昨夜 DVD のデッキが怒って機能停止した。途中まで見ていた映画のその先を見ようと、手にしたボタンを押したら、 DVDが出たり入ったりする。このバカアホとボタンを押したら、入ったまま出てこなくなっちゃった。ヤバイ、レンタルしてきているのを返却するのが今日なのだ。何度もボタンを押して、悪かった、ゴメンと言いながら、黒いデッキをゴツン、ゴツンと叩いた。このデッキはメカオンチの私には、これ以上カンタンなのはないという、超安価なものであった。思えば随分と長い間お世話になっていた。もっと大切に付き合うべきだった。東京発21時30分の湘南ライナーに乗って22時25分頃辻堂駅に着いた。タクシーで帰ろうとちゃんと並んだら、ちゃんと並ばない奴がいたので、ああ若い頃ならテメエちゃんと並べと言ったはずだが、朝早くから動きまくっていたので、心身共にチカレタベェ〜になっていた。心の中に歳を感じる自分がいた。家に帰ってアレコレ片付けて映画を見なければと思った。で 、ボタンを押した。どうするべえと思ったのは午前1時過ぎ、超旧式の FAX が動いた音がした。なんだろうと思ったら、あっそうか親愛なる兄弟分に頼んでいた和文英訳が送られてきたのだ。で、届いたよアリガトサンと電話した。この人はロサンゼルスにやたら強くて、いい人に頼んでくれる。今日は面白かったぜ、Vシネの王様みたいな人の誕生パーティーに行った話を聞かせてくれた。 Vシネも売れない時代になっていると言った。話のついでに今デッキの中に DVD が入ったまま出てこないんだよと言ったら、さすが兄弟分、それはオレも経験したよ、ガチャガチャやると相手は精密機器、記憶しているデータが狂ってしまったんだよ、一度電源のコンセントを外して、リセットしてみたらと言った。あっそうやってみるよと、2本を抜いて、2本を入れ直したら、アラマとDVDが出てきた。すぐに電話をしてアリガトサンと言った。そんじゃ10日知人の出版パーティーで会おうぜとなった。現在午前1時47分38秒。映画の続きを見始めた。映画を見ながら夕刊を読む。日経の夕刊一面に「トヨタ・ソフトバンク提携」の大見出しが踊っていた。両社の有利子負債を合わせると、30兆円位になる。日本の国家予算の3分の1位だ。時代は激しく動いている。超大会社も生き残りをかけて。いわんや我々小会社はどうする(?)。「現状維持は、後退だ。」 こんなキャッチフレーズの、全面広告を思い出した。
2018年10月5日金曜日
2018年10月3日水曜日
「大ファンに」
昨夜帰宅途中の列車の中で新聞を広げて、ウワァ〜、間違えたと脂汗をかいた。沖縄知事選で勝利した、玉城デニーさんを、デニー玉城さんと書いてしまった。思い込みすぎていて、家に着くとすぐに訂正をお願いした。改めて、玉城デニーさん当選おめでとうございます。 翁長さんの遺志を継いでください。午前1時12分8秒 NHK では、新しい大臣たちの記者会見が流れていた。 官僚の書いた原稿を棒読みするオドオドした新大臣、時間はわずか、質問者もわずか、ハイそれでは終わります、ハイ次と進む。この前にノーベル医学生理学賞を受賞した、本庶佑京都大学特別教授(76)の鮮烈な記者会見を見ていたので、その差に愕然とした。国に対して毅然と物申す姿に久々に感動した。聞けば日経に載った早刷りの記事を、遅刷りでカットされたとか。あまりの了見の狭さにも愕然とした。教授は賞金を後進のために使うと言った。目先のことばかり追うのではなく、もっと基礎に国は予算を使えと言った。発見は思いもよらないところにあるのだからと。典型的な亭主関白、大の阪神ファン、大のゴルフ好き。その佇まいは、男のダンディズムに満ちていた。背筋をピンとしてキッと正面を見据えていた。新大臣たちは下ばかり見ていた。 原稿を読み違えないために。目はキョトキョトと泳いでいた。大の阪神ファンの教授に、どうしたら阪神は強くなるでしょうかと言う記者の質問に、ピシャッとひと言、指揮官を変えなきゃダメ、もうひと言、もっと藤浪を使わないとダメと言った。藤浪とは投手の藤浪晋太郎選手のこと、150キロ台の球で相手の打者にぶつけることが多い。恐怖の投手なのだ。教授はそんなところが好きなのかもしれない。指揮官を変えろは、国に対して言ったのかもしれない。私は教授の大ファンとなった。
