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2018年6月14日木曜日

「過去という追跡者」

229分という約4時間。白黒の映画「 立ち去った女」この映画を見ると、いかに女性が恐いかが分かる。フィリピン映画であり、ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。約229分の映画を見終わると、腕立て伏せを300回くらいした後のような、15 km 位のマラソンをしたような、円沢の尾根を登った時のような、達成感が生じる。30年ぶりに刑務所を出てきた女性は、元教師であった。元恋人の男に濡れ衣を着せられ30年の刑を打たれた。映画は男に復讐するために女性がフィリピンの街から街を探し求める姿を追う。ドキュメンタリーのようであるが、貧しいフィリピンの現実を描きながら、数々のドラマが傷口にできたかさぶたを剥がすかのように、痛々しく続く。貧困と犯罪、そしてゲイ社会。 女性が追う男はある街の有力者になっていて、週に一度ボディーガードと共に教会のミサに来ることを突き止める。女性は一人の傷ついたゲイの男を介抱してあげる。ゲイは全身殴られ、蹴られていた。街はよく停電する。ゲイの男は女装していて胸にはオッパイに見せるパッドを入れている。みんなにイジメられていたゲイに優しくしてあげる女性。小さな灯りの下ゲイの男は泣く。やっと点いたポツンとした街灯。一つも売れない卵売りの老人。遠くの方では若者たちが飲んで騒いでいる。229分間こんな状態が続く。だが強烈なインパクトが、静かな中にある。離れがたき人間の姿がある。映画は世の中の表と裏、明と暗、成功者が持つ秘密の過去、人間には誰でもその過去があることを教える。女性は国語の先生だったのか、詩人であり、毎日詩をノートに書く。人間とは奥深く、罪が深い。世の中に成功者がいるとしたら、きっと暗い過去を持っているだろう。そのことを暗示する。ある日教会で街の有力者(ボス)が殺される。果たしてその殺しをしたのは・・・。暗闇に優しい人だったからの言葉が出る。 最高に好きなタッチの映画だった。さて、やましい過去を持つ者同士、トランプと金正恩の勝者は、といえば、断然金正恩だろう。トランプはロシア疑惑から逃れるために、金正恩との 会談を焦ってセットさせた。政治的会談をやっている間は、FBI 特別チームは動けない。トランプはロシアにがっちりと過去を握られている。スノーデンはロシアの手の中にいる。ヒラリークリントンを蹴落とすために、ありとあらゆるネットを使った。これからも会談をセットして、あわよくばノーベル平和賞をと本気で思っているはずだ。まさかノーベル賞の俺をFBIは追い詰められないだろうと、 甘い期待を持って中間選挙に向かう。1年ヤクザをやると一生治らないものがある。それは目付きだ。トランプの目つきに注目するといい。カタギの目付きではない。当然金正恩も同じである。人を裏切った人間は過去から逃れられない。
(文中敬称略)


