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2018年11月27日火曜日

「沖縄の渡邊修一から、菜の花ちゃん」

うれしい話というのは、いかに突然であってもうれしい。沖縄で四つの部屋と屋上ジャグジーのホテル「フォールーム」を経営している友人から、突然、沖縄テレビのディレクターから、 友人である渡邊修一に今春沖縄で放送したドキュメンタリー番組が、第38回「地方の時代」映像祭2018グランプリを受賞したと電話をもらった。渡邊修一は予算いっぱいの NHKスペシャル 「沖縄と核」など全国各地の番組に比べて、ローカル局の低予算番組(47分)が、まさかグランプリなんて夢にも思っていなかったようだ。「菜の花の沖縄日記」というのを渡邊修一が、構成とナレーション台本を担当した。彼はかつて伊集院静氏が勤務していたことのある、広告代理店に勤務していて、コピーライターや、 CMプランナー、テレビ番組の企画や構成、台本など幅広い分野で活躍していた。離島大好きでいつか自分の思い通りのホテルを経営したいと、コツコツ資金を貯めついに夢を実現した。これ以上いい奴はいないのではと思うほど、無欲でロマンチストで呑兵衛で、愛犬家である。私が沖縄に行くと最高の笑顔で飛行場に迎えに来てくれる。さて、グランプリ作品が先週末に送られて来た。一枚のダビングされたDVDと、 手紙と番組のストーリー、それと現在FNSドキュメンタリー大賞にノミネートされているという知らせであった。「菜の花の沖縄日記」は、心の距離を縮めたい、という石川県能登から沖縄に来た15歳の少女「坂本菜の花」という名の女の子が、珊瑚舎スコーレというフリースクールに入学する。(学校に行きたくない嫌なことが、前の学校であったのだ)フリースクールには、お年寄りが通う夜間中学が併設されている。そこでの体験を新聞のコラムに3年間書き続けていた。沖縄テレビの「平良いずみ」さんがそのコラムをずっと追い続け番組化した。渡邊修一はホテル経営を奥さんと二人でしながら、番組制作に何本も携わって来た。沖縄の言葉・ウチナーグチには「悲しい」という言葉はないという。悲しいに近い言葉は、「ちむぐりさ」と言うらしい。人の痛みを自分のものとして胸を痛め、一緒に悲しむ・・・。菜の花さんは老人たちと学び、遊ぶ。そしていつしか大きな笑顔ばかりとなる。なんともかわいい顔と笑い声が、画面から溢れ出る。沖縄出身の「津嘉山正種」さんのナレーションが実に良かった。12月1日13:30〜17:30関西大学東京センター/千代田区丸の内1-7-12 サピアタワー9階で上映される。参加費無料、申し込みは03-3211-1690、メール/ku-tokyo@m1.kanda.jp 心を洗いたいと思っている人は、ぜひ観てください。夜間中学で勉強する老人たちの姿に、久々いつものグラスで乾杯をした。とっておきの、いただき物のウイスキーの封を切った。ナベちゃん突然行くからな御祝に。 それと、夜間中学に入学して勉強がしたいから。


2018年11月22日木曜日

「こんな夜更けにバナナかよ」

本日22日はお墓参りの日、陽が落ちるのがはやく、4時半を過ぎると、つるべ落としに暗くなる。調布紅葉丘にある多磨霊園に着いたのが、4時近くであった。いつも花とお線香を買う墓石店が、開いていてよかった。紅葉丘は本当にきれいな紅葉になっていた。お墓に行くと心が静かになる。雑草をむしり取りながら、日々の反省をして、なんとかお許しをと願う。前田晢監督を紹介されて、12月28日(金)松竹映画から公開される映画「こんな夜更けにバナナかよ」のチケットをいただいた。筋ジストロフィーを患いながらも、全力で明るく生きた鹿野靖明さんの43年の人生物語り。ぜひ観ていただきたい。体は不自由、心は自由!お墓参りを済ませお線香の煙を後にしながら、やっぱり五体満足のくせに、親不孝をしている我が身を反省した。


