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2015年9月11日金曜日

「無薬快眠」



テレビ離れが進んでいるというが、やはりテレビの威力は凄いことを知らされた。
八月二日(日)午前十時〜日本テレビ、「誰だって波瀾爆笑」という番組がある。

その中で約45分、片岡愛之助さんと溝端淳平さんが、今話題のショップとして銀座一丁目oluha(オルハ)に来店した。
といっても何日か前に多勢のスタッフで取材ロケをしてくれたもののオンエアだ。

oluha(オルハ)ショップ内には体圧測定とか自律神経診断とかを的確にアドバイスしてくれる睡眠改善インストラクターの國井修店長がいる。
一人ひとりの理想の寝具を提案してくれるのだ。

人気の役者さんとタレントさんが来店した。
片岡愛之助さんが睡眠診断をした。ベッドに横になり、2分間でグッスリとなった。
これサイコー、これほしい。枕と敷ふとん、掛けふとんを体験して絶賛してくれた。

オンエアと同時にショップに問い合わせが殺到した。予約でいっぱいとなった。
いい睡眠を得てない人は実に多い。まず枕が自分に合っていないといい睡眠は得られない。そのためにぜひoluha(オルハ)ショップに来店して診断を受けてほしい。

「無薬快眠」をコンセプトにしているのがoluha(オルハ)ショップ。
睡眠導入剤とかお酒のチカラを借りないと眠れない人は一日も早くご来店を。
「無薬快眠」は羽毛ふとんの本場ヨーロッパでもすすめられている大切な心がけだ。
欧米人は寝具にいちばん投資する。

現在眠りを誘う薬市場はどんどん拡大中、ストレス社会を乗り切るためには、日々の寝具にもっと投資をすべきだと思う。
まぁ〜寝具なんて通販や安い値段のものでいいやと思っている人は、それなりの眠りとそれなりの目覚めしか手にはできない。

いい睡眠といい目覚めは、働く自分への最高のごほうびなのだ。
八月二日から一ヶ月が経った。國井店長の診断の予約はとれやすくなって来ているのでぜひおすすめしたい。あなたの「無薬快眠」のために。



2015年9月10日木曜日

「マイナンバー制度」



知られたくないことはすべて隠せない。超監視社会の制度がマイナンバー制度だ。
一人ひとりのプライバシーは丸裸となる。
その家のルーツや知られたくない過去も丸裸となる。

一人ひとりが使っているインターネットやツイッター、ライン、スマホはすべてチェックされる。過去からさかのぼり土地や財産はいくらあるか、血脈は家族構成は、テレビは何を見てるか、新聞は何を読んでいるか、雑誌は、ファッションは、映画は何を見ているか、レンタルビデオは、整形やエステとかジムはどこへ、毎日何を買って何を食べているのか、車は何に乗ってどこへ行ったか、浮気をしてるか、不倫をしてるか、どこへ泊まって何を飲んで何を食べたか。

友人知人関係は、思想や宗教は、血脈の中に精神的病の者はいないか、病歴は、犯罪や逮捕歴は。夫婦間や家族の間に争いはないか。
一族みんなの通院歴や服用している薬の内容は、飲んでいる場所は、遊びに行っているところでの性癖は、SMかホモかレズビアンか、スワップをしたり変態プレイはしてないか。

異常と正常の境界線はなくなる。
何故ならすべて正常の人間は異常だからだ。
丸裸にされたビッグデータは国民全員が異常とされる。
政治家、経済人、思想家、宗教家、教育者、科学者、法律家、ヤクザ、国家はすべてのプライバシーを手にする。そして国家そのものが世界中の監視下の中にある。
最早SF映画の世界の住民に私たちはなっている。

マイナンバー制度の目的の一つが徴兵制にあるのはいうまでもない。
タッチボタン一つ押せば、第一次、第二次、第三次と徴兵できるシステムが出来ているのだ。“文明はそれを創った者によって滅びる”という。
ネット社会を創った人間はネット社会によって滅びるだろう。
人が人を信用できない社会となった。
マイナンバー制度と戦争法案はガッチリと握手しているのだ。
マイナンバー制度は恐ろしいことと知っておこう。


2015年9月9日水曜日

「朝の楽しみ」


壁の向こうから猫の鳴き声がする。
壁の中からかと思いジッと壁に耳を当てるのだが猫がいる気配がない。
愚妻に、オイ猫の声が聞こえるだろと聞くと、お化け屋敷じゃないんだから、お隣の猫でしょという。

