「冗談じゃない」と「冗談がない」。
「が」が入ると大違いだ。
先日友人たちとこの頃はいい冗談がないネという会話に花が咲いた。
日本人からいい笑顔が消えてしまったな、やっぱり3.11以後笑ってはいけないという気持ちが大きくなったのが大きな要因かもしれない。
だがそんな時こそひとの心をくすぐる上質のジョークは生まれるはずだ。
デザインや広告やCMなど私に近い業績も洒落たユーモアやジョークに富んだものが少なくなった。テレビのお笑いも無理矢理笑いをとるものや、命がけでやることに対する笑いが多い。言葉→コトバ→ことばのジョークがなくなっている気がしてならない。
雑誌アエラのダジャレも初代のコピーライターが亡くなってからすっかり質が落ちてしまった。表紙の撮影も坂田栄一郎さん以外の人だとガクンと質が落ちる、やっぱり違うんだよなぁ〜という話にもなった。
ビートたけしの毒も弱くなった。明石家さんまは騒音化している。
もともと日本人はジョークが苦手な国民だ。
国会のやりとりを見ていた。
野党が痛々しいほど必死で政府を攻めているようだが、軽くいなされていた。
役者が違うところがあった。
そんな中で委員長の大島理森さんの声が実に味わいがあった。
時に間延びし、時に叱り、時にいい加減的、投げやり的であり、そしてビシッとシメていた。これに上質なジョークが加わったら名委員長になると思う。
野党に一人位ジョークがいえるのがいないものだろうか。
朝からずっと呼び出されたのに、ほとんどへの字の口を開かなかった、麻生太郎財務大臣なんかは座っているだけでジョークぽかった。役者が何枚も上だった。
「ジョーダンがある」日常を目指したいものだ。
そんな中で「線虫」でガンを見つけるその精度も高いとかの話を聞くと医学者や科学者の発想力がジョーダンじゃないことを知る。
人のウンコで腸の難病を治す治療が外国では本格化しているとか。
人間の命に“運”が向いて来ているのかもしれない。
土星に生命体があるなんてことを一日中研究している人にはきっとモノ凄い冗談力があるのだろう。先日床屋さんでナショナルジオグラフィック(確か二月号)という世界的雑誌を見ていたら、月面上陸したのはアメリカの大ウソだと特集していた。
映画みたいにセットを組んで行った大芝居だと。
ジョーダンもこれ位になるとスケールが大きい。
三月十五日(日)に世界の面白CM集という番組があるらしい。
これは楽しみだ。ジョークを学んで見ようと思っている。
無人航空機のネーミングが「ドローン」というのもジョーダンが効いている。
お金を貸した相手は必ず“ドローン”すると決まっている。
ズラカルとかフケルとかバックレルとかと同意語がドローンなのだ。
さあ、ジョーダンを本気でやろう。
かつて政党CMが大流行であった。その中で超秀作のジョーダンがあった。
公明党のCMで時代劇の設定だった。代表の名が「神崎武法」さん、座敷の中で密談をしているのを、ふすまを開けてひと言いった。「そうは、いかんざき!」
このCMを超えているのは未だにない。
あと一ヶ月で地方選挙が始まる。ウソっぽい公約やマニフェストより、歴史に残るひと言を期待している。思い切りバックレたものを。
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