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2019年7月19日金曜日

「男たちの挽歌」

妻子のために殴られた男の顔は酷く美しい。フランスのボクシング映画は実にいい作品であった。一昨日深夜「原題:SPARRING」日本での題「負け犬の美学」である。主人公は45歳のボクサー。日本でいえば6回戦ボーイだ。49戦で13勝しかしていない。妻と子が3人いる。すでに45歳、50戦で引退しようと思っている。50戦目を戦って勝利し3人の子どもたちにパパは勝ったと言いたい。ある日、ジムで世界チャンピオンのスパーリングパートナー(練習相手)を3人探していると聞き、ぜひにと売り込む。最強のチャンピオンは45歳の男に心配を持つ。パンチ力なし、テクニックなし、ただ得意と言えば“打たれ強い”ことだけ。スパーリングをするとまるで弱く練習にならない。妻と3人の子がいる男は、ファイトマネーが必要だ。殴られて顔は変形するが、決してダウンしない。チャンピオンはその姿に心打たれる。男はチャンピオンの試合に対して自分の考えた戦い方をチャンピオンにアドバイスする。トレーナーたちは、お前は何勝しているんだと聞く。男はこの3年間は勝っていない。49戦で13勝34敗2分けだと言う。そんなボクサーの出過ぎたアドバイスにトレーナーたちは一笑に伏すが、チャンピオンは何かを感じる。そしてあるところで前座試合があるから出てみないかと言う。妻は陽気だ、長女にはピアノの才能があり伸ばしてやりたい。小さな娘と息子にはパパの勝ったことを、50戦目のラストの試合で知らせたい。そして6回戦のゴングが鳴り一進一退の殴り合いは続く。映画はこの試合の結果を正確には伝えない。試合を終えベッドの中で寝ていた子がパパ勝った(?)という問いに、やさしく笑い抱きしめる。この映画は実話をモデルにしている。ラストに「ロビン・ディーキンス」21勝51敗、「ジョニー・グリズス」4勝96敗、「ピーター・バックリー」32勝256敗という記録が映像とともに表示される。男は酷い顔になった姿で長女のピアノを演奏する姿にエールを送る。ボクシングこそ男のスポーツNO.1と思っている私は、先日の村田涼太選手の勝利に感動していた。リング上から、我が子に向かって「明日からパパといくらでも、野球でも水泳でも行けるからな!」と言った。ボクサーは1gの減量に苦しみながら長期間すべての欲望を拒否して、試合に挑む。リング上で殴られ、たとえ死んでも仕方がない、プロの職業なのだ。「負け犬の美学」は最新作だが、シングルパパが見たら泣けてしまうだろう。村田涼太選手はある先生に出会い、ボクシングを教えられるまで、無敵の不良少年だった。私も負け犬の美学を貫いて行きたいと思って今日まで来た。「勝者には何もあげるな。すでに勝利を手にしているのだから」。私の初恋の女の子が、超有名大学の大学教授となり、「E・ヘミングウェイ」や英米文学の研究と翻訳をし続けている。確かE・ヘミングウェイの言葉である。E・ヘミングウェイは自らボクシングをするほど、ボクシングが好きであった。「負け犬の美学」ほど美しいものはない。香港映画の名作「男たちの挽歌」を思い出した。「恥じて生きるより、熱く死ね」。男にとって仁義こそすべてなのだ。