2018年6月12日火曜日

「ザ・サークル」

全然眠れないという不眠の夢を見て、せっかく早く眠ったのに、午前4時過ぎに起きた。脳内がオーノーと言っている。クールダウンが必要な場合は、やはり映画を見るに限る。カフェオレをつくり、レンタルしてあった、トムハンクス主演の「ザ・サークル」というアメリカ映画を見た 。SNS( ソーシャルネットワーキングサービス(?))のソフト開発会社に入社した若い新人社員が天才的才能発揮していって、自己嫌悪を体現しその先に監視社会の恐怖を予言して終わる。私は SNS が全く分からないからなんとなくしかそのシステム「ザ・サークル」を表現できない。その会社にはプライバシーはない。ひとりひとりの社員情報は丸裸にされている。健康診断の結果は全て分析されデータ化され評価基準となる。趣味は、 恋人は、SEXは、 何を食べ、何を飲み、いつどこで誰と何をしているか、両親、兄弟、親戚などのデータが入力される。査定基準は瞬時に判断される。知る権利が異常に拡大されると、人間社会が当然異常なものとなる。 SNS による発信がワンタッチで世界中のフォロワーという野次馬につながる。アメリカという国は何でも知りたがる国であるから、今、秘密は持てない。若い新入社員は、昔の恋人の話をすると、一気にその恋人を探しだされ、追跡される。空からはドローンで、野次馬たちの車で、そして橋から落ちて死ぬ。せっかく静かに暮らしていたのに。アメリカという国は、喚声と拍手と、表彰の大好きな国である。あおりに、あおってやがて知られたくない、過去、現在、そして未来まで暴く。服用している薬から、通っているジムから、まい日飲むドリンクやサプリメントから、ビッグデータ化して、結局は選挙に役立たせる。というより情報を売るのだ。「ザ・サークル」という映画から、暗黒の未来が見える。監視され査定される社員。その DNA からずっと、ずっと昔の遺伝子まで調べられる。犯罪歴は、病気は、職業歴は、自分以外の身内まで徹底的にデータ化される。私はこんな社会を嫌悪する。あなたも監視されている。個人情報、マイナンバーはそのためにある。現在午前5時、テレビでは九州地方の地震情報を知らせている。ビッグデータによると、30年以内には南海トラフによる大地震が起きて、その被害は想像を絶する。東京にも直下型の大地震が。防災に強い関心を持ち続け、日々備えていなければならない。昨日夜東海道線列車内で隣に座っていたオジサンが、トッポという棒状のお菓子をボリボリ、ボリボリ食べていた。左手にはスマホ。画面を見ると(見えてしまう)次から次に若い女性の容態が見えていた。トッポジージョというキャラクターを思い出した。確かネズミだった。見るからにスケベそうな男は、ネズミのような顔をしていた。途中に何度か、大きなクシャミをした。ウルセイと言ったら、スミマセンと言って謝った。今日は米朝会談の日、シナリオはすべて出来上がっている。出演者の名なかった我が国の首相は、やたらに”完全な一致”という言葉を使う。役人にボキャブラリーがないのか、理解度が弱いから、同じフレーズを使わせるのかはわからない。 おそらく後者だろう。蚊帳の外から札束を出している。それが日本外交だ。袖の下外交しか術を持っていない。外はすっかり明るくなった。今日は暑いらしい。


2018年6月8日金曜日

「屋久島ホテルSANKARA(サンカラ)へ、ぜひ。」

羽田→伊丹→屋久島→鹿児島→羽田、7日朝7時30分に羽田を飛び立ち、8日昼12時35分羽田に帰って来た。目的は屋久島にある超高級ホテル「サンカラ」さんのベッドルームに、私が大変お世話になっている、高級羽毛ふとんメーカー「東洋羽毛工業(株)」さんの、高級羽毛ふとんを一度ご使用願えないだろうかのお願いに行った。長い付き合いの電通の坂口浩規さんは、ずっと奄美諸島の活性化のために尽力をされている。ヤル気と本気と、熱意と誠意と努力が、全身に宿っている。丁度屋久島に行く仕事があるというので、同行させてもらった。屋久島は日本四大自然、世界遺産の一つで、島全体が神秘の島である。林芙美子の名作「浮雲」の舞台になった「乳雲館」に立寄った。屋久島は、1週間に10日雨が降ると書かれたほど雨が降る。その雨が縄文杉や紀元杉など守って来た。標高1,200メートル位の所には、「千尋の滝」が濠々と流れ落ちていた。午後四時頃に総支配人の方が、鹿児島から帰ってくるというので、ロビーラウンジで待った。あいにく天候不良、視界不良のため、支配人は屋久島空港上空でグルグルとして、一度鹿児島に戻り、再び屋久島に戻って来てこられた。視界飛行のために、よくあることとのことであった。中学、高校で硬式野球をやっていたという総支配人は、ガッチリとした体で私よりふた回りほど大きかった。まだ四十歳になっていない位の若い総支配人は、女性のマネージャーと、いや〜待たせてすいませんと、ニコニコ笑いながらやって来た。見ただけでこの人はいい人だと思う、温和な方で私の話をじっくりと聞いてくれた。二時間半ほど話は弾んだ。ホテル「サンカラ」その意味は、サンスクリット語で“天からの恵み”ということであった。超ラグジュアリーなホテルは、約30室、ロビーラウンジの前には青々とした広いプール、その前には広大な海、左手には種子島が見えた。種子島にはいいゴルフ場があり、港から船で行ってプレイするとのことだった。いずれにしても超リッチなSANKARA「サンカラ」ホテルであった。総支配人は二十日に東京に来られるので、東洋羽毛(株)さんの銀座オルハショップで再会を約した。帰る際総支配人は一晩であっと驚くようなお土産を作ってくれていた。さすがなセンスであった。ステキな奥方のいる人、ソッと隠している恋人のいる人、新婚さん、定年後の人生を満喫している人、ぜひ行くことをオススメする。


