忠犬にはなるが、忠猫にはならない。
犬は人になつき、猫は家になつくと言う。
犬派と猫派がいる近頃では猫派が優勢とか。
散歩に行かせたりの手間がかからない。
プヨプヨの肉球を触るとトゲトゲしていた心がしばしプヨプヨになるらしい。
昨夜宿泊した娘の家にチワワの子犬がいた。未だ二ヶ月位であった。
茶色のチワワはピヨピヨとヒヨコみたいに鳴く。ハウスから出してもらうと、うれしいのか部屋中をクルクル回る。見ている方が目が回る。
銀座の仕事場の隣にペットショップがある。
50×70センチ位の柵の中に子犬や子猫が入れられている。
大きくなるにつれて値段は下がり、いよいよ大きくなり買い手がないと姿を消す。
犬派と猫派の人が歩く道すがら柵を眺めては、キャーかわいいとか大声を出して言うけれど、買っている姿はあまり見たことはない。
思えば私たちも人間社会という柵の中で生かされている生き物なのだ。
お手と言えばお手をし、お座りと言えばお座りをする。
生きて行くためには足の先までもナメるのだ。
誰もキャーかわいいなどとは言ってくれない。
が、犬はもとはといえば狼だから、いよいよコノヤローと思ったら、ガブッと噛みつくのだ。ニャーニャーと猫撫で声を出していても大きくなれば虎やライオンだ。
いよいよバカヤローと思ったらカァーと目をむいて飛びかかり爪でかきむしるのだ。
人間社会の柵の中で「愛」が決定的に欠けはじめている。
船橋→市川→錦糸町→馬喰町と列車は進んだ。
三人掛けのところに若い女性が座っていて、その前に老女が立った。
かなり混んでいた。シルバーシートなのだが若い女性はスマホかなんかに目を奪われていた。老女は一本の杖を頼りに列車の横揺れに耐えていた。
コラッ立ってあげろと誰かが言うと思ったが、声はなかった。
私は東京駅で降りた。朝早くから怒鳴る元気がなかった。
私も愛が不足していたのだ。