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2017年11月20日月曜日

「ジャングルの中」

週末から月曜日午後十時四十八分〇三秒まで、急ぎの仕事を家に持ち帰りその企画書作りをした。
と言っても映画や、取り寄せておいた見落とし番組のDVDや、テレビを見ながらである。見ながらとか落語を聴きながらとかであるから極めて能率は悪い、が考えながら次々と思考を変えれる。
手もとにリモコンを置いて、オッと思うところは停止させたり、もう一度見直すために前へ戻るができる。
つまらないからと思うと、気に入ったCDで音楽を聴く。
基本的にはせっかく借りて来たものは最後まで見る。
英語の言葉を考え出したくてコンサイス英和辞典をめくると、まずこの紙の薄さと強さのすごさに改めてオドロク、そして英語の試験でいつも100点をとっていた人たちが、この辞書を丸暗記していたんだなとオドロク。
世の中には、二カ国語なんか当たり前で三ヶ国や五カ国を平気で話す人がいるというから、人間の脳は無限だ。
ただし才能は人を選ぶので、私は日本語もよく分からない。
つまり選ばれし者ではなかった。英米文学、仏文学、中国やロシア文学者、原書で読んでいる人はきっとキャラメルなめたり、グミかなんか食べながら平然としているのだろう。
一度ギリシャ神話の原書(でかくてぶ厚くて持てない)を読んでいる老人を神田のブックcaféで見たが、別にどうってことない人で、頭の大きさも私なんかよりずっと小さかった。
中味が違うのだな、中味が。見た中の映画で「彷徨える河」というのが最高によかった。コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチンの合作映画だ。
南米のコロンビアかペルーだかのジャングルに二人の白人学者が、別々に現地人をガイドに雇って、聖なる植物を求めてカヌーで河を彷徨する。
モノクロームの写真はどのショットもたまらなく美しくてすばらしい。ケータイも、スマホも、パソコンも、ゲームもない。あるのは古代からの教えだ。三人の現地人が話す言葉は一言一言が哲学的である。現代人はこのジャングルの中でゴムの木を見つけ、やがて農場主たちが現地人たちをこき使い、そして殺してしまった。ゴムで財を成した人間たちの残酷な原点がこの河とジャングルにある。現地人三人は神々しい。レビー・ストローフの名著「悲しき熱帯」の世界がここにあった。一つの人類がやがて習性を変え、言語を変え、宗教やシャーマニズムを生み、それらがさまざまな部族となり、縄張りを生み、それが国家となって行ったのが見てとれる。人類を分類したのは、自然環境と食物の確保であった。分類された各国家が人類としてもう一度一つになることは無い。アメリカの元副大統領ゴアが、「不都合な真実2」を世に出した。
彼が大統領になっていたら今世界はどうなっていただろうか。ジャングルの蛇はバックに。トラは毛皮に、鰐はサイフに、胴体は胃袋の中に、人間はどん欲に生き物を商品化食物化する。生きるためなら何でも食べ尽くして行く。空を真っ黒にして稲を食べ尽くすイナゴのように。現地人にとって聖なる食べ物は人間であったのは言うまでもない。私たちは現代というジャングルにいる。

