その名を「岩崎友太郎」という。土佐の出身である。
三菱財閥を生んだ「岩崎弥太郎」と名が似ていたのでずっと記憶の中にあった。
先日朝日新聞の書評を読んでいたらその名が目に入った。
「土俵の周辺」岩崎友太郎著・白水社刊・2400円+税とあった。
世の中には同じ名前の人間がいる。
“とうもとせんせいのまないかんぜよ”その声を思い出した。
当時私は二十二、三歳だった。
百貨店の宣伝部を辞めて十カ月ほどあるプロダクションに入っていた。
徹夜用の二段ベッドが二つあるプロダクションだった。
100人以上のデザイナーやコピーライターやイラストレーターがいた。
私が座った場所の隣に土佐弁の岩崎友太郎はいた。
童顔で色白、二重まぶたがクッキリとし目がクリクリとしていた。
私より一歳下であったが会社では先輩だった。
新しく出来た千葉そごうを一緒に担当し、ほとんど家に帰れなかった。
朝はいつも酒の香りがした。色白のほっぺは宿酔でほんのり赤かった。
土佐人は酒に「酔鯨」と名をつけるほど酒好きが多い。
彼も正真正銘の土佐っぽで大酒豪だった。
お互いに酒好き同士、よく明け方に飲みに行った。
当時読売新聞本社裏に「加賀屋」という24時間営業の飲み屋があった。
その時決まっていうのが、“とうもとせんせいのまないかんぜよ”であった。
実に少年のようであり純粋でありみんなから「岩(がん)ちゃん」と呼ばれ、社長以下スタッフのアイドルのようであった。
小学館の人気漫画雑誌、ビッグコミックオリジナル(猫の絵で有名)の表紙を描いているイラストレーターの村松誠氏も同じ職場にいた。
村松誠氏に拙書を送ったらご丁寧な返事が届いた。
そこに、岩崎友太郎さんも本を出しますよ、と書いてあった。
オ~、な、なんとあの書評にあった岩崎友太郎とは岩ちゃんだったのだ。
一気に酒の香りがした。そしてあの少年のような笑顔とクリクリした目を思い出した。
早速本を取り寄せてもらって昨日一気に読んだ。
いや~岩ちゃんが大変な大相撲好きで、多くの力士たちと交遊を重ねて来た事を知った。実に詳しい、実に楽しい、実にホロリとさせられる。
土俵の周辺にある人間ドラマを読んでいかに無名、有名を問わず大相撲を愛して来たかが分かる。どうやら今も酒を飲み続けている様子が分かる。親方や力士たちや行司さん、相撲甚句の唄い手まで幅広く付き合い慕われているのが分かる。
本の腰巻にはこう書いてある。
「相撲は物語の宝庫だ!タニマチが見続けてきた、人生の悲喜こもごも。」
装幀・装画は「唐仁原教久」さん、いい表紙だ。ぜひおススメしたい一冊なのです。
銀座の「くに」という店でよく飲んでいる様です。
岩崎友太郎よ、いい男の人生を歩いて来たな、いい本にいつものグラスで乾杯をした。
♪~アーアーアー エー ドスコイ ドスコイ 土佐に生まれた岩崎が友太郎の名のように あまたの力士を友に毎夜酒飲み交わすぜよ アー ドスコイ ドスコイ
こんな相撲甚句を勝手につくって口ずさんだ。
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