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2017年9月1日金曜日

「純文学(?)」

ヒモは三日やったらやめられない。
純文学が低迷しているという。
中でも私小説は作家がでない。
WHY何故か(?)どうしようもない男がいなくなったからだ。
特に小説家を志すヒモ(ジゴロ)がいなくなった。
すべてに「だらしない男」しか私小説は書けない。
文学は「大衆小説(中間小説)歴史、冒険、剣豪、エロ、変態、山岳、紀行」など本の数だけある。
が、純文学という文学に「純」がのかっているのは私小説だ。
実は純文学→私小説は誰にでも書ける。取材も資料もいらない。
原稿用紙と筆記具があればOKだ。
何しろ自分のことを書けばいい、あるいは自分が見たもの聞いたものを書けばいいのだ。
よく小説にはモデルがいるというが、私小説は自分がモデルだ。
主人公(つまり私)が、どうしようもないほどいい作品になる。
そこでヒモの登場だ。
女性にだらしなく、
金にだらしなく、約束事にだらしない。
この“三大だらしなさ”があれば私小説は生まれる。
文学作法なんて関係ない。
文法なんてジャマなだけだ。
例えば、朝起きた金がほしい、金がほしい、金がほしいをずっと原稿用紙に書く(10枚くらい)次に女を抱きたい、女を抱きたい、女を抱きたいをずーっと10枚位書く。
めんどくさい、めんどくさい、めんどくさいを10枚位書く。
腹が減った、腹が減った、腹が減ったを10枚位。
そこに暴力性が現れ、隣りに眠っている女性を売り飛ばすことを単純に考える。
いきなり蹴り飛ばして起して脅す、そして突然泣き出し、土下座し、書けないんだ、駄目だ、一緒に死んでくれ、もう駄目だと芝居をする。
やさしい女性は顔にアザをつくりながら、私をどこへでも売って、私が一生懸命稼ぐから、あなたは小説を書いて、今これしかないけどと言ってサイフから28,560円を出す。
ヒモはそれを手にしてまず560円でグイと酒を飲み、塩豆をかじる。
酒臭い体でバスに乗り場外馬券場(車券もある)に行き予想紙ダービーとか競馬エイトを買う黒競、青競の場合もある。
チビッた赤鉛筆をもらい耳にはさみコンクリートの上にベタッと座る。
手にした28,000円はバス代を払って27,680円になっている。
予想紙代と共に買った串カツと缶ビールで26,000円になっている。そこいらまでの風景や感情の動き、目にした人間やその周辺をメモしておく。
(記憶する)第一レースから第九レースまでカスリもしない。
途中でワンカップの酒を買い、フランクフルトソーセージとハムカツを買う。
残金は830円位しかない。
第十レースをどうするか予想紙はすでにクシャクシャである。
あいつを売ればいいんだ。
どうしようもない男は500円を手にして売ろうと思っている同居人の女性の誕生日3月8日にちなんで3-8を5枚買った。こんな生活をする人の中から私小説が生まれる。
スッテンテンのオケラになって安アパートの一室に帰ると、ナイフで手首を切った女性が赤い血の中で死にそうになっている。
この時どういう言葉でどう描写するか、これで私小説の出来不出来が決まる。
だが、私小説はここから始まる。

エイミー・ワインハウスはグデングデンに酔いながら、♪~恋は勝ち目のないレースと唄った。

2017年8月31日木曜日

「私小説エイミー・ワインハウス」

2011723日、ロンドンのとある所で一人の女性の死体が発見された。
エイミー・ワインハウスであった。
このステキな名を持つ女性は父はタクシーの運転手さん、母は薬剤師というユダヤ人であった。
死体の側には空っぽになったウォッカの瓶が二つ転がっていたという。