2018年11月21日水曜日

「ゴーンと丸源」

12月31日の夜でもないのに、除夜の鐘がゴーンと鳴った。日産、三菱、ルノーの最高責任者カルロス・ゴーン逮捕。その日の夕刊紙に牛丼2社の生涯賃金比較表が出ていた。A社は入社して定年まで勤めて約2億3千万円、B社は約2億5千万円、35年〜40年勤めて手にするする賃金だ。カルロス・ゴーンの賃金は、5年間で約100億だから、一万円札を一枚二枚と番町皿屋敷風に数えると、どんだけ〜と女装男子のIKKOのフレーズが出る。ふと20年前位に見た報道番組を思い出した。MCのインタビューに応えていたのは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった。IT業界のリーダーだった。そんなにお金を稼いでどうするの(?)みたいな素朴な質問に、あのねえ、人間は200億円手にするとどう思うか分かりますか(?)と聞き返した。う〜む、そんな金額想像もつかないからなと腕を組んだ。答えは簡単ですよと言った。200億円を手にした人間は300億円、400億円を欲しくなるんですよ。へえ〜そうですか、みたいなやりとりだった。そのIT業界のパイオニア的リーダー(ホリエモンではありません、ずっと先輩)事業拡大に失敗して、この世から消えた。昨日夕刊各紙を見ていると、銀座の不動産王といわれ丸源ビルを60ケ所位持っていた。86才になるオーナーに、実刑判決が下った。確定すれば入所となる。カルロス・ゴーンみたいなことをやったのだ。罰金も2億円以上くっついていた。夜の銀座には今も丸源のマークがたくさんある。資産1800億円ともいう、裁判マニア(?)川本源一郎という86才のオジイサンが入所か、むかし見た東映のヤクザ映画に、嵐寛寿郎という老優が鬼源とかいう伝説のヤクザ役で刑務所にいたシーンを思い出した。主演は確か高倉健だった。カルロス・ゴーンは特別扱いの取り調べだろうが、入っている部屋は狭く、枕は堅く、布団は重い。朝は正座して点呼となる。日仏間のOKサインなしには、決して逮捕はなかったであろう。国際的パワーゲームの中では、カルロス・ゴーンもただの民間経営者の一人にすぎない。(文中敬称略)



2018年11月19日月曜日

「れんこんとギンナン」

昨日昼晴天、江ノ島海岸側にある、モスカフェでチーズバーガーを食べ、コーヒーを飲む。遠くの海岸線に釣船のシルエットが並んでいた。今年こそ海釣りにと思ったが、できなかった。床屋さんに行って、頭をサッパリ、昨日もグーグーと眠ってしまったようだ。女性は美容院に行くと、大いにストレス解消になるそうだが、男も同じ床屋さんは何よりの所だ。新しく飾られていた写真がとても良かった。老婆が大山参りをしている後姿だが、これから登る階段の先に入り込んでいる光がいい。それと老婆のリュックサックに入っている光がなんとも秀逸だった。床屋さんに来る写真愛好家が、よく飾り変えている。アマゾンで買ってもらった、医学博士、西村正著の「明治維新に殺された男」を読む。人斬り半次郎といわれた、桐野利秋から見た西郷隆盛と明治維新である。医学博士の目線から、西郷隆盛がどんな健康状態で、どんな精神状態かを分析しているのが新しかった。230ページ位だったので好きな競馬中継を見る(決して買わない)までに、ほぼ読み終えた。G1レースはイギリスのダービージョッキーが騎乗した馬が勝った。このところ外人騎手ばかりがG1に勝つ。そして大相撲中継へ。横綱三人が休場、大関もパッとせず、応援している御嶽海は、勝った。服部桜は今場所も全敗中、今年中は無理かなと思う、序二段の足立が一勝している。茅ヶ崎出身はこの二人だけ。6時過ぎ愚妻と近所の小学校に茅ヶ崎市長選挙と、市議補選の投票へ。茨城の名産である、これ以上ないという見事な「れんこん」を茨城の知人から頂いていた。芸術的れんこんは、明日へと大事に保管した。それにしても見事だ。ご近所の方から、ギンナンを頂いた。立派な柿も、熊谷守一画伯ならどんな絵を書くだろうと思った。画題としては申し分ない。過日買ってもらっていた。垣根涼介著、「信長の原理」を読み始めた。こちらは586ページであるから、1日58ページ位を目標にしている。昨夜は夫婦二人きり、「たらちり」と「のどぐろ」の干物、浅利の佃煮で充分、腹が少々渋っている。6時〜6時45分BSで「西郷どん」を見る。瑛太という役者は実にいい。鶴瓶の岩倉具視は、怪演である。私は西郷隆盛は権謀術数にその限りを尽くした。政治家だと思っている。革命家から革命をとったら、何も残らない。もし許されるなら、生涯でいちばん会いたかった人物である。維新後、大別荘(3万坪)を構えた大久保は暗殺される。今のホテルニューオータニ付近である。あまりの憎しみか、首に刺さった刀は突き抜けていたという。ズタズタになった。9時からレンタルしていた映画を3本見た。「ミッドナイトバス」新潟日報150周年記念157分と長い。新潟←→池袋を往復する長距離バスの運転手の人生だった。小西真奈美がよかった。静々と物語は進み、静々と新潟の名所を写しつつ、一人の男を追った。次に「NEON・DEMON(ネオンデーモン)」を見た。アメリカのファッション界のストーリーだが、極めてスタイリッシュで、シュールであった。スパンコールを使ったタイトルデザインがgoodであった。もう一本斎藤工が初演出した、70分程の映画「blank13」リリー・フランキー主演。残念ながらテーマが古く、斬新な切り口がなかった。寂しいお通夜の話は、何度もつくられて来た。次作に期待する。現在午前3時49分11秒なり。晩秋というには情緒がない。