サンカラのHPは下記
http://www.sankarahotel-spa.com/

2018年6月6日水曜日

「二日目のだるま亭」

人生で初めて「だるま亭」に2日続けて行った。昨夜、やはり朝から腹の中にコーヒーとお茶だけを入れていた。〆切迫る原稿に次から次へ詰めの甘さが見えた。和田アキ子の歌のように♪〜笑って許して小さなことと・・・というわけにはいかない。一語一句間違えは許されない。なんだこりゃ、誰だこれは、何をやってんだと言う私を、冷静なアートディレクターと超信頼する ウェブデザイナーが、一つ一つ解決してくれる。右の目で文字類、写真のレイアウトを見ながら、左の目で5〜7分間の映像を作るための、素材を延々と見る。それキープ、そこキープ、そこにはアレとアレの情報を入れる、オッいいねえスバライ、キープ、キープを続けた。一方右の目の方は、しっかり調べると再校が生じた(エビデンスがあいまいなのだ)ネット社会は少しの間違えも追跡してくる。午後9時近くなり脳内がクールダウンを要求し、胃袋は何か入れろと命令をしてきた。アートディレクターは仕事に帰って、私の頼んだキツイ仕事をしてくれるすぐ側のイタリアンは、安くてソコソコ旨い。そこに ウェブデザイナーと行くと、今日はヒマなのでもう終わりと看板を店内に入れていた。二人の足は東銀座方向へ。で、「だるま亭」前へ。今日はやけに混んでいるな、中華好きと聞けばダーイ好きと言う。ヘラッシャイーマセと中華な女性2人。料理人は昨夜と同じ。二人掛けしか空いてない。マアいいか。何でも食べてという。まずはビールを。日本酒はと聞けばと、メイヨ(ないということ)と言う。料理人が コレアルヨと言えば、瓶の中に白い不気味な植物が入っている。それパス、となった。ウェブの人の食欲は旺盛を極めた。ピータン、中華風ミミガー、激辛鳥から揚げ。ラストに麻婆チャーハン。これがものすごく量が多い。チャーハンたっぷりに、麻婆豆腐もたっぷり、特大の大皿だった。私はエビチリと、野菜スープだけ。どう旨いと聞けば、いつものように笑いながら話す。とっても旨いと。さすがに少し残した。食べながら私の脳内コンテを次々と話す。この天才的 ウェブデザイナーは元は大学で哲学を学んでいた。日曜日にサイクリングで50 km 近く走ったとかで陽灼けしていた。わかったと言えば、やはり笑いながら、口ぐせの大変です、大変だな、大変の、三段活用を話す。とりあえずやってみます。こう言えば、きっと私の期待に応えてくれる。何しろアリストテレスとか、プラトンとかニーチェを原書で読んできてる。が、哲学では飯は食べれないと、全然関係ない世界に入って来たエイリアンだ。哲学がないんだよなこの国はと思う。拝金ノ国だ。嘘八百ノ国だ。責任をなすりつけるノ国だ。インディアン嘘つかないという人気 CM を思い出した。深夜家に帰り、借りてきていた昨年度No.1の映画「私の名はダニエルブレイク」を見た。次に「立去った女」フィリピン映画の名作をと思ったが、229分だったので途中でやめた。ダニエルブレイクはとても哲学的であった。久々に言葉を全てメモしたくなるような名作だった。外が明るくなったが、雨がシトシトピッチャンとなっていた。テレビでは与太者のような財務大臣が、口をへの字にして俺はヤメネエ〜みたいな、低俗な態度をとっていた。


