遠くは八ツ墓村の大量殺人。
河内の十人斬り、近くでは、秋葉原の無差別殺人。障害者施設での大惨殺。
昨日は二十六歳の男が、祖父や祖母、ご近々の方々を誰でもいいからと包丁で刺しまくった。
大久保清や宮崎勤、宅間守などという変質者による事件とは違う。
集落の人間にシカトされて火を放ち焼き殺したのとも違う。
きっと被害妄想である。
警察や検察はややこしいことは嫌いなので、アタマが狂ったで処理してオシマイだ。
がこの種の事件の根は深い。
風習と因果が生きている。
告げ口、陰口、噂話、作り話、罠にかける話、(現代社会の中に脈々とある)そして差別だ。
別に殺人犯のカタを持つのではない。
我々人間は大なり小なりこの陰湿な部分を持っている。
無知の人間はずっと無知ではなくてはならず、差別すべき人間は差別する。
ててなし子は汚く侮辱され、他所者に体を許した女は男のなぐさみものとなる。
ずっとずっと我慢してきたんだ。
この積み重ねを持った人間が、ある日、ある時にブチッとアタマが切れて狂気の桜が満開となる。
正気をなくした人間の思考回路は一直線となる。
ずっと我慢してきたんだ今日こそぶっ殺してやると。
過日一人の女医と話をした。メンタルクリニックのカウンセラーである。
私は友人の付き添いであった。
女医は言った。
子どものトラウマの殆どは母親にあると。
ガミガミ理由もなくウルサイ。
小さなことまで厳しく躾ける。長所をほめず短所ばかりをみつけては怒りまくる。
自分のコンプレックスを子どもに押しつける。子どもは母親ばかりを気にする。
これを“母原病”つまり母親の病気という。
極度のキレイ好き、極度の几帳面、極度の躾、子どもは息が詰まりやがて異形の行動者となる。
高度に進んだデジタル社会は人間性を奪い取って行く。
マサカウチの子がと思う事態に明日遭うかも知れない。
母原病の裏返しは父親の存在感の消滅でもある。
天才中野裕之監督とつくった。
「非行対策110行の忠告」30分の短篇でナレーションに桃井かおりさんを起用したすばらしいDVDもある。
浅葉克己先生に110字を書いていただいた「グレる。グレそう。グレたら。」の拙書もある。
ご連絡あれば無料でお送りします。孫や子に殺されないうちに読んで見て下さい。