昨日ゴールドジムのことを書いたら、そもそもゴールドジムは“ソノケ”のある男たちが好んで入るジムなんだと教えられた。
駅前で便利だから入ったのだが知らなかった。
ボディビル系なのは分かっていたが、私の場合は時速10km位で一時間から二時間位歩くだけだった。私には全く“ソノケ”はないのである。
ナルシストというのは実に厄介な人間だ。
何しろ世の中の人はみんな自分を見ていると思っている。
また、見られているという、高揚した気分を全身に受けとめて快感を得る。
ドン・キホーテと呼ばれることもある。
鳥越俊太郎氏もそれに近い。
自分はカッコイイジャーナリストだという並外れたナルシズムが大ズッコケになっている。政治とは演説だがまるで演説になっていない。
聞く耳を持っているのが売りなら、朝から晩まで一カ所で討論会のバトルをやるべきだった。ジャーナリストは真実を語らねばその存在はない。
癌と闘いながら指揮者岩城宏之さんは、ベートーヴェンの第九を一番から九番までぶっ通しで指揮をしていた(休憩はある)、十時間位だっただろうか。
途中酸素吸入を受けながらタクトを振り続けた。鬼気迫っていた。その何日か後この世を去った。
最近では蜷川幸雄さんが骨と皮になりながら、酸素吸入をしながら演出をした。
私の好きだった神代辰巳監督はやはり車椅子に乗り酸素吸入をしながら映画を作った。
永六輔さんと大橋巨泉氏が死の直前「徹子の部屋」に出た。永さんはずっと口を開きっ放しでモノを語らず、大橋巨泉氏はシワシワになった体で思い出を語った。
残酷に変わった自分を見ろという覚悟があった。
私は見るに耐えなくなった。永さんのずっと開く口を見て。
渋谷区に住んでいた頃、青山サウナというのがあった。
東映ヤクザ映画の全盛期、ボスは富司純子さんの父親で東映ヤクザ映画の生みの親、大プロデューサーの俊藤浩滋さんだった。高倉健さんたちを連れてよく来ていた。
ゴールドジムで思い出した。健さんは鏡の前に立ってずっと自分の体を見続けていた。
健さんを愛してやまない田中邦衛さんとある年、下呂温泉の浴場で会った。
岩下志麻さんを起用して下呂温泉の老舗水明館の仕事をしていた。
浴場に全身ショボショボになった人がいた。
オシリの肉が煮込んだハンペンみたいだった。
田中さんですかと言ったら、おちょぼ口をとがらせて、どーもと言った。
話はずい分外れたが私が言いたいのは、ひと度事を成すためには命をかけるんだと言いたい。醜態をとことん晒せよだ。実はそれが真の美しさなんだから。
競輪を知っている人ならこんな言葉があるのを知っているだろう。
「後位凡走」これ鳥越俊太郎氏。「ちょい差し」これは強力な逃げ足を持ち一番先を行く選手をマークし、文字通りゴール寸前でちょい差しする、増田寛也さんは今この位置にいる。落車というのがある。ゴール目前にして猛スピードで三角から四角を目指した時、バァーンと落車する。小池百合子選手は無事ゴール板を通過できるか(?)
「まくり」という丈勝負がある、後方から一人で仕掛ける。
八人の選手をバンクの中央まで登り一気に抜き去る。「かまし」とも言う。
競輪用語に「もがく」というのがある、全身全霊を込めてペダルを踏む。
その必死さがもがくという表現になる。
勝負の神はこの「もがく」を最後までやった者にしか微笑まない。
候補者の入ったタスキをかっこ悪いから、あるいはオレの名は誰でも知ってるからと身につけない気取り屋は、ゴール寸前に行く前に落車する。
こう書いてみるとやっぱり石原慎太郎さんというのは特別だったんだなと思う。
いよいよ梅雨が終り、太陽の季節だ。