2019年7月18日木曜日

「『スヤイ刑』と『ミックスサンド』」

先日昼、フリーのライターさんとニュー新橋ビル内の喫茶店に入り、珈琲をした。地下の定食屋さんでサンマ定食を食べた後である。サンマはまったく脂っ気がなくパサパサであった。このビルは地下から地上まで中国人が経営している店が多い。喫茶店に行ったのは、森功著の「地面師」に出ていたので、フリーのライターさんに一度入ってみると誘った。私はこのビルが日本人ばかりだった頃、喫茶店の前にある歯医者さんに通ってクリーニングや治療をしてもらっていた。ある年の暮れ、40代でお医者さんが急死したと、奥さんから電話が入った。私には酒は飲まないと言っていたが、奥さんによると大酒豪だったらしい。すこぶる男前で腕がよかった。待ち時間や早く着いたとき、喫茶店で珈琲をしながら新聞を読んでいた。その頃を思い出すと、確かに怪し気な男たちが話し込んでいた。もっとも私自身がかなり怪しい感じなので、お店の人からみると、一味の人間に思えたと思う。新橋グループは相当に強力な地面師たちで有名である(その筋で)積水ハウスさん(私の家は積水ハウスさん)から60億円近くだまし取ったグループの一部の人間に、昨日東京地裁で判決が下った。10人が起訴されている。その判決を見ると懲役4年から4年6ヵ月であった。裁判長は「組織性が高く、非常に悪質だ」と言ったと記事にあった。業界用語で言えば「スヤイ」なんとまあ「安い」となる。日本は詐欺に対してものすごく刑が安い。やりたい放題の国、やった者勝ちの国なのだ。1000万円の詐欺も1000億円の詐欺も大した差はない。15年、20年の長期刑は少なく、無期懲役は聞いたこともない。例えば悪質な詐欺にあって一家心中したり、会社も倒産したりのケースもある。間接的な殺人と同じだが、刑は安い。オレオレ詐欺が防げないのはこの刑の安さである。刑事訴訟法を今すぐにでも改正する必要がある。警察や裁判所は詐欺をする奴も悪いが、ダマされるほうも悪いという考え方が強い。強盗や強姦(強制性交等)、殺人などの強力犯に比べて、詐欺事件は得点が少ない。日本で詐欺をした金を国外に持ち出し、カジノで全部使ってしまったとウソをつき、しっかり隠しておいて、3、4年で出所して来て手にすれば3、4年は安い旅(刑につくことを旅に出るとも言う)なのだ。大変お世話になった積水ハウスさんのために、判決は死刑が私の望みであった。マルチ商法で世間を騒がし、数千億をかき集めた連中も、安い旅から帰って姿カタチを変えて、再びマルチ商法を発見している。ちなみに、その喫茶店はサラリーマンのオアシスであり、地面師グループとは一切関わりはない。とてもいいサービスで、感じがいい対応である(ミックスサンドウィッチが旨い!)。詐欺と人にお金を貸すのも同じで、返すと言って期日にちゃんと返す人間はほとんどいない。貸した人間のほうが悪いんだと言われる。人に金を貸すということは、友人を失うことに等しい。保証人になるのも同じだ。借金魔と言われた「石川啄木」などは、その天才的才能を、「5・7・5・7・7」に発揮し、もう一つの才能を借金に発揮したと言う。人に金を貸したらあげたと思うべしなのだ。なまじあの金を返してなんて催促すると、陰で悪口雑言を言われてしまう。私の人生の多くは血族の借金返済に消耗した。「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る(石川啄木)」。
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「学校の問題」

少年時代「悲しき街角」とか、「悲しき少年兵」「悲しき雨音」など、悲しきを題名にしたヒット曲がアメリカから入って来た。英語から日本語への直訳的題名であった。少年の恋の歌でもあった。少年も少女も初恋に胸をトキメカせ、初恋に眠れぬ夜を過ごし、初恋以外の物事にはまったく関心はなくなっていた。その日の朝から、次の日の朝まで、初恋の味カルピスであった。勉強の成績はガタガタと落ち、運動の部活をしていても、ドジばかりして先輩にドヤされる。私の場合、成績はもともとビリッケツなので勉強に支障はなかった。7月16日「『19年度版 政府白書』で10代自殺、学校起因が最多」というような衝撃的な新聞の見出しを見て、年頃の子を近所に持つ身に恐怖心がドキッ、ドキッ、ドキッと脈打った。学校に行っていれば、ひとまず安心ではなくなったのだ。政府から発表された数字は、きっと氷山の一角なのだろう。少年少女の自殺はひた隠す、家庭も学校も。18年に10代で自殺した599人のうち、特定できた原因・動機のなかでもっとも多かったのは「学校問題」だった。次に健康、家庭、男女と続く。学校問題の内訳は、学業不振、進路の悩み、学校との不和、入試の悩み、いじめ、教師との人間関係と続くが、ずい分と学校寄りの数字だと思ったのは、教師との人間関係が1人となっていることだ。この政府発表が当てにならないのが分かる。少年少女の悩みは教師への恋心や教師との関係、教師への不満、不信、学校の責任逃れへの怒りと絶望にある。少年少女の初恋の相手は森昌子の歌にあるように「それは先生」が多いのだ。こういう学校の味方みたいな調査を発表していては、少年少女は救われない。日本の教師たちは世界でいちばん働くという。教師たちの脱出先はどこにあるのだろうか。教師が苦悩しない環境をつくり出さねば、少年少女の命は守れない。雨、雨、雨ばかり、悲しき雨音ではない。少年少女の怒りの雨音だ。教師の無念の雨音と捉えて、早急に真正面から対処してほしい。学校が死を選ぶ場所にならないために。あなたは今、文部科学大臣の名前を知っていますか(?) うんざりする雨はまだ続く。(文中敬称略)
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2019年7月12日金曜日