私の最も好きな、最も共感する、最もミュージシャンとしての生き方を認める女性であった。
エイミー・ワインハウスは18歳にして人生のすべてを体験したような作詞をし作曲した。恋、愛、ドラッグ、アルコール、入院、退院、そして隔離、そしてまたドラッグとアルコール。
結婚、離婚を繰り返す中でグラミー賞5部門を受賞。
ドラッグに犯された、そのうす汚れたハスキーな声、自分の体験を詞にして唄った。
私小説的世界、天才がもつ宿命的な人生の落差と落伍、転落、破滅、そして切れぎれの愛、わずか27年の生涯は凡庸な女性の300年分位の否それ以上の愛を追う人生だった。
昨夜アカデミードキュメンタリー賞を受賞した、エイミー・ワインハウスの映画を見た。
例えていうならば女たらしのウソつきクスリ好きの太宰治。
ウソばかりついて借金を重ねた石川啄木。
ウソを重ねて妻を狂わした島尾敏雄。
それらをミキサーに入れて、愛憎まみれの林芙美子を加える。
又は与謝野晶子。
藤圭子のような歌い方で自らの人生をジャジーに唄った。
そんな深い味がある。

エイミー・ワインハウスをぜひ一曲お聴きあれ。

男ってなんだろうとエイミーは唄う。
グラマラスな肉体は骨と皮になりボロボロとなる。
何人もの男に抱かれたが、愛していたのはスケコマシ、救いようもないドラッグ中毒の初恋(?)の男だった。
深夜いつものグラスにジンを入れて、エイミー・ワインハウスを聴く。
人生とは血である。レディー・ガガは、エイミー・ワインハウスをリスペクトし、そのヘアスタイルを真似た。1960年代に流行った、ビーハイブヘアである。

2017年8月30日水曜日

「釣れたものは」


近々私は重大なことを実行する。
と言ってもブッソウなことではない。

私たちの会社の顧問をお願いしている人は、日本で有名なヨットマンである。
又大きなクルーザーを友人たちと共同で所有している。
年に何回か日本列島を回る航海に出る。
そして寄港した地から海産物を送ってくれる。
先日新島から名物「くさや」が五枚送られて来た。
いつもは送っていただいたものをすぐに食して礼状を出していた。

くさやは大好物で酒の友としても絶品だ。特に新島産とくれば多分言うことなしだろう。
多分と書くから実は未だ食してない。
私の住む小さな家の小さな台所にある換気扇は、お隣さんの二階の窓のすぐ側にある。
お隣さんは坂の下にあるので私の家の一階はお隣りさんの二階にあたる。
ということはくさやを焼いてその強烈な臭いが、ブルブル回る換気扇からジャンジャンお隣さんの家に送り込まれる。
ひょっとすると、くさや殺人事件(?)みたいなことが起きるやも知れない。
あるいはお隣さんの家の高価な家具やカーテン、又衣類などにくさやの臭いがしみこんでしまうかも知れない。
だが航海途中にわざわざ送ってくれたものを食さなければ申し訳ない。
私の家は坂の中間にあるからくさやの臭いは下へ下へと風と共に下って、ご近所さんから追放されるか、リンチにかけられるかも知れない。

そこで考えた。
近々海岸に持って行って七輪で焼いて酒と一緒に食そうと。
投げ釣りをしていたらくさやが釣れてしまったことにしようと。
最近投げ釣りをしても何も釣れないと、釣り好きの人がいっていたが、くさやを釣り針につけて投げれば100%釣れる。ヨシ!これで行こうと思っている。
くさや食べた(?)と顧問の方が航海から帰って私に声をかけてくれた。
いやあぁ、そのぉ~とムニャムニャした。もう絶対買ってくるなって奥さんに言われたらしい。
洋風の美しい館でくさやを焼いたようだ。
上質のくさやは高価で“抜群絶品美味”で、どぶろく、焼酎、ビール、日本酒、ワイン、ウィスキー、ウォッカ、ジン、どんな酒とも相性がいいのだ。
私は必ず実行するので、後日ことのてんまつをご報告する。海岸でイチャイチャする奴の側で焼いてやる。昨夜釣り竿とリールを用意した。
人の恋路をじゃまする奴は犬に食われて死んじまえと言う。
そうそうでっかい団扇も用意した。バタバタと臭いを散らすために。