2017年11月17日金曜日

「笑わなくなった日本人」


生きているのだが生きた心地がない。大好きだった力士の日馬富士が同じモンゴル出身の力士貴ノ岩をビール瓶で頭を叩き割ったニュースのせいだろうか。九人の人間を殺しバラバラにしてアイスボックスに入れていた。その驚くべきニュースもすでに忘れかけている。籠池理事長夫婦はもう話題にもならない。小池百合子なるミドリノタヌキが希望を口にしてさあ大変というニュースは、最早遠い昔の話だ。
ハリウッドの大物プロデューサーが、ハリウッドからこのスケベと追放されるや、ケベン・スペーシーはゲイだとか、(芸は身を助ける)とも言う。ダスティン・ホフマンやスピーブン・セガルたちも実はスケベだったと続々のニュースでうんざりだ。
いずれハリウッドから男優がいなくなる。この流れは必ず日本の芸能界に伝染するはずだ。男は皆スケベである。むしろそうでないほうが不自然であると私は思う。神は男にボッキするイチモツを持たせたのだから。で、話を日馬富士に戻す、現貴乃花(元貴乃花親方&相撲協会理事&地方巡業部長)の不気味さが不気味なファッションと共に何を考えているのかを分からなくする。私の生まれた岡山の加計孝太郎なる利権教育業者がずっと身をかくしている。堂々としろと言いたい。この大問題もうやむやになりつつある。バランバランの野党の追及は、自分たちの足で取材してないから全然ヒョロヒョロ玉だ。
ワイドショーにはいつものメンバーが。いつもの与太話。MCがパネルにバカバカに書いたものをかくすペーパーを、めくりめくるのを見ては、更に与太話となる。テレビ局は制作費削減のため極力取材せず、新聞、雑誌、ネット上の話をいただいてパネル化する。基本的にテレビをつけ放しにしているので私も日々バカバカ化している。仲間を裏切って小池百合子なるミドリノタヌキに急接近してありえない結末となった人間から一通の手紙が来たが破って捨てた。恩知らずの裏切り者は落ちるところまで落ちる。私は一度別離を決めた人間とは永久にサヨナラする。と、まあ生きているようで生きた心地がしていないのは、笑ってないからだと思った。最近、心から笑ったのはいつだったかと思ってしまう。悲劇が多く喜劇がないのだ。午前二時頃から映画を二本見た。降旗康男監督、木村大作撮影の「追憶」主演岡田準一と小栗旬であった。いきなりドッチラケとなった。子どもの頃に人を殺した過去を持つ主人公が、な、なんと刑事になって登場した。ガックリ度100パーセント。
もう一本は「ある天文学者の恋文」これが又教授と教え子とのワンパターンものであった。自らの死から逆算してやたらとメールして指示を送る教授。天文学と無理矢理結び付けて話を複雑にしたもので、やはりガックリ度100パーセント、週末は喜劇の映画を借りて来て笑いたい。
腹を抱えて笑ったことは今年記憶にない。朝刊を読みながらいつものグラスに、「いいちこ20度」を入れた。時計を見ると午前五時二十七分十九秒であった。みなさん大きく笑う週末を。ダビンチの絵が510億円で落札とか、多分ニセモノ。私には本物の熊谷守一の一匹の猫の絵の方が、510億円以上にいい作品に思える。
現在七時五十一分四十八秒、一時間半位は眠ったようだ。


2017年11月16日木曜日

「友より本二冊」


友人から二冊の本が送られてきた。
一冊は一ヶ月前に頂いたのだが、あっち、こっち行く機会があり申し訳ないことに直ぐ読めなかった。
私は列車の中で本を読むことができない。文字に集中できないからだ。まして隣とか視界の中に、柿ピーとか、イカサキとか、うずら燻製とかでビールや缶チューハイをやられたら即アウトだ。
一冊は書き下ろしである、吉村喜彦氏著、愛妻の吉村有美子氏のプロデュースによるハルキ文庫からのシリーズ二作目である。バー・リバーサイド2「二子玉川物語」著者はかつてサントリーの宣伝部で活躍したクリエイターである。京都大学卒業だが、どこか国士舘とか拓殖大学系の武骨感がある。
私は洋酒系、カクテル系は全然無知である。
又、Barのマナーやルール、バーテンダーの奥深い知識もない、著者はラジオのパーソナリティーもやっている、いい話をしながらいい音楽をリスナーに届ける。
武骨感というのは、正義に燃えて悪を叩く根性があること、サントリー時代にたくさんの武勇伝を持つ、嫌いな奴は嫌いと実にハッキリとしている。
愛妻といえばファッションリーダーの如くで、私の表現力では書けない。しいて表現すると、インカのファッション、メキシコのファッション、アジアからユーラシア大陸が重ね着され、シャーマンのような装飾類がキラキラ感を演出する。とにかく仲が良いのだ。定期的に会って、他の個性的友人三人と飲み会をする。
ちょっとBarの知識をと思ったらこの一冊は必読だ。
本の内容は五話形式で構成されている。二子玉川にある大人の隠れ家のいい話と、いい酒と旨そうな食べ物の話。本体540円。もう一冊は一昨日に届いた。
敬愛するグラフィックデザイナー&タイポグラファー&絵画&イラストレーション、そしてクリエイティブディレクター&アートディレクター、日本を代表する人たちを代表する、人間国宝ともいえる葛西薫さんからの本だ。
私の指を目いっぱい広げた大きさ(ほぼ20センチ位)の四角形の本。袋を開けた瞬間に葛西薫氏の香りが薫る。三本露風賞を受賞した、島根の詩人、佐々木寿信氏の詩と葛西薫氏の絵が絶妙に出会っている。手紙には20年来の付き合いでいつかきっとを、ついにやっと世に出したとあった。葛西薫氏の活字、文字の大きさその位置、行がえの空間、全体を通し、ハラハラと風が舞うような、ユラユラと草木や空が揺れるような、この世の森羅万象が、サワサワと愚かな現代人を癒してくれる。
単純に図形化された絵の色づかいはやさしいヒトの心とでも言えようか。葛西薫氏はこの詩人にずっと励まされたと買いてあった。
辻堂~小田原~名古屋~飛騨高山へ総勢六人で日帰りで訪れて、ヘトヘトであったが、家に帰り本に救われた。葛西薫氏から届いた本は「遅日の記」詩佐々木寿信、画、葛西薫とあった。
ADPより出版、定価2,500円。ぜひオススメしたい。