2018年11月15日木曜日

「岩波文庫と食事」

バーバリーのコート、黒のスラックス、短髪に黒縁のメガネ、手には岩波文庫。東京発→熱海行に同席した27・28才の女性は、絵に描いたような文学少女風で今どき珍しいと思った。みんなスマホばかりだからだ。列車が新橋、品川、川崎となった時、文学少女が抱きかかえたトートバッグの中から、 まず黒々とした大きなおにぎりを出した。次におーいお茶のペットボトルを出した。読んでいた本はバックの中にしまっていた。ここまではとても文学少女的(?)であったのだが、次に出したのはガビーンと魚肉ソーセージであった。これが結構臭いがキツイ。魚肉ソーセージのアタマの部分は金具でしっかり止まっている。女性はそれを歯でかじり切った。そして包んであるビニール部分も歯でツーと下まで取り除いた。プーンと臭って、魚肉ソーセージのピンク色の肉体があらわに現れた。ガブッというよりも、チョボチョボと食べて、おにぎりも食べた。おーいお茶を飲んだ。ずっと下を向いたままだった。横顔が岸本加世子にそっくりだった。その食事は藤沢駅まで続いた。午後8時過ぎ、車内放送で、線路の安全点検をしますので、しばらくお待ちください、誠に申し訳ありません、と何度も何度も言った。結局25分程度列車は停止した。魚肉ソーセージは臭気を出しながら、女性の紙袋の中に、完食のあとかたが消えた。少年の頃、魚肉ソーセージは最高のゴチソウだった。丸く切って油で炒めると、少しばかりそり返る。ご飯にバターをのせ、そり返ったソーセージを加えて醤油をかけると、もう絶品であった。大洋漁業のマルハの ソーセージが一等賞だった。



2018年11月14日水曜日

「カラダは正直」

先週金曜夜、長い間手掛けていた仕事の「打ち上げ」みたいな会があった。 招待客は六人、 記念品、お土産、帰りの車の手配、店との細かい打ち合わせ、ワイン好き、日本酒好き、ウイスキー好き、相手の好みを調べておく、画龍点睛を欠くというから、初めから終わりまでしっかりしてなければならない。事前に女子スタッフに頼んで協力してもらって、いろいろ運びこんでいた。徹底的にやるのが私の流儀なのだが、先々週タクシーに乗っていて、事故にあった。大したことじゃないが、顔と足の甲を傷つけた。少年が自転車でいきなり無点灯で飛び込んできた。タクシーの運転手さんにミスはない。が、足の甲の部分の損傷が思いの外深く、特に足を曲げる時にそこを使うので、やたらに痛い。タクシー会社には黙っていた。で、ずっと片足を靴から出している。まるで痛風の人のようになって歩いていた。大事な会は楽しく、終わってみんな満足してくれた。(?)が、やはり若くはない、体は正直であった。で、次の日に平塚の鍼灸の達人に来てもらった。あ〜これぞ天国だ。鍼千本でも、一万本でもブスブス刺してよと思った。それからど、ど、どっと疲れが出て華厳の滝に落ちたみたいに、ふとんの中に撃沈した。気がつくと13日(火)となっていた。この日はある映画監督と、一人の画家を埼玉県飯能のアトリエで撮影する日だ。しかし起きようにも、起き上がれない。体に力が入らない。ヤバイ、ヤバイ、と思うが動かない。プロとしていちばんやってはいけない、過ちを犯してしまった。"生きてたの 死んだのかと思ったわよ。ずーっと眠りっ放しよ”その声が頭にかぶさって来た。結局カメラマンに今日はすまない、もう間に合わないのでヨロシクとなり、監督にも謝った。人間記憶を失うというほど、不気味なことはない。長い文章を書いたなと断片的には思い出すのだが、まるで夢の中のようである。大反省している。ということで400字のリングは休筆していた。

