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2015年11月10日火曜日

「竹の月」




十一月というのは私にとって父と母の命日がある以外これといって季節性がなかった。
一月はお正月、二月は梅、三月は春来るを感じ、四月は桜咲く、入学式や入社式、五月は鯉のぼり、六月は雨と唄えば、七月は夏来る、八月は太陽がいっぱい、九月は“九月になれば”という名画、十月は体育の日、運動会、十二月は師走で新しい年を迎える。

十一月はパッと浮かぶものがない。
お線香と花を持っている自分の姿が見えるだけだ。
晩秋と書くと文学的だがなんとなく仄暗い。

静岡県浜松駅から車で走ること二時間位の所に天竜区春野町川上地区がある、その山の中に親愛なる友人夫婦と家族がいる。
その友が去る十月サプライズのゲストとして上京して来て私を大いに喜ばせてくれた。
その時竹細工を二つ持って来てくれた、これ人間国宝みたいな人が造ってくれた竹細工だでといった。

一つは丸い花入れか小物入れ、半円の取っ手が付いている。
大きさは小ぶりの丼ぶり位、もう一つは丸い物入れ、高さが6センチ位、直径が15センチ位だ。今なら柿を入れたり、栗を入れたり、ギンナンなどを入れたらいい景色になる。
竹は月日が経つほど変色の味を楽しめる(侘び寂びだ)。

で、十一月の話だが、竹細工を造ってくれた名人夫婦のインタビュー記事を渡してくれた。それを読むと、竹細工に使う竹は十月から十二月頃、つまり十一月の竹がいちばんいいらしい。竹細工はいい竹選びが決め手になるという。

名人の人生が凄い。十二歳の時に山道から落ちてしまった、そこに岩が落ちて来て片足をやられてしまった。松葉杖の人生のスタートであった。
お父さんが何か身につけさせたいと、竹細工を教え始めた。それが名人芸となる。
人間やると思えばやれることを次々と証明していく。
竹林をピョンピョン跳び歩き、屋根にもスイスイ登る。最高40キロの荷物を担いだとか。勿論松葉杖は自分で造る、自転車にもひと工夫して乗れるようになる。
ペダルを草履と足の裏との間にはさんで山を下り、山に登る。
二本足の人もとてもじゃないが出来ないことだとインタビューアーも驚く。

記事では六十九歳であった。
無農薬自然栽培でお茶をつくること45年。
地域誌“はるの”の中に写る老夫婦は、苦楽を共にして来た明るい笑顔だ。
「人生も終盤にかかった。やり残しのない人生にしたいね〜」と前向きなのだ。
いい竹は密植しているところのはダメ、日照時間の少ないところのもダメとか。

私にとって十一月は春野町の友人夫婦と家族を思い出す「竹の月」となった。
それと名人夫婦も。来年は必ず行くと決めた。大井川鉄道に乗って。

2015年11月9日月曜日

「炭水化物」




一つの結果がある。
岩手県において10分間で“わんこそば”を何杯食べられるか大会が昨日あった。
優勝者は三連覇を成し遂げた、他県から挑戦しに来た40代の中肉の体型の男性。
食べたというより押し込み飲み込んだ数は、10分間でなんと338杯だ。

1分は60秒だから10分では600秒、計算して下さいそのスゴイこと。
赤いお椀を持ったオバサンがヨーイドンと共にハイ!ハイ!ハイ!ハイ!とそばを落として行く。男はそれを二本の箸でワッセ、ワッセ、ワッセと口内に運ぶ、口内暴力のようだ。

これからは想像だが、ある者はそばがノドに詰まって呼吸困難に、ある女性は両の目から涙を流し、鼻水も流し遂にはゲップと共にそばを放出する。
ある男性はそばが口の中から鼻の中に侵入し、それが両の鼻の穴から出て来てしまう。
観客はギモチワルイとか、キタナイとかいって顔をそむける。
ギャーという喚声が上がった。
オジサンが口いっぱいに入れたそばを一気に口から吹き出して、目を白黒させてその場にうつ伏せてしまい、出したそばが若い女性にひっかかってしまったのだ。赤いお椀を持ったもんぺ姿の女性たちは無表情におそばをオリャ、オリャ、ハイノ、セイノ、ハイ、ハイ、ドリャーと落とす。
多分本当の現場は私の想像を遥かに超えているはずだ。

