木曽路はみんな山の中。
こんな書き出しで始まる小説があった。(書き出しではなく文中かもしれない)
この短い言葉に日本という国が森林大国であることをイメージした。
少年の頃住んでいた東京都杉並区天沼三丁目には木材店があった。その頃どの町にも木材店があった。木材の香りは町の香りでもあった。四角い木材はやや斜めに店の前に並んでいた。店の中では何人かのやけに強そうな男の人がカンナで木材を削っていた。男の人の足もとにはカンナくずがクルクル巻きになって落ちていた。男の人は時々カンナを目の前にして刃の出具合いを見てトンカチでカンナの後を叩いた。
材店の中の香りが大好きで私はよく行った。
確か隣りには浜名屋という日本そば屋さんがあり、魚藤という魚屋さんがあった。
その前には大橋豆腐店があり、三州屋という酒屋さんがあった。三原という八百屋さんもあった。
木材店の名だけが今思い出せない。何故だろうか。木材の香りと独特の臭いは憶えているのに。貧しき家でのお使いは、魚藤で魚のアラを買い。大橋豆腐店でおからを買い、三州屋でお醤油を買う。
更に浜名屋でうどん玉を買い、三原で白菜、人参、大根などを買った。
少年の手にはかなり重い。下宿屋みたいに二階の一部を食事付で貸していた。
お金があった頃はお手伝いさんが住んでいたという離れがあり、そこも人に貸していた。
兄姉六人と母、それに下宿人二人分を買った。楽しみは木材店に寄ってカンナくずをもらう事だった。
当時は電動ノコギリはない。腕のいい職人さんたちが削ったカンナくずは、薄く、長く、カール(クルクル)が大きい。食べてしまいたいほどで、まるで上質のカツオ節みたいだった。
カンナくずはたき火おこしに最適であり、ガキ同士が集まってたき火をしてはヤキイモを作った。
日本は世界一の森林国なのに外国から木材を輸入する、特に新建材が輸入されるようになって、木材店は町から姿をなくしはじめた。国の政策がトンチンカンだったのだ。
月六日日経新聞の記事を読むと、林業従事者は4万5千人、25年前の10万人から半減した。
しかも担い手の4人に1人が65歳以上だとあった。
木は成長しすぎれば倒木の危険があり、加工して流通してもコストがかさむ、森林の6割以上は伐採期を迎えているが利用されていない。倒木が進む。
大洪水の時無数の倒木が流れて未曾有の大被害が出ているのは、山を大切にせずに放っておいた無策のせいだ。地方創生というが、その第一は森林創生にあると言っても過言ではない。
いい山は、いい川を生みいい海を育てる。いい海にはいい魚たちが集まる。
いいことばかりなのに何をやってんだと言いたい。かつて木材の下りの勇壮な姿があった。
激流の中、屈強な山の男たちが筏の上に乗り川を下った。今、町には香りがない、風情は何もない。
コンビニだけが異様にある。天沼税務署前にノコギリ屋さんがあった。
オジサンは両足先でノコギリをはさみ、職人さんから頼まれたノコギリの刃の手入れをしていた。舐石屋さんというオジさんが来て、木材店のカンナや、魚藤さんの包丁を研いでいた。
ガキの頃のお使いは重かったが楽しい日々でもあった。
お駄賃の10円を持ってお菓子屋さんで、ソースせんべいや梅ジャムせんべいを買って食べた。
日本で唯一の梅ジャムを作っていた一人のオジサンが16才から始めて70年、遂に引退することを昨日帰宅して知った。レシピは未公開、自分で作り始めたものは、自分と共に終る。
そんな意味のことを梅ジャム生みの親は語っていた。
木材の香り、梅ジャムの味、この国はどんどん大切なものを失って行く。