「花菱アチャコ師匠」

7月9日(火)、私は飛騨高山にて、左官のカリスマ「挾土秀平」さんとの打ち合わせを、ある大手不動産会社の総責任者の役員の方や、販売最大手の担当の方々、現場を担当する方々など8人で行った。朝10時から打ち合わせ開始なので、前日高山駅側のホテルに泊まった。挾土秀平さんとは某大手ビールメーカーの仕事を、ご一緒させてもらってからのおつき合いだ。全身殺気をためていて、眼光はでかく鋭い。声は野太くでっかい。気の弱い人は2分か3分でマイッタとなる。当然笑い声も大きい。怒ったときはその何倍もでかい。天才である。また詩人であり、写真家でもある。繊細さと殺気が生む、途方もない芸術的作品群は圧倒的に凄い。私たちが着いたときすでに、見本となる大きな作品を、作り終えていた。すばらしいの一語で全員息を飲んだ。詳細は7月末から8月にかけて現場で、巨大作品をつくる工程を、数日間ドキュメンタリーの映像にして、発信する予定だ。すでに制作スタッフのキャスティングをしている。おそらく業界初となる。その後、高山名物のラーメン店に全員で行く。火曜日は高山ラーメンは休日。わずか2、3店しかやっていないのを、事前に広告代理店のベテランが調べていてくれた。高山はとにかくラーメン店が多く、それぞれが味を争っている。私たちが行ったのは、「魚魚(ととや)」であった。ラーメンに煮玉子入り、いいスープの香りとともに出て来た。ラーメンのたたずまいがいい。期待がふくらむ。レンゲでまずスープをひと口、旨い! ピンポーン、久々の当たり店だった。人それぞれに好みがあるのだが、私はいままで2店が当たりで7店が外れだった。はじめて食べたときの、大ピンポーンの店がどうしても見つからない。私は写真を撮らないので記憶が頼りだが、何度行ってもラーメン店が多いので分からなくなる。ラーメンを食べてすぐに高山駅に向かった(それぞれ散会、おつかれさまでしたと)。午後3時半に名鉄グランドホテル18Fカフェラウンジで、中日新聞の記者の方と打ち合わせがある。少し遅刻してエレベーターを降りると、記者さんが立っていた。18Fラウンジの目の前は、東京モード学園の巨大なモニュメントのようなユニークな建築物だ。新宿のシンボルタワーになっているのも、東京モード学園の建築物だ。今話題となっている映画「新聞記者」の主人公の女性記者とは同期入社であった。女性記者のご主人も大手新聞社の記者であった。想像を超える圧力やイヤガラセを女性記者は受けているとのことだった。我が国は国際機関の調査によると、報道の自由度が先進国の最下位に近い。映画の中で内閣官房調査室の責任者が部下に言う。「この国に民主主義はいらない。形だけでいいんだ」と。私たちは恐い国の中にいる。私の住んでいる街にバリバリの自民党員の人たちがいる。その人たちがこう言った。「オレたち今回の選挙は自民党には入れないんだ」と。その言葉の意味は、「もういい加減にしろ、現政権」ということであった。むかし関西の大スターに「花菱アチャコ(ハナビシ アチャコ)」さんという師匠がいた。少年の頃大ファンだった。その師匠の決めゼリフが、“目茶苦茶でゴジャリマスルガナ”であった。金権主義の成れの果てが今の我が国であり、メチャクチャなのである。貧乏でもいい、幸せな国にしてほしい。救世主が現れることを切に願う。中日新聞の記者さんは実に清々しく、正義感に満ち満ちていた。30代そこそこと思ったが、40代であった。正義感はその人相に的確に現れる。家に着いて洗面所で顔を洗った。鏡に写った自分の人相の悪さに苦笑した。メチャクチデゴジャリマシタ。みなさん、いい週末を。三連休の間じっくり自分の顔とニラメッコしてみてください。何、オレはホレボレするようないい顔だと。ちなみに当時アチャコに対抗できる東京の大スターは「伴淳三郎」で、決めゼリフは、「アジャパー」であった。我が国は今、「アジャパー」だ。(文中敬称略)



