国境はない。大勢の不法移民や難民、流民は来ない。壁もない。
宗教対立による争いもない。
金光教、天理教、真光教、真如苑、PL教、幸福の科学、立正佼成会、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、霊友会、阿含宗、そして最大の創価学会。
数えたらきりがない程の宗教がこの国にある。
が決して宗教間で激しく戦闘などはしない。
この国は稀有の国と言っていい、実に寛容なのだ。信教の自由が守られている。
国民は勤勉であり、法に対して従順である。
パスポートを失くした外国人が途方に暮れて警察に行くと、そのパスポートが出て来る国である。
大金を入れたバッグを電車内に忘れた女性が、キャーと気がついてホームの駅員さんに届け出ると、終着駅で預かってくれている国である。
昨年の十一月二日に東海道線内に忘れたメガネが現在熊谷駅にある。
三ヶ月以内に取りに行かなかったので、熊谷警察まで行かねばならない。
今は急場しのぎの3000円のメガネである。親切で誠実。
真面目で几帳面、そして清潔である。
満員電車内は無言である。ブレーキがかかったり、揺れたりすると吊革を握りしめる。
体と体が密着する。痴漢に間違えられないように気をつける。間合いを取る。密着する体から汗が臭う。ニンニク臭い奴もいる。じっと我慢する国である。
お前今日カレー食っただろうと思う臭いの奴もいる。
髪の毛を三日くらい洗ってない奴の臭いもある。じっと我慢する国である。
足の上に足がある、がじっとそのまま耐える。
私は無宗教、無神論者である。去る者は追わず、去る者を愛す。
来る者は拒まずでずっとやって来た。特別生理的に合わない人間以外は。
友人に創価学会もいれば、知人に立正佼成会もいる。キリスト教徒も多い。
みんな仲良しである。仏教徒と神教徒と酒を飲むことも多い。皆寛容である。
稀有なこの国の民はアリとキリギリスに例えれば当然アリである。
ピンポーン、チャイムが鳴った。ドアを開けると、二人のご婦人と一人の男の子が立っていた。聖書はという手には「ものみの塔」と書いてあった。
すいませんいいですと言ったら六・七才の男の子が私を見つめた。
仕事場に友人から頂いた聖書がある。時々めくっては読んでいる。
作家開高健は旅に出る時は一冊の本さえあればいい、それは聖書だと言った。
汚れに汚れた心を洗うために、旅に出たいなと思ったりする。
友人の信者によれば三年かければ読み終えると言う。
斜め前の席でエビスビールのロング缶とキリン氷結を飲み終えた男がいる。
足を広げ大きなイビキをかいている。むき甘栗の袋とグリーンピースの袋もある。
鼻の穴の中にグリーンピースの豆を入れてやろうと思った。私は寛容ではない。
昨日深夜「ディーパンの闘い」という映画を見た。
国境、人種差別、家族、貧困、宗教、そして殺し合い。
日本国はどんな運命を辿るのだろうか。
ゴルフ場でこの国を賭けていたのではないだろうか。
信じる者は…(?)賛美歌が流れる。
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