絶望的な世の中だ、と言う人が多い。希望を持っていない人は今の世をそう表す。確かに若者たちに胸を張って、こんな希望、あんな希望もあるぞと自信を持って言えない。恋愛もしない。結婚もしない。パラサイトのように親のところで三度のメシを食べている若者も多い。なぜかと聞けば、会社が嫌だ、仕事が気に入らない、給料が安くて明日に夢も希望も持てないと言う。親はちゃんとしろ! とか、ちゃんとしなさいよ! と言って怒る。お前が悪いんだ、何言ってんのよ、あなたが悪いのよと言い争いが始まり、子はウルセイ! と暴れ出す。こんなときは、何だお前、暴れる元気があるじゃないか、心配していたけど、心配ないわ、ハハハハと笑うのがいい。オーストリア=ハンガリー帝国領当時のプラハで生まれた、ユダヤ人商家の息子がいた。名を「フランツ・カフカ」と言う。朝起きたら“虫”になっていたという小説「変身」で有名だ。世界中の小説家や小説家志望の人間に大きな影響を与えた。カフカはプラハ大学で法学を修めた後、肺結核で斃れるまで、労働者傷害保険協会に勤め日々、実直に官僚機構の冷酷怪奇な世界の中で生きた(41歳で没)。まい日、まい日絶望と共に。本というものはほとんど読まない私の愛読書が一冊ある「絶望名人カフカの人生論」天才中野裕之監督と短編映画を作りたくてこの一冊を見つけた(まだ未制作)。カフカが私と同じ酷い“不眠症”だったと知ったからだ。この一冊の中で特に好きなところを記す。何かのお役に立てれば幸いだ。諸々、抜粋。彼の日記やノートは、日常の愚痴で満ちています。それも「世界が……」「国が……」「政治が……」という大きな話ではありません。日常生活の愚痴ばかりです。「父が……」「仕事が……」「胃が……」「睡眠が……」彼の関心は、ほとんど家の外に出ることがありません。発言はすべて、おそろしくネガティブです。しかしカフカは偉人です。普通の人たちより上という意味での偉人ではなく、普通の人たちよりずっと下という意味での偉人です。その言葉のネガティブさは、人並み外れています。たとえば、「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまづくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」。カフカは結婚したいと強く願いながら、生涯独身だった。家族と仲が悪く、とくに父親のせいで歪んでしまったと感じていた。カフカの書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、未完。すべて焼却するようにという遺言を残した。詳しく読みたい人は、新潮文庫刊、頭木弘樹編訳、本体520円(税別)を。昨日、今日私がこうして生きていられるのは、この大監督のおかげという恩人を訪ねた。牛肉が大好きなので、牛肉と牛肉弁当を持って。恩人は、絵描きさんでもある。よくぞここまで尽くしていると思う、奥様と娘さんに支えられて、いい施設の中にいた。パーキンソン病をはじめいくつもの大病で一日50〜60錠の薬を服用していたが、恩人は決して絶望しなかった。絵を描くことさえできれば。部屋は広く、中はアトリエ状態だった。たくさん、たくさん絵を描いていた。車椅子に乗りながら。「奥さんや娘さんに感謝ですね」と言った。顔がふっくらとして顔色もよく何よりだった。銀座伊東屋で24色の水彩絵の具を買って行った。今度行ったときは、きっと水彩で何か描いてくれているはずだ。私は勇気をもらって「それではまた来ます」と言って握手した。手はゴツゴツとして力強かった。人間、何か一つやり遂げたいものがあれば、絶望はしない。ああ映画が作りたい。千葉の流山に私の戦友がいる。水彩画の達人だ。大怪我を心配している。元気に絵を描いていればと思う。戦友とはシンドイ仕事をずっと一緒にやったという仲だ。
2019年10月17日木曜日
2019年10月16日水曜日
「記者たち」と「バイス」