(読売新聞より)
2018年10月2日火曜日
「台風の速さ」
確か先週の水曜日だったと思う。沖縄でホテルを経営している友人に、電話をかけて、知事選はどう(?)と聞いた。友人は玉城デニーさんがリードしていたけど、佐喜真淳陣営が、ひっくり返したみたいだと言った。何しろ建設業界とかいろんな業界にものすごい締め付けを行っている、それに創価学会がフル回転しているとか、佐喜真氏が所属している日本会議も動いている。そうか、なんとか玉城デニーさんに勝ってもらって、この救いようもない悪政の流れを変えてもらいたい、そう思っていた。台風がまた近づいてきているようだから気をつけて、勝ったらきっと沖縄に行くからね、と言って電話を切った。台風24号は投票日の30日にピッタリ照準を合わせたかのように、大きく、広く、ゆっくりと沖縄を目指していた。歴史は必ずひとつの分岐点がある。命脈が尽きる時とか、悪運が尽きる時だ。政治のプロたちはそれを敏感に感じていたはずだ。この台風が吉となるか凶となるか、神風となって無党派の人々が棄権してくれるか、あるいは台風で投票率がグンと下がるか、頼む30日に沖縄に来い。佐喜眞陣営の選挙のプロたちは祈っていたはずだ。なぜなら自民党内において独自の調査をしていて、玉城デニー氏に大きくリードされている。期日前の独自の調査でもリードされている。自民の票も鉄壁の公明の票もかなり食われている。沖縄の知事選は大官房長官マターの選挙、公明もその官房長官の盟友、学会の選対を仕切る副会長のマター。ここで負けるとアメリカから見放され、学会での力を失ってしまう。客寄せパンダと化した小泉進次郎氏は、三度も沖縄で演説をして、その日和見主義を味方からも笑われる。いわゆる“逃げ恥”ばかりだ。政治家としての処世術ばかりを身につけた。(ある大物自民党政治家がテレビで語っていた。やっと政治家になって来たと。)台風24号は絶妙な早さで沖縄を通過した。30日にはほぼ去っていた。自民党内には投票率が61%を超えたらマズイと言っている者がいた。日本人は何かをやり遂げようとして、志半ばで命を落とした人に対しては、その志を支持する。いわゆる弔い合戦が強いのは、洋の内外を問わず共通だ。期日前投票に35%以上行ったのは、玉城デニー氏を支持する人々と無党派が多かった。台風が過ぎ去り、午後から投票に行けるようになり、28%くらいの人が投票した。日曜日午後9時過ぎ沖縄の友人から電話が来た。当確が出ましたよ、玉城デニー当選ですよと弾んだ声で言った。そうかそれは良かった。これで流れは間違いなく変わる。沖縄に行くからねと約束をした。今日内閣を改造するだろう。党の人事はすでにニュースに流れている。主要閣僚は留任ばかり。つまり閣外に出すと始末の悪いことになるので、ホールドしている。麻生太郎と言うカッコマンの根性なしは、閣内で飼い殺し、野党への生贄だ。後は軽量ポストばかり。テキトーに割り振って終わる。内閣は改造するたびに弱体化するという。ポストにつけなかった、大量の心待ち議員がブータレるからだ。国会議員及びマスコミ関係、ありとあらゆる情報を手にしている、官邸の茶坊主たちはそれを弄んでいる。官房長官は、大モンスターと化している。ひょっとして沖縄知事選の敗北をよろんでいるのは、安倍総理大臣かもしれない。それで少し大きな力が削げた。が、来年の参議院選挙は退陣含みとなる。私の夢見ている人にいよいよ機会が訪れる。“動かざること山の如し”動いた人間は勝てない。動かされるようになった人間が勝つ。(文中敬称略)
