午前二時四十九分四十四秒。
テレビでは炎の指揮者小林研一郎(通称コバケン)がチャイコフスキー交響曲第四番のタクトを振っている。読響のコンサートである。
前日の昼十二時「徹子の部屋」に仲宗根美樹が出ていたのと何故かシンクロした。
お世話になっている東洋羽毛さんが「徹子の部屋」にCMを流しているので火曜日の昼はそれを見る。
♪~病葉を今日も浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて…名曲を思い出す。仲宗根美樹は生きてたんだと思った。
クラシックは第九以外まったく分からない。
オーケストラの全体感と、仲宗根美樹の孤独な病葉感(わくらばかん)となる。
よくわからないチャイコフスキーを見聞きしながら口では「川は流れる」を口ずさんでいる。
かなりイカれちまったのかもしれない。
そうか、北朝鮮の金正男毒針暗殺のニュースをしこたま見た後、ロイ・アンダーソン監督の「さよなら、人類」を見たせいだと気がついた。
第71回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)受賞作である。
シュールで不条理、アナーキーなアナログ。思考回路がプチンプチン音をたてて切れる、一カット一カットの映像と言葉。文学と哲学が不可思議な距離感で交差する。
人間と人類が絵画的構図の中で会話する。
例えば、小さなアパルトマン、小さなテーブルの上にささやかな夕食と二つのワイングラス、太った男がワインの栓を抜いているのだが抜けない。
両足にはさんで思い切り栓を抜こうとする、抜けない、ウーウーと力を込める。
スポッと抜ける、太った男は後に倒れそのまま死ぬ、隣の小さな部屋には何も知らない女房がゴソゴソしている。小さく細いベッドと椅子と机しかない部屋。
変な仮面を被ったやせた男が机にうつ伏せになって古いラジカセの音を聞いている。
それをずっと半開きのドアから男が見ている。うつ伏せになりながら、あの世に行って両親に会いたくない、会いたくないと言い続ける。
この監督は人間&人類のディープな観察者だ。
二人の中年セールスマン、売っているのはフランケンシュタインの牙というか歯なのだ。
♪~病葉は今日も流れる。チャイコフスキーの正確な音律と、仲宗根美樹が重なる。
ロイ・アンダーソンなら、きっと読響のみんなに美しいオナラをさせるかもしれない。
ダメだ午前三時四十三分五秒、いつものグラスに“かのか”をごっつく注いだ。
もうちょっとで“おはよん”が始まる。それにしても毒針とは。北朝鮮の崩壊は近い。
でっかいドラム缶みたいな中に、捕虜を次々と入れて火を放つ、メラメラボーボー燃える中で捕虜たちがアチチと暴れているのか、ドラム缶はグルグル回る。
それをじっと見ている軍人たちのシーンもあった。さよなら人類なのだった。
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