歴史にもしがあったらと思う。ジミー・カーターが大統領になったとき、太陽光エネルギー対策を公約通り実行しはじめた。アメリカの石油資本はカーターを攻撃した。カーターがあと1期大統領をやっていたらどうなっていただろうか。パパ・ブッシュの息子、ジョージ・ブッシュがアル・ゴアにわずか537票差で勝っていなければ。あのときフロリダ州の選挙結果を裁判所が、投票数の集計に疑義ありと判決を出し、アル・ゴアが申し出ていた、敗北宣言撤回に同意していたら、“不都合な真実”を解明しながら、地球環境を守らねばならないと、温暖化防止に向かっていただろう。ブッシュVSゴアはフロリダ州知事の権力によって、改ざんが行われていた。きっとアル・ゴアが勝っていたのだ。もし、ジミー・カーターとアル・ゴアがそれぞれ2期ずつ、大統領をやっていたら、地球温暖化は少しは止められていただろう(?) しかしアメリカはすべてがビジネスの国、二人は暗殺されていたかもしれない。日本はもちろんのこと、世界中が異常気象による大災害に遭っている。大洪水、大地震、大津波、巨大モンスーン、巨大竜巻、台風や火山爆発、山林火災などなど。ここにある一人の人間がキーになっていることを確信した。それはジョージ・ブッシュ大統領のときの副大統領、D・チェイニーだ。カウボーイであった浅学非才なチキンハートの男が、あらゆる手法によって、あるいは賢い妻の協力によって、あるいは、9・11テロ事件、サダム・フセインが大量破壊兵器と核兵器を持っているというガセネタによって、アルカイドのオサマ・ビンラディンというテロリストによって、チェイニー副大統領という影の大統領、否、それ以上の権力者を生んだ。影の権力者は何でもやる。あらゆる法律の拡大解釈とその利用、徹底的な情報入手と、その利用。本来、副大統領は何の権力もない、ただ大統領の死だけを待つ存在といわれた飾り物だったが、チェイニーは無能力なアルコール依存症のジョージ・ブッシュ大統領を手に入れて、強大な影となり支配者となって行った。映画「記者たち」と「バイス」を見るとその事実が分かる。イラクに大量破壊兵器と核兵器があると書きまくったNY・タイムズやワシントン・ポストなどアメリカの各紙は、フセイン死後、謝罪文を載せた。唯一正確な記事を載せていたのが、「ナイト・リッダー」という新聞社だった。記者たちはペンタゴンなどから情報を入手していた。アメリカのホワイトハウス、日本では首相官邸、2本の映画を見ているうちに、“影の大統領”と“影の首相”とかダブって見えて来た。政治とは権力争いのことである。そこに国民という存在はほぼない。自分たちの便宜上好んで“国民”のためと言いつづける。ちなみに映画では、チェイニーがCEOを務めていた石油関連の大会社の株は、イラク侵攻後500%上昇した。また、心臓病を抱えていたチェイニーは発作で倒れたとき、若い心臓を移植された。その心臓の主である若者は、何者かによって車にハネられて死んだ。チェイニーは復帰したとき、新しい心臓を持ったと言ったようだ。権力争いに興味のある人は、ぜひ「記者たち」と「バイス」を見てもらうといい。ハリウッドが凄いと思うのはさまざま映画の中で、真実(?)を暴き出す。「バイス」はブラット・ピットがプロデュースしていた。9・11はCIAとアルカイダが組んで、起こしたという説もある。それがもし本当ならば、間違いなく仕掛け人はチェイニーしかいないだろう。歴史に真実はあるやなしや。戦争ほどのビッグビジネスはこの世界にはない。D・チェイニーにとってアメリカ国民4000人弱の命と、タワービルの2つぐらいどうってことはない、数字のはずだからだ。近々、私が期待する、リベラルな政治家が、この国に出る。そんな夢を見た。台風は何度でもやって来るのだ。
2019年10月15日火曜日
「10月12日台風19号の日」