2019年7月10日水曜日

「『なんもしない』という仕事」

フジテレビは日曜日午後2時~3時のドキュメンタリー番組と、その後の「みんなのKEIBA」という競馬中継しか見ない。フジサンケイグループの思想が私に合わないからかも知れない。夕刊フジアレルギーになったからかも知れない。7月7日七夕さんの日曜日、翌日は出張なので借りて来ていた7本の映画の残り2本を見て返却しなければならない。10時半頃、チャンネルのボタンをいじっていたら宮根誠司がMCをしているフジテレビの報道番組が出た。私の目に「おっ、なに?」というタイトルコピーが入った。それは「レンタルなんもしない人のなんもしなかった話」そんな内容のものであった。小柄で細い一人の男。30〜34歳ぐらいだろうか。関西の有名大学を出て会社に入り、サラリーマン生活をする。が、ある頃から、“人間は何かしないといけないのか”と言う。素朴な疑問を持ち会社を辞める。そしてネット上に「何もしないけど」みたいなことを発信する。と、次々とメールが入って来る。例えば、一人で散歩するのは嫌だから一緒に歩いてとか、木登りをしたいのだけど一人で登っていると、変に思われるから登るのを見ていてくれとか。何かの行列に一緒に並んでとか。何件も何件も注文が入る。基本的に交通費しかもらわない。職業のようであって、職業ではなかった。ただ何もしないでいるだけの存在であった。男はリュックを背負い言葉は最小限だ。哲学的人生のようだが、そんな大それたものではない。注文は途切れることはなく入る。思わず見つづけてしまった。男には妻と幼い子がいた。マンションの一室に帰ると底抜けに明るい奥さんがいた(顔はボカシ)。何か変だけど仕方ない。今は貯金を少しずつ取りくずして生活してます。アッハハハと大きく笑った。ある出版社が男の日々を綴った本を出版していて、印税が少し入るのだとか言った。いい奥さんを持った男は幸せだ。アクセク毎日働いている私は何をしているのだろうか。一人の若い女性は歩きながら路傍に咲く花を写真に撮る。その日は野イチゴを見つけて、ウワァ〜カワイイと写真を撮る。男は無感情で交通費1200円ぐらいをもらう。ただそれだけである。何かとても大切なものを教えられた。その後「おかえり、ブルゴーニュへ」と「メアリーの総て」を見る。ワイン造りは難しい。父親が大きなワイナリーを持っていたが死んでしまう。男二人と女性一人の兄妹は、莫大な相続税のために苦悩する。中国のことわざに、「死して美田を遺さず」みたいな意味があるのを思い出した。我が子のために財産を遺すべからずと言う。相続税の支払い義務の分担や、少しでも遺った財産を争い合って奪い合う。何も遺さずがいい。古人の教えは、あまたの血みどろの財産の奪い合いを見たから生まれたのだろう。人間は今、これと一緒でないと生きて行けないと、SNSの子分になっている。「何も足さない。何も引かない」。あるウィスキーの名コピーが浮かんだ。(文中敬称略)

 




2019年7月8日月曜日

「七夕さんと湯ドーフ」

迷惑なタクシーが増えている。後部座席の左側に乗ると、目の前に天地20センチ、左右30センチぐらいの画面がある。乗車するとそこに、あなたの顔などから分析して、あなたに向いた広告が出ます。こんな内容の和文と英文が出る。老人なら老人向き、女性なら女性向きとなるらしい。ある個所を押すと消えるのを知ったのは最近である。私は乗車すると、画面に向かって、バカヤローとか、アッカンベーとか、顔面グシャグシャにする。が、いつも同じ広告が出る。人材募集ばかりだ。Why、なぜ(?)この頃テレビCMは人材募集と通信、飲料関係ばかりだ。「言葉不在」の広告ばかりで、どこがどこだか、どのメーカーが、どのメーカーとどう違うのか、よく分からない。えっ! 途中採用でこんな逸材が、などと中途採用をコケにした人材会社の広告がある。実に不愉快である。どうせ、いい人材なんていないだろうなんていう広告もある。リクルートとアメリカ資本が組んで、一気に広がった。竹中平蔵がパソナグループの中枢に入って、日本はアメリカ的転職社会が加速した。これからは出社してその日のうちに「君は今日までです」と言われ、給与計算して終わりとなるシステムの会社となる。かつての会社には家族的経営というのがあった。松下電器の創業者松下幸之助はその実践者であった。多くの企業のリーダーたちは、松下幸之助に会社経営を学んだ。現在、家族的経営などというのは「死語」に近いものとなってしまった。ギスギス、トゲトゲ、イライラ、ムカムカする人間関係の中で日々仕事をする。その能力と成果は一つひとつコマゴマ分析される。「コイツはいるか、イラないか」と。顔認証なんかで分析されてたまるかだ。私のような悪相形相は、簡単に分析できるはずはない。本屋さんに入ったら万引きか否かを顔つきで分析するという。本屋さんに行くことも、ままならない世の中となってしまった。誤認される人も多く出るだろう。もっとも男の顔は履歴書という言葉もある。女の顔は請求書とも言う。若者たちの50〜60%には恋人はいない、結婚願望もない(恋愛は面倒くさくて、お金がかかるからという)。スマホがあればいいのだ。昨日は七夕さんであったが、雨と風、肌寒く。「今晩何にする?」と言うから、「湯ドーフか鍋」と言った。月曜日、早朝より茅ヶ崎←→小田原←→名古屋←→飛騨高山へと向かう。
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2019年7月5日金曜日

