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2017年4月11日火曜日

「仮説」




とことん俺と踊るんだな、ああどこまでも踊ってやるよ。
裏社会では喧嘩すること、モメることをこう表現する。表社会ではこれを戦争という。
その真ん中にいてどっちつかずでオタオタするのを余方(ヨカタ)という。
テメェ俺たちが体張ってんのに、シカトしてヨカタこいてんじゃねえよ、シメルぞなんてぶっそうな事になる。

人類の歴史は戦争の歴史である。はじめは食料の奪い合いであった。
次になるとそれに領土、奴隷が加わった。その次は石炭石油資源である。
つまり戦争は食糧を生む大地を奪い、それを耕し収穫する人的労力→戦力を奪い合った。今、アメリカ、ロシア、中国、そしてイスラエル、イラン、イラク、北朝鮮、シリアなどが踊っている最中にあるが、さて何を勝ち取るのかというと全く不明である。

奪えるものなどないのだ。
全てのシナリオは軍産複合体が戦争状態を作り上げる、つまり軍を踊らせて兵器の在庫セール、新製品の開発と販売、軍事予算の拡大をする。
そのためにはアメリカという国、ロシアという国、中国という国はなんでもやる。
何かことが起きて、どこがいちばん得したかを見ればそれがわかる。

CIAは何でもやる。モサドもKGBもSISも、踊るためなら民衆の1000人、10000人は平気で犠牲にする。例えば北朝鮮が日本にミサイルを打ち込んで何を得るか、上陸して国土を占拠するのか、それは有り得ない。
アメリカが北朝鮮にミサイルを打ち込んで何を得るのか、やせた国土とやせた国民をアメリカは必要としていない。

3.5億人のアメリカと14億の中国が踊って何を得るのか、実は何も無いのだ。
中国はアメリカの国債を100兆円近く持っている。
中国との交易がなければアメリカは終わる。
シリアの爆撃は米中会談中、メンツを重んじる中国を怒らせたなどというのは踊りを知らない人の考えだ。事前に話はできていたはずだ。
相方片をつけなければならない話が、100日間先送りされた。
中国人のいう100日先は1000日先、つまりあってなき約束なのだ。
政治オンチのトランプは踊らされたに過ぎない。
したたかな中東の人間は、絶えず大国に踊ってもらっていないと困るのだ、石油資源を売っている限り。最強の情報機関モサドは全世界をコントロールする。
ロスチャイルド、ロックフェラー、華僑、マフィア、バチカンと共に。

さて、日本は余方である。何をすべきか、世界が踊る話を経産省、通産省あがりの人間たちではできない。トランプ大統領には“金”しかない。
世界の警察官になる器量などないのは、本人がいちばん知っているだろう。
余方の日本はかつての大平正芳首相のようにムニャムニャ言っている方がいい。
竹下登首相のように言語明瞭意味不明がいいのだ。
余方が旗色を鮮明にしては踊り手になってしまう。
島国日本は等距離外交が何よりの策だと思う。
以上は私の耳学問による仮説である。


2017年4月10日月曜日

「おススメの映画」


独裁者の行き着く先きは当然のごとく無惨である。
ヒトラー、ムソリー二、チャウシェスク、フセイン、カダフィ、独裁者は死の恐怖に震えそして逃げ回り、最後は味方だった者によって殺される
昨日部下だった者は今日刃を向け、銃口を突きつけ引き金を引く。
独裁者は引きずり出され、逆さに吊るされ民衆の投石によって殺される。

先週末「独裁者と小さな孫」という映画を見た。今年に入って二度目である。
2014シカゴ国際映画祭最優秀作品賞他多数受賞した作品である。
「カンダハール」という名作を生んだ監督モフセン・マフマルバフ監督の最新作だ。
この監督は現在ヨーロッパで亡命生活を続けている。

とある独裁政権に支配される国。ある日クーデターが起こり、老いた独裁者は幼い孫と二人で逃亡をする。
多くの罪なき国民を処刑してきた冷酷な独裁者は変装を繰り返し逃げ回る。
残虐な独裁者も小さな孫から見れば、ただのおじいちゃんなのだ。
二人は衝撃的な結末に向ってひたすら逃げる。世界の映画祭で絶賛されたひとつの寓話である。
純粋でかわいい少年の目は忘れがたき美しさである。
独裁者が孫を守る姿は、どこにでもいるおじいちゃんと孫なのだ。