私は極めて不謹慎な人間である。10月12日(土)台風19号の襲来で、外出不能であった。2時から4時、いつも来てくれる鍼灸の達人が、メンテナンスに来てくれるのを、体中で待っていた。朝、電話が達人から入った。平塚に住む達人の家の裏に、河内川があり、そこが予報ではかなり危険になる。お子さんが三人いるので守らねばならない。当然だ、いいよ大丈夫だよ、応えた。で、仕方なく一日中マットレスの上で横になり、ゴロゴロしながらテレビのニュースをずっと見ていた。台風はまるで生き物のように、愚かな文明社会の中で生きている我々人間に対して、襲いかかって来る。特異な島国、山林の国、人間の体を支配する毛細血管の血の流れのように流れる、川の国。島国は海に囲まれ、山には火山が連なり、海底には地震帯がびっしりとある。いつでも怒り狂ってやるぞと凄んでいる。テレビを見ていて本当に「川」が多いなと川の名を見る。不謹慎に川の名からいろいろ感じた。大相撲の力士名はたくさんある。山とか、海とか、岩とか、花とか、錦とか、イロイロあるが、今いる関取の名で川がつく名の力士はいないなと。むかしは「清水川」という力士がいた。千曲川(長野では信濃川)と言えば、「五木ひろし」の名曲があったな。荒川といえば、「王貞治」を一本足打法にした名コーチの名だ。早川といえば、我々の業界の先駆者「早川弘」さんというグラフィックデザイナーがいた。そういえば多摩川に出没していたアシカの“タマちゃん”はどうしているのだろうか。善福寺川といえば、むかし私が住んでいた東京の杉並区を流れていた。住んでいた近所にあった教会の、外国人牧師が殺したといわれた“スチュワーデス殺人事件”を思い出す。牧師は日本から逃亡して迷宮入りとなった。死体が善福寺川に浮かんでいた。玉川といえばやはり「太宰治」の心中を思い出す。マズイこんなことばかり考えていては、川があちこちで氾濫しているのに。「氾濫」といえば、むかし読んだ「伊藤整」の大ベストセラー“氾濫”を思い出す。主人公の一人である大学教授は、私が育った東京都杉並区荻窪に住んでいた。荻窪といえばやっぱりラーメン。丸福の親子はどうしているのだろうか。この店以上のラーメンに未だに出会っていない。でも春木屋がある。イケナイマズイこんなことばかり考えてしまう。藤沢にある小さな川、引地川に放流してあげた、一匹の金魚は無事だろうか。近所にあるマンションにアライグマが出没したと聞いた。友人からの手紙で、武州三多摩、あの新選組の「土方歳三」と、RCサクセションの故忌野清志郎が育った、日野市にもアライグマやハクビシンが出没したらしい。その駆除に30万円ぐらいの費用が、かかったとか。久々に浅川という名を聞いた。歌手に「浅川マキ」さんといういい歌い手がいた。それにしてもNHKの天気予報士「斉田季実治」さんは、無感情、無表情だ。きっと風速100メートル以上が吹いても、きっと“タンタン”とカンペを読むだろう。“少しでも命を助ける”ようにと言うが、“少し”の領域がよく分からない。やはり日本人には“防災学”を子どもの頃から学ぶことが必要だ。台風はこれからも、毎年ジャンジャンやって来る。それはどんどん強大化していく。地球温暖化のせいだ。恐い顔で訴える、スウェーデンの環境家グレタ少女のいう通り、世界中のオトナたちは、ブッタルんでいるのだ。私もその一人。
(文中敬称略)
2019年10月11日金曜日
「胸が乳房に」
人間は夢や希望を持つと胸がふくらむと表現する。オレも若い頃はノーベル賞を目指して胸をふくらませたよとか。アカデミー賞とか、芥川賞とか、運動会の徒競走で一等賞とかもある。初恋に胸をトキメカせて、路地の電信柱に隠れてそこを通るあの娘をドキドキと見送る。人間は胸に感情を宿すのだ。胸がふくらむでもこんな記事を読むと思わず手にした薬をポロポロと床に落とす。「米J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)に8500億円賠償を命じる評決」と3段組の記事の見出し、小見出しに、「抗精神病薬副作用」ニューヨーク共同発、10月9日東京新聞夕刊。米東部フィラデルフィアの裁判所の陪審員は8日、抗精神薬「リスパダール」副作用で胸部がふくらんだと主張する男性が、米医薬品大手ジョンソン・エンド・ジョンソンを相手取った訴訟で、J&Jに80億ドル(約8500億円)の支払いを命じる評決を出した。ロイター通信が報じた。米メディアによると、リスパダールを巡る訴訟は13000件以上あり、これまでで最大の賠償額。J&Jは上訴する意向を示している。原告の男性は、医師に処方されたリスパダールを服用後、乳房が発達。J&Jが薬の副作用の警告を怠ったと主張していた(東京新聞より抜粋)。この記事を読んで、ずっと前に見た「サル」という映画を思い出した。