2018年6月5日火曜日

「だるま亭の前には、コロッケパン」

仕事を頼みに来てくれていた三人の内、一人は12時30分東京駅発の最終バスでつくば市に帰ると言う。あと二人は地下鉄の終電に間に合うからお気づかいなくと先を急ぐ。5時間近く仕事を手伝ってくれていたアートディレクターは、一杯だけ飲んで帰るかと言えば、飲んだら明日までにやらねば間に合わないので帰りますと言った。私が乗る終電にはもう間に合わない。ガッサゴソになった、仕事場のテーブルの上をいい加減に整理してアートディレクターと、鍵を閉めてビルの外に出た。朝から何も食べてなかったのだが、ある時間を過ぎると空腹感はなくなっていた。それじゃあオツカレさん、今日は本当にアリガトウ、明日もよろしくなと言って、仕事場の前で別れた。いい歳してこんな事やっていたら死ぬぞとか、死にますよとか、死ぬわよと言われても、こうとしか生きようもない自分がいる。役者は舞台の上で死ぬなら本望だと言う。人間生きている内は、間違いなく死んでない。これがモットーであり、「あしたのジョー」のように、白い灰になるまで戦うのが自分の人生だと思っている。そんな私より何倍も熱心な人が(私よりほんの少し年下の人)仕事に取り組んでいる。つくづく頭が下がる。つくば市まで終バスで帰る人は、モダンジャズを大学でやっていた。テナーサックスの話になるとふっくらとやさしくて、かわいい顔がほころぶ。学校で音楽の先生をしていたら、きっと似合っていた人だ。いい人過ぎる人に、育ちのよさを感じる。もう一人は、学歴不詳だ。別に仕事に学歴は関係はない。45・6歳ではじめはどうなっているのと思っていたが、10ヶ月近くまい日同じ釜の飯を食っているような関係を続けているうちに、確実に仕事ができるようになって行く。日々逞しくなって行く。実はこんな事が何より嬉しい。きっとこの仕事でスキルを上げるだろう。後輩のアートディレクターが実に頼りになっている姿を見るのが嬉しい。私が独立をすすめたのは正解だった。仕事は人を育ててくれる。仕方ない一人で一杯やって行こうと、中国人が午前2時頃までやっている、「だるま亭」いわゆるフツーの中華店へ。だけどその味は私の好きな「菊鳳」と甲乙つけがたい。いつもは会社員の人や夜の仕事の人で、一階、二階も混んでいるのに、お客さんは太った中国人の男と細っそりとした女性の二人だけ。ビーフンを食べビールを飲んでいた。タンメンを食べたいと思ったが、それの弟分みたいなメンを抜いたタンだけの野菜スープを頼んだ。一合の冷や酒。壁の上のテレビには中居正広が出ていた。いいんだなこの旅芸人的気分、流れ者みたいなかんじ。店終えた女を待っているような、ヒモみたいな時間。この店のニラレバ炒めは抜群なのだ。カニ玉、エビ玉は泣けるし、タンメンは極上だ。今度はそれらを食べようと、メニューに語りかけた。私がこの仕事で組んでいるもう一人のアートディレクターは、腰痛がもう我慢できず今年の一月についに手術した。タイガーウッズが手術したものと同じものだ。幅広い腹巻きみたいなコルセットと、週に1度何故か手のくるぶしのところにカルシウムを注射しているのだとか。もの凄く優秀な女性のスタッフが5人いる。まだ完治していない体で次々と仕事をこなしている。私と違い一流のプロはどんな時も穏やかで冷静で優秀なのだ。オマチーサンシター、頼んだスープが湯気を立てて運ばれてきた。「だるま亭」のすぐ前には、コッペパン&マーガリン&ソースたっぷりコロッケの歴史的食べ物を売っている。有名な「チョーシ屋」だ。もとは精肉屋、若い女性に人気で昼は行列に近い。現在6月5日午前4時24分12秒。少し眠くなってきた
残してやるぞ、誰もやらなかった仕事を。(文中敬称略)

