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2017年2月27日月曜日

「無冠の男」



アホヌカセ!小説家風情、物書き風情に大事な娘を嫁にやれるか。
かつて小説家といえばヤクザな職業、食えない職業の代表であった。

酒に女遊び、博打にクスリ。
ヒモのように生き、ヒルのように女性にへばりつき血を吸った。
そんな生き様を書いた小説は“私小説”というジャンルに分類された。
自堕落な転落小説である。
そんな書き手は無頼派などと言われた。寸借詐欺や借金と前借りを繰り返す。

小説のネタを仕入れるために、更に酒と女遊びと博打とクスリ漬けとならざるを得なかった。転落小説はいつしか出版社により“純文学”というピカピカの称号を得る。
それを生んだのが芥川賞であった。
文芸雑誌の「群像」「すばる」「新潮」などの編集者がこれはと思う新人に目をつけ、編集者の手のひらの上で新人をもてあそぶ。
編集者はSで、新人はMのような関係となる。

出版社には全国の新人たちから夥しい数の小説の売り込みがある。
99.9%はボツとなる。殆どは最初の一行か数行読んでボツとなる。
本が売れない時代、小説よりもそれを書いた人間のプロフィールが重要となる。
あるいは編集者が自分を投影できる人間に、小説を書かせる。原稿は編集者の入れた朱で染まる。Sはケツを叩き、Mは悲鳴をあげる。天才は0.01%もいない。
敏腕編集者はその上を行く才能を持っている。
ハイ書き直し、ハイ書き直し、ダメ出しが続く。

人間は誰でも名作を一作書けると言う。
その人にはその人にしかない人生があるから、そのまま書けばいいのだ。
歴史小説には資料がある。山岳小説は山に登り、紀行文は旅に行けばいい。
冒険小説はそれに挑む。
推理小説には世界中にネタ本があり、更に裁判の記録や実際の事件を巧妙に絡み合わせればソコソコの小説となる。勿論第一級の作家たちの作品は別だが。

昨夜夜九時~NHKスペシャルで芥川賞作家、又吉直樹の第二作を生む苦悩する姿を見せた。これはある意味掟破りの番組だ。
編集者にテーマを決められ書く程に、書き直しをさせられる。
決して読者に見せてはいけない舞台裏だ。少しばかり読書しているお笑い芸人を、作家として売り出した。一作目は実体験で書けたが、二作目はそうはいかない。

恋愛をしてない人間に恋愛を書けと編集者は言う。
又吉直樹はとまどいながら必死に言われるように書き直す。
出版社はすでに本の題名を生み、出版日も決めてしまう。
さて、近々発売されるこの「劇場」という本は誰が書いた小説なのでしょうか。


昨日茅ヶ崎駅南口長谷川書店に行くと、村上春樹の新作がたくさん平積みされていた。
この作家は出版プロデューサーとしての方が才能がある(カバーデザインがやけにマイナーだった)。パラパラとめくっておわり。
又吉直樹よ小説家なんかより、お笑い芸人の方がなんぼも価値あるよ。
つらいこと、嫌なことばかりの世の中で人をコトバで笑わせるほど難しいことはない。
一流の作家はいくらでもいる。が、一流のお笑い芸人は何人もいない。

長谷川書店で私が買った一冊は「無冠の男」故松方弘樹さんのインタビュー本だ。
抜群に面白い映画屋の本だ。
出演全作品紹介の中に中野裕之監督と作った短編映画「灯台」までちゃんと年表に載っていた。高倉健さんは唯一好きになれなかったとか。
(文中敬称略)


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