サルとは新薬開発のため治験に応じたアルバイトの人間への呼び名だ。治験者募集の広告は時々ある。バイト代はかなり高い。新薬の治験なので、どんな副作用がでるかを追う。サルになるためには、たくさんの同意事項に同意しなければならない。大学病院で大手術や難手術のときもたくさん同意しなければならない。「サル」という映画では、若い男女や、中年たちが治験に応じて薬を服用しつつ、同じ場所で生活をする。一週間、十日、二週間、サルたちはそれぞれ副作用が出始める。去る者は追わずとはならない。サルは去ることができない状態になり、やがてとんでもない世界が生じる。新薬を生むということは、鉱山で金を見つけるよりも難しいと言われる。私たちは多くのサルのおかげで、病気を治してもらっていることになる。今日も日本中で新薬の治験がアチコチで行われている。難病を抱えている知人や友人、恩人にとって、その病気が治る薬が生まれるとしたら、胸がふくらむ思いとなるはずだ。東京新聞の記事を複雑な思いで読んだ。私のタチの悪い性分を治す薬は出ないか。一錠で6、7時間ぐっすり眠れて、パッチリ目覚められる薬は出ないかと思う。少々胸がふくらんでオッパイになってもかまわないから。昨夜、東北のご住職から送っていただいた、新サンマを食した。サンマは開きばかり食べていたので、脂がのった新サンマのお刺身と全身(塩焼き)は旨かった。スリ身はダンゴ状にして、おすまし汁に。最高だった。東北のご住職の話は後日に。すばらしい人格と熱情の人、そしてやさしい奥さんだ。
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2019年10月10日木曜日
「大スター、石原裕次郎の初主演作は」
私の少年時代はチェッカーズが歌った「ギザギザハートの子守唄」みたいだったが、荻窪駅西口の“日活パルサス”に行けば、ギザギザの刃物が竹細工の刃のようになった。心が全面的に解放されたのだ。それは石原裕次郎という異星人に会えたからだ。全作品を観た。同じ映画を続けて5日間観たこともある。10月7日の東京新聞夕刊を読んでいて、ハタと大きな見出しに目がいった。映画の隆盛『狂った果実』であった。(ほさか・かずし=作家)この人が『狂った果実』の中に出てきた。夏の間だけ神奈川県の逗子海岸にあった遊園や「コニーランド」の出るシーンを「移動遊園地」だと思っていたという記憶の話であった。この作家は映画史に詳しい伊藤彰彦さんから、『狂った果実』上映に対する数々の疑問を聞いたようだ。石原裕次郎のデビュー作といえば、兄石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」だが、この作品ではチョイ役であった。初めて主演したのは『狂った果実』だ。この映画は1956年(昭和31年)公開であった。作家は1956年生まれだった。逗子は米軍基地のある横須賀から電車で10分だ。作家はふと考えた7月12日に公開されたのに、夏の海岸風景が映っている。夏の海岸シーンは前年に撮ったのか。あるいはセットか。「太陽の季節」の公開は5月17日だ。『狂った果実』は「太陽の季節」の大ヒットを受けて撮った、と言われているのに、2つの公開は2ヵ月も空いていない。伊藤彰彦さんが説明をした。『狂った果実』は「太陽の季節」の大ヒットで急遽作った。撮影日数は通常30日のところ、22、3日だった。セットも通常の半分の6、7杯(セットはこう数える)。逗子海岸の移動遊園地のシーンは6月下旬に撮ったものと思われる。コニーランドは夏季限定だった。当時の映画屋は今どきで言えば、超ブラック企業の社員だった。きっと徹夜、徹夜、半徹、徹夜、徹夜、半徹、徹夜、まさに日月火水木金金であり、休む日はなかったはずだ。みんな映画大好き人間の集まりだった。人間、大好きな仕事なら、ブラックだって、超ブラックだってかまわない。パワハラ大好き、セクハラ当然、モラハラだって関係ない。こんなことを書くと私はパワハラと言われると思う。ここに書いているのは、映画界全盛時代に映画屋が山ほどいて、他社との競いをしていた。そんな中から不出世の大スター、異星人石原裕次郎という大スターが生まれた、というより宇宙からやって来たことだ。