「マヒ」している。と言っても和田弘とマヒナスターズの歌を聴いている訳ではない。漢字で書くと「麻痺」である。近所の子を殺す。自分の妹の子を殺す。当たり前のように他人を殺す。七十一歳の菅主が女性問題でいわば破門にされる。日大のフットボールでは、信じられない殺人タックル。世界各国ではテロリストによる殺人の連鎖。トランプ大統領によるイスラエル大使館移転問題は、政治的、地政学的殺人行為。混乱と殺人は終わらない。我が日本国は、野党が死にもの狂いでない。つまり必死でない。嘘八百の人間を追い込むには、決定的証拠が絶対要素だ。将棋的には、完全に「王」は詰んでいるのに。ホンボシ(真犯人)を追う刑事のような執念がなければならない。でかいオデキを治すには、膿だけ出してもダメ。オデキの芯を出さねばならない。さてその芯とは(?)。
現代人は、人が死のうが生きようが、どんな殺され方をしようが、テレビを見ながらパソコンやアイフォンやアイパッドなどを見ながら、ハンバーガーを食べ、ラーメンをすすり込み、コーヒーにケーキを楽しみ、とんかつやアジフライを食べている。ゲーム世代に育った人間たちにとっては、現実に起きている事なんか「へ」みたいなものである。グレープフルーツハイやワインやビールを飲みながら、もっと絶対的な悪を求め絶対的な悪やエロを求め続ける。ゲームを開発する天才プログラマーたちは、人間の想像を超える。
マヒにマヒを重ね、さらにマヒやマヒを抱えた“ヒマ”人は、すでに病的人間であり、それらがどっと世の中にいる。ネットカフェや漫画喫茶で生活する人間たちは、自己表現することができなく、書き込みなどという行為で炎上を楽しむという。
そういう私もおぞましい事件を見ながら、読みながら食事をしている。やはり和田弘とマヒナスターズの歌などを聴くしかない。いや待てよ、“マヒ”と言えば。“ヒマ”がコインの裏表、五月みどりの“おひまなら来てよね わたしさびしいの お願い・・・!”で一週間に十日来いとなる。現代社会は一週間に十日分以上のオドロオドロシイ事が起きている。国家のトップがルールを持たないと、国民全体も当然ルールなどを持たない。“ジコアイとセツナテキ”生き方となる。恩だ義理は死語となる。♪好きだった 好きだった 嘘じゃなかった 好きだった ほんのひとことあの時に言えばよかったあ…。チャップリンの名画に「殺人狂時代」というのがある。天才はずっとむかしに現代社会を予言していた。「独裁者」というのもある。人は人を愛することで救い、救われるしかない。
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