2018年11月9日金曜日

「いい週だった」

今週ステキな出会いがあった。そうして嬉しい電話。ステキな出会いその一人は、映画監督の「前田晢」さんを、お世話になっている、会社のオーナーに紹介されたことだ。二人でわざわざ私の仕事場に来てくれた。前田晢さんは、「ブタのいた教室」とか「極道めし」「王様とボク」をはじめすばらしい作品を作っている。12月28日松竹から封切られる正月映画「こんな夜更けにバナナかよ」を作った。 私を訪ねてきてくれたのは、ある画家のドキュメンタリー映画のポスターを作らせてくれるためだ。会社のオーナーに一度ぜひ会ってみてよ、すごくいい人だからと聞いていた。長回しで有名な故相米順二監督や滝田洋二郎監督や崔洋一監督たち巨匠に鍛えられた人だ。東北芸大で准教授もしてると言った。
映画少年がそのまま目の前にいるという感じであった。当然話は映画で盛り上がった。ある画家については、ポスターができてからご紹介する。ものすごく明るい人で、ものすごく悲しい人だ。映画の題名は「ぼくの好きな先生」故忌野清志郎のヒット曲だ。先生の描く絵には、必ずRUNNERの文字が入る。それが悲しいのだ。来週13日撮影する。ステキな出会い、もう一人は、ブラジル・リオオリンピックで有名になった、ユニークな流面形の公式卓球台をデザインした、プロダクトデザイナー「澄川伸一」さんだ。やはりお世話になっている会社のオーナーから依頼された仕事の打ち合わせで会った。澄川伸一先生の自宅兼アトリエは東小金井駅の近くであった。千葉工業大学を出てソニーに入社、いきなりウォークマンをデザインした伝説の人だ。駅まで迎えに来てくれた。 BMWで約5分アトリエに着いた。私がイメージしていたものが、すでに模型として作られていた。アトリエの中には、いろんな流面形の作品があった。ジャコメッティが好きな人ですかと聞いた。人間をギリギリまでつきつめたジャコメッティの彫刻は、私も大好きであったからだ。ええ大好きですと言った。アトリエ内にジャコメッティ風のオブジェがたくさんあった。実はこの打ち合わせの後、電話を忘れたと大騒ぎになり、ご夫婦に大迷惑をおかけした。結局東小金井駅の切符売り場に忘れていて、駅員さんにもしかしてと聞いたら、親切な人が届けてくれていた。凄腕の女史がいなくなってから、 とにかく新人をはじめみんなに、迷惑ばかりかけまくっている。澄川伸一さんも大阪芸大で月に何回か教えていると聞いた。大阪芸大から有能な人材が、次々と出ている秘密を知った。教える人をしっかり選んでいるのだ。会社のオーナーの期待に応える作品が生まれたら、 日本の一つの文化が変わる。嬉しい電話は、友人の映画プロデューサー星野秀樹さんが参加している、上映中の映画「スマホを落としただけなのに」がヒットしていますと知らせてくれたことだ。北川景子主演である。みんな頑張っているなと思った。映画で生きていくという人間は、悪徳プロデューサー以外は、みんな、みんな映画少年だ。いい人と会った日は、私も少年の心になれるのだ。天才中野裕之監督の「PEACE NIPPON」の外国語版は、どうなっているだろうか。世界中の人に見てもらいたい作品だ。週末はぜひ映画館へ。