私は作家よりも年配者だから、「太陽の季節」の封切りからすべて見ていることになる。東京新聞の記事から抜粋をしアレンジして書かせていただく。「ほさか・かずし」さんに会って、石原裕次郎の映画談義をしたいと思った(調べてみる)。この場をかりて久々に映画屋を思い出させてくれた御礼を言う。日活サイコー。タフガイユーちゃんサイコー。猛烈な台風が近づいてきている。「風速40米」という題名の映画がある。台風に向かって、ユーちゃんは歌うのだ。「何! 風速40メートル、ふざけんじゃネエよ」。そして歌う。♪〜 風が吹く吹く やけに吹きゃがると 風に向かって 進みたくなるのサ……♪。当時、風速40メートルと言えば、そんなのないよと思っていた風だ。千葉県で台風15号の被害に遭った人々に、どうか猛烈な風と雨が再び襲いかかりませんようにと願う。週末はTSUTAYAに行って『狂った果実』と「風速40米」を借りてきて見ようと思っている。「天下を取る」と「錆びたナイフ」も。全作大ヒットだった。(文中敬称略)
2019年10月9日水曜日
「悪口本」
サラリーマンの夜の楽しみと言えば、ちょいと一杯と居酒屋に集まって、会社の悪口、上司の悪口、その席にいない同僚の悪口、取引先の悪口だ。スミマセン、冷奴と枝豆、オレはサバの焼いたの、オレはマカロニサラダ、オレはモロキュー、オレはシラスおろしと刺身三点盛、オレはブリのカマ焼きなどなど、好き好き頼んで、まずはビールで、まずはウーロンハイで、まずはハイボールで、まずは日本酒でとなる。草野球をした話、ゴルフに行った話、釣りに行った話、女房とケンカした話、腰とか痔が痛いとかの病気の話。あ~だ、こ〜だと話が弾んで、小一時間、酒が体に注入され、その効果が出始めると、一人ひとり会社や上司、同僚への悪口大会の開始となる。あいつはヨォ〜もともと何もできなかったのに、あの人をヨイショしまくって出世したんだ。バカだよバカ、自分じゃ何もできないんだから。あいつはヨォ~、パクリ屋だぜパクリ屋、自分じゃ何も考えられないくせに、若い奴の提案のいいとこ取りをしてやがんだ、ゴミだよゴミ。あいつなんかヒドイよ、自分で飲み食いした伝票を会社の経費に入れて込んでいるんだぜ、ダボだよダボ。あの会社のあの人は滅茶苦茶だよな。どうなってんだよ、あの会社。上がダメだから下のヤツまで無礼者ばかりだ。見積りを安くしろ、安くしろって値切るばかりだからな。高いゲタをはいてんだろうなんて平気でいうもんね。あんなガキにウチのあいつは、へいこらしてんだから、悲しいね。悲しい。下請けはつらいよ、バカヤロー。と、まあこんなかんじになると、もうどうにも止まらない。ギョーザまだギョーザ、なんて頼んでない品の名を言い出したりする。日本国の経済は、こんな人たちのがんばりで持って来た。最近の若いのはヨォ~、すぐパワハラだ、セクハラだ、ブラックだなんて言って文句ばかりいいやがる。モタモタしてっからこうしろって言っただけなのに始末書、いつもブスッとしてるねと言ったら始末書、まだ7時だ、あと2時間で今日中にやってしまおうと言ったら始末書だ。やってらんねえよ、何が働き方改革だっていいたいよ。これからの日本国はこういう人たちのがんばりが必要なのだ。「彩図社」刊の「文豪たちの悪口本」というのを旅の途中で読んだ。これは文士たちが、文士に対して言い放ったり、書き残したり、書き送ったりした、赤裸々な罵詈雑言を集めた本だ。中原中也という詩人はかなり酒グセが悪かったようで、太宰治に対して、なんだ、お前は、青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。永井荷風は、菊池寛の如き売文専業のなすところと菊池寛を嫌い、その菊池寛は「ゴシップ本能は、人間の必要な本能の一つである。人間が二人集まれば、会話の三分の二まで人の噂である」と言う。大文豪同士も言葉のボキャブラリーと表現力の差はあれ、会社員の居酒屋と同じである。現代社会はネット上で悪口を言うという卑怯な方法が多い。悪口は本人に向かって言い合うほうがいい。その後、何が起きるのかは予測不明だ。鼻血とか、歯が折れたりとか(?)