「銭湯と戦闘」

(1)大阪579(2)東京561(3)青森303(4)北海道・鹿児島284(6)兵庫174(7)京都171(8)神奈川152(9)大分148(10)愛知100、以下(14)千葉54(16)埼玉47(24)群馬(37)静岡11(40)栃木9(43)茨城3 さて何の数字でしょうか? これは銭湯の多い主だった都道府県(一般公衆浴場・公営と私営)。「南こうせつ」さんの名曲“神田川”の中に若い二人が洗面器にタオルと石けんを入れて銭湯に通う姿が歌われている。石けんはカタカタ鳴っていた。銭湯は不思議な場所であった。番台をまん中に左右男湯女湯と分けられていた。老若男女が丸裸になっていく。脱いだ衣服は丸い竹籠の中に入れた。脱いだ下駄や靴は番号のついた大きな本棚みたいのに置いた。そして下足札をもらった。脱衣場には大きな姿見の鏡があり、体重計があった。冷蔵庫の中には名糖コーヒー牛乳が定番で、ブスッと刺す小さな道具が、冷蔵庫に輪ゴムでつながっていた。銭湯は四民平等で同じ値段で、同じ丸裸である。女性は髪を洗うときお湯をたくさん使用するので、余分にお金を払い、細長い板をもらった(ちゃんとお金を払ったことの印)。番台に銭湯の主人や、その息子が座っていても、なぜか女性は、「イヤダ! 見ないでよ」とか「何見てんのよ。このスケベ」とかは言わない。番台は聖地であった。私の後輩が銭湯の息子だったので、「オイ、一度オレに座らせろ」と言ったら「ダメデス、ダメデス、それだけは絶対ダメです」と拒んだ。熱い湯と少しぬるい湯があって、その境界の下は空いていた。子どもたちはもぐってそこを行ったり来たりした。銭湯は熱いプールであった。刺青の入ったお兄さんもたくさんいた。三助さんというオジサンがいて、いくらか払うと背中を洗い流した。三助さんは女湯に行っても、決して「キャー」とか「見ないでよ」とかは絶対言われない。銭湯は3時オープンで夜12時までが基本だった。どんな外国人が来ても銭湯は断らない。異文化コミュニケーションの場であった。中国人とフランス人はお風呂に入らないので有名。食にこだわり満漢全席なんて途方もない料理を生んだ(3日間かけて食べたと言う)芸術、文化の大国同士は、緯度でも同じ線上であり、両国はウマがあって中国とフランスは仲良くなった。フランス料理のフルコースを見たことがある人は知っていると思う。モノ凄く美しく、モノ凄くソースの香りがいい。一度食べたら当分食べる気を失う。永谷園のお茶漬けが恋しくなる。盛大な結婚式から帰った後、小腹がすいて、焼鮭の残りが半分あったのを思い出し、お茶漬けの中に入れる。ウメエ〜やっぱり日本の味がいい、ということになる。中国料理は基本的に火を通すので油の味がする(これがいいのだが)。現在の国際社会において中国とフランスは協調する。銭湯には富士山の絵がなくては成立しない。時々描き変える。一度その超絶的技を見たが、下書きなしで一気に描いてしまう。「世界で一番ゴッホを描いた男」という中国映画がある。中国は贋作大国であり、コンベアー式にあらゆる画家を本物以上(?)に描いて安価で売る。ゴッホ以上にゴッホを描いた中国人の凄さに驚嘆する。ゴッホになり切るために、ゴッホの歴史を訪ねてまわる。私の友人で日本テレビの社員で、ドキュメンタリー番組をつくっていたプロデューサーがいる。過日会ったとき、「何やってんだよ」と訊いたら、「いろいろやっているが、いま全国の銭湯に行っている。もうすぐすべてをまわり切る」と話をしていた。反体制の闘志であった。“戦闘だよ、銭湯”と言って笑った。同席のもう一人の友人は国会や官邸の日々の出来事を記録するカメラマンだった。いよいよ昨日、参議員選挙が告示された。報道各社のインタビューでそれぞれ決意を白いボードにマジックで書いた。全員子どもより下手な文字であった。“書は人なり”とも言う。17日間各政党同士、正々堂々と「戦闘」してもらいたい。戦いが終わったら、各党首全員、丸裸になって銭湯に入って、互いの労をたたえあってほしい。裸同士のつき合いから、いい政治は生まれる。いい週末を。