一人を殺せば殺人犯だが、百万人を殺せば英雄だともいう。

トランプ大統領がシリア爆撃の命令を出した日、反トランプの急先鋒だったCNNはトランプさんあなたは今日アメリカの大統領になったと支持を表明した。

一本100円でこの映画を借りて見ることができる。独裁者の末路に学ぶことは多い。


2017年4月7日金曜日

「銀座のポッキー」




ドカ、ドカ、ドカ、ドカ、ドカ、ドカと乗って来たのは、ひと目で分かる新入社員たちだ。
黒いスーツに白のワイシャツ。新しいバッグ。ネクタイの締め方がなってない。
ドカが六つということは六人であった。
四人は私の前に座り、二人は私の方に座った。長い座席には八人座れる。

午前十一時ちょい過ぎ、朝小学校の入学式に行った後、茅ヶ崎駅から乗っていた。
入学式に知人の市会議員が二人ゲストとして来ていた。
あっ、どうもと二人が寄って来てあいさつをしてくれた。
お子さんですかと言うから、バカ言うな孫だよと言った。市会議員は入園式、入学式、運動会、田植え、イチゴ狩り、老人ホームの慰問、ペットの表彰式、(十三年と十六年が対象)剣道や柔道、空手の大会、地元企業の入社式なんかでは会社の入り口で頭を下げる。
老人カラオケ大会だって行かねばならない。
で、大変だな一回生議員はとなる。

市会議員はギリギリ1600票位で最下位に当選できる。国会議員は雲の上だ。
次も当選するには、人が集まるとこへは何があっても行かねばならない。
かつて選挙中にイボ痔がとてつもなく悪化して激痛となり、緊急イボ痔退治をした初挑戦の男がいたが、力が入らずあえなく落選した。あるマル秘の場所で言葉を交わした。

ハイ、コレと言って私の前の席の新入社員が私の隣の新入社員に、半分食べたポッキーを下からトスした(トスとは野球用語で下からちょっと投げること)。
あっと、ありがとうと言って自分のバックからクロレッツをホイっとトスした。

バカヤロー電車の中で遊んでんじゃねえと思った。
胸章に45thのバッジを付けているから、創業45周年の会社に入ったのだろう。
あとの四人はマンガ雑誌、スマホ、何やらのパンフレット、そしてスマホであった。
入学式に感動していたので私の心はすこぶるおだやかさんであった。

いいね若者は、がんばれ若者よ、お、ポッキーか、銀座の高級クラブでポッキーをバカラのグラスの中に林立させて出て来たら、それだけで5,000円近くは取られるからなと思った。
小ぶりの皿の上に亀田製菓の柿ピー(ピーナッツが20粒位と柿の種が30粒位)でやはり5,000円位、席料、女の子一人のサービスチャージが10,000~15,000円×2人×3人と席については、一杯口をつけて他の席へ。
で、これで数万円。こんな世界とはすっかりお別れしました。

やがて新入社員たちも夜の銀座、赤坂、六本木、西麻布を経験して行くはずだ。
信じられないような美人と、吸い込まれるような魔女と、考えられない悪女とカマトトのあどけない(?)バイトの学生と。修羅場をくぐり抜けて来たド厚化粧のママさんと会うことになる。
新入社員の月給位が、ポッキー、柿ピー、少しばかりの果物と小梅ちゃん。
クラッシュアイスの上のレーズンバターで消えて行く。それでも行け、若者よ。
酒と女性は人生の先生だから。

2017年4月6日木曜日

「余禄」




ゴミ山の中から4320万円が出て来た。それを昨夜のニュースで知った。
ゴミは宝の山だったのだ。

私の知人が解体業をやっている。
この頃はどうか知らないが何度か酒を飲んで話をした時こう言った。
“解体は三日やったらやめられない”と。なぜかと言えば余禄がワンサカあるという。
酒が入ったのでかなり話は盛られていたと思うが、家、屋敷をユンボかなんかでガッタンガタン、ボッコンボコン、バリンバリンにぶっ壊す。建築の真逆の行為だ。
ストレスの解消もしつつ、おっ壁の中から茶封筒が、開けてみるとヘソクリが、あるいわ隠し金が。人間は忘れる生き物である。