2019年10月8日火曜日
「A・McQUEEN(アレキサンダー・マックイーン)」
真の芸術家は正気ではない。正常でなく、正直でもない。狂気と異常と虚実が芸術家を興奮させ、そこから誰もなし得なかった芸術が生まれる。真の芸術家は等しく不安神経症であり、パニック障害を持ち、鬱病と躁病が交差する。純粋と混沌が水と油のようにせめぎ合う。そして、ある者は酒に、ある者はドラッグに、ある者はSEXに身を沈める。芸術家は人間不信であり、尊大であり、しかし野心に満ちている。栄光ある日々は朝陽のように短く、破滅はつるべ落としの夕陽のように速い。昨日夜、待望の映画をレンタルして来て見た(上映見逃した)。アレキサンダー・マックイーンのドキュメンタリー映画だ。モード界の反逆児イギリスが生んだ真の芸術家、真のファッションデザイナーだ。栄光と破滅の人生は、真の芸術家にふさわしい。ロンドンのタクシー運転手の息子として生まれたマックイーンは、これといった専門的教育を受けていない。語学もできず、何の資格もない。ファッションの世界も、画商やパトロンに見出された画家と同じで、その才能が絶えるまで、徹底的に働かされる。年に14回のショーをさせられる。ランウェイを演出するのは、毎回斬新さと、冒険と野心とアイデアと気知に富んだ、舞台公演をするのと同じだ。才能は疲れ切る。莫大な金を手にしても、それはリポビタンDぐらいしか効果はない。名誉と金を手にした者は、失うものも大きく、より残酷である。ファッションデザイナーに同性愛者が多いのは、異性では理解されないからだろう。真に癒されたいと思うから、同性を求めるのだと思う(私はその気がないから想像だ)。20代ですでに最高の栄誉の数々を手にし、ジバンシィに招かれ、やがてジバンシィをサヨナラして、グッチに招かれる。最高の栄誉を手にするまでに、実はたくさんの恩人がいた。マックイーンの才能を見出した女性(イザベラ)がいなければただの縫い子か、フツーのデザイナーで終わっていたかも知れない。マックイーン自身がいちばんそれを分かっていた。マックイーンはマジシャンだと言う人もいる。すべてが魔法のようなランウェイであった。その栄光に影が見えたとき、マックイーンはイザベラの自殺に衝撃を受ける。そして母親の葬儀の前日に自らの命を絶つ。マックイーンはHIV陽性であった。すでに体は骨と皮のようになっていた。生前マックイーンは貧しいデザイナーを育てる基金を設立していた。2010年2月10日享年40歳、真の芸術家と言われるファッションデザイナーは、おそらくアレキサンダー・マックイーンしかいないだろう。ファッションやアートに関心がある人にぜひおススメの映画、圧巻の芸術だ。
2019年10月7日月曜日
「タロウのバカ」の先
私の名は三郎(サブロウ)である。“サブロウのバカ”と言えば、その通りバカヤローであって、映画などにはなれない。「タロウのバカ」という映画を先日テアトル新宿で観た。封切って1週間と少し、観客動員数のベスト10に入っていない。1位はドタバタの作り手三谷幸喜監督の「記憶にございません!」だ。「タロウのバカ」は上映後、賛否両論あるようだが、いい作品だからこそ賛否は出る。ドタバタに賛否は出ない。出るのはドタバタの“ドタバタ度”が強いかどうかぐらいである。つまり“ヒマつぶし”になったかどうかだ。「タロウのバカ」は近年観た、ドキュメンタリー映画を別にすれば、間違いなくNo1だと思った。大森立嗣監督作品である。父麿赤兒、弟大森南朋の芸術家族だ。人間性の外側と、内側の外れにいる人間をいつも題材にしている。一歩間違った人間と、一歩間違いそうな人間だ。それはあと一歩できっと、人生という劇場から退場させられる人間たちの危うい関係だ。「タロウのバカ」の主人公は三人の少年だ。その中の一人タロウは、夫のいない母親の育児放棄によって名もなく、一度も学校に通っていない。二人の仲間から、名がないので「タロウ」と呼ばれている。主役はオーディションで選ばれた。この作品が第一作目の出演だ。タロウはきっと中学生だろう。いつも行く遊び場で知り合った二人の少年は高校生だ。菅田将暉と仲野太賀が実にいい。とくに菅田将暉は、天才的である。スタンリー・キューブロックの名作「時計じかけのオレンジ」に出てくる、主人公のアナーキーな暴力発力を持っている。思春期を楽しむ、その楽しみ方が、野球やサッカー や初恋の味なのではない。大人たちの世界の生んだ、デタラメな世界の中で少年たちは生きている。