2018年9月28日金曜日
「やさしい先生」
1982年頃、レバノン戦争があった。その年に生まれた赤ちゃんは、36歳位になっている。昨夜写真家の永石勝さんと赤坂で食事をした。永石さんは天才中野裕之監督の友人であり、私の大先輩である元東急文化村の社長田中珍彦さんの友人でもある。大切な資料を借りていたのをお返しに行って食事となった。中野裕之さんは布袋寅泰と奥さん、今井美樹さんのPV(プロモーションビデオ)を手掛けている。中野裕之さんは日本の音楽界で、世界に対抗できるPVを創り、その世界では「神」に近い存在である。先日中野さんと食事したんですよ、いや、すごいのなんの、 古代史から宗教史、地質学、中世史から大宇宙論まで、話をしてくれましたよ、そうですかやっぱり物凄いですよね、と永石さんが言った。 私はそれを書こうにも浅学のために書けないのである。永石さんは一昨日千秋楽を終えた「オセロー」の公演のポスターや、 すばらしいブックを撮影、デザインをしていた。歌舞伎界の役者さんも多く撮影している。美意識が何しろハンパでない。私が「あかるい鬱展」をやった時、素晴らしい作品を創って協力してくれた。女性にモテル見本の人である。そうだレバノン戦争について書くことにする。昨夜永石さんとサヨナラをして家に帰って、「レバノン」という、映画を見た。午前1時から2時半まで、90分の映画、戦争映画の名作である。 玄関に入ると、愚妻が借りといたわよ、とひと言、言った。メモに書いて置いた「レバノン」を借りといてと。メモが会話である。戦車の中でシリア兵と戦う、市街戦の怖ろしさを、ほぼ戦車の中のクローズアップの顔と目の動きと、戦車の中から見る敵と十のマークのような照準の先で、戦争の凄惨さと恐怖を表現する。ギュイーン、ギュイーンと照準を動かす音がずっと入る。戦車の中からテロリストが車で迫ってくるのを撃つ。ふっ飛ぶ車、手足がちぎれ飛ぶ民間人、逃げまどう数十羽のニワトリ、5歳の娘が犠牲になり、泣き狂う母親。着ている服が千切れて全裸になってしまう母親。汚れに汚れた下着だけだったが、それも千切れてしまう。テロリストか民間人か、恐怖の中で見分けがつかない。照準を見ていると、自分に向かって敵の撃ったロケット弾が近づいて来る。ドカ〜ンと来た、5人は正常でなくなって行く。戦車に命中したからだ。顔は黒く汚れて見分けもつかない。目玉だけがギョロギョロ、どアップで動く。家に帰りたいという男、ここはどこだという男、死にたくないという男、そんな中で一人の男が、ポツンと話し出す。「高校生の時父親が死んだ。学校の先生が、しっかりすんのよと抱いてくれた。体に乳の感触が伝わった。先生はやさしく抱いて励ましてくれた。体は乳の感触に反応してボッキしてしまった。先生はきっとそれに気づいていた。そして抱きしめつづけてくれた。父親が死んだというのに、高校生だった俺は、射精してしまった。それで悲しみが消えてスッキリした。戦車の中男たちは、話を聞いているだけ感じてしまうよと言った。本当の話か恐怖で狂ってしまったのかはわからない。「レバノン」、ぜひオススメです。戦車にはこう書かれていた。「人間は鋼、戦車はただの鉄」司令塔から無線が入る。シリア兵にすっかり囲まれているぞ。そして・・・。戦車はとてつもなく怖ろしい。
2018年9月27日木曜日
「コイコイとカープ」