2017年11月13日月曜日

「Tバック」

「ごちゃごちゃした時は、原点に帰れ」私の敬愛する兄弟分が書いてくれた名キャッチフレーズだ。
世の中がごじゃごじゃになっている。
何もかもだ。
大企業はしこたま内部留保金を貯めて数百兆円、なのに国民一人当たりの借金は八百五十万円以上、株価が上がってもハゲタカが荒稼ぎしているだけ。
金持ちがもっと金持ちになっているだけ。
我々零細中・小企業は実質債金はマイナス続き、人間の心は荒れてすさんで、やけのやんぱち。

おぞましい事件は小説より奇なり。
それ以上であり続ける。
このところ日本推理作家協会のいろんな賞は江戸川乱歩賞(賞金1000万円)をはじめ受賞者なしだ。
SNS社会、書き込み社会、ゲーム社会が子どもの時から精神を根底から破壊する。
正面切ってものが言えない。
無責任で根性なし。
陰湿で最低なネット人間たちが炎上とかいうのを楽しんでいる。
バカ者め表へ出て来いと言いたい。

男女平等と言いながら、オッ今日はかわいいねとか、ヘアースタイルいいねとか、いい胸して色っぽいねとか、いいヒップラインだねなんて言ったら即アウト、それじゃパックリ胸の谷間を見せる服を着るなって言いたい。
派手なメイクをするなと言いたい。
パツンパツンのパンツファッションとかするなと言いたい。
足を組んだら下着が見えるような短いスカートをはくなと言いたい。
かわいいのをかわいいと言えない。
きっとモテるだろうねとも言えない。
目のまわりにクマを作っているから昨夜は大変だったねおつかれさんも言えない。
まったくバカヤローな社会だ。
逆に女性から男へ、いいオシリですねとか、いい胸板、筋肉ムキムキがステキとか、スキンヘッドまるでメロンみたいでなめたい位、なんて言ったって何ともない。
すっごく嬉しい仕事がとれて思わずハグして
ホッペにキスしたら即アウト。
男女は不平等である。

明日は早朝より出張のためブログは休筆です。


♪~今は黙して行かん 何を又語るべき…。
「北帰行」である。昨日大相撲九州場所の初日、裸姿のおすもうさんは、いい胸いいおしり、花道を行くおすもうさんの体をオシリを、若い女性がその筋の女性がパチンパチン触っている。
Tバックのおすもうさんにセクハラはない。