2017年8月29日火曜日

「サイテーの無印良品」

二度と買うか無印良品そう思っている。
WHY何故か、先日知人の親戚がホテルをリニューアルオープンした。
そこへ招待されたので何か気の利いた服でもと思い茅ヶ崎駅ビルの中にある無印良品の店に入った。

私は買い物には数分しかかけない。
大の買い物嫌いである。
そのために大失敗を何度もしてきた。
シャツ、スラックス(ズボンともいう)靴、この三点セットの予算は一万円以内と決めていた。
夏と言えば爽やかコットンと思いまず群青色のスラックスを決めた(目茶使い勝手が悪い)私はフィッティングをしない。
ベルト式なのに何故かギザギザベルトが付いていた。
つまりベルトを利用したら、ギザギザベルトは無用なのだ。
次に丸首の長袖シャツ、ポンチョみたいでいいと思い買ったら、これがとんでもない。
ボタンが左肩部分についていた。
右手でそれをちゃんとボタン入れに入れるのがひと苦労、なかなか入らない。
しまいには首がつってしまった。面倒くさいと思いボタンをいれなかったら、すこぶる変であった。
仕方なくボタン入れのところに左手をあてがったが左手もつってしまった。
裸足で快適と説明されて買ったデッキシューズはサイテーであった。
裸足ではくと脱いだ時に中敷がベタッと足にへばりついてくる。基本的ミス商品だ一万円で1800円位がおつりできたが、無印良品はもう絶対に買わない。

機能性ゼロ、きっと無能なデザイナーがつくったのだろう。
丸首シャツは暑さに不向きで、まるで減量をするボクサーが身につけるシャツと同じで汗びっしょりだ。
通気性はほぼゼロである。
どうして無印良品が売れているのか私にはわからない。
はじめて買って悪品計画会社だということがよく分かった。

有名デザイナーが参加しているのを知っているが、バカヤローテメエーが着て見ろと言いたい。
任侠山口組だってちゃんと記者会見しているんだから、いいかげんな親方は許せないと。
良品計画の責任者よちゃんと記者会見をしろといいたい。



2017年8月28日月曜日

「デンジャラス」

日本文学史上もっとも貪欲で危険な文豪・谷崎潤一郎。
人間の深淵を見つめ続ける桐野夏生が燃えさかる作家の「業」に焦点をあて、新たな小説へと昇華させる。
君臨する男。寵愛される女たち。
文豪が築き上げた理想の〈家族帝国〉と、そこで繰り広げられる四角関係ーー。
このドロドロした本の腰巻きを読み、左足と右足を順番に投げ出した。
たまには本でも読むべぇかと。
とその時ここ数日左足の五本指と足の外側並びに甲の部分が江戸むらさき色に変色を強めているのに気づいた。
一週間ほど前に銀座の仕事場にある木製のテーブルの角に弁慶の泣きどころをしたたかに打っていた。
休日出社して宛名書きやハンカチ袋詰めなどというボランティアをしていた時だった。
痛え~と飛び上がったが八つ当りする相手もいずのままにし、出張に備えて企画書書きなどもした。
左足はズキンズキンしていた。
私はズキズキ感は全然嫌いではない。
が変色が続き広がるのは好きではない。
何しろ美しくない。
土曜日鍼灸の達人がこりゃなんだといいつつ、打撲の皮下出血の下に下にと下がりますと言った。
OH!YESその通りであると放っておいた。
昨夜十時半を過ぎるとOH!NOみたいに変色した。
愚妻がやれ市立病院だ、徳洲会だと救急の番号をメモして渡した。
そうかたまには救急も悪くないか。

知り合いのタクシー会社に私がごひいきにしている運転手さんいると聞いたらいますと言った。
そんで行ってみるかとなり、デンジャラスをひとまず閉じて、保険証と診察券を用意した。
♪~咲いて流れて散って行く今じゃ私も涙の花よ、どこにこぼした誠の涙探したいのよ、銀座、赤坂、六本木…。
運転手さんは私の好きな歌をたくさん編集してくれている。
森進一のヒットメロディーを聞き終り、救急コーナーの扉を開けて入った。
受付番号49、一階101号室の前の薄緑色の椅子に座った。