2018年6月4日月曜日

「ノートマージャン 」

ゆでがえるの時代となっている。いくら我々が一生懸命働いても国の借金は1100兆円近くなっている。 オギャーと産まれた赤ちゃんからお年寄りまで一人アタマ 約850万(以上)。その現金を目の前にしたら、ア然、ボー然として、ジョーダンじゃないというだろう。 ぬるま湯にのんびりつかっていた「ゆでがえるがだんだんと湯の温度が上がり、やがて熱湯となった時、すでに飛び出る力はなく、オジャンとなる。」少子化はさらに進み高齢化は加速する。晩婚化はもう止めることができない。お医者さん代は上がり、年金は下がる。現在の子どもたちが、年金をもらうことは、ほぼ無くなる。税金はアレコレ上がりつづける。ノートマージャンに例えると(やったことがない人はスミマセン)その日は負けても月末給料日精算方式(勝ち負けはノートにつけておく)それゆえいくら負けていても精算日までは、忘れている。で給料日に精算係が来てハイ3万、 ハイ 5万、ハイ12万なんて言われて、エッウソー、そんなに負けてねえよ、となり、その日その負けを返すべきと思い、またポンだ、リーチだ、ロンだとつづける。そしてハコテン(点棒が箱にない状態)となる。バクチは結局胴元が勝つと決まっている。オレは新聞を読まねえんだという財務大臣が今、国の胴元となっている。街のマージャン屋(一人でもお気軽にって看板がある)に八百長はつきものだ。(店の主や店員もグルになってサイン送ったりする。これを通しと言う)ちょっと時間があるからと、すでにいた三人とジャラ、ジャラやりはじめると、とんでもないことになる。現在この国はこの状態にある。ゆでがえるとなっている国民は精算日にエッまた税金が上がっているとびっくりするがすでに怒る気力もない。現在日本の成長(?)企業の大株主は日本銀行だ。国民に配当はない。昨日はいい天気で気持ちいい風が吹いていた。海岸を歩いていたら、ふとゆでがえるのことを考えてしまった。チクショウと思ったら砂の中に足がズボッと入ってしまった。"やせ蛙 まけるな一茶 これにあり” さて、一茶は誰か。

国民一人あたり、これくらいの借金を抱えている。


2018年6月1日金曜日

「ジュークボックス」

栃ノ心が大関に昇進した。大相撲14日目 を 観戦に両国国技館に行った。デザイン界の名人とそのお弟子さん夫妻と。 午前中は運動会の応援だった。知人の市会議員が来賓として二人来ていた。地方議会選挙が近いから市会議員もあっちこっちに顔を出す。大相撲のチケットは簡単には手に入らない。これ以上義理固い人はいないのではと日頃思っている代理店のオーナーがプラチナチケットをプレゼントしてくれた。感謝感激で御礼 の言葉 もない。14日目栃ノ心は豪快に勝った。大怪我をして幕下まで番付を落としながらの復活を心からよろこび、敬意を表すのだ。その逆にす ぐ に横綱にと言われていた元大関が大怪我と持病により、 来 場所は幕下に落ちる。ガンバレ照ノ富士と応援する。私の古い友人で土佐出身の男がいる(デザイナー)。相当に相撲好きで「タニマチ」なんて言う本まで出した。自分自身のタニマチ人生の本であった。土佐出身の元関脇豊ノ島は幕下で勝ち越していた。スバラシイ! 大怪我をしながら引退をせずに関取を目指す姿に感涙する。裸一貫の勝負の世界は厳しい世界だ。我が街茅ヶ崎出身の序二段(ずっと)「足立」が 4勝3敗 と勝ち越した。ヤッタァーである。もう一人が切ない。「服部桜」が全敗であった。番付け最下位で通算 1 勝107敗である。立ち会った瞬間にスベって手をついて敗ける姿を、知人がユーチューブというので見せてくれた。相手に触れずに敗けるという珍敗であった。決まり手はお手つきかもしれない。が、余程相撲が好きなのだろう。なんとか2勝目をあげてほしいと願う。私は決してメゲずに一途な人間、特に怪我とか病気とかと闘いながら我が道を行く人に憧れる。