人間の原点とは何か。
冗談が自由に言えて、嬉しい時は抱き合える。
貧しくとも笑顔あふれる日常だ。

落語の世界なのだ。
                 写真はイメージです。

2017年11月10日金曜日

「八十歳の新人賞を」




すばらしいポスターを制作して「憲法ポスター展」金賞を受賞したのは、横浜市在住の中川浩之さん八十歳だ。
キャッチコピーも中川浩之さんである。「子どもの頃の夢が、叶わなくて、よかった。」この憲法があったから。
日本国憲法施行70年・日本弁護士連合会が企画し一般募集をした。
ポスターに写るのは、一枚の古びた写真を掲げる現在の中川さん。写真は4歳の頃のもの、鉄かぶとをかぶり、おもちゃの軍刀を手にしてニッコリと笑っている。
当時の男の子としては当然のように兵隊になりたかった。
日本大学芸術学部で写真を学び、広告制作をしてきた中川さん、知人からポスター展のことを聞いたが、難しそうなテーマだと感じた。すぐ応募する気になれなかったが、この頃の当時の流れに一石を投じたかったのだと言う。戦争は二度としてはいけない。
戦後七十二年、現在の平和は、憲法九条があったからこそのものだ。自分が軍人にならなくて良かった。
その気持ちを見事な発想とキャッチフレーズでメッセージ性の強いポスターを生んだ。
中川さんは「終活」のアルバム整理で写真を見つけたという。デザインが何よりすばらしいのは、一枚の写真で口をふさいだことだ。
それが無言の訴えとしてポスターをより強いものとした。
子どもの夢は叶えたいものだが、叶わなくて、良かった。もし軍人になっていたらきっと人を殺したり、人に殺されたりしていたはずだ。
近頃見たポスターでこれほど心を打たれた作品はない。八十歳の感性に心より敬意を表したい。
十一月十四日(土)東京新聞夕刊一面で紹介されていた。いい広告とはワッと驚かすものでなく、ハッとさせるものを言う。東京コピーライターズクラブの新人賞部門に応募すれば、きっと八十歳の最高新人賞に選ばれるだろう。なんてすばらしいことではないか。


2017年11月9日木曜日

「忘れた笑顔」


昨日は終日茅ヶ崎でシコシコと原稿を書いていた。
午後一時を回った頃、いつも行くそば屋さんに新聞二紙を持って行った、とりあえず酒を一本頼み”マグロのぬた”を頼んだ。
隣に七十三、四歳の男がいて、もりそばを二枚重ねて食していた。
そばはつゆに二、三割たらして、一気に音を立てて食すのがルールだと、亡き友から教わった、わさびはつゆに入れたらダメ、そばの上にわさびを点々とのせる。
ネギはつゆに入れたらダメ、最後にそばつゆで飲む時に、ネギをハラハラと加える。
そばはいくら音を出していいが、うどんは音を出したらダメである。
私はすっとルールを破っている。職人風の老人は実に小気味よく、そばをちょびっとつゆにつけ、一気にズルッとすする。かなり粋であった。
オ~オマエラもっと頼めという姿がなかなかであった。
うどんをつゆの中にたっぷり入れて飲み込むような若い衆には、キレイに食えと注意した。
新聞を読みながら、日本酒一合を楽しんだ。先日、友人たちと飲んだ時、この頃の日本人は心から笑わないねという話になった。バラエティ番組で無理やり笑わされているが、これは真底の笑いではない。
つまり良い事がなくなって来ているのだ。腹の底から笑う、うれしい事がないのだ。日本人は落語を生んだ国だから市井の民は笑いを生み育てて来たのだ。
私はバカが大好き、(本当は頭がいい)バカに憧れる。
江頭2:50や坂田利夫師匠などは、これ以上なく愛する。
ケーシー高峰もいい。落語にもいいのが出て来た。でもあと20年以上はかかる。
あるホールのトイレで弟子に連れられて、やっとこさトイレを済ませていた木久扇師匠を見ていて凄味を感じた。その前、四十分以上の話を堂々とつとめていた。歌丸しかり、芸人はその生き様がいい。友人たちと心から笑える日が来て欲しいなと願った。何もいらない。
みんなの笑顔に会いたいのだ。
おっ、出し巻き玉子と焼き海苔が出て来た。
オッと思えば、あちらのお客さん高低差のある夫婦で有名な先生、ご婦人175センチ位(元モデル)、ご主人153センチ位である。
すぐにあいさつに行った。
いや~、久し振りです、相変わらず仲良しですねと言った。
実は退院して始めてここに来たんだ、久々のそばなんだよと言った。
キミの声はでかいし、態度も大きいからすぐに分かったよと言った。
大御所に深くごあいさつをした。
どこかにカレーうどんを食べて大失敗している人がいないかと思ったが、残念ながらいなかった。
酒をチビと飲み終わり、あたたかい花巻そばとせいろを一枚頼んだ。
最近腹の底から笑ってない、あなたは笑ってますか(?)。


