歴史はつくった者によって滅ぼされる。
この教えは全て当たっている。歴史上、王朝、帝国、王政、帝政と呼ばれたもので滅びなかったものはない。
ローマ帝国、ブルボン、ロマノフ王朝、ナポレオン帝国、モンゴル、トルコ、インカ、大日本帝国。近くはチャウシェスク、フセイン、カダフィ。
人間の歴史は興亡の歴史でもある。この日本国が争いのない時代だったのは縄文、弥生時代でしかない。世界中で争いがなかったのは有史以来ない。
違った言語と習俗の民族と、違った宗教を持つ民族が仲良しになることはありえない。
56歳の女性未亡人代議士と40代の既婚の代議士が仲良しになる、そんなことは帝王にとってどうってことはない。
ロシアの野党のリーダーが恋人と一緒のところで暗殺された。
圧政者にとってはちょいと射的でもして来いなのだろう。
韓国に駐在する大使が80針も縫う斬り傷を負った。
あの国の権力者から見れば浅手の傷位にしか思っていないだろう。
三島由紀夫が市ヶ谷のバルコニーの上で、君たち自衛隊が決起する時が来たんだ、と絶叫した時、隊員たちの殆どは冷静であり、共感せず、何をエラソーなことをいっているんだ上から降りて来いと怒鳴った。
だがしかし今、三島由紀夫が同じことをやったら、現在の自衛隊員はなんというのだろうか。文民統制より制服統制に共感してしまうのでは、と強く思う。
織田信長は自分がいる安土城の天守閣の下に、時の天皇を呼ぼうとした。
つまり自分の方が神に近いのだと位置づけるために。
歴史のことなので作り話か真実かは定かではない。
人間という生き物は対称形である。両目、両耳、両足、両手(不自由な方は別として)。つまり絶えず善と悪、嘘と真実、黒と白などをしっかりと他人の話を聞き分別しなさいとなっている。
独裁者が滅ぶ時は片方ばかりしか機能しない。
そしていちばん近くの者からの告げ口と決まっている。
“側近”という生き物は手柄を欲しがり、嫉妬に狂う生き物を言う。
ユダはすぐ側にいる。
オセロは、イアーゴーのひと言で破滅した。
いま日本国はシェークスピア劇場の中にいる。
我々は滅びの笛を聞きはじめたのかもしれない。
数奇な運命の序曲として。
珈琲店で新聞を読んでいたら、就活中らしき若者がこういった。
オレ絶対自衛隊に入るわ。本物の銃バンバン撃てるしカッコイイじゃんと。
(文中敬称略)
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