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2015年3月20日金曜日

「卒業式」




茅ヶ崎市立汐見台小学校の卒業生は五十三人であった。
二十七人と二十六人の二組だけ。

私は息子夫婦と愚妻と共に行った。
三月二十日くもり、体育館の中には六年生を送る五年生、左、右に保護者や来賓の方々が座っていた。実に整然としていた。

君が代を斉唱した後壇上で一人ひとりが将来の夢を大きな声でいった。
人を助ける人になります。人にやさしくなります。人を笑顔にします。保育士さん、バレエダンサー、看護師さん、ウエディングドレスをつくる人、ケーキ屋さん、音楽家、お医者さん、サッカーの選手、様々であった。
私の孫はプロ野球選手になってボクを支えてくれた人に恩返しをしたいです。と丸坊主の頭でいった。
愚妻はウルウルしてしまった。
子どもたちは夢いっぱいであった。よく練習をしたのかキビキビとしていた。
「仰げば尊し」とか、「蛍の光」とか、「贈る言葉」などは唄わなかった。校歌と学校のオリジナル曲を唄った。
九時三十分から始まり十一時に終った。
六年生が退場していく時に五年生がはじめて聞く送る歌を唄った。
ピアノ伴奏を五年生の私の孫娘が弾いた。緊張しておなかが痛くなったと帰って来ていった。
五十三人の子どもたちの将来に幸多からんことを願った。

こんな私にだって小学校六年生のときはあった。
どこでどう間違ってこんな男になったのかは分からないのだ。

いい日旅立ちを口ずさみながら、小学校時代を思い出していた。
杉並区立沓掛小学校が私の母校である。

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