2017年11月8日水曜日

「セコイ店主」



「五輝星(いつきぼし)」と読むことを昨年の今頃知った。
一匹百三十万のズワイガニである。鳥取市の鳥取港で競り落とされた。
2015年から鳥取がその色、その形や重さなど一定の水準を満たすものを認定した。
昨年認定されたのは全体の0.03%とか。七日初競りが行われたが0%だったようだ。
それにしても一匹百三十万円のズワイガニを食べる人間とは誰だろうというより、どこのどいつで、何でそんなにアブク銭を持っているのかと思う。
大方超一流料亭が仕入れてシコタマ荒稼ぎをしてる客に、足はカニしゃぶとかそのまんま活身造りとかで食べさせて、カニの甲羅かなにかに日本酒を入れて飲ませる。
カニ味噌もある。シメはカニの出し汁を使ってぞうすいかなんかだ。
百三十万位で仕入れたのだから一匹百七十万円位で出さないと元は取れない。
一匹を四人で食べると一人五十万円となる。メロン一個五十万円とか、ブドウ一房二百万円とか、リンゴ一個百万円なんていうのがあるから、ズワイガニ一匹百三十万円は安いかも。(バカみたいに金を持っている人から見ると)
株価が上昇して好景気と言うが、どこを見ているのかといいたいほど不景気だ。夜の銀座はガラガラ、タクシーは空車の列、有名レストランもガラガラ。
流行っているのは、二時間3000円~5000円で食べ放題飲み放題の店。(プラス歌い放題もある)
一週間お客さんが来ないので何とかしてと、ある店の主が、ある会社の社長に泣きを入れた。社長は大変世話好きなので、あちこちに一人一万円でと誘いの電話をした。
人気者の社長の誘いを断る人はいない。で私も友人と行ったら、狭い店に入りきれないほどのお客さん。見たことも聞いたこともある社会的地位のある人ばかり、ヒマ、ヒマ、ヒマにすっかり慣れていた店の主は、てんてこ舞い。
連れの友人が乾き物のつま味ちょっとで一人一万円は高いんじゃないのと言った。マアマア渡世の義理ってもんだからと、ウイスキーを二杯飲んだ頃お客さんが来て座るところがない。じゃ俺たち帰るわとなった。私を誘った社長が申し訳ないから二人で一万円でいいと言ったら、ヒマこいていた店の店主が、ダメダメ二万円もらってと言った。そんじゃカードかツケと言ったら、その場合は二割り増しですと言った。
ああいいよと言ったら、やっぱり現金で明日必要なんでと言った。
友人とセコイの嫌いなんだよと言って階段を降りた。
ズワイガニの記事は帰りの列車の中で読んだ。世の中はいろいろだ。
セコイ店主はきっとたくさんお客さんを呼んでくれた社長の恩なんかすぐに忘れるだろう。二日間限定だった。今日から又、一人もお客さんが来ない日が続くはずだ。
ボロは着てても心は錦という。店主の服装がヨタヨタであった。プライドだけは人一倍なんだとか。家に帰り、気分直しに明け方までフランス映画の「盗聴」というのを見た。
監視社会は恐ろしく不気味だ。政敵同士が規則正しく盗聴するのだ。今週末は映画バカが集まって作戦会議をする。ズワイガニ一匹の半分以下の予算で短編を作るのである。
シナリオはバッチリ完成しているのだが。


▲五輝星

2017年11月7日火曜日

「異文化の夜」

昨日は異文化コミュニケーションの日であった。
カリスマ美女は世界を舞台に、壮大なロマンを追う(詳細は後日に)
シリコンバレーで活躍する日系人、次期ウズベキスタン大統領候補の男性、某政党の代議士、スティーブ・ジョブズと共にアップルを立ち上げたという人、狭い店内にいろんな人が集まって、これからのニッポンはどうなるのとか、トランプのアメリカとロシアはどういう関係なのとか、日本の選挙制度、特に総理大臣の解散権には問題がある。
落選した議員はすぐに議員宿舎を出なければならない。
子どもの転校とか習い事、受験などの問題でみんな大迷惑となる話。(これは結構身につまされた)
美人と美女との違い論、いい女性といい女の違い論、例えばコシノジュンコとか林真理子はどこに属するのかなども話した。
話はあちこちに飛んで一人会費10000円。