その左隣に生後二ヶ月という赤ちゃんを抱いた三十四・五歳のパパ。
ママは上の子がいるので来てませんとナースに言った。
オッパイをほしがっているみたいですね。
フンギャー、フンギャー、フンギャーと赤ちゃんは泣きじゃくり、小さな手を、小さな足を大きく、グニャグニャと動かした。
パパはよしよしと抱き続けていた。
ナースが吸入しますので中へと言った。
泣いていても吸入はされますから大丈夫ですよと言った。

と同じくバタバタと動きが激しくなり救急車の中から四十二・三歳の夫婦に見守られた救急ベットが第一CT室に搬入された。
顔の部分は赤い四角いマットで固定されて見えない。
ただ白髪が見えた。医師三人とナースがCT室の中に入った。
病院の中では携帯は禁止のはずだが、ご主人の方が「二階から降りるところの踊り場から下に向ってズルズルすべり落ちてさぁ、最後の三段目位のとこで顔が前に向い下に向って落ちて気を失ったみたいなんだよねぇ、え、高くない高くない三段目位だし。

救急の手続きをする時に救急車が来たら最優先しますからご了承しておいて下さい。
と言われていた。

勿論了解、病院の時計は大きい。秒針は午後十一時二十七秒から八秒を通り過ぎた。
早く家に帰って「四角関係」を読みたいと思った。

ちなみに、男から危険の臭いが消え、あの人はやさしいからとか、いい人だからと言われていたら、それは男のおしまい。

2017年8月25日金曜日

「今日のこと」

午前二時四十五分帰宅。
午前三時十五分ガブガブと酒を飲み、目覚まし時間をセット、直ぐ起きれるために床に毛布を一枚長方形に畳んで横になる。
小田急発午前七時〇四分発、午前八時十八分名古屋着を目指すために茅ヶ崎発六時十五分に間に合わせる。
で結局ウトウトしただけでシャワーを浴びて家を出た。
朝はとにかく苦手だ。
「睡眠負債」がたっぷりとたまっていく。

小田原駅で缶ビールを飲んだら頭がスキッとした。
ある会社のプロジェクトの全体会議が九時半にスタートする。
相棒とは名古屋のホームで待ち合わせていた。
長年の経験で徹夜したままで大事な会議に挑んだほうが、頭がハイな状態になり不気味なほどいいプレゼンテーションができる。
ぐっすりとたっぷりしたあとでは緊張感がなくなってしまうのだろう。
三時間の会議が終わって感想を聞くと満点に近いと言われた。
と同時にドドドッとネムたくなった。
ビールで乾杯!ウマイ!暑いムシ暑い、「太陽にほえろ!」というスゴイ題名の人気番組があったのを思い出し、アヂィアヂィいいかげんにしろーーーと太陽に向ってほえたくなった。

新横浜から東神奈川駅に向っていた時、右斜め前に全身コムデギャルソン風の黒の服、黒い厚底の靴のこじんまりしたステキな女性がパラパラっと新聞を読んでいた。
なぁんだ“加賀まりこ”さんだった。
やっぱりセンスが全然違う。
篠田正浩監督の代表作「乾いた花」を思い出した。
映画は港ヨコハマが舞台であった。東神奈川駅から横浜駅に出て東海道線に乗った。

ホームに立っていると、人間はどうやったらこんなに太れるのかと思う四十代前半の女性が汗びしょびしょになりながらガリガリ君を口に入れていた。マツコデラックスよりも太っていた。
スーパーデラックスの女性と共に列車に乗った。席に座ると、グィーーーンと吸い込まれるように眠気が襲って来た。