土俵に生死を賭けている男を尊敬する。かの哲人「ニーチェ」は言った。「自分の道を行け」と。人間はもがき、苦しみ、憎悪と嫌悪の中に生き、不信、不満、不平、不安の中から光明を見い出す。若い頃の苦労は買ってでもしろという先達の教えはここにある。仕事に生死を賭けろと言うと、近頃ではブラック企業となるが、その気構えを持てと言う事だから一度相撲部屋の朝稽古を見ることをすすめる。それはそれは半端ではない。冷暖房の効いた仕事場で一席をぶっている我が身を恥じる。若い人が育つことほどうれしい事はない。だから私は徹底的に嫌な奴である。きっとわら人形に五寸釘を打たれているだろう。日々胸が痛いのはそのせいかもしれない。ある大先輩から日本で初めてアイドルという言葉で呼ばれた、御年98才の女性舞踊家の企画話を受けた。この大先輩は大 健 筆家で、86才(多分)になっても、バンバン小説を書いている。近々著作が電子化されると昨日電話でおっしゃっていた。近々練馬区石神井公園三宝 寺 池近くのご自宅に伺う。時代小説を書いているせいか、剣豪のような人である。前夜親愛なる兄弟分と話をした。人間好かれるようになったら終わりだなと。あらゆる業界で名を成した人は、狂人、変人、詐欺師、ヒモ。奇人、変態、酒乱、借金魔、自殺マニア、色情狂などばかりであった。そしてみんな悩んで我が道で名を成した。「最善の敵は善」であると言う。妥協からは斬新は生まれない。直感を養うためには、坂口安吾ではないが、堕落するしかない。そしてこそ自らの明日が見える。「壺中に天あり」。今日一日がんばって、いい週末にしたいと思っている。「服部桜」に会いたいと思っている。日曜日には久々に海岸を歩いて砂と語るつもりだ。映画も五本見る。フランスの名優ジャンギャバンの作品と、名優ルイ・ジューベの名作「北ホテル」。ジャンヌモローの「死刑台のエレベーター」ピエトロジェルミの「刑事」ルイマル監督の「甘い生活」ジャンギャバンは「現金に手を出すな」主題曲、グリスビーブルースは最高だ。パリの店ジュークボックスから流れる。

2018年5月31日木曜日

「ある達成感」

三日振りに帰宅した。現在5月31日午前3時47分08秒。都心から約1時間とある街のとある会社のとある物件の撮影をしてきた。プロフェッショナルの見本ような高潔なカメラマン。信頼するアートディレクター。目を輝かせてがんばってくれた期待の新人。冷静にしてセンスあふれるスタイリスト。初日はベテラン、二日目は新人のメイクアップアーティスト。やはり持つべきものは兄弟分と、そのスタッフ外人男女と飛び切り美しい11歳の外人少女をキャスティングしてくれてよかった。そしてあと一人、少女の付き人。久々に出会った天才的相手がとある会社の担当部長。早朝から夜11時まで撮って、撮って、撮りまくった。昨日は昼にこの次の日本を背負って立つのはこの人と、思う人のパーティーがあり途中中抜けして東京のホテルへ。そしてすぐに撮影地に戻った。私のような何の学歴もない者にとって、出来ることといえば、人の二倍も、三倍も、何倍も一生懸命働くことしかない。仕事を出してくれた人に全力で期待に応えるしかない。プロはプロの仕事をして当たり前。それ以上の仕事を目指してやり遂げる。私たち芸人は、お客さんに喜んでもらってこそ生きる糧を得ることができる。どんな世界でも同じで、生死を賭けてこそ成果が出る。あ〜めんどくせえとか、あ〜やってられねえとか、ブータレてる人間は芸を売ることはできない。学校を終えて付き人と共に東京から撮影地に来てくれた11歳の外人少女モデルはプロ意識に溢れていた。疲れているはずであったが、実に毅然としていて誇り高く、堂々と約束の2時間半を演じてくれた。その姿勢に学ぶこと大であった。11時14分の最終電車に乗るために私と兄弟分、期待の新人三人で雨の中駅に向かった。無線でタクシーを呼んだが、車がありませんという事だった。他の人達は後始末、掃除を済まして車で帰る。それではオツカレさんアリガトウ、ホントにアリガトウと言って雨に濡れた。何か達成感があり雨が気持ちよかった。私の右手には数キロはあるであろう、ゴッソリと資料の入ったパンパンのトートバッグが雨に濡れてさらに重くなっていた。 首も肩も、腰も足もパンパンになっていたが、これは一生懸命働いた証だ。朝から三枚の卵サンドのみ。何故かやたらに焼肉が食べたくなっていた。そして午前一時頃やっとこさ赤坂の焼肉店へ。お客さんは私たち三人のみ、店内のテレビには韓国のドラマが放映されていた。人生とは新しいことを求めてビビンバ(かきまぜる)なのだ。成功はその先にある。キムチが腹にキムチよかった。で、午前2時赤坂を後にした。