店を出たらやけに腹がすいていた。
朝からにぎり寿し少々しか食べてない。
で銀座を歩いていると、吉野家ですき焼が始まっていた。
ググッと引き込まれてしまった。これが実に旨い!
紅しょうがをたっぷりかけて、充実のディナーとなった。
肉はアメリカ産、米は国内産ではない。
玉ネギはきっと中国、生玉子はアジアのどっかの国、丼ぶりと箸、紅しょうがもきっと国内のものではない。
吉野家は異文化コミュニケーションの産物なのだ。

かなり不思議な夜は、第二幕へと向った。


              (写真はイメージです。)

2017年11月6日月曜日

「メロンソーダと虫メガネ」

私が生理的に苦手な場所がある。
高いビル、広いオフィス、たくさんの会議室、やたら多い社員、首からぶら下げている社員証。
そこに行き、その一室に入ると精神的に落ち着かない。
酷い時は心臓がバクバクする。
デパートの広い売り場も同じでそこでの買い物は苦手だ。
人混みや混雑した列車も苦手で情緒が不安定となる。
多分社会に出た時はじめて入ったデパートが原因でないかと思う。
狭く雑然とした中に潜むようにいるのが私にとってはベストである。
そもそも小作人であるから、分相応でなければならないと思っている。

広辞苑の新しいのが出て予約開始という広告を見た。
現在までその類いは買った事がない。
中学生用の国語辞典と、コンサイスの英語辞典の二冊のみでやりくりして来た。
ある高名な作家は旅に出る時は聖書一冊だけを持って行くと書いてあった。
読み物としていちばんオモシロイんやと語っていた。
一人の高名な作家がロビンソンクルーソーのように南海の孤島に暮らすことになり、この一冊をといえば、広辞苑か広辞林が一冊あればいいと書いていた。
ある高名な作家が、人間にとってのいちばんの読書空間は、拘置所や刑務所の独居房だなと言った。
思想的弾圧で何年か入った。
それ自体は理不尽であったが読書して勉強をするにはこれ以上なくよかったと語った。
何しろ読書するしかやることがない。
君ねヤクザの親分がトルストイを読んだり、詐欺師がカントやニーチェを読みまくる。
凶悪犯が広辞苑を読破するんだ。
時間があるというのはいいもんだよ、やる事が何もないというのは、いいもんなんだよ。
人間は一度三年間位は読書勾留をするといい。
自分で選んだものを読ませるのさ。
パソコン、スマホは一切なし、分からない事は辞典か辞書で調べるんだ。
月謝もなしだ。
君、人間は母の胎内という狭いところで育ったんだ。
学ぶには三畳位が丁度いいんだ。
でかくて広い、美しい書斎なんかで仕事をしている小説家なんて大したもんじゃない。期待しない方がいい。
その姿はそう言っている。
高名そうなその先生の仕事場兼読書空間は、私が住むところの近所にある、ファミレス“ジョナサン”のカウンターの隅っこだ。
午前十時頃から午後十時頃までほぼ1年中そこにいる。
朝・昼・晩三食+(読売新聞付)そこで食べる。
時々出版社(?)らしき人が来る。
ヒゲモジャモジャでドリンクバーを行ったり、来たりする。
相当な人かただのオジサンかも知れない。
一度その人の側の席で、ビールを飲みマカロニグラタン(かなり旨いのだ)を食べていたら大先生、大研究者的オジサンは鼻歌を唄っていた。
♪~星の流れに 身を占って 何処のねぐらの 今日の宿 荒む心でいるのじゃないが 泣けて涙も 涸れ果てた こんな女に 誰がした。
菊池章子のヒット曲だ。
八十歳を過ぎているのは確かだ。
未だその名は聞いていない。
若い頃長い間思想犯として三畳間に閉じ込められていた相当な大物学者だと誰かが言った。
昨日はあたたかであった。
メロンソーダが大好きな私はそれを飲み、大先生は(?)虫メガネで何かの辞典を読んでいた。
ずーっと前から何回行っても指定席にいいるのだ。
その身の今後を占っているのかも知れない。
人間は考える葦である。