2017年8月24日木曜日

「好きな道を」

目玉をギョロリとさせながら、ある総理大臣が、ある年帰郷した。
ある学校の同窓会にチョビッと出席したことがある。
秘書やら地元の支持者、多勢のSP(警護員)に守られながら総理大臣は恩師の前に出た。
ああ君か、君は○×だな。
運動神経はまるでダメだったが勉強が少しはできたな、ワッハハハ、総理大臣は頭を下げ先生お元気で何よりです。
そんなことを言った。
同窓生たちは相手が総理大臣だろうと中学時代は関係ない。
総理大臣をオイ○×、とかヨオ○×とか、オマエ人相悪くなったなぁと言って一同大笑いをする。オマエ♡♡ちゃんが好きだったんだよなぁと茶化す。
フラれたんだよコイツ、ガリ勉だったから全然モテなかったよなぁと笑い小突く。SPは顔をしかめて固まり、秘書は苦笑いする。(かなり話はつくっている)クラス会とか同窓会に上下はない。
八百屋のリンゴちゃんも、肉屋のギューちゃんも乾物屋のカンちゃんも同等だ。

昨夜赤坂飯店でそんな友だちと割り勘で食事をした。
不定期だが年に二、三回会う。
超人井上嗣也氏、作家吉村喜彦夫婦、そして中学のクラスメイトであり兄弟分の友。
暴力について、文学について、ヤクザとケンカについて。
映画論からマーボー豆腐論まで話は楽しさランランと続いた。
仮にこの席に総理大臣になった男が、ヨオ久し振りと現れても、オオ来たかつまんないモテない男で終わったであろう。
人間に肩書きなんて関係ない。
例えば総理大臣と乾物屋は五分と五分なのだ。
ノーベル賞受賞者だろうと宇宙飛行士だろうと、八百屋のリンゴちゃんから見れば、ワタシ大嫌いだったと言われるのだ。
肩書きで得をするのは、変わる度につくり変える印刷屋さんだけなのだ。
就活に苦しんでいる若者よ、決して肩書きを追うなかれだ。
東大の法学部を出てたった一人の会社に入社した男もいる。
クルマが大好きで修理工になった。現在生死は定かではない。
私はアタマがいいから将棋差しになり、兄貴はアタマが悪いから東大に行った。
そう言った元名人の言葉を思い出す。
有名大学を出ても正社員になれない時代である。
「大学は出たけれど」そんな映画があった。
この国に滅びの笛が吹いている。
若者に機会を与えないからだ。
悲しいかなだ。

来週一人のヒトと会う。

就活苦戦中の子を持つ親へ。
子どもを余り追い込むな、正社員なんかならなくても、人生の選択肢はナンボである。
農業、林業、漁業、名人、達人、職人の弟子の方が……。自分の好きな道へ向うのがいちばんなのだ。

2017年8月23日水曜日

「闇市今昔」

1945年日本は戦後の始まりであった。
何もなくなった東京に実は金、銀、財宝が数兆円以上隠されていた。
食料である米、麦、味噌、砂糖、塩、醤油など国民が2年間生きて行けるものが隠されていた。
魚も肉も野菜も隠されていた。
布団に毛布、衣料類も隠されていた。
誰が隠していたか、軍人、官僚、国家である。
マッカーサーと共に進駐軍が日本に来て没収した。
その没収した物資は闇市に流れた。
進駐軍の性欲を満たすために、特殊慰安施設が生まれた。
女性たちは家族を守るため、弟や妹を空腹から守るため体を売った。
特殊婦人といわれた。そして夥しい数の私生児が生まれた。
終戦は政治家、資本家、旧軍人やヤクザの金もうけの戦いの始まりであった。
進駐軍のためにキャバレーやダンスホールが誕生した。
クラッシックをやっていた音楽家たちは食べるためにジャズを始めた。
ヒロポン中毒が大量に生まれた。軍のために賭博場が生まれた。
闇市で大もうけしたものから現在一流企業として名を成している多くの企業が生まれた。
♪~東京ブギウギこころウキウキワクワクと唄われた。
旧軍人たちは進駐軍のスパイとなって命乞いをした。
東京の闇社会では中国人の伝説の大ボス「王長徳」が君臨した。
新橋、渋谷、新宿、池袋、闇市の利権を巡って戦勝国民(台湾、中国、朝鮮)と日本人との間で血みどろの戦いが生まれ、その中から博徒、的屋の親分が生まれた。
又組織を嫌う戦闘集団愚連隊の芽が生まれた。
進駐軍のための、進駐軍支配が実は現在の日本にそのまま生きている。
かつて空腹には耐えられない国民は皇后前で食糧メーデーを起こした。その数20数万人。
その裏で闇市成金は満腹感を味わっていた。
北朝鮮から核攻撃があるとジャッキを入れる(あおること、空気を入れること)アメリカ、日本を守ってやるから武器を買えとなり、又軍事費は増大された。
年金、医療、福祉、教育予算は武器に化けてしまった。