バキッバキと壊した地下から壺に入ったビニール袋、その中から宝石やら現金が、安物の下手な絵などが壁にへばりついている。その絵の下にべったりとガムテープで貼られたヘソクリ(?)が。人間は何度もいうが忘れる生き物である。

正直に申告するか、バックレて何日か様子を見て何も言って来なかったら余録にする。
他にも株券とか、公社債券とか、借用証書とかエロ写真とかもあるという。
人間は隠したがる生き物で、何故か地下、壁、天井裏を選ぶ習性がある。
更にこんなの一文にもならないと捨てていった物の中に“なんでも鑑定団”に出品したら、えーっとビックリするような“物”もあるらしい。

たかがたん壺だと思っていたのが、中国の有名な景徳鎮の壺だったり、なんだこりゃ木の破片みたいな物に仏様みたいなのが彫ってあるぜと思ったら、実は円空作だったり(円空は鉛筆位の大きさの木片にも彫った)。
家とかもとは庄屋さんの家なんかの解体は余禄が多いとか。

戦後は食糧不足の超インフレ。
買い出しと言ってお米二十キロ、イモ二袋とダイヤモンドの指輪を交換していた。
空腹を満たすために都会人はリュックサックを背負って農家を訪ねた。
多分いまでも日本中の農家の納屋や蔵には国宝みたいなものがあるはずだ。

もう一度言うが人間は忘れる生き物だ。自分のした事を忘れないでチョーダイ。
解体は一見ただぶっ壊しているようだが、イロイロと難問もあるらしい。

知人は息子さんに後を継がしてすでにこの世を去った。
どこまでホントかどうかは分からない。ダンプの荷台にユンボを乗せて、チワースと手を振る息子と一度話をしてみよう。なんかオモシロイ余禄話はないかと。

何しろ日本には数百兆のタンス預金がある。
4320万は持ち主が三ヶ月中に出てこないと回収業者の入金(?)あるいは売り上げ(?)に計上される。いや落とし物扱いかもしれない。
4320万円あれば映画が作れるんだがと思った。

昨日は椿山荘で将棋の名人戦前夜祭パーティーがあり、友人の写真家から誘われていたが残念ながら間に合わなかった。佐藤天彦名人、人はその姿から“貴族”と言う。

2017年4月5日水曜日

「金平糖と大乱闘」




昨夜十時半ちょい三秒前、銀座の仕事場に戻った。
男私ひとり、女子三人との焼肉を食べる会が終わった後であった。
酔い覚ましをかねて歩いて戻った。
ビール小生とハイボールわずか二杯で少しばかり酔った。

仕事場には15分位で着いた。冷蔵庫を開けてミネラルウォーターでもと思った。
卵入れの穴に何やら先が尖ったものが入った小さな白い紙袋があった。
何だろうと思いそれを見ると「金平糖」であった。
そうか、ずい分前に頂いたのが残っていたのだ。

創業弘化4(1847)年京都でただ一軒、伝統を守り続けた本当の味。
ポルトガルから来た金平糖。
日本でただ一軒、金平糖の専門店「緑寿庵清水」のものであった。
1546年ポルトガル人宣教師が持ってきた。

時は織田信長絶頂時代、新しいもの好きの信長は“コンフェイト”と言ったとか。
同じものをつくれと命じたがいかなる菓子職人たちもつくれなかった。
日本で金平糖がちゃんとつくれるようになったのは信長死後三百年近く経ってからなのだ。

金平糖にはレシピがなく、砂糖の金平糖がつくれる様になるには二十年はかかるという。皇室の引出物は金平糖であるとか。金平糖の物語はなんとも色鮮やかである。
だがなんでトゲトゲしているのかは分からない。

半円形の熱を持った大きな鉄釜の上でイラ粉を核にしグラニュー糖を溶かした蜜を少しずつ振りかけては転がし乾燥させる。熟練の職人が何度もこの工程を繰り返す。
約三日目になるとトゲトゲのイガが出始める。
約八日目にほぼ均一のイガが出揃い、約十四日目に完成すると小さくたたんだ紙に書いてある。