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2019年7月4日木曜日

「淫雨」

ショパン作曲「バラード第1番ト短調」を聞きながらと言うと少しはクラシックを知っているのか、と言われるそうだが、正直クラシックはベートーベンの「運命」とか、「第九」くらいしか知らない。ピアノ曲の中でも難しい曲の代表と言われているのが「バラード第1番ト短調」だと言う。BSドキュメンタリー番組「私を救ったショパンのバラード」イギリス制作、2013年9月6日の番組を録画したDVDを見た。東日本大震災の後、日本の一少女とイギリスの青年の心の行き場を追ったドキュメンタリーだった。その主題曲がショパンのバラードで、番組のラストに超絶的テクニックでピアニストが鍵盤の上に指を動かす。浅田真央さんがこの曲を好んで使い銀盤の上をスケーティングする。その映像もインサートされる。病んでいる青年は音楽家を目指している。大津波の映像は何度見ても信じられない自然の怒り(?)だ。少女はその中で希望を追う。九州・八代出身の八代亜紀が歌った曲がある。♪~雨々 ふれふれ もっとふれ~♪というフレーズで大ヒットをした。皮肉にも九州地方がとんでもない大雨の被害にあっている。毎年、毎年繰り返される。アメリカは地球温暖化防止を世界の国々でやって行こうという“パリ協定”から脱退した。屋久島猿が沖縄の施設から脱走して麻酔銃で撃たれて捕まった(全匹)。屋久島に行ったとき、やたらに屋久島猿が出て来た。体型は小さい猿だが、かなり闘争心が強く、決してガンを飛ばすな(目と目を合わせるな)と言われた。施設の担当者が鍵を閉めるのを忘れたらしい。いよいよ今日は参議員選挙が告示される。過日深夜1時頃フリーのライター須田諭一さんと仕事の後、少し腹が減ったねと赤坂の路地裏の焼肉店に入った。小さな店で2階にあった。客が3組居た。私たち2人の斜め前に山本太郎議員とその秘書らしき人。2人の前に中年の男。私のイメージでは、熱弁をふるう山本太郎がイメージされたが、意外にも、とても静かに目の前の人の話を静かにじっと聞き入れていた。「アレッこんなだっけ?」と思った。牛タン塩、カルビ、ロース、サンチュなどを食べ2時半近くまでいたが、山本太郎はずっと静かだった。「えらい違いだね」と須田さんに言った。政治とは演説であると言う。“れいわ新選組”がブームを呼ぶのは間違いない。アメリカの大統領選は、ハリスという女性の上院議員が相手になれば、トランプは勝てない。強力なディベート力を持っている。80歳に近いバイデンとサンダースの支持率は急降下している。自民党内だけで選ばれた我が国のリーダーは、G20でウロウロするばかりで、トランプからシカトされ、板門店から北朝鮮に入った。トランプは負ければ刑事訴追される可能性がある。湘南ライナー21時40分品川発、前から3番目、隣りに32、3歳の女性と男性。男は氷結を飲み、女性はトロピカーナを飲んでいた。