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2015年9月8日火曜日

「大差あり」



雨、雨、静かな雨、激しい雨、無情の雨、雨また雨、走り雨、目茶苦茶うるせい雨。
バケツを引っくり返したようなでたらめな雨。雨、雨の日は予定がみんな狂ってしまう日だ。
一方外に出ると道路にたまっていた汚れがきれいに流れている。
へなへなとなっていた木々がピンピンになっている。
公園の芝生は生き返ったように水玉をたくさんのせて気持ちよさそうだ。
乾いた砂遊びの場はサラサラとしていたが、水をたっぷり含んで、手でつかむと一粒一粒の砂がしっかりとし、その存在が手のひらにザラザラとする。

400人以上いる国会議員の中から20人の総裁選への協力者が現れない。
野田聖子は一人気をはいた。まっ先に協力者として名のり出た尾辻秀久は男を上げた。自由民主党の長老支配が完全に終わった日であった。無力化した青木幹雄、見るも無惨な古賀誠、プライドの欠片もない麻生太郎、谷垣禎一、岸田文雄、根性の欠片もない石破茂。ここで男を上げるかと思っていた小泉進次郎は、まったく声を出さずだんまりを決め込んでしまった。
みんな棚からボタモチが落ちてくるのを待って口を開けている。討論、論争のない政党は利権の分配組織にすぎない。生気のないリーダーが倒れる日を心待つ政治家にこの国の悲しい現実を見る。(一人起つ人を期待していたが)
ドイツのメルケル首相を見ているとこれこそがリーダーだと思う。
ノアの箱舟に乗っていたモーゼたちが向った地はドイツだったのではと思う。
難民たちはいう。メルケルにアラブの主導者になってほしいと。日本国のリーダーと比べると大差がありすぎる。日本という島国にある砂場には指と指の間からサラサラと落ちる一粒の砂のような政治家しかいない。一握の砂にもなり切れない。戦わないことを拒否した人間の名を忘れてはならない。ただ一人立候補した総裁選に、雨、雨、雨が降りそそぐ、この雨が降って地固まることはない。砂上の楼閣だ。

それにしても政界に若い人物が出ない国だ。第二次世界大戦で国際裁判を受けた、日本とドイツの差は天と地だ。一方はEU及び世界のリーダーとなりリスペクトされている。一方は米国の永久子分となりただその後をついて回っている。
野田聖子と尾辻秀久の根性を見て少しだけ希望を感じた。政治家とは議論なのだ。

“義を見てせざるは 勇なきなり” (文中敬称略)

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