2018年11月7日水曜日

「しあわせの絵の具」

“正しい結婚”というのがあるとしたら、この映画の主人公二人だろう。実話を題材にした「しあわせの絵の具」という映画だ。借金だらけの兄がいて、意地悪な叔母と住んでいる女性がいる。やせていて、背中は丸くなっている。体はリウマチで、歩くのが苦手だ。歳はすでに40歳位になる。兄は住んでいる家を借金返済のために売り払い、体の不自由な妹を追い払う。叔母も賛成する。女性は家を出て一枚の募集のメモを見る。そこには“家政婦”募集掃除道具を持ってくることと手書きで書いてある。不自由な体ではやく歩くこともままならない女性は、足を引きずり、トボトボと長い道のりを歩き、広い畑の片隅にある、小屋みたいな家に着く。そこには街を嫌い、人を嫌う偏屈な荒々しい男がいた。男はオンボロ車とリアカーに積んだ、割った薪を売ったり、釣った(とった)魚を行商して日銭を稼いでいた。犬が二匹、ニワトリが数羽、電気はなくランプで生活をしている。ガスもないので薪で料理(とても固いパンと冷めたスープ位だ)女性は家政婦に雇ってくれと頼む。男は断る。何度か頼み、屋根裏で暮らすことと、週給25セントならと住み込ませる。小屋の中は汚い。空気も汚い。(網戸がないので閉めきっている。開けるとハエが入るから。)リウマチで指が不自由な女性にはひとつだけ、幼い頃から好きなことがあった。それは絵を描くことだ。女性は毎日男に叱られながら働く合間に、ペンキの缶の中に、持ってきた絵筆を入れて、壁や、ガラス戸や、いろんなところに絵を描く。働いて得たお金で絵の具を買う。(街には長い長い距離10キロを歩いて行く)汚かった小屋に花とか、鳥とか、緑の樹々とか、いろんなものを、絵本のようなタッチで描く。猛烈に雪が降る冬が、一度、二度と訪れる。女性はその風景を粗末な板に描く。小さな板にも描く。屋根裏で一緒に雑魚寝している男は、抱くこともしない。ある日、一人の女性が大きな車から降りてきて、ガラス戸とか扉に描いてある絵を見て、これを買いたいと言う。絵書きサイズ一枚をなんと5ドルで。男はこんな下手な子供のよう絵が、5ドルで売れたことに驚く、と言っても相変わらず荒々しい言葉で接する。ある日一羽のニワトリを締めて、温かいチキンスープを女性がつくる。男の中に少しずつ変化が起き始める。大きな車の女性は何度か来ては、絵を買って行く。そしてその絵のことが新聞で紹介される。当時副大統領だったニクソンが気に入ったと。小屋の前には、テレビ局や新聞社などが連日取材に来る。人が嫌な男は苦々しい日を送る。 そして何年か経ったある夜、男と女性は結ばれる、屋根裏の古いベッドの中で。二人は牧師一人、友人夫婦一組に祝福されて教会らしきところで式を挙げる。月日は経ち、女性の症状は悪化して肺の病となる。オンボロ車に、妻を抱きかかえて、男は街の病院に行く。そしてベッドの脇で初老となった男は息も絶え絶えの妻に、そっと「俺にとっていい妻だった」と言う。その言葉を聞き、永遠の眠りにつく。一つの希望の思い出を残して。昨日深夜から四時少し前まで、この映画を見た。夫婦はどちらか死んだ時、どちらかが何を言うかで、その結婚が正しかったかどうかが分かる。とてもいい映画なのでぜひ見てほしい。さて、私の場合はと考えた時、きっと地獄だったわよと言われるかも知れない。私は人に好かれようとすることが大嫌いである。それ故誤解を生むが、思いのまま、ありのままに行く。相手が分からなければ、それだけのこと。やけに絵が描きたくなった。週末久々に藤沢の画材屋さんに行って50号のキャンバスを5枚買うことにした。来年はきっと個展と、新作映画の短編を発表する。そのためにひたすら働き、ひたすら映画を見るのである。ルノワールも大恩のある大巨匠も、リウマチで体が不自由だが、執念で固まった指に絵筆を持って、日々創作している。