三連休八本の映画をDVDレンタルで見た。
35年前の「ブレートランナー」SFついでに「メッセージ」韓国の実話物「善悪の刀」アンジェイワイダの遺作「残像」溝口健二の「雨月物語」小津安二郎の「麦秋」松本清張物「けもの道」岡本喜八の「独立愚連隊」香港映画の名作「男たちの挽歌」

今夜はファッション界のカリスマ美女と会う。
実は着ていく服がないのだ。


2017年11月2日木曜日

「人間の条件」


「人間の条件」
別所哲也さんは俳優であると同時に、日本俳優史上初の凄いことをやった。
俳優さんの仕事といえば与えられた役を演じる事だが、この人は、映画界を育てる役をこなした。(現在も続行中)小説の名手といえば、いかに短く書くかであった。小説の神様と言われた志賀直哉さんはその代表である。ある読書家の書評に、これこそ小説だと思ったものとして、川端康成の「心中」というのがあった。読書家でない私でも読めそうなページ数が書いてあった。それは文庫本でわずか三ページほどとあったので、読んでみたいと思い調べてもらうと、パソコン上に現れた。プリントしてもらうと、コピー用紙(B5判)一枚の中4分の3、これぞ小説なのであった。話を別所哲也さんに戻す。この人は短編映画専門の映画館「ブリリア・ショートシアター」(横浜市西区みなとみらい)を立ち上げ、世界的な国際短編映画祭に育て上げた。2008年2月から始めた。これまでに3000作品を上映、入館者は26万人を数える。来年2月に建物との契約が切れるのを期に、今年の12月2日をもって閉館する。別所哲也さんは一定の役割りは果たしたと。10月29日(日)の東京新聞朝刊の大きな記事で語っていた。この映画祭を目指して世界中から短編が応募し、今をときめく新人監督や撮影、編集、証明、美術、録音などあらゆる部門の新人が育った。130席ほどの映画館は国際交流の場となった。この10年の功績は正真正銘の文化功労者である。私は長編映画より短編が好きである。勿論いい映画なら何時間でもいい。松竹映画の名作「人間の条件」五味川純平原作、小林正樹監督を第一作から最終作まで一気に上映する機会があった。
9時間以上である。有楽町の映画館は満員であった。私は亡き母と共に観た。主人公梶が愛する妻のもとに帰りたいと歩き続け、ついにバッタリと倒れる美千子ちょっとだけ寝かせてくれと。そこに雪がしんしんと降り、やがてこんもりと人の形となって終わったと時、すでに朝となっていた。映画館内は拍手の渦となった。2ヶ月で9人を殺したという事件を知るにつけ人間の条件とは何かを考えている。フツーの職人さん、フツーの先生、フツーの魚屋さんや八百屋さん、床屋さん、乾物屋さんにクリーニング屋さんたちが、軍隊に入ると鬼になってしまう。人を殺して、殺して、殺しまくる。死の恐怖と上官からの絶対命令。「人間の条件とは」という問いかけに対して絶対服従という習性を答えとして出す。梶はあくまで不条理に抵抗する。戦争の極限は人間を変える。人間は生きるためなら、人間を殺す。80代90代の老人が、近所の公園でゲートボール大会を日常的にやっている。ある日ベンチに座ってそれを見ていたら老人の一人が私の隣りに座った。小柄な好々爺である。おじいさん戦争に行ったと聞いたら、行ったよと言った。何人殺したのと聞いたらキッと目付きが鋭くなり、目は血走ったように三角形となった。
ジョーンですよと言って公園を出た。このことをモチーフにある短編映画のシナリオを書いたのだが、資金がない。今の世の中、人間の条件とは金があるかないかとなってしまった。ネット上でこれほど自4殺願望の人間が交流しているなんて知らなかった。川端康成の「心中」は夫婦と子どもの無理心中を、清列な文章で書いてあった。週末”人間の条件”を考えてみませんか。人間は人間の中に、誰でも狂気の人間を潜ませている。
だから私は戦争反対。別所哲也さん大絶賛である。(文中敬称略)