緑寿庵清水は砂糖は結晶しないという常識をくつがえして多種多彩な金平糖をつくるのに成功した。梅、苺、桃、桜、さくらんぼ、トマト、ブルーベリー、涼竹糖、ルビーにマンゴー、すいかにココナッツ、焼栗、丹波黒などなど50種近くの金平糖がある。
和菓子職人は芸術家以上だとつくづく思う。

焼肉を食した後の金平糖はスッキリ爽やか、口の中でイガイガを転がして楽しむ、少しずつ溶けて小さくなった金平糖を舌の先にのっけてさらば金平糖よと飲み込む。
信長は金平糖づくりを命じてつくれなかった家来や菓子職人たちを、ボッコボコにしたらしい。

仕事場の小さなテレビをつけると、復興大臣が新聞記者の質問にアタマに来て、出て行け二度と来るなと怒っていた。
昨年ある式典で名刺を交換したが、すこぶる穏やかな佐賀県出身の人であった。
スポーツコーナーとなるとヤクルトと阪神の選手がグランド上で大乱闘をしていた。

2017年4月4日火曜日

「替え玉とかえ玉」


「替え玉」といって思い浮かぶのは、ヤクザ者の抗争かなんかで相手をブチのめしたり、殺したりした兄貴分のために替え玉となって、自分が殺りましたと自首して出る。
替え玉として刑に服し、男だなオメエはとなり将来を約束される。

警察もよく分かっていて、オメエみてえな男があれほどの事件を起こす訳はネエ、よく根性出して自首して来た、オレたちに厄介をかけずによくやった。
といって特別に“面倒身”といういい待遇をさせてもらう。

兄貴分のために体を替え玉にした美談(?)は、検事の心証もいい、二、三割は刑がスヤくなる(軽くなる)。さらに刑務所に赤落ち(服役する、囚人服は赤かった)すると、全国から服役する極悪人や、極道者もヤクザ者の見本、男の見本だと一目を置いてくれる。この頃は抗争で相手のヤクザ者一人位の殺しでも、下手すりゃ無期懲役とか20年近く刑を打たれる。
かつてはヤクザ者一人の命は1015年位であった。それ故替え玉が出て来ない。
抗争事件の犯人を捕まえられない。そして警察の点数は下がる。


“ヘイ!かえ玉一つどーぞ”なんてラーメンを食べている極太(100キロか92キロ位)の男に、一つ、二つとかえ玉が来る。辻堂駅の前の金太郎ラーメン店だ。
白いスープ、細い刻みネギ、細い麺が人気でよく行列が出来ている。

かえ玉いっちょー、ハイ!いっちょよし、どうぞいっちょうと、三段階に復唱されて、極太男(スポニチを読んでいる)のスープのみになった丼ぶりにかえ玉が投入される。
私は醤油ラーメン派なので日曜日に入ったのが初めてであった。

極太男は麺をズルンズルンとすすりながら、チャーシュー丼というのを追加した。
丼ぶりの中のごはんが見えない位にチャーシューが10枚近くのっている。
その上にしこたまニンニクをのっけてガバガバと食う。
競馬大阪杯の本命キタサンブラック(北島三郎さんの持ち馬)のバカでっかい文字。

ボクもかえ玉と子どもの声、オッ少し席の離れたところにいた、極細の女性と10才位の少年は、極太男の妻子だったのだ。お父さんボク二つだよと言った。
極細の女性はビールの中瓶を飲み餃子を恐い顔をして食べていた。
私の中にある替え玉→任侠の男→義理堅き弟分のイメージがつゆと消えた。
荻窪のラーメン、丸福のかえ玉が見つからない。

2017年4月3日月曜日

「天津甘栗」




年度末三月三十一日金曜日、天気予報は当たり午後から雨、夕方から冷たく強くなる。
傘を持たない主義の私のオーバーコートは、雨に濡れて重くなっていた。
カバンの中にはイロイロ入っていてこれも重い。