この一週間ほど壁の向こうから確かに猫の声がする。時々大きく鳴く。
おもちゃの猫の声のようである。
ふと忘れた時に突然、ニギャ〜、ニギャ〜と三、四度鳴く。朝早くと深夜に。
怪談話の稲川淳二が好きそうな鳴き声なのだ。

鎌倉に住む私の長姉が寝ていたら、朝足先がヌルヌルするので掛ふとんをとったらなんと子猫が数匹生まれていて、長姉は言葉を失い腰が抜けてしまったことが思い出された。
だが子猫の声でない。

昨夜、正しくは午前一時三十二分、ニギャ〜、ニギャ〜と壁の向こうで猫が鳴いた。
エドガー・アラン・ポーの名作スリラー「黒猫」を読んだ夜のようであった。
ヨシッと思い懐中電灯を持ち出し外に出て壁のところに行き、天地左右上下に明かりを動かした。

足もとにアルミのバケツがあり、その中に遊び終わった花火がたくさん入っていた。
で、そのバケツを手に取った時、ウギョ〜、デケェ〜一匹のガマガエルがバケツの後で私の顔を見上げていた。灯りをあててもピクリともしない。デカイ。
堂々たるガマガエルは仏様の使いだと聞いたことがある(?)。
お前よく来たななどと声をかけるがピクリともしない。

猫はきっとこのガマガエルに向かって泣いていたのだ。
アッチ行って、ギモ゛ヂワルイからと。
朝起きたらもう一度見てみようと思った。
何かいいことがあるかもしれない。いや待てよ、仏様が迎えに来たのかもしれない。
どっちだっていい。雨もまた楽し、朝が楽しみだ。

2015年9月8日火曜日

「大差あり」



雨、雨、静かな雨、激しい雨、無情の雨、雨また雨、走り雨、目茶苦茶うるせい雨。
バケツを引っくり返したようなでたらめな雨。雨、雨の日は予定がみんな狂ってしまう日だ。
一方外に出ると道路にたまっていた汚れがきれいに流れている。
へなへなとなっていた木々がピンピンになっている。
公園の芝生は生き返ったように水玉をたくさんのせて気持ちよさそうだ。
乾いた砂遊びの場はサラサラとしていたが、水をたっぷり含んで、手でつかむと一粒一粒の砂がしっかりとし、その存在が手のひらにザラザラとする。

400人以上いる国会議員の中から20人の総裁選への協力者が現れない。
野田聖子は一人気をはいた。まっ先に協力者として名のり出た尾辻秀久は男を上げた。自由民主党の長老支配が完全に終わった日であった。無力化した青木幹雄、見るも無惨な古賀誠、プライドの欠片もない麻生太郎、谷垣禎一、岸田文雄、根性の欠片もない石破茂。ここで男を上げるかと思っていた小泉進次郎は、まったく声を出さずだんまりを決め込んでしまった。
みんな棚からボタモチが落ちてくるのを待って口を開けている。討論、論争のない政党は利権の分配組織にすぎない。生気のないリーダーが倒れる日を心待つ政治家にこの国の悲しい現実を見る。(一人起つ人を期待していたが)
ドイツのメルケル首相を見ているとこれこそがリーダーだと思う。
ノアの箱舟に乗っていたモーゼたちが向った地はドイツだったのではと思う。
難民たちはいう。メルケルにアラブの主導者になってほしいと。日本国のリーダーと比べると大差がありすぎる。日本という島国にある砂場には指と指の間からサラサラと落ちる一粒の砂のような政治家しかいない。一握の砂にもなり切れない。戦わないことを拒否した人間の名を忘れてはならない。ただ一人立候補した総裁選に、雨、雨、雨が降りそそぐ、この雨が降って地固まることはない。砂上の楼閣だ。

それにしても政界に若い人物が出ない国だ。第二次世界大戦で国際裁判を受けた、日本とドイツの差は天と地だ。一方はEU及び世界のリーダーとなりリスペクトされている。一方は米国の永久子分となりただその後をついて回っている。
野田聖子と尾辻秀久の根性を見て少しだけ希望を感じた。政治家とは議論なのだ。

“義を見てせざるは 勇なきなり” (文中敬称略)