私の住む茅ヶ崎を選挙区にする河野太郎があろうことか国家の外交を仕切る外務大臣となった。
茅ヶ崎はまったく発展せず、相変わらずサザンビーチと加山雄三通り、サザンオールスターズである。
河野太郎が何かしたという話はない。(父親への生体肝移植という美談はある)
変人といわれている。
昨夜夕刊を読んでいて終戦後とちっとも変わってないと思った。
日本はアメリカに永遠にNO!と言えない国なのだ。
我々零細企業はずっと生きるか死ぬかの戦いの中にいる。
気がつくと公務員の給料はしっかりと上がっている。
♪~東京ブギウギこころウキウキワクワクではないのだ。
バカヤローと叫びながら落花生を口に入れいつものグラスに焼け酒をドボッと注いだ。
今世界の闇市は中国のボスが君臨している。
河野太郎何かせよ、歴史に名を残せ頼むぞよ。

(文中敬称略)

写真はイメージです。

2017年8月22日火曜日

ほぐし瓶詰め(?)

紳士はすでに朝日新聞の朝刊を読み終え、かなりクチャクチャに畳んで脇の空席に置いてあった。

「原発立地首長6% 周辺53%」の大見出しがあった。
その右にスミアミ80%位に文字白ヌキで、再稼働同意「立地以外も必要」と中見出しがあった。

昨日のことである。
辻堂発九時三十七分古河行。
四人掛けは私と紳士だけ。
対面(トイメン)となった紳士は六十七・八歳。
キチンとサマースーツを着ていた。チャコールグレーであった。
ノーネクタイだがYシャツの素材はかなり上質であった。胸ポケットに白いハンカチーフがあった。
靴はリガールみたいで薄茶色でよく磨かれていた。
新聞をキチンと畳んでないのが気になった。
やけにでかいおにぎりを食べていた。
きっと愛妻の手づくりと思われる。フツーサイズの1.5倍はあった。
私が乗車して座った時は2分の1位を食べ終えていた。全身真っ黒のノリがメシを包んでいた。
中身はほぐしカツオか、ほぐしマグロだろうか。
銀座和光のほぐしシャケの瓶詰めだと小さな瓶詰めで一つ1500円位はする。
小さな緑色の粒々は山椒だろうか(?)粒々というからには食べるほどにボロボロと落ちる。
紳士は東京を向いており、私はその逆を向いている。ボロボロを気にしている。
な、なんと右脇おしり近辺から小さく光るものを右手で掴んで出した。
おにぎりは左手に移された。移動時にボロボロとほぐしが落ちた。
右手に持ったのはモダンなデザインの魔法瓶だった。
左右の足のモモでしっかりはさんでおにぎりを口にくわえ、空いた両手で丸いフタをクルクルと回して外した。
そのフタを窓の横の部分に置いて、魔法瓶から味噌汁を注いだではないか。
私の隣りの四人掛けには一人の大学生らしき男と、五十四・五歳のご婦人が座っていた。
プーンとワカメと味噌の香りがした。
私は新聞を広げていたのだが香りに驚いて顔半分以上を新聞から出した。
再び左手に持ったおにぎりはあと少しで食べ終わりそうだ。
こんな時フツーの人はじっと黙っているのだが、私はたいがい声をかける。
旨い!いいニオイだけど、おにぎりでっかいね。
紳士はニコッと笑った。
歯に黒いノリがついていればよかったのにと思ったが残念ながらついてなかった。
紳士が大きなシャックリをしたのは大船駅を発車した時だった(注)。
紳士とは紳士風の略である。