午後九時四十二分、小田原行きに間に合ったが、新橋駅ホームは人でギッシリ、あと10分位待てば平塚行きが来るのでそれを待つことにする。
せっかく買ったグリーン券だから座って帰りたい。
そこに構内放送、神田駅線路に人が入っていますので列車が遅れますと。
人とヒトは続々と増える。チキショウツイテネエなと思う。

シネマート新宿の最終回で観て来た韓国映画「哭声」の狂気の二時間半近くが頭に浮かぶ。映画館のフライヤーの棚の中から新作のものを10枚ほどカバンに入れていたので、それを出して読むが頭には入らない。駅のホームは不気味な日本人の顔ばかり。

十数分遅れて平塚行きがずっしりと入って来た。すでにグリーン車内は満杯であった。
座っていても座れなくても、等しくグリーン車代はとられる。
私は左ドア口と右ドア口の真ん中に寄りかかって、フライヤーを読んだ。

ギューギューの横に小太りの男32、3才。
両手に指先の出る手袋、灰色に白ヌキでadidasの文字、髪の毛が多く脂ぎっている。
武田鉄矢さんを丸くしたような男。
TUMIの黒いカバンを下に置き、両足でそれをはさんでカバンから出したのが“天津甘栗”の大きな袋。

斜め目前に役所の係長風51、2才の男、笑うと八重歯の大きな27、8才の女性。
バカヤローな二人は盛んにチュッチュとキスをしている(かなり酔っている)。
メガネの男が黒い傘を手にしていたのだが、それが斜めになって私の足先に触れる。

混んでいる所で天津甘栗をプチッ、プチッと爪で割って口に入れる男、割ったら欠片が下に落ちる。
はじめはいい香りだった天津甘栗も一つ、二つ、三つとプチッ、プチッと続くとイライラして来る。武田鉄矢さん風が私の顔を見た。気のせいか笑って見えた。
足先には傘の先、全然美人じゃない部下(多分)と全然冴えない男。
頭の中には韓国映画のオドロシイ農村のシーンが浮かぶ。

何個入ってんだ天津甘栗は、十、十一、十二、チキショウなんてこったと思いジッと我慢していると、列車がブレーキをかけた。足の先に触っていた傘の先が強く触れた。
それを足で蹴り上げた。何やってんだよと低く恐い声で言った。
ついでに、いつまで食ってんだよ、食べかすちゃんと拾えともっと恐い声で言った。
そのスペースには七人いて下の階段に二人いた。

東海道線のグリーン車はニ階建てで、一階入り口には八人座れるところがある。
列車はかなり徐行運転だった。これでも相当にやさしくなった私だった。
乗客は黙して語らずだ。列車はやっと川崎に。

役所の上司と部下風はズルズルと押し出され、天津甘栗男はカバンの中に天津甘栗をしまいこんだ。川崎駅ホームで待っていた乗客がグイグイ入って来てギューギューとなった。役所の上司と部下風がところ天を押し入れるようにまた乗って来た。
男は黒い傘を胸に抱いていた。

私が足を動かしたら足の下に天津甘栗の欠片があってそれを踏んだ、ガリッと音がして欠片は粉々になった。むかし荻窪駅北口前で天津甘栗を炒めていた後輩を思い出した。
私は実のところ、天津甘栗は嫌いじゃない。
上手に割る方法を後輩から教えてもらっている。

やっとこさ家に帰り、深夜から朝まで新作「SCOOP」と「ミュージアム」「聖の青春」の三本を見た(新作レンタルは二泊三日)。それについては後日。

2017年3月31日金曜日

「原宿ロール」




「原宿ロール」がいいんじゃないですか、と教えてくれたのはタクシーの運転手さんだった。仕事をさせてもらっている代田橋の会社まで向かっていた。

青山通りから表参道に入った時、お土産を買ってないなと思った。
運転手さん悪いけどなんかお菓子屋さんかなんかあったら止めてよと言ったら、ゴッツイ顔からやさしい声で原宿ロールを教えられたのだ。
で、着いた店は「コロンバン」であった。店内は若い女性で満員であった。
午後四時三十分頃である。

私の前に三人組と二人組の若い女性がお菓子ケースの前に並んでいた。
ケースの下段に宮内庁御用達原宿ロールとPOPがあった。
独特のハチミツと生クリームが人気らしい。
直径8センチ位、長さ12センチ位が一本1080円であった。それを四本買った。
一本ずつ白い箱に入れてくれた。
そしてその箱の上に保冷剤を長く切ったセロテープで貼り付けてくれた。