新宿にある花園神社の酉の市に行った時、お化け小屋とかヘビ女というのがいた。
500円出すと青大将の兄貴分のような一匹のヘビを口の中から入れて鼻の穴から出して見せた。頭と後の部分を持ってゴシゴシと鼻の穴を掃除した。
今年は三の酉まである。
なんだか鼻の穴がムズムズして来た。くれぐれも火の用心を。

600秒でわんこそば338杯食べた40代の男性はすこぶる誇らしげであった。
来年もまた優勝するぞ、そんな風に私は見えた。
私がお世話になっている名医の患者さんが、炭水化物を食べるのを止めたら体脂肪38の人が18になったとか。体重が15kg減った人の話を思い出した。

♪〜あなたの決しておじゃまはしないから“おそば”に置いてほしいのよぉ…なんて歌を思い出した。
おそばのない人生なんて、うどんのない人生なんて、ごはんのない人生なんて、パスタやパンのない人生なんて悪夢だ。
ざるそばは海苔だけとなり、きつねうどんは油揚げとネギだけとなり、スパゲッティミートソースはミートのみになり、ハムサンドはハムだけ、カレーパンはカレーだけになるではないか。

人生はご飯を食べるために働いているのにその目標が消えてしまう。
人生はおかずを食うためにあるんだってことになる。
ベスト体重を2.5kgオーバーしているのだが、炭水化物は我が友、我が力、我が人生なのだ。

でも今日はワンタンメンから麺を抜いてワンタンにするか、雲呑とかいてワンタンなのだが、スープの中をホニャホニャ浮いているので今ひとつ雲を掴むような手応えのない代物なのだ(レンゲで食す)。麺と一緒なら幸せなカップルなのである。
で、わんこそばだが、そばを抜くとツユとお椀だけとなる。

先週金曜日仕事場に訪ねて来た炭水化物ダイエットに成功した愛する後輩は、カツ丼が夢に出たという。長身でプニョプニョとしていた体は15kg減って実にスレンダーになっていた。血液検査の数値は全て正常値になったという。
今度あったら目の前でカツ丼を食べてやろうと思っている。

2015年11月6日金曜日

「杉並区天沼三丁目」




猫の名は“ベーコン”であった。
私が小・中学生の頃、家には二頭のヤギ、四羽のニワトリ、小さな野菜畑、柿とイチヂクとビワの木、数十羽の伝書鳩、一頭の雑種犬(名はハチ)、養蜂もしていた。
自給自足である(鳩は食べない)。

そして真っ白い猫の名が“ベーコン”であった。
子どもの頃はその名の意味がわからなかった。
食べ物のベーコンはその頃一般的日本人の食生活には出ない。
長じた時、父親が哲学者ベーコンからとってつけたと聞いた。

私はベーコンを見ると猫の名を思い出した。
伝書鳩を何羽も襲ったので仲が悪かったが、ベーコンが病気になってからは仲良くなった。アイルランドにフランシス・ベーコンという画家がいた(19091992)。
十九世紀最大の画家という美術評論家も多い。

そのベーコンの一日の日課をある本で知って「不眠症」の私は親近感を持った。
ベーコンは同性愛者であった。そこには親近感を持たない。
ベーコンは眠りにつくために睡眠薬にたより、ベッドに入る前にはリラックスするために、古い料理本を繰り返し呼んだ。一晩に二、三時間しか眠れない。
にもかかわらず体は健康(?)であった。

運動はカンバスの前をウロウロするのみ、ニンニク入りのサプリメントを大量に飲み、卵黄とデザートとコーヒーは控えた。その一方で一日にワイン六本、レストランで豪華な食事を二回以上の暴飲暴食を続けた。頭がボケることもなかった。
二日酔いになることもあまりなく、むしろ二日酔いの時の方がエネルギーが満ちて、思考が冴え渡ったという(メイソン・カリー著「天才たちの日課」より抜粋)。
天才たちは規則正しく不規則を繰り返す。殆どが不眠に苦しむ。
薬と酒に頼る。煙草と紅茶とコーヒーを多量に喫い込み、飲み干す。

