ある映画を見た。
功成り名を遂げた医師はウィスキーと睡眠薬を一緒に飲まないと眠れない。
メイドが一日の終りにその二つを飲むように渡して終わる。
老医師は悪夢にうなされる。日々うなされる。
夢はシューリアリズムの世界だから定められたものは一つもない。
一匹の蟻を殺したことが増大し怪獣となって襲われる。
一匹の蛙を捨てたことで、ブラックホールに吸い込まれて行く。
一羽の蝶の羽根を取ってしまったことで、砂漠に投げ捨てられる。
悪夢にうなされた人間がいちばん何を欲するか、Water(水)である。
アメリカで何人も人を殺した人間が死刑になる前に、何か欲しいものはないかといわれる。その答えは、死んだら生き返る、その時は一杯の水が欲しいと。
30人もの若い女性を殺した人間に最後に何がほしいかとの言葉に、31人目の若い女性が欲しいと答えたとか。そして水が一杯飲みたいと。
さてこの一杯の水は、極めて欲望的であり文学的であり哲学的である。
水とは、快楽の水であり、権力であり、凶器であり、性的欲望であり、殺人的行為である。
3月15日(日)友人の写真家がある撮影を依頼された。
会費一人6000円、約4時間、男が女体を縛りに縛り、女は苦痛と共に絶頂に達すという。お客は息を殺し最大級の快楽を得る。
大会社の社長、医師、判事、検事、弁護士、一級建築士、公認会計士、一等航海士、高級官僚、代議士など社会的には名士が参加するという(いつも超満員とか)。
金も名誉も手にいれた人々にとって秘密の自分を人に見せることはできない。
それがまた快感なのだ。
汗びっしょりになって水を飲む姿は快感に満ちているという。
友人の写真家はその一部始終を撮る。
但し世の中に出ることはない。実は悪夢ほど正確なものはない。
この頃よく二つの夢を見る。一つは私と仲間を裏切った男と、私に礼節を失っている男。その二人が炎熱地獄で叫んでいる。水を一杯下さいと。
今、私はその水を二人に運んでいる。重い水はとても重い、早く持っていってあげたいのだが地獄の道は針の山で痛く、血の海はドロドロとして泳ぎ切れない。
熱い水がどんどん蒸発してしまう。早く持っていってあげねばならない。
可愛がっていた二匹の犬が来て私を必死に持ち上げようとしてくれている。