2017年8月21日月曜日

「正々堂々と…」

北海道には知人がいて農業をしている。
青森には知人がいて陶芸家をしている。
岩手には友人がいてBarのママをしている。
秋田には親戚がいて医院をしている。
山形には友人がいて画家をしている。
福島には知人がいて住職をしている。
宮城には知人がいて出版社をしている。
新潟には友人がいて農業をしている。
群馬には知人がいて格闘家をしている。
栃木には知人がいて陶芸家をしている。
山梨には友人がいて文筆業をしている。
千葉には娘家族がいる。神奈川には私が住んでいる。
長野には仕事仲間がいる(佐久平から通っている)
富山には知人がいて政治家をしている。
岐阜には友人がいて広告制作をしている。
静岡には友人がいて建設業をしている。
愛知には友人がいて写真家をしている。
福井には友人がいて眼鏡の製造をしている。
滋賀には知人がいて郷土史家をしている。
京都は私の兄弟分の出身地。
宮崎には友人がいて酪農家をしている。
大阪には後輩がいてタクシーの運転手をしている。
兵庫には知人がいて漁師をやっている。
和歌山には知人がいて弁護士をしている。
鳥取には友人がいて写真家をやっている。
島根には友人がいて政治家をしている。
山口には友人がいて病気によるリハビリをしている。
徳島には友人がいて観光業をやっている。
愛媛には後輩がいてデザイナーをしている。
香川には知人がいてコマーシャルをつくっている。
高知には友人がいて刑事をしている。
岡山は私の出身地。福岡には後輩がいて広告をつくっている。
大分には友人がいて旅行のガイドをしている。
佐賀は私の体のメンテナンスしてくれる先生の出身地。
長崎には後輩がいて職業不詳。熊本には知人がいて雑誌記者(?)
鹿児島には知人がいてゴルフをしている。
沖縄には友人がいてホテル経営。

時間が許す限り、甲子園大会を見る。
北から南さぁどこを応援するかと迷う。
それぞれの県にそれぞれ思い出深い人、お世話になった人。
郷土愛強き友人、後輩たちの顔が目に浮かぶ。

ここに書かなかった4つの県がベスト4となった。

“宣誓”幼い頃からまっ白なユニフォームが真っ黒になるまで練習し、まっ白なボールを真っ暗になるまで追いかけた。
確かこんなステキな宣誓だった。
そして正々堂々と全力でプレーすることを誓います。

私たち大人社会はもはや正々堂々なんて四文字は死語になってしまった。
野球少年たちを胸を張って迎えいれることはできない。

野球をしている中(三)の孫が行きたいというので息子の運転で13日夜九時半茅ヶ崎発次の日の早朝五時ごろ甲子園着で行って来た。(六時入場開始)
太陽をまともに浴びながら第四試合の三回まで合計30イニングを見て甲子園を後にした。
外野席レフトポール際。
運転で疲れても野球好きの息子と孫三人。
少年野球好きだが、私にとっては熱中症になる人体実験みたいであった。
何しろ完徹であった。
次の日の四試合も見たいと言ったので、私は死ぬよと言った。
幸い(?)というか次の日は雨で中止となった。

その後少年たちは数々の一投一打の伝説を生んで行った。
最後に笑うのはただ一校しかない。

私たち大人は真っ黒な心で、世の中を真っ暗にしてないだろうか。正々堂々と考えて見よう。
一つの仕事に体を張って取り組んでいるだろうか。
新しい作品を創造することに、プロとして死ぬほど取り組んでいるだろうか。