私は辛党なので生クリーム系は年に11回しか食べない、それも少々。
10回は家族の誕生日、後一回はクリスマスだ。
運転手さんありがとよ、かなり旨そうだよ。原宿ロールは人気なんですよと言った。

二時間位アレコレみんなと打ち合わせ後、社長さんと食事でもと思っていたが、原宿ロールを太く切って食べたのでおなかが一杯となった。
社員の方々が旨かった、美味しかったと言ってくれた。男女共に人気であった。
ちょっと珈琲でもとなり、社長さんと小一時間話をして四ツ谷駅へ。
四谷から東京→辻堂と乗り継いで帰った。

八時四十五分頃に着くと腹が減っていた。
駅のホームからおでんの赤ちょうちんをよく見ていた。
線路ぞいの店でいつか入りたいと思っていたので店に向かった。
アタマの中は日本酒とおでんになっていた。
初めて入るのでかなり古くなったスライド式の扉をゆっくり開けた。
おっ小さい、おっおでんだ、おっ満員だであった。
五人位しか入れないカウンターだけの店だった。残念ながら常連さん風ばかりだった。
仕方ない帰るかとなった。
家に帰りブリの塩焼きと、ハンバーグ、しらすおろしを食べた。


東京新聞の夕刊に好きなコラム「大波小波」というのがある。
お茶を飲みながら読んだ。村上春樹の新作がらみのことをちゃんと書いていたので原文のママ書く。
「発売日の発行部数が百三十万部。待ちに待たれた『騎士団長殺し』は、社会現象になるほどの反響かと思っていたら、どこの書店へ行っても店頭に売れ残りが高く積まれている。予約部数の多さからして当然ベストセラーにはなったものの、読者のツイッターや各紙に出た批評家たちのコメントには、さほどの熱がない。
主人公が山の家に籠もって絵を描くばかりで、行動範囲が極端に狭い今回の作品は、いかにも村上春樹らしいと言えばそうだが、どこか昔の作風に逆戻りしたようで、大胆さや新鮮さには乏しい。東北の港町や東日本大震災は書かれるが、原発事故への記述が全くない。期待が大きすぎただけに、肩透かし感が残る。
出版社頼みの綱のハルキ特需も、ぼちぼち限界なのではなかろうか。今回の発行部数は読者の熱意よりもスマホでの宣伝まで駆使したセールス主導のバブリーな数字である。
呆れて背を向ける人口が逆に増えた気がする。あとに残るのが返本の山にならなければいいのだが。金の卵を産むガチョウも不死身ではない。いっそ商業的に失敗し、お祭り騒ぎから開放され、誠実な読者だけを相手に書けるようになればいい、と作者は望んでいるのではないか。穏やかな老後を送らせてあげたい。(イデア)」
コラムのキャッチフレーズは“ハルキ特需は限界?”であった。

セックスレス夫婦には受けているらしい。何!ヤッテルってか、ならば買うことはないかも。ラストシーンが衝撃的映像の「草原の実験」を又借りて来ていたので午前二時二十分五十八秒から見始めた。セリフは一切ない。
映画を志す人は必ず見てほしい。天才中野裕之監督も絶賛している。いい週末を。

2017年3月30日木曜日

「マタギの教え」




「マタギ奇談」工藤隆雄著、山と渓谷社。
「天は我を見捨てた」と北大路欣也が猛吹雪の中で叫んだ。
大ヒット作「八甲田山」のシーンだ。

私はマタギの話や、柳田国男の山の話とか、折口信夫の本とかをホンノ少しばかり読む。マタギ奇談にはこんな話が書いてある。

1902年(明治35年)歩兵青森第五連隊2010人が青森市南方にそびえる八甲田山に入り、199人が凍死した大事件だ。
当時、日本は日清戦争が終わり、近い将来ロシアとの戦争を始めようと目論んでいた。そのために雪中行司軍の訓練を各隊がしていた。
マタギたちはこんなときに八甲田山に入るのは危険だ、中止すべきと言ったが、なんのこれしきの雪、我々は雪と戦っているのではない、ロシアと戦っているのだと言って、無謀な行軍を進めた。