大人たちの壊れてしまった心では、もはや救いようがない。行き場もない、やり場もない。不条理と理不尽、不公平を正すことも大人たちはしない。アナーキーな生活をしている三人の少年、宗教に救いを求めるタロウの母、タロウには戸籍すらない。大きな鉄の橋、蛇のような高速道路。遠くに大都会が見える空き地が遊び場だ。そこが三人のユートピアであった。少年たちはアナーキストでありダダイストであった。自由こそ青春だ。権力や決まりは関係ない。すでにこの国が無法地帯となっていることを、この映画は見せる。嘘八百の大人たちの決めた社会は、正しいのかどうかと突きつける。ある日ふとしたきっかけで少年たちは一丁の拳銃を手に入れる。権力を持てなかった少年たちに、拳銃という殺傷力を持つ権力が手に入った。タロウのバカがそのトリガー(引き金)を引くとき、引く相手とは。思春期の少年たちの刹那的な輝き、何者でもない“タロウ”という怪物。壊れゆく世界。大森立嗣監督は最高の代表作を生んだ。私サブロウは、タロウにもなれず、一丁の拳銃も手にできず、悩みつづけている。これほど虚無観を持ち、この先の社会を暗示する青春映画はない。アナーキスト、ダダイスト、ニヒリズムの時代になる。三谷幸喜監督の「記憶にございません!」も、現代社会の持つ不条理への、アナーキズムの表現であったのかも知れない。笑っている場合じゃないよとの逆提案なのだろう。もしあなたが今、拳銃を手にしたら、誰にその銃口を向けるだろうか。
2019年10月4日金曜日
「旅は道連れ」
フランスであった話ですけどね。仕事で出張中の会社員が、ちょっと女性と遊んでホテルでSEXをした。が、不幸にも腹上死してしまった。日本であれば「何をやってるんだバカ者め」と言われるだろうが、そこは性の国フランスのこと、ちゃんと事故(?)による保険がいただけたとか。物知りの人と旅をして仕事をしていると実に楽しい。ホテルで眠れなくて、朝まで世界陸上ドーハ大会を見ていた。で、なんで日本人は陸上競技はダメなんだろうね。痛々しいほど下位を走ったり、跳んだりしているもんね。物知りは言った。それは日本人が農耕民族でヌルヌルした地でスベッたりしないように“スリ足”なんですよ。雪国の人はスリ足でスベラず、しかも早く歩くでしょ。狩猟民族は食べ物を追うために、スリ足では生きていけない。筋肉のDNAが違う。柔道とか、空手とか、相撲とか、レスリングなど、スリ足が基本なのは強いんですよ。陸上でも競歩で金メダルをとったけど、競歩はスリ足の極みですからね。マラソンが強いのは、ガマン強い飛脚のDNAですね。柔道の寝技が強いのは、日本人は畳文化で、男と女性が日々くんずほぐれずをしていたDNAですよ。外国人はベット文化だから、日本人みたいなことをしていたらベットから落ちてしまいますからね。話がホントかどうかは、定かではない。女子砲丸投げを見ていて、その驚異的体型に目を奪われる。ドラム缶にゴッツイ筋肉を持つ、両手両足をつけて顔と頭をのっけたようであり、ウギャーと砲丸を投げる。日本の選手は姿も見えない。しかし、日本人と同じような顔をした、中国人が一位であった。怪力怪女は、見応え十分である。オッパイも筋肉化している。ひょっとして金メダルかもと注目している。とても恐いが、とても凄い。ハンマー投げも同じ。私の体のメンテナンスをしてくれている、鍼灸の達人は佐賀県内でも、有名な(?)円盤投げの選手だった。で、円盤投げをしっかり見ている。実に奥深いようだ。自己と闘う哲学を必要として、その上科学的でないと円盤は遠くへ行かない。他のスポーツも同じ。個人競技は自分がライバルなのだ。「人間皆苦」という言葉があるが、人生は過酷な個人競技である。「長距離ランナーの孤独」という名作を基にした名画があった。一着で走って来たランナーがゴールテープのところでとった行動に、この世へのメッセージがあった。物知りが言った。「この頃『死後離婚』というのが多いのですよ。ある住職の話ですがね。死んだら、絶対同じ墓に入りたくないという女性の遺言で、お寺業界では死後離婚と言うらしいんです」「分かるね、その話」。私は深く納得したのであった。結婚という旅は道連れではないのだ。昨日夜「マリア・カラス」という映画を陸上の合い間に見た。史上最高の歌姫の人生は、53歳で死ぬまで歌と愛と、結婚と別れ、そして「天上天下唯我独尊」であった。ギリシャの海運王オナシスとの再婚と別れは、ドラマチックであった。歌姫は言う。「『マリア・カラス』は二人いるのよ。“マリア”という一人と“カラス”という一人が」。国王が劇場に来ても、声の調子が悪いとオペラすべて中止するという絶大な歌声と美しさを持っていた。しかしマリア・カラスも「長距離ランナーの孤独」の主人公であった。午前一時、テレビを見ると十種競技の中の円盤投げで、日本の右代選手がすばらしい記録を出した。人間は「苦愛」に満ちている。いつものグラスに氷をコロンコロンと入れた。
