスト、ポスト、ポスト、週刊ポストみたいにポストを売って来た権力は弱体化し必ず滅びる。
それを恐れる権力者は、利権、利権、利権、理研のワカメちゃんみたいに黒いヒラヒラをちらつかす。黒いヒラヒラ=お金と思えば分かり易いはずだ。
残念ながら、人事→利権がガッチリ手を組むと、 CURE556をもってしても離れない。

犬吠埼観光ホテルの一室、午前四時二十四分日の出を狙って待機中、天気予報は曇のち晴れ、窓の前は押し寄せる波、私はずっと起きている。頼む、お天道様出て下さい。
十時十八分の特急で絶対東京に帰らなくてはならないんです。絶対の晴れ男でロケの予備日を使って来なかった。銚子には日本でここだけという。

地球はまるく見える丘公園がある。その中心に立つとほぼ360度グルリと地球が丸い事を見る事が出来る。そこは円を描くコンパスの中心点だ。

さて、この地球は丸く治まって行くのだろうか。
窓際にあるマッサージ機の全身回復ボタンを押した。もみ上げ、もみ下げ。ローリングさざ波という表示が出た。頼むぞさざ波よ。全身岩よりガチガチに固いんだから。
生きているのが不思議な位に。機器の名はrelax solution

2014年5月29日木曜日

「はっとして…」




自分に足りないのは雑談力と表現力。
こんなサラリーマンが多いという調査結果が注目されている。

VSN」が2040代の会社員600人を対象に行った、「ビジネスパーソン意識調査」だ。それによると、自分に不足しているスキルとして一番多かった答えは「雑談力」の29.2%、二位が「表現力」で27.2%だった。

雑談力は世間の幅広い情報を得て、社員同士などで分け合う能力。
表現力はそうした話をきちんと分かりやすく伝える力。
顧客とのビジネス会話に重要なのだと。メールに依存していると他人との雑談する習慣を身につけることができないという。世間の事象に関心が薄い、新聞おろかテレビも見ない、世の中の事を知らないから、黙って人の話を聞くしかないのだと。
大切なのはテレビのコメンテーターになったつもりで話を展開していく表現力、お笑い芸人の気の利いたジョークの使い方に学べだと。

人事コンサルタント(菅野宏三氏)曰く、日本のビジネス会話は商談は4割で後は雑談でいい。現代では会話が面白くない人は仕事ができません、なんだと。本当かなと思うけど。

何しろ私は雑談が多過ぎてブーイングだらけだ。
 10の内、9は雑談と、ホラとハッタリだから。講釈師、見てきたようなウソを付く。
そんな言葉がピッタリなんだもんな。

最も司馬遼太郎の本を読むと殆ど講釈師に近い。
坂本龍馬が立ち小便をしている横に居たみたいに書いているからな(先生はヒーローしか小説にしないからエッセイの方がずんといい)。
まあ歴史小説は本当の事を誰も証明できないから好き勝手に雑談書き放題だ。

 2020年東京オリンピック招致成功の影の立役者、ある外国人プレゼンテーションコンサルタントがこんな成功談をのたまわっていた。
プレゼンテーションの70%はプロジェクトの自信を語り、30%は感情を表現するんだと。法外なギャラをとっている割にはつまらない外国人だった。
「お・も・て・な・し」を振り付けた。「た・い・し・た・こ・と・な・し」

プレゼンはヨーイドンと始まった時、最初のコンセプトフレーズ、中盤の熱意と自信、ラストの大声だと思っている。後は雑談かな(?)大声の中身が勝負を決める。
キーマンを見定めたらずーっと目を見続ける事だと思っている。
これからの時代をつくって行くのは、これからの人材だ。

ガンバレ!“これから”だから。殺気を含んだガンを飛ばす。
キーマンから逆にガンを飛ばされて横を向いたり、下を見たらそこでオシマイ。なんてエラソーな事を言ってしまった。ここまで書いたのは、雑談と思って下さい。
ブーイングはお許しを。何しろ不眠症なもんで。

いちばんプレゼン力を高める曲がある。
確か田原俊彦が唄ったかな(?)それは「ハッとして!Good」キーマンにそう思わせたらオシマイにならない。

2014年5月28日水曜日

「中野裕之監督の最新作」




鳥肌×鳥肌×鳥肌を延々と続けると、人間は全身総毛立つ。
頭から足の先、そして五臓の隅々まで総毛立つ。

ONE OK ROCKというハードロック四人組のドキュメンタリー映画を観た。
1時間43分、渋谷パルコPART3、8Fシネクイント。
五月二十七日午後613分から8時まで。

中野裕之監督が若いハードロックバンドの世界ツアーをずっと撮影し(二ヶ月間全て手持ちで)編集して作り上げた(通常の映画八本分を撮影)。

フランス→ドイツ→イギリス→オランダ→韓国→香港→タイ→シンガポール→マレーシア→台湾。チケットは即完売。世界11カ国のツアーだ。
当然の事だが、宗教も、言葉も、風習も、ファッションも、建築も、食事も、音楽も、歴史も全て違う人々がこのバンドの存在をネットを通じて続々と集まる。
肌の色の違う人、人、人の大行列、何日も前から並ぶ若者たち。
そのライブはかつて見た事のない極烈、強烈、激烈なものであった。

約数千人の観客でビッシリと埋まる。人と人の隙間は無い。
絶叫と熱狂が建物をブチ壊し、大地を破壊するほどステップし、全員がジャンプする。ロックは世界を一つに出来る唯一無二の平和への武器なのかもしれない。

2005年にバンドを結成し、武道館、横浜アリーナで大成功させたそのライブパフォーマンスが若者に熱狂的支持を得ている。
ボーカルTaka、ギターToru、ドラムスTomoya、ベースRyota
ユーチューブではすでに2000万回以上再生されている。
日本にこれほどのハードロッカーがいたとは知らなかった。

最高にリスペクトしている中野裕之監督と日本で一番早い夜明けのシーンを撮りに二十八日から犬吠埼に行く、その前に絶対に観ておかなければならないと思い渋谷シネクイントに行った。

中野裕之さんは、また一つの伝説のドキュメンタリー映画を生んだ。
ボーカルのTaka26歳、なんとあの森進一と森昌子の間に生まれた子だ。
「港町ブルース」の父と「哀しみ本線日本海」の母が、最高の化学反応をして、最高のハードロッカーを生んだのだ。

人間はなんて素晴らしいんだろうか。
身長160センチほどのTakaがまるで数メートルの巨人の様に見えた。
料金は一律2200円。これを観ずしてロックは語れない。
FOOL COOL ROCK!! エンドロールに世界11カ国の膨大な制作スタッフの名が出た。
私は思わず拍手をした。みんなロックバカな奴なのだ。
いつもながら中野裕之さんのタイトルデザインが素敵だった。