マタギの指示を聞き入れ生き残るための方策をした弘前隊は助かり、マタギの意見を聞き入れなかった青森隊は強行をし全滅した。軍はこのことを秘密にする様にした。
マタギたち案内人に八甲田山中のことをしゃべったら牢獄行きだと口止めした。
生き残ったマタギたちは凍傷で手と足の指を落とした。が村や国の補償はなかった。
凍傷が原因で廃人になったり、若くして死んだ。

北大路欣也は青森隊、高倉健が弘前隊であった。
この事件を後年時事新報社の記者であった、小笠原孤酒(本名広治)が丹念に調べ自費出版をした。1970年である。「八甲田連峰吹雪の惨劇」全五巻。
それを読んだ新田次郎が更に調べ1971年「八甲田山死の彷徨」という小説にしてしまってベストセラーとなった。小笠原孤酒はこのことに愕然とした。

高校生たちが雪崩に遭って多数死んでしまった。実に悲惨だ。
マタギたちを指導者の中に入れておいたら助かっただろうにと思った。
高校生の雪山の訓練は絶対に止めなければならない。山は恐いのだ。
インタビューを受けていた教育者には危機感が全くなかった。

2017年3月29日水曜日

「便利の先」




待つ時間のない時代。便利といえば確かに便利である。
朝アマゾンというのに本を頼んでもらうと早ければ夜に、遅くとも次の朝には届く。
書店に行って取り寄せを頼んで、本が入りましたの電話が4、5日後あって、ハイありがとう取りに行きますがフツーであった。
川上書店に行って本に出会って、近所の喫茶店かなんかに入って、珈琲でも飲みながらパラパラとめくる。一つの楽しみであった。

フィルム使用のカメラでパチパチと花やら海やら、孫たちを撮ってカメラのキタムラに行く。かつては二日後に出来上がるのでそれを取りに行くのが楽しみだった。
ママチャリに乗ってリンリンさせながら何度も何度も通ったが、カメラのキタムラは閉店した。デジタルカメラ時代、フィルム利用がなくなったのが主なる原因(?)で不採算店は整理された。

もしもし魚昌ですが、いい干物が2日後に入りますと電話が入る。
あっ、そういいね、取りに行くからと大好物のアジやサンマやカマスの干物の夢を見て、徒歩約10分位のところに取りに行ったもんだが、魚昌は店を閉めた。
お取り寄せ便に電話をすると次の日に届く。
白いアツアツのご飯の前にジュウジュウするアジの干物の夢を見る間もない。
何しろなんでも早いのだ。

もしもしハイ今出ますと電話の声、だが料理は未だ出来ていない。
中華料理店の出前だ。すぐ着きますと言ってすぐ着かず、十五分、三十分待つのをそば屋の出前と言った。腹がペコペコになった人間はイライラする。
ヤサイイタメとギョーザとライスとかを頼んで仕事をしていると、頭の中はギョーザライスになってしまう。
頼んだ上司は部下にオイ電話しろ、どうせそば屋の出前だから未だ作ってないんだろう、早くしろ、早く!なんてことになる。

私の好きな銀座菊凰は今でも出前をしている。私がいる間何本か電話が入る。
ハーイ今出ましたと応える。そして厨房に向かって出来たと聞く。
相変わらずだねと言えば、出前はねえ仕方ないの、待って頂くほど美味しいんだもんねえ、二人の女性は顔を合わせる。
もしもしハイハイ、マーボー丼にチャーハン、レバニラライスにギョーザ三人前ですね、すぐ行きまーす、となり昼の菊凰は忙しいのだ。

デートとは待つことなりと言ったのは、女性にモテる男だった。
約束の時間より小一時間早く行って待つ時間を楽しむんだと言った。
どんな服着て来るかなとか、どんな靴とか、どんなヘアースタイルとかをイメージする。マメな男がモテると言うがとにかくマメな男であった。
デートに遅刻は禁物らしい。私にはデートしたという感覚的記憶がない。
全然マメでなかったのだ。動物的行動をした記憶はある。便利の先には何もない。
アイルランドの若者は映画の中でそう言った。