2015年9月7日月曜日

「大人は判っているか?」




先週金曜日にブログ「ある判決」を読んで頂いた方はテレビのニュース番組で知っているかもしれない。私が読んでいる新聞には載っていなかった(地方紙は分からない)。

17才の時祖父母を殺して八万円を奪った事件の第二審高裁の判決が出た。
第一審と同じで懲役15年であった(求刑は無期懲役)。
判決文の中で語られた少年の生まれてから事件までの人生(というにはあまりに短いが)は、裁判官をして起こした犯罪は許せないが、事情を考慮するといわねばならないほどの悲惨な物語であった。

かつてドラマの中で少女が叫んだ“同情するなら金をくれ”という決め言葉が流行った。
あれから何年経ったか記憶が定かではない。しかし時代が何も変わっていないことは確かだ。社会は更に酷いことになっている。今では同情すらしない社会になっている。

何かせねばと思っているが私にできることといえば自分の体験談をもとにアドバイスをする位でしかない。非行に走る少年少女は愛情に飢えている。寂しがっている。
だから群れたがりその結果、群れから出て行く者を許せないのだ。

私は私がもどかしくてならない。
悲しみ色に染まっている少年少女のために何もできないからだ。
家とは、親子とは、家族とは、兄弟姉妹とは、そして学校とは。

「大人は判ってくれない」そんな映画があったのを思い出した。
今夜も激しい雨が降っている、雨降って地固まることもある。
非行に走る少年少女は、無関心を装い自分たちから逃げる大人を許さない。

実は今では富裕層の子どもの方が驚くような非行を繰り返す。
それは何故かといえばすべてを金で解決しようとするからだ。
愛情の飢えは金では決して解決できないことを知らねばならない。
大人にとって時代はいつも難しい。
夏休みが終わって新学期、少年少女は大きく変化をしている。

2015年9月4日金曜日

「ある判決」




殺してでもお金をとって来い。少年に母は命令した。
少年は祖父母を殺して八万円を奪った。

少年の犯罪までの過程は劣悪を極める。
幼少期に両親は離婚、母親は男遊びを繰り返す。
少年は小学校を4年までしか行けない。
公園での生活、路上生活、母親と施設に入るが母親はこんな小屋みたいな生活は嫌だと施設を出る。
再び公園や路上生活、母親は夜の仕事をしながら男をつくり女児を生む。だが子育てはしない。
少年は妹を必死に育てる。牛乳を盗んだりしながら。
そんな少年を社会は放逐する。
とても礼儀正しい少年でいつも女の児を抱いたりしていたとだけいう。
何か手を差し出したりはしない。
少年はそんな中でも母を愛し続ける。
そして母は少年に命令を下す。
少年はお金だけが母とつながることができるものだったという。
今日その高裁判決が出る。

行き場を失った少年少女が叫びをあげる力さえ失っている。
孫に殺された祖父母はあの世で何を望んでいるだろうか。
私たちは何が出来るだろうか。

2015年9月3日木曜日

「いない方がいい人」




世の中には、この人がいてくれて本当によかったと思う人と、この人さえいなければいいのにと思われる人がいる。
私などは勿論後者なのだが、この人ほど世間に迷惑をかけてはいない。


森喜朗(78)という存在が世のため人のために何かをやり遂げたという話はない。
利権がらみで地元石川県には貢献しているのだろうが。
不幸にして愛息を亡くし政界から引退をし余生は墓守に徹するだろうと思っていたが、モグラ叩きのモグラの様に、あっちこっちに顔を出しては、ああ、この人さえいなければと思われる。
知力、胆力、思案力、展開力などはない。ただ調整力のみで生き残っている。
古い政治家の見本、化石の如くである。

本来なら日銀の総裁になったと思われる、武藤敏郎は見ていられない、というより問題意識が全く分かっていない。何しろ国家の行く末を考えていたのが、デザインだ、タイポグラフィだ、エンブレムだ、なんていったって分からない。
政治家とゼネコンとの駆け引きやコントロールだって専門外。
ただ行き場を失った大物が名誉職についただけだからだ。

2020年オリンピック開催への異常事態、この状態を打破できる人物は日本には残念ながらいない。不幸は更に不幸を呼ぶだろう。デザイナーの家族の心労は生き地獄だと思う。
勿論当人も同様のはずだ。今はただ我が身と命を守れといいたい。
家族を守れといいたい。どこでどうなったかは考えないことだ。

人を憎んでも解決にならない。まず眠れ、そして食べる。
むかしのいい映画でも観ることだ。楽しかった頃を思い出すんだ。
森喜朗よ、故郷石川に帰り愛息のお墓を守ることにしよう。
きっとみんなが大喜びするはずだから。(文中敬称略)