愛する後輩が書いた高級羽毛ふとんメーカーのコピーを思い出す。
「ぐっすりが、いちばんのくすりです」
早いもので銀座一丁目キラリトギンザ3階、上質睡眠専門店oluhaオルハショップが一周年を迎えた。

国民の五人に一人は不眠症、もしくはいい眠り、いい目覚めをしていないという。
世にいる天才たちよ、いい作品を生み出すために、本物の羽毛ふとんでぐっすりと眠って下さい。安い羽毛ふとんは、ホコリとダニを吸いながら眠っているのと同じ。

“ベーコン”という名には東京都杉並区天沼三丁目での白い猫との思い出があるのです。
カリカリのベーコンをキッチリ作れるようになれば一人前のシェフといわれる。
あるホテルに名人がいた。未だにその名人を超えるカリカリのベーコンには出会っていない(オムレツも名人であった)。

2015年11月5日木曜日

「開き物」



1960年は安保闘争で国会議事堂周辺はデモ隊と警察が衝突し、樺美智子さんという学生が死んだ年だ。嵐のような安保闘争の中で法案成立、総理大臣岸信介は退陣した。
脱力感で無重力状態となった学生たちは西田佐知子の唄う「アカシアの雨がやむとき」の中に敗北を重ね合わせた。
♪〜アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい 夜が明ける 日がのぼる 朝の光のその中で 冷たくなった私を見つけて あのひとは 涙を流して くれるでしょうか。

つまり闘争の死を重ね合わせた。

そこにダミ声の総理大臣池田勇人が登場した。所得倍増計画をひっさげて。
“貧乏人は麦を食え”なんて言葉を放った。また“私は嘘は申しません”なんどと真顔でいった。“みなさん働きましょう”となった。
働くというのは傍(はた)のこと、隣の人のこと。
働いて傍の人と共に楽になりましょう。

以来日本人は働いて、働いて、働きまくった。
そして10年間でGNP4倍となった。所得は倍増した。世界の奇跡といわれた。
所得は増えたが失うものも多かった。
(一)人間性を失った。
(二)隣人愛を失った。
(三)情緒的感性を失った。
(四)故里の美しさを失った。
この四つを失ったことにより現代社会の原型が生まれた。
さらに一つ加えると敬老の精神を失った。

「下流老人」などという本が今ベストセラーになっている。
アカシアの雨にうたれて老人が死んでいても、涙をながす者はいない。
一日一個のカップ麺と二個のおにぎりだけで生きている老人の姿を見ると、我と我が身の罰当たりな姿に暗然とする。

サンマの開きとカキフライ二個、ポテトコロッケ一個と、とんかつ三切れ、ネギとお豆腐の味噌汁にごはん1.5杯。
113日文化の日の夕食であったが、老人と比べるとかなり贅沢といえる。
「あなたは何を食べているか教えて下さい。それを知ればあなたが分かるから」そんなことをいったフランスの美食家がいた。

一日の食費200300円で生きる老人の食べているものを知ったら、何を知り何が分かったかだろうか。私は何を食べたらいいのでしょう。私もそれなりに働いて来た。
食べたい物が食べたくて。あっ忘れていた。113日小アジの南蛮漬けを6匹食べた。

シワシワの手でおにぎりを食べようとする老人。家族はいない。
手を差し出す人もいない。私の食欲は果てしない。湘南フィッシュセンターで買って来た一枚なんと490円のアジの開きに思いを馳せている。
納豆に海苔、アサリの味噌汁があれば十分だ。ハムエッグがあればいうことなし。
エボダイやカマスの開き、ホッケの開きも売っていた。

私は開き物が大好物なのを公開する。
否、贅沢なことを後悔する。
2015年一億総掛りで活躍→働かなければならないのか。