2人は大きな袋の中から“ゲンコツセンベイ”を出して食べ、喋りまくり、笑いまくり、異臭を車内に放散させた。ゲンコツはとにかく食べる音がガリガリ、ガリガリうるさい。足を組んでいたので、トイレに行くオヤジが私の足にぶつかって行った。確かに組んだ足が通路側に出ていたので私の非である。ガリガリ、ウルサイ“ゲンコツセンベイ”は大船駅で止まったが、まだキャーキャー言ってゲンコツを食べ合っていた。「ウルサイ、クサイよ」と小さく言った。シュンとしてバッグの中に残りのゲンコツを入れた。嫌なオヤジ、バーローと顔に書いてあった。トイレから男が戻って来たので足を中に入れた。日本人は泣く子と地頭にはかなわないの言い伝え通り、現代の若者は女性には何も言わない。家に帰り「ヘンリー」という実話を元にした古い映画を見る。この主人公は母親が、子どもの前で体を売るようなことをして金を得ていた。ヘンリーはそれがトラウマとなっていたのか、あるいは生まれつきの殺し愛好者か、娼婦や罪なき人たちを次々に殺しつづける(300人以上の女性を殺害したと言われている)。この頃「ただ人を殺したかった」そんな動機の事件が多い。夫が妻を、妻が夫というのも多い。近隣同士も多い。生活音の嫌悪を長年感じていたとか、ペットが嫌いだったとか。東海道線の列車内も、街の中も、近隣もイライラ、ムカムカが積み重なっている。ヤバイ世の中なのだ。ゲームで育った世代は、日常的に残酷な映像シーンをYouTubeとかで我れ先にと見ていて、感覚がマヒしている。神経的肉体感覚にスリ込まれている。やることを失った定年後の人たちも、YouTubeというのを見て殺意をタメ込んでいる。老人たちがオドロシイ世の中である。ストレスをタメ込んだ教師たちや官公庁の人間のスケベな事件も多発する。雨、雨、雨、ずーっと続く雨を「淫雨」というらしい。淫乱な雨なのだろうか(?)。体がベタベタして気持ち悪い。災害には、自助、共助。公助が必要なのだが、「近助」という考え方の、ふだんからの定着も必要だ。♪~とんとん とんからりと 隣組~♪という歌がむかしはあった。近隣とは「淡交」を旨とせよと言うが、この頃は「無交」が多い。日本は世界一の森林国だが、そのメンテナンスをして来なかったツケが出る。ゲンコツとトロピカーナのガリガリ女性は、私の足元に置いてあったカバンを蹴飛ばすようにして藤沢駅で降りて行った。それにしても不快指数100が続く。不眠症なのでさらに眠れない。「告発者」という不気味な映画を見る。医者が看者の若い女性に注射を打ち、モーローとさせて犯し続ける。そして告発される。合コンなどをしているとき、女性のドリンクにクスリを入れてモーローとさせて一人、二人で犯すという、ドラックドリンクを使ったバカヤローな犯罪が続く。自分のことは自分で守ることを心がけて行く世の中となってしまった。今日も激しく雨が降り続ける。八代亜紀はしばらく♪~雨々 ふれふれ~♪は歌えないだろう。(文中敬称略)