花札バクチを知らないヒトでも、 オイチョカブという言葉は知っているだろう。(知るはずないか)コイコイとも言う。 オイチヨカブというバクチで一番強いのをカブ、数字の9のことだ。1はピン、2はニタコ、3はサンズン、4はヨツヤ、5はゴス、6はロッポウ、7はシチケン、8はオイチョと言う。8をいちばん強いに9するには、1の札を引くことを願う。トンガレ、トンガレと言う。1は花札の絵が「松」 先がとんがっているので、さあコイ、コイ、 トンガレ、トンガレと札を引く。カブの9を目指す。2月 3月4月となれば、 ニイサンヨッテラッシャイ、ヨシワラのカブとか、5月5月9月だと、ゴゴンゴンクツリガネのカブとか(10の桁はとる)いろんな言葉で表現される。(日本語はとてもオモシロイ) 「アトサキ」と言って2枚で勝負するのもある。中盆(ナカボン)という男が先2枚、後2枚とおいたのに対して、先か後かにかける。 バッタマキとも言う。10代の頃夢中になって、バッタをやった。1月と8月でカブ、10月と9月でカブ、6月と3月でカブとか。これらより強いのが、1月と4月(シュピンと言う)1月と9月(クツピンと言う)これの方がカブより強い。マアもうすっかり忘れちまったが、昨夜ニュースでさあコイコイ93歳のダンナさんと90歳の奥さんが、テレビに向かって必死に応援していた。(広島の仮設住宅内で)そうです。コイといえば広島カープです。球団史上初の3連覇を広島カープが果たしたのです。緒方監督は9回胴上げされた。ヤッタアー、ヤッタアーと。“仁義なき戦い”風に広島弁で言う。コンナはヨオ〜何ボケーとしとるんじゃ、カープがヨオ、優勝したんじゃけん、オー、オー、もっとよろこばなあいけんのじゃけん、ヨオ〜、広島カープ言うたらヨォ、よその者には負けんのじゃけん。台風の被害で家を失った93歳と90歳のご夫婦はとても上品であった。若かりし頃は美男美女であったはずだ。アサヒスーパードライをゴッソリ乾杯用に買ってあった。そしてコイコイ、そしてヤッタアー、そして乾杯!昨夜帰宅すると、栗をもらったので茹でたとかで、沢山良い形をした栗があった。少年の頃よく拾いに行ったのを思い出す。防御体制のスゴイ栗は硬い皮で中身を守っている。素人の私には、硬い皮がうまく取れない。仕方ねえと小さな包丁で真っ二つに割って、小さなスプーンで中身を取って食べた。ボロボロと黄色い中身が溢れまくった。チクショウ栗の形のまま食べたいと思った。コンビニにある“甘栗むいちゃいました”という袋詰めの商品を思い出した。山の中の栗と、海の中のウニは、トゲトゲで完全防御している。絶対食べられたくないとの思いが進化したのだろう。小さな秋と格闘した夜であった。私の朝のおまじないは、家を出てはじめに見たクルマのナンバープレートが、カブになっているか否かである。足して19とか、29とかならカブ、サイコーなのはそのものズバリ“9”だけ。ヨシ今日はイケルと思うのである。
2018年9月26日水曜日
「捨てられる1000万トン」
先週見た「NHKクローズアップ現代」は、衝撃的だった。アパレル業界で売れ残った新品の衣料品を大量に廃棄してた。日本だけでもその量は、推定年に1000万トン。小林旭の大ヒット曲に「ダイナマイトが150万トン」というのがあるが、気の遠くなる衣料品が焼却処分されたり、闇の業者のような人にマトメテドン!みたいに二束三文で売られる。イギリスの高級ブランドのバーバリーなどは服や香水など約40億円相当を燃やして捨てていた。売れ残りの在庫をそのまま倉庫などに置いていたら、莫大な経費がかかる。高級ブランド品がバンバン捨てられ、バンバン値切られて行く。これは売れ筋と思って大量に生産してもアテが外れて在庫の山となる。ファストファッションの商品などはハナから安く作っているので、安売セールでさばく。それでも残ったらシュレッダーにかけるがごとく処分する。高級ブランドを大量に持ち込まれた業者は、まずは衣服などに付いているタッグをバチンバチン切ってそのブランド名を消す。需要と供給のバランスが完全に狂っているのが、不況にあえぐアパレル業界なのだ。