アイディアとは何のためにあるか、それはただ一つ、出すためにある。直感と直感を徹底的にかき混ぜることにある。納豆は右回りで50回、左回りで50回かき混ぜると、絶好の味になるという。ネバーギブアップだ。

2018年5月28日月曜日

「パターソンはいい男だ」

2017年度キネマ旬報ベストテンの内、3本見てない外国映画の一本を昨日深夜に見た。No.1が「わたしはダニエルブレイク」で、No.2が「パターソン」。その「パターソン」を見た。 アメリカ映画は時々、ハリウッド離れしたかのような上質な短編映画のようないい作品を生む。「パリテキサス」とか「 バクダットカフェ」とか「ランブルフィッシュ」とか「 ストレンジャー・ザ・パラダイス」などであり、私は大好きである。パーシー・アドロン、ムベンダース・ジム・ジャームッシュ監督だ。F・コッポラは大作もいいが 、小作品はとてもgoodだ。さて「パターソン」だがいかにもジム・ジャームッシュである。主なる登場人物は、アメリカのとある小さな町(パターソン)に住むパターソンという名のバスの運転手(35歳位)その恋人(あるいは妻)インテリアデザイナーを家で営んでいる。それと名演技のブルドッグ。仕事から帰った後、犬を散歩させる途中一杯のビールをジョッキで飲む、カウンターバーのマスター(黒人)その店に来るお客さん。勤務する会社の男一人。10歳くらいの双子の女の子(詩を書く)。月曜日の朝6時10分から次の曜日の朝までの一週間の出来事。と言っても毎日同じような日が静かに続く。小さな家。小さなベッドに男と女。それを見守るブルドッグ。朝食はミルクとコーンフレーク(みたい)昼食はサンドウィッチ、作ってくれたものを小さなブリキの工具箱のような弁当箱に入れて出勤する。朝6時10分腕時計を見て起きる。眠っている女性にそっとキスをしてベッド離れる。まい日同じだ。傾いた郵便ポストはモスグリーン。家の中の壁の色はプルシャンブルー。電気スタンドからこぼれる赤い灯。粒子が見えるような映像、うす暗いバー。 赤い服、ピンクの服の女性。ジャジーな音楽。ジム・ジャームッシュのフォトグラフィックの映像が実にいい。毎日同じようだが一つ違いというか、習慣がある。 それはバスの運転手の主人公が、詩を書くことだ。運転台で休んでいる時、家に帰って小さな机で。恋人あるいは妻は、いい詩だからコピーをとって出版社に持って行けばと言う。白地に黒いドット柄のカーテンを作る女。サンドウィッチと、大きなチーズケーキを焼く。映画は本をめくるように進む。今は僕は気に入ったマッチ箱がある。 小さなブルーの箱。イヤホンのように書かれた文字、、ブルーマッチの中にはマッチ棒、僕が煙草なら彼女はマッチの火。 あるいはその逆かも知れない。そんな詩をまい日書くのである。詩を書く少女はノオトにこう書いていた。宙(そら)から水が落ちてくる。長い髪のように少女の肩に落ちてくる。それを雨と呼ぶことにした。そんなを運転手の男に読んであげる。 いい詩だねという男。 映画は月曜日の朝を迎えて静かに終わる。静かなジャズのような映画であった。ピアノは似合わない。トランペットもギターも、ドラムはいらない。そう、クラリネットか、アルトサックスのソロだけがいい。だが映画はそれさえも拒否するように、ステキな音楽が静かにうすく、うすく流れていた。 イライラ、ムカムカ、ガタガタのまい日を送っている身に、何より安定剤となった。パターソンはいいだ。

