週末から月曜日午後十時四十八分〇三秒まで、急ぎの仕事を家に持ち帰りその企画書作りをした。
と言っても映画や、取り寄せておいた見落とし番組のDVDや、テレビを見ながらである。見ながらとか落語を聴きながらとかであるから極めて能率は悪い、が考えながら次々と思考を変えれる。
手もとにリモコンを置いて、オッと思うところは停止させたり、もう一度見直すために前へ戻るができる。
つまらないからと思うと、気に入ったCDで音楽を聴く。
基本的にはせっかく借りて来たものは最後まで見る。
英語の言葉を考え出したくてコンサイス英和辞典をめくると、まずこの紙質の薄さと強さのすごさに改めてオドロク、そして英語の試験でいつも100点をとっていた人たちが、この辞書を丸暗記していたんだなとオドロク。
世の中には、二カ国語なんか当たり前で三ヶ国や五カ国を平気で話す人がいるというから、人間の脳は無限だ。
ただし才能は人を選ぶので、私は日本語もよく分からない。
つまり選ばれし者ではなかった。英米文学、仏文学、中国やロシア文学者、原書で読んでいる人はきっとキャラメルなめたり、グミかなんか食べながら平然としているのだろう。
一度ギリシャ神話の原書(でかくてぶ厚くて持てない)を読んでいる老人を神田のブックcaféで見たが、別にどうってことない人で、頭の大きさも私なんかよりずっと小さかった。
中味が違うのだな、中味が。見た中の映画で「彷徨える河」というのが最高によかった。コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチンの合作映画だ。
南米のコロンビアかペルーだかのジャングルに二人の白人学者が、別々に現地人をガイドに雇って、聖なる植物を求めてカヌーで河を彷徨する。
モノクロームの写真はどのショットもたまらなく美しくてすばらしい。ケータイも、スマホも、パソコンも、ゲームもない。あるのは古代からの教えだ。三人の現地人が話す言葉は一言一言が哲学的である。現代人はこのジャングルの中でゴムの木を見つけ、やがて農場主たちが現地人たちをこき使い、そして殺してしまった。ゴムで財を成した人間たちの残酷な原点がこの河とジャングルにある。現地人三人は神々しい。レビー・ストローフの名著「悲しき熱帯」の世界がここにあった。一つの人類がやがて習性を変え、言語を変え、宗教やシャーマニズムを生み、それらがさまざまな部族となり、縄張りを生み、それが国家となって行ったのが見てとれる。人類を分類したのは、自然環境と食物の確保であった。分類された各国家が人類としてもう一度一つになることは無い。アメリカの元副大統領ゴアが、「不都合な真実2」を世に出した。
彼が大統領になっていたら今世界はどうなっていただろうか。ジャングルの蛇はバックに。トラは毛皮に、鰐はサイフに、胴体は胃袋の中に、人間はどん欲に生き物を商品化食物化する。生きるためなら何でも食べ尽くして行く。空を真っ黒にして稲を食べ尽くすイナゴのように。現地人にとって聖なる食べ物は人間であったのは言うまでもない。私たちは現代というジャングルにいる。