ゾゾタウンの前澤友作なる者が、剛力彩芽を恋人にしたとか、宇宙ロケットで旅するなどと言ってるが、株価が下がり続けていたから、その対策と思えばしてやったりだろう。その露出費を広告費に概算したら、ん億円、ん十億円になるはずだ。実にしたたかなのだ。バーバリーとライセンス契約をしていた三陽商会は、バーバリーに撤退されて、赤字続き、大量のリストラをしている。その陰でバーバリーの商品が大量に廃棄処分されている。一見時代の先を行っているような高級ブランドも、実はコンサバであって時代遅れの経営をしている。これからはスーパーブランドと、ファストファッションになる。一方は商品作りにプライドをかけている。一方はプライドなどは一切ない。アパレル業界の中でいちばん創意工夫しているのが、スーパーブランドで、いい品をより高く売る。一方は安い物をより安く売る。「私たちの商品はとても高価です。それは高級品だから」アメリカの広告の中にこんなコピーがあった気がする。先日白いシャツにシミが付いてしまったので、新橋駅前の安物紳士服店で6,000円のシャツを急いで買った。通気性がすこぶる悪くてすぐに脱いだ。寒くなって来たから暖かいかもしれない。「ファッションに強い国民になろう」PARCOのスタート時の広告を思い出す。(文中敬称略)
2018年9月25日火曜日
「タイガーウッズとハイヒール」
昨夜禁を破って23日振りにいつものグラスに酒を入れた。禁酒中飲まずにいた、オールドパーの貴重な残り分をオンザロックで。あと7日と心に決めていたのだが、大ファンであるタイガーウッズの優勝のニュースを見て、涙がたまり興奮した。大ギャラリーと共に、18番ホールに向かうウッズ、最終日には決まりの黒のスラックスに赤のポロシャツ、勿論ナイキのマーク付きの黒のシューズ、やっぱりナイキのマークはタイガーウッズがいちばん似合う。女性スキャンダル、腰痛の手術5回、薬物の副作用、歩くのもままならない体から遂に復活した。アメリカのニュースでは、スポーツ界において歴史上最大の復活とアナウンサーは叫んだ。日本と違って、アメリカは失敗に対して寛容である。大ファンの私は乾杯をしなければならないと思い、オールドパーを飲んだ。久々にノドから食道、そして胃袋に染み込むウイスキーは、たまらなくしびれた。全身がこの味を待っていたぞと声を上げた。文豪永井荷風は、名作「断腸亭日乗」の中で男の人生の三楽を書いている。(一)読書、(二)好色、(三)酒。(一)と(二)は駄目だが、(三)は楽しんで来たし、これからも楽しむ。タイガーウッズは病的に(二)を楽しんだがあくまで病気の一つであった。ウイスキーは1杯だけにした。その後1本の映画を見た。メキシコ映画「ハイヒール」音楽は坂本龍一さんだった。官能的に唄って大歌手となっていた母親、若い頃はたくさんの男と浮名を流した。娘に会いにメキシコに帰って来た。娘は27歳になりテレビ局のキャスターになっていた。そのテレビ局の社長はかつて母親の愛人であった。娘はその社長と結婚していた。メキシコ独特の極彩色の世界、母と娘の愛情ともつれ合う感情。タイトルデザインが抜群に良かった。秀逸だったのは女装した男が大歌手の母親のセクシーな歌い方を真似をして唄うシーンがよかった。シャネルの服、バッグ、メガネ、ココ・シャネルはココというシーンに生きていた。坂本龍一さんの音楽もさすがにいい。映画は思わぬ結末を呼ぶ。
2018年9月21日金曜日
「熱量と熱血の人」