2019年10月3日木曜日
「川は流れてない」
寿しの「伝八」で、海鮮丼を食べた。と言えば、あっ! そうでオシマイ。仙台在住の写真家「佐藤活視」さんと一緒に。その場所は東日本大震災で、大津波で何もかも失った場所に建てられたプレハブ小屋の店と言えば、少し興味を持ってくれるだろうか。その近辺はホタテ2枚、3枚、4枚と注文すれば、水中にある棚を引き上げ、そこから活き活きしたホタテを、注文された数だけ取り出して焼いて食べる名所で、スラリ、ズラリと出店が並ぶ「繁盛の地」だった。観光客は大勢並んで、焼きたてのホタテにしょうゆをかけて食べた。ウマイ! のは当然であった(私は今は、ホタテが食べれない体質になってしまった)。仙台から硯で有名な「雄勝」に行き、現在の「女川」周辺を佐藤さんが車で案内してくれた。3年程前は何もしてなかったが、今は防潮堤の工事現場で、走っても走っても工事現場の中であった。クレーン車や、大・中・小のバックホーがあり、シャベルカーばかりであった。防潮堤は、ピクリとも動かない静かな北上川と、まったくミスマッチである。住んでいた人々はいない。みんな高い所に新居を建てていた。その地を去った人々も多い。灰色のコンクリートは、分厚くて高さは10メートルぐらいだろうか。「北上川夜曲」で有名な川と、人々が高い所で生活をしている所を分断していて、異様なものである。小一時間車で走っても、建設現場でありつづけた。人手不足なのだろうか、建築関係の人よりガードマンのほうが多く感じる。人が乗っていない建機ばかりだ。あの「大川小学校」の側にあって、大津波で破壊され一気に流された大鉄橋は再現されていた。大川小学校にはかつてのように人はまったく来ていない。ポツネンとしてあった。今年は暑かったので山林はたっぷりとした緑色であった。空はこれ以上なく青く、リアス式海岸につづく北上川は無言の禅僧のように、黙して語らずであり、点々とアンカーを下ろした小船がゆらりとも動かない。白くて細長い鳥だけがちょっと飛んでは、水面に波紋を生んだ。写真家の佐藤さんは、夜中何人かの霊を見て、なぜか若い女性の霊と、ディープキスをしたと言った。仙台で100年の歴史を持つ笹氣出版の井上英子編集長から、紹介された山の頂上にあるホテルを目指した。そこは広大な庭園があり、自然石が絶妙に配置され、松島の数々はもちろん、大津波が発生した原点(震源地が見えるので有名)を見下ろせる。雀崎にある美しく広い桃源郷ホテルは、大津波後、営業していない。ただし、ここで震災を悼む、ライブコンサートのPVをつくりたいと私が言えば、井上編集長が「OKをもらってあげるわよ」と言ってくれた。庭師のおじさんがまい日営業していない庭園の、芝生やたくさんの木々の手入れをしている。広大な魚鱗のような、逆光の海は息を飲み込み、そのまま死んでしまうほど美しい。「祈りの塔」を久々に見て感動した。赤々とした“曼珠沙華”の花が咲き、塔を際立たせていた。浅葉克己さんデザインのマークが祈りつづけていた。倍賞千恵子さんにお願いして植えた、桜の木は太く立派に成長していた。今度は桜の季節に来ることを「祈りの塔」と桜の木に約束した。寿し「伝八」の店内にはたくさんのサインの色紙が貼ってあった。震災の取材に来た有名女子アナや、レポーターのが多かった。6月8日から上映開始の映画のチラシが貼ってあった。雄勝でロケをした作品であった。今、注目の監督「白石和彌」の「凪待ち」という作品であった(この頃当り外れが多い)。海鮮丼はこれでもかと言うほど旨かった。きっとあの小泉進次郎大臣もきっと来るだろう。すっかり言語不明なタドタドしい男になってしまって、人気は急降下している。「川は流れない」が、大不況の津波が流れて来ている。石巻の岩ガキは絶品だった。大きいのを2個食べた。夜、腹ペコで帰宅して食べた「ペヤングソースやきそば」。非常食であったが、ヒジョーに旨かった。
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