2018年5月25日金曜日

「大船軒が大船駅ホームから消えていた」

時間がある時は、わざわざ列車から降りて隣のホームに渡った。大船駅ホームの階段下にあった立食いそば「大船軒」に行くために。私はアチコチ旅先のホームで立食いそばをすするのが好きだった。その中で大船軒のかき揚げそばはNO.1であった。スープの味が絶妙であった。カツオ節のだしとしょうゆの濃さが、愛し合う男女のように合体していてひと口すするともう離れられなくなる。かき揚げがいい味で、それがスープに合体しはじめるとさらに離れがたき関係となる。立食いそばの平均すすり時間は約3分位というが、私は10分くらいかけていた。昨夜その大船軒が閉店していたことを知った。この頃行ってなかったからだ。サッパリしょうゆ味のラーメンも旨かった。チャーシュウ一枚に太めのシナチクがちりちりのメンと実に素朴に出会っていた。少年と少女の淡い恋のように。小皿に小さなおいなりさんも旨かった。列車に急いで乗り込む前に一気に食べている人を見るのが楽しかった。一気にすすってアチアチと目から涙を流す男、かき揚げに生玉子とコロッケをのせて、箸でそれをガツガツに崩してメンと混合させ、左手においなりさんを持ちながら、あっという間に食べ切って、水をガバッと飲んで列車に向かって乗り遅れた男。カレーうどんをあわててすすってアチ、カレ、ヤバッとうどんを椀の中に落として白いTシャツに黄色いカレーが飛びついた男。白いTシャツにスマイルマークみたいになっていた。立食いそばに会話はない。時間もない。がルールがある。どんなに混んでいても決して割り込むことはない。日本人はちゃんと並ぶ国民である。大船軒から「軒」を抜いたら「大船」だけになってしまった。大船と言えば「小鯛の押し寿司弁当」と「鯵の押し寿司弁当」が有名であり、駅弁通の故渡辺文雄(東大出の俳優さん)は、この二種の弁当を全国一か、二か、三だと何かに書いていた。この駅弁を売っているのがやはり大船軒という名の駅弁ショップである。私は小田原駅で買う、東華軒の「デラックスこゆるぎ」という釜メシ風、竹の輪の中に入ったのが大好きであり、岡山駅の「下津井弁当」がNO.1に近いと思っている。岡山の駅弁は種類の多さと内容の多さにおいて日本一だと思っている。ロンドンオリンピックの年に突然ホタテ貝アレルギーになって以来、横浜名物崎陽軒のシウマイ弁当が遠い関係となった。何故ならば崎陽軒のシュウマイの売りはホタテがしっかり入っているのがポイントだからだ。冷たく小さなシュウマイに楊枝を刺し、小さな袋に入ったカラシをつけて、ヒョウタン形の小さな入れ物に入ったしょうゆをつけて食す。これだけでザ・横浜気分となる。NO.1という人も多い。あったものがなくなるのは淋しい。食べれたものが食べれなくなるのは、つらくて悲しい。ほんの3分の停車時間にかつてそこにあった大船軒の過去を思い出した。列車はガタンと動き出した。人は過去という名の駅から降りて来る。そんなフレーズの歌を思い出した。確か奥村チヨが唄っていた。その奥村チヨも先日引退を表明した。男と女の間をさまよっていたピーターが、これからは池畑慎之介で生きていくと表明した。そんなことを思い出した。列車は藤沢駅に着いた。ガンバレ人生。たった一度しかない。まい日板にへばりついたカマボコのように机にへばりつき、パソコンにへばりついていないだろうか。休む時は休んで駅弁を食べる旅に出よう。休みはよく働いた人にのみ楽しむことができる。だから私も働く。現在午前一時三十分四十六秒。テレビでは「世紀の凡戦ゲーム実況」という番組をやっている。