2019年7月2日火曜日

「高島忠夫さん、ありがとう」

雨、雨、雨、そして雨。ベタベタとした風がへばりつく。不快指数は100%だとニュースが流れる。突発的、衝動的、猟奇的、無慈悲な殺人事件が、続々と起きる。吉本の芸人たちが闇営業という名のシノギで退場を命じられる。芸能の世界では今でいう反社会勢力の許可なくしては何もできないできた。国技である大相撲も同じであった。昔の議員の中には体にモンモン(刺青)をしょっている人もいたという。業界の代表として。雨、雨、雨、そして雨の中、やけにむし暑い中カルロス・ゴーンの記事はベタ記事のように日々小さくなっている。「世の中には、2つの不幸があるという。(1)お金のない不幸。(1)お金がある不幸。 私が東京都杉並区に住んでいた頃、荻窪駅南口、阿佐ヶ谷寄りの片隅に映画館がポツンとあった。「新東宝」である。隣りにビリヤード、その隣りにラーメン屋(たしか丸長)があった。映画館は他にまだなかったので、新東宝の映画は封切りされるたびに全部観た。冷暖房なし、長椅子は石みたいにカチンコチンだった(一人ずつの席ではない)。夏は暑いので大きな氷の塊りを持って行ったり、冬は七輪に品川の練炭(有名ブランドだった)を持ち込み火をつけて暖をとった。支配人が「何やってんだ」と怒ってきた。ラーメン屋さんから出前をとってガラガラの館内で仲間とラーメンをすすった。支配人がすっ飛んできて「何やってんだ」と怒った。その頃の銀幕のスターは鞍馬天狗の「嵐寛寿郎」と「高島忠夫」であった。第一期ニューフェイス、確かハンサムタワー3人衆の一人であった。あと2人は、松竹に移った。「吉田輝男」と東映で大スターとなった「菅原文太」であった。女優はなんといっても「三原葉子」であった。3人衆の中でとび切りのスーパースターが高島忠夫であった。大学生の役などを観て、一度は大学に行きたいと思った。次々と主演していた。映画を観ていると、ビリヤード場から玉と玉がぶつかる音がして、点数を数えるビリヤード場独特のオバサンの声が、けだるく聞こえる。2点、3点、4点〜なんて、中央線の列車が通る音が聞こえる。高島忠夫が正義の男として活躍する。新東宝はアラカンこと嵐寛寿郎と、高島忠夫でもっていた。うつと闘いながらも“イエ〜イ”とやったがつらそうだった。同じ経験がある私には死ぬほどつらいことがよく分かった。でも、これぞ愛妻という寿美花代さんと、才能豊かな父親思いの2人の息子がよく支えた。すばらしい親と子である。私の高島忠夫は、どんなになっても希に見る日本人離れしたエンターテナーだった。イエ~イな存在であった。うつを克服してイエ~イもいい声になった。私を映画の虫にしたのは100%新東宝であり、高島忠夫さんであった。永眠、合掌する。寿美花代さん、政宏、政伸の息子さんに「心からご冥福を祈ります」と言いたい。香港では学生たちが決起している。日本の学生はどうだろう。高島忠夫さんは大学生がよく似合った。時代を大きく変えるのは、いつの時代も若い力だ。(文中敬称略)


2019年6月28日金曜日

「終わりは、始まり」

6月28日金曜日の銀座は、台風が残していったベタベタの湿気と30度を超える熱とで蒸し暑かった。私はこれ以上ないというほどお世話になった会社の会長ご夫婦への御礼の品を求めて仕事仲間と有楽町のビックカメラに行き、デジカメを選んだ。62年間の会社通いが終わり、自由人になられたので、ウオーキングの途中に花や蝶や、小さな虫たちの営みを写真に撮っていただきたいと願った。全身誠心誠意の御方で、私にとっては「神」に近い存在だった。18歳で入社してから社長、会長まで62年間毎朝7時20分に出社された。私は時々7時40分に電話をした。必ずその御方が元気よく電話に出てくれた。超優良会社であり、超ハードでもあった。創業して66年の会社、私は創業者の初代社長から、2代目、3代目、そして現在4代目となるまで約半世紀仕事をさせていただいた。和田アキ子さんに出演してもらい、長い間この会社のCMを作らせていただいた。香山美子さんにも出てもらった。そして今、桃井かおりさんに出演してもらっている。ロスアンジェルスに住んでいる桃井かおりさんに連絡を取り出演を頼んだ。まずその会社の製品を使っていただいた。「この商品は最高よ。私、日本に行って何でもやるわよ」とおっしゃってくれて、福島県白河の広大な敷地の中にある工場内や、ホテルを借りて撮影した。監督、撮影、編集は天才「中野裕之」さんにお願いした。この会社の最初のCMは、大巨匠であり、業界のレジェンド「原田徹」監督にお願いし、海外の賞を受賞し創業者によろこんでいただいた。私にとって「神」のような存在の御方が退社されて、私の心の中にポッカリどころか、ドッカリと穴が空いている。ベタベタの暑さの中でビックカメラに行った。カメラに詳しい仲間に一緒に行ってもらった。その後、和光に行った。中国の人が銀座を占拠しているほど居て、タイの人や、ベトナムの人や、台湾の人などアジア系の人々が多勢“銀座の民”となって居た。現在G20が大阪で開催されている。銀座にもその影響か、警備のために動員された警察官が多く居た。今日6月28日より、映画「新聞記者」が上映される。現在の日本では難しいと言われた社会派の映画である。日本にも根性者の凄いプロデューサーが居る。それは「河村光晴」さんである。首相官邸の内部をあらゆる圧力をはねのけながら、私たちにはじめて見せてくれる。あえて参議員選挙直前を選んで上映を決めたと、ある新聞のインタビューで応えていた。主人公の女性記者は、今も官邸の代表に対して、鋭く質問をつづけている。一人でも多くの人に観てもらいたい。リベラルな議員さんたちにも観てもらいたい。賛否は人それぞれが感じればいい。この国は民主主義国家であるのだから。6月の終わりが、何かの始まりかも知れない。