2018年11月6日火曜日

「競売と画廊」

毎月15日は“競売の日”むかしからの決まりが変わっていなければ、今も行われているのだろう。この日は政府公認(?)の土地や建物、ビルやマンションのバッタ市であった。(ずい分日にちが経っているので、今はどうかわからない)つまり夜逃げしたり、倒産したり、怖い人たちに追い込みをかけられた人々が、物件を競売に出す。談合と同じようにこれを仕切る人間がいる。当然人相のいいのはいない。取材のためにそっと入った私も人相が悪いので、全く誤解なくどこぞの若い衆だろうと思われた。××建設、××組、××会 、××商事、そして地面師集団などが集まり、あっとオドロクタメゴローのような、安い価格で競り落とす。当然、当番みたいなのが仕切って、なんらモメることなく競売の日はシャンシャンと終わる。 全てが終わった頃に、役人みたいな人が来て、本日はオツカレさまでしたと終わる。が、ひとたび話がモメると、何人かが東京湾に浮き、何人かが山の中に埋まり、何人かが行方不明となる。これらを動かしているのが、誰かは想像がつくだろう。昨夜「ビジランテ」という映画を見た。脚本・監督入江悠。東映ビデオ製作だった。父親がなまじ広い土地を遺産に遺したために、三人の男兄弟が血で血を洗うことになっていく。秀作の映画である。この映画を見てずっとずっと昔に見た“競売の日”の光景を思い出した。人間の人相は職業によって変わる。「男の顔は履歴書」と言った大親分がいた。金を追う人間は独特の顔に変化する。私は動物的臭いを感じとる。その人間の未来がほぼ見える。そしてほぼその通りになって来ている。ある画壇の大先生から電話があった。銀座の○×画廊で個展をやっている。キミの分を取っておいたよと言った。お菓子を持って行ったが、大先生の顔は悲しい位貧しくなっていた。しかし作品はすばらしかった。絵を買うような人間がすっかりいなくなってしまったのだ。芸術後進国のこの国は終わるなと思った。


2018年11月5日月曜日

「評論家を評論する」

世にはその膨大な蔵書を写真公開するバカな作家や、評論家たちがいる。本のために家を別に持っていたり、家を堅牢にして、建築用のクレーンで本を上げたり、下げたりする。どこに何があるのかわからない。この人たちが、世の貧しい人々のために、何かをしたという話は聞いたことがない。私は読書家は信用するが、蔵書家は信用しない。
もう全て読まなくなった本を、未練がましくずっと置いて何になる。否、買ったけど殆ど読まずに、インテリアの代わりに置いている。あるいは古書店に売る。そんでもって酒など入ると、読みかじりの話をする。評論家という仕事をする人間に多い。決してその評論の責任はとらない。世にはとにかく評論家と言うバカ者が多い。(小林秀雄という評論の神様(?)がいた)あろうことか広告評論家などという救いがたき者もいる。自分でつくってみろと言いたい。教育、文芸、映画、料理、庭園、植物、動物、落語、演劇、など電話帳に載っている職業の数だけ評論家がいる。一部には高尚な評論の方々もいるが、総じて心がけが貧しい。ギャラさえもらえばいかようにも書く。蔵書はいわばヤクザ者の代紋みたいなもので、相手を身じろぎさせる道具に使う。政治評論家などというバカ者たちは、レッキとした主義主張もなく、あっちこっちの政党の議員のパーティーに顔を出して、ジャッキを入れる(空気を入れること、つまりモメるようにする野次馬)映画館をハシゴして、チョイとだけ見て、星三つとか、二つ半とかヒマならいう映画評論家たちのおかげで、苦労してつくった作品の入りに少なからず影響する。音楽評論家というのも、いい加減だ(吉田秀和なんて凄い人もいたが)もうかなり耳が遠くなっているのに、ある演奏会の評論を書いて、不出来だったみたいに書いてその存在を知らしめる。実は聞いてなかった。これらの人間のポートレート写真のバックには、これでもかと本棚に本がある。過日とある著名評論家の蔵書の大移動の映像を見た。クレーン車が出動していた。この頃すっかりその存在感はない。その逆にこんな映像を見た。一人の文豪の家に取材カメラが入ると、蔵書なし本棚も一つもなし。あったのは小さな文机の上に、原稿用紙と文鎮と、万年筆とインク壺、それとある辞書が一冊のみ。そして座布団一枚。そうだなもう何年も本というのを一冊も読んでないなと、言った。かなり芝居がかって見えたが、かくあるべしと思った。先夜ある評論家と食事を共にした。人のことは言えないが、そのオソマツな人間性に呆れ果てた。自宅以外に蔵書を置いている家を持っているとか。 ただ酒をよく飲み、よく食べやがった。ご友人・知人に高尚な評論家がいる方には、お許しを。(文中敬称略)