「ソノマ」 のワインに夢とロマンをかけている知人のことを書いた次の日。つまり昨日夜岡山の名産のぶどう、“ジャイアント”を、お土産にと持ってきてくれた人と会食した。歌舞伎座前で午後6時に待ち合わせをしていた。この日午後2時に名優「ベンガル」さんのマネージャーの方と会って、隣にある文明堂の2階でお茶をした。「四万十映画祭」で“最優秀賞”を受賞した短編映画に、ベンガルさんが親分役で出演してくれた。トロフィーのレプリカを制作していたのだが、ベンガルさんにお渡しするのができていなかった。マネージャーの方にベンガルさんはどんなお酒を飲みますかと前日に尋ねたら、赤ワインだけにしていますと言った。で、「ソノマ」の赤ワインを知人から送ってもらってそれを渡し、御礼を申し上げた。ベンガルさんは、明治座で「氷川きよし」の公演に出演するので、稽古中だと聞いた。一か月のロングラン公演とか、「氷川きよし」恐るべし、前売りチケットはほぼ完売であった。ということで昨日は歌舞伎座前に二度行った。岡山のでっかいぶどうをもって会いに来てくれたのは、倉敷の美観地区で有名な「林源十郎商店」の社長「辻信行」さんだ。辻さんは「三宅商店」の社長もやりつつ、超人気カフェ「水辺のカフェ」の経営もしている。51歳京都教育大学を出て小学校の教師をしていた。身体も声も大きいが、夢とロマンもでっかい。倉敷の若きリーダーの一人である。林源十郎商店は代々続く薬問屋さんであったが、今では若い人たちの集まる人気ショップである。いろんなものがある。ワークショップもある。ジーンズショップは高価だが人気がある。辻信行さんは、現天皇・皇后のテニスのご教授をした、日本テニス界のパイオニアの人が住んでいた屋敷を(私が3年前くらいに行った時は、広々とした廃屋であった)ここに案内してくれて、ここを買ったんですと言った。ん億円をかけてここに“ジャム”や焼き菓子などをつくるんですと言った。岡山は果実の名産が多い。“村おこし、町おこし”少し形が悪いとか、少し傷があると店頭に出せない、膨大な果実を買って、いろんなジャムや他のものをつくるんです、 これによって農家は丹精込めて作った果実を捨てないで済むのですと言った。辻信行さんの強烈な熱量と、大学を出て岡山以外の46都道府県を野宿しながら訪ね歩いた、飽くなき探求心(まるで歩く巨人と言われた民俗学者宮本常一さんと同じ)に触れさせてあげたかった。辻信行さんは「ジャム」を自分で目利きしたところに置いてもらうためにとか、コラボレーションをするために上京を重ねて、すでに有名店に出している。ギフトにも広げている。パッケージは白が基調なので、冠婚葬祭にも選ばれていると言った。おしゃべりでは負けない私が、ほとんど無口に近い状態になるほど、壮大な夢とロマンを熱く熱く語った。気がつくと3時間以上経っていた。教育者としての志もあったので、人を育てたいんですと言い、老人たちの知恵や経験を活かして、活性化もしたいと言った。この人こそ地方創生を実行している人であった。とにかくいろんなことをエキサイティングに語った。お金の話はただ一回きり。ところでジャムってどういう意味と聞いたら、期待の新人がすぐにスマホで調べてくれたら、 英語では “いろんなものをごちゃ混ぜる”みたいですと言った。そうだなジャムの中って、ジャズのセッション 、(ジャムセッションと同じ)みたいに、ジャムの素材が瓶の中でセッションしているみたいだ、それにジャムは色々美しい色をしている。美しいいろんな音と同じように。辻信行社長にお願いをした。是非この期待の新人にジャムのポスターを制作させてやってくださいとい言ったら、ぜひお願いしますとなった。9時半頃、店の外に出ると、雨が降っていた。辻信行さんはガバッと私をハグしてきた。私よりはるかにでかい180センチ位、そしてゴッツイ手と握手をした。近いうちにいざ岡山へ期待の新人は行くことになる。人を育てるのは私の大事な仕事である。倉敷美観地区に行ったらぜひ林源十郎商店へ。三宅商店へ。そして水辺のカフェへ。私の名前を出せばきっと何かをしてくれる。半日いても飽きないほど、楽しいショップである。熱量を持っていない人は夢を形にできない。今日も長くなってしまった。いい週末を。
(林源十郎商店)
(新開発のジャム)
(水辺のカフェ)
