時間がある時は、わざわざ列車から降りて隣のホームに渡った。大船駅ホームの階段下にあった立食いそば「大船軒」に行くために。私はアチコチ旅先のホームで立食いそばをすするのが好きだった。その中で大船軒のかき揚げそばはNO.1であった。スープの味が絶妙であった。カツオ節のだしとしょうゆの濃さが、愛し合う男女のように合体していてひと口すするともう離れられなくなる。かき揚げがいい味で、それがスープに合体しはじめるとさらに離れがたき関係となる。立食いそばの平均すすり時間は約3分位というが、私は10分くらいかけていた。昨夜その大船軒が閉店していたことを知った。この頃行ってなかったからだ。サッパリしょうゆ味のラーメンも旨かった。チャーシュウ一枚に太めのシナチクがちりちりのメンと実に素朴に出会っていた。少年と少女の淡い恋のように。小皿に小さなおいなりさんも旨かった。列車に急いで乗り込む前に一気に食べている人を見るのが楽しかった。一気にすすってアチアチと目から涙を流す男、かき揚げに生玉子とコロッケをのせて、箸でそれをガツガツに崩してメンと混合させ、左手においなりさんを持ちながら、あっという間に食べ切って、水をガバッと飲んで列車に向かって乗り遅れた男。カレーうどんをあわててすすってアチ、カレ、ヤバッとうどんを椀の中に落として白いTシャツに黄色いカレーが飛びついた男。白いTシャツにスマイルマークみたいになっていた。立食いそばに会話はない。時間もない。がルールがある。どんなに混んでいても決して割り込むことはない。日本人はちゃんと並ぶ国民である。大船軒から「軒」を抜いたら「大船」だけになってしまった。大船と言えば「小鯛の押し寿司弁当」と「鯵の押し寿司弁当」が有名であり、駅弁通の故渡辺文雄(東大出の俳優さん)は、この二種の弁当を全国一か、二か、三だと何かに書いていた。この駅弁を売っているのがやはり大船軒という名の駅弁ショップである。私は小田原駅で買う、東華軒の「デラックスこゆるぎ」という釜メシ風、竹の輪の中に入ったのが大好きであり、岡山駅の「下津井弁当」がNO.1に近いと思っている。岡山の駅弁は種類の多さと内容の多さにおいて日本一だと思っている。ロンドンオリンピックの年に突然ホタテ貝アレルギーになって以来、横浜名物崎陽軒のシウマイ弁当が遠い関係となった。何故ならば崎陽軒のシュウマイの売りはホタテがしっかり入っているのがポイントだからだ。冷たく小さなシュウマイに楊枝を刺し、小さな袋に入ったカラシをつけて、ヒョウタン形の小さな入れ物に入ったしょうゆをつけて食す。これだけでザ・横浜気分となる。NO.1という人も多い。あったものがなくなるのは淋しい。食べれたものが食べれなくなるのは、つらくて悲しい。ほんの3分の停車時間にかつてそこにあった大船軒の過去を思い出した。列車はガタンと動き出した。人は過去という名の駅から降りて来る。そんなフレーズの歌を思い出した。確か奥村チヨが唄っていた。その奥村チヨも先日引退を表明した。男と女の間をさまよっていたピーターが、これからは池畑慎之介で生きていくと表明した。そんなことを思い出した。列車は藤沢駅に着いた。ガンバレ人生。たった一度しかない。まい日板にへばりついたカマボコのように机にへばりつき、パソコンにへばりついていないだろうか。休む時は休んで駅弁を食べる旅に出よう。休みはよく働いた人にのみ楽しむことができる。だから私も働く。現在午前一時三十分四十六秒。テレビでは「世紀の凡戦ゲーム実況」という番組をやっている。
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