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2019年10月3日木曜日

「川は流れてない」

寿しの「伝八」で、海鮮丼を食べた。と言えば、あっ! そうでオシマイ。仙台在住の写真家「佐藤活視」さんと一緒に。その場所は東日本大震災で、大津波で何もかも失った場所に建てられたプレハブ小屋の店と言えば、少し興味を持ってくれるだろうか。その近辺はホタテ2枚、3枚、4枚と注文すれば、水中にある棚を引き上げ、そこから活き活きしたホタテを、注文された数だけ取り出して焼いて食べる名所で、スラリ、ズラリと出店が並ぶ「繁盛の地」だった。観光客は大勢並んで、焼きたてのホタテにしょうゆをかけて食べた。ウマイ! のは当然であった