(ジャムを作る三宅商店の民家風工房)
2018年9月20日木曜日
「久々の仲」
人間の嫌な性格は変わるか、と言えばそうは簡単には変われない。が、変わって行くことはできる。その理由は、人間は生きている限り一年に一歳、歳を取る。月日が経って行くにつけ少しは変われる。一昨日昼12時〜2時、溜池交差点のすぐそばにある、世界的に有名なローストビーフの店「ローリーズ」で、何年ぶりかで知人とランチをした。この知人はかつて業界3位の大手広告代理店で営業部長をしていた。今では有名な紳士服の会社の仕事をずっと一緒にした。その代理店にいたクリエイティブディレクターとコピーライターと共に。ある地に新装された本社ビルがあった。グイグイ成長をしていて、さらに、さらに知名度を上げたい。それまでは日本で一番大きな代理店が受け持っていたが、オープンとなりその先の広告戦略のコンペがあった。(確か5社だと記憶している)その時の担当部長が知人だった。なにしろこれ以上ないくらいの心配性であった。ウルセイ静かにしろ、と私が言うくらい、細々、細々と心配をした。コンペに勝てば数億円の仕事になる。当時長渕剛の“とんぼ”が流行っていて、私は会社の若者の運転する車の中でガンガンとんぼをかけていた。駐車場についても未だ曲が終わってないからと、音楽を流していた。私は全く無法者のように振る舞う、とびきり言いたい放題の嫌な奴だった。私はブログで自分の仕事内容とか、関わった人たちのことはつとめて書かないようにしている。だが知人が代理店を早期退職してから10年ぶりくらいに会って、劇的に心配性な性格が変わっていたのに感動したのだ。プレゼンのコンペは一発で勝利して何年も仕事を続けさせてもらった。(広告代理店には数十億が入ったことになる、私には入らない。)アメリカ、イタリアなどにロケに行った。社長と共にのこともある。フィルムの監督は、日本の最高峰で、この人よりCM界の受賞を授かった人は、おそらく今でもいないだろう。恐ろしい監督で有名であった。心配性の知人は撮影の現場でも細々と心配した。なぜ久々に会ったか、それは一冊の本の出版であった。知人は食とワインを通して世の中を変えようとしていたのだ。すでにカリフォルニアのその世界で、知人の名を知らない人はいないという。私はワインは全くオンチである。ただナパヴァレーというワインの一大産地名は知っていた。知人は今ナパヴァレーから「ソノマ」 というところのワインを広げている。本の題名は「ソノマのワイン休日」世界文化社から出版された。写真・文も知人であり奥さんがサポートしていた。副題に「カリフォルニア・ワイン発祥の地」とあった。文章がとてもいい。実に謙虚で控えめで読みやすい。食とワインの関係、「ソノマ(ナパヴァレーのすぐ側、サンフランシスコに近い)」の観光ガイドにもなっていて、読んで写真を見ると今すぐにでも行きたくなる。カリフォルニアの太陽は上からでなく、横からくるんですよと知人は言った。サイン入りの本を送ってくれたので、その御礼にランチ(現在禁酒中なので)しようよとなったのであった。「ワインツーリズムの立役者」と呼ばれていると書かれている。映画「サイドウェイズ」の作品はワイン好きにはたまらなくいい。知人はナパヴァレー・アドバイザーとして参加している。ローリーズでヤア、ヤア久しぶり本をありがとう、素晴らしい本だよと言った。写真・文・地図、解説、観光ガイド、抜群だよと言った。かつての心配性的なものはなく、穏やかで、やわらかで、相変わらずオシャレでいい歳の取り方をしていた。イタリアミラノではジョルジオアルマーニ、をホテルの部屋いっぱいに買いまくっていた。むかしの仕事の話は別れ際の数分間だけ。金の話は一切なし、これはいい時間だった。現在日本とカリフォルニアを行ったり来たりして、日本に「ソノマ」のワインを輸入販売している。お世話になった方に赤ワイン二本、赤と白を一本ずつ贈りたいと言ったら
、すぐに手配してくれた。私に対してずいぶん変わりましたね、本当に変わったなあ、ガンガンバンバンしていたけど、やさしくなったと言った。それが何を指すのかわからない。2時半に全日空ホテルで、ある政党のふたりの若手議員が相談事があると言うので、もっと話したかったが、また会おうぜと言って別れた。ワイン好きの方、ぜひ「ソノマのワイン休日」を読んでみてください。紳士服の会社の社歌を頼まれて、作詞故阿久悠さん、作曲は小林亜星大親分に頼んだ。今も歌われているか聞きそびれてしまった。社長が芥川賞の選考会場で有名な築地の料亭「新喜楽」で、社歌完成の席を開いてくれた。その時入り口で花束を持っていた若者が、今の社長になっているとか。月日は長々と経っている。 人は変わって行く。2018年9月19日水曜日
松坂桃李のヒップ「運動」
後味の悪い映画を見た。レンタルしてきた自分が悪かった。15本借りてきていた。新作のコーナーに「娼年」というのがあった。原作石田衣良であった。どうせたいしたものではないと思っていたが、ひょっとしてと思って借りた。天才中野裕之監督のピースな映像(私が見た本年度ドキュメンタリー部門NO.1)を見た後は、心が清められ洗われた。万葉集を生んだ日本の風景は、どれほど美しかったのだろうかと思った。「娼年」はこのまるで逆であった。正常な人が見るとウソ、ホントヘンタイ(?)と言うだろう。主人公(松坂桃李)は夜BARでバイトをしている。客の中に中年の女性がいる。この女性は見た目のいい若い男を見つけ登録しては訳ありの人や女性たちに売る。娼婦ではなく「娼年」として。渋谷、新宿、赤坂、鶯谷のラブホテル街のローキー(暗い)な映像の中で、松坂桃李が変態のお客の相手をする。若い女性や中年女性から老人女性まで、映画の半分くらいは松坂桃李のプリプリの全裸のヒップが激しく動く。動きすぎるくらい動く。お客の反応がいいとランクが上がり、ギャラも上がる。言葉が話せない娘をよろこばせてと頼む親、自分は不能となったから妻を思い切りイジメてしてくれ、それをビデオで撮ると言う夫。少女の頃好きな少年の前でじっと我慢していたら、おもらしをした。そのトラウマで、人におもらしをするのを見てもらわないとダメというインテリ中年女性等々。大文豪谷崎潤一郎も変態だったらしいが、それを文学まで極めた。が、石田衣良はとても及ばない。文学性、芸術性が会話の中にない。松坂桃李はよくこの映画の仕事を受けたと思う。 CMに彼を起用している会社にとって、決して気持ちいいものではないだろう。文豪と言われた人はほぼ正常でない。異常性こそが文学である。芸術とは、異常を表現したもののことを言う。ただ美しい、ただ精密、ただ見たものを描くのは、ただの技術に過ぎない。 友人の写真家が過日、団鬼六がやっていたような、女性の裸体を太い縄で縛り上げ、吊るし上げ、ローソクの火をつけ、ムチで叩くなどの
写真を撮る仕事を頼まれて撮影してきた。写真家は縛られている女性が、本当に快楽に涙している姿に、感動したと言った。たくさん入った観客は真剣であったと言う。見ますかと言うから、いいよ、そういうのはイメージしている方がいいので、現実は見たくないと言って断った。作家永井荷風は、毎日のように浅草のストリップ小屋に通った。女性たちの生態を見たくて。女性たちのいる部屋の隣の部屋を借り、壁に穴を開けてずっと覗き見していたのは有名である。そしてそれを至高の文学にした。 三島由紀夫、川端康成、室生犀星、みんな変な趣味があったと言う。(あるいは小説を書くためのものとか)映画は「娼年」松坂桃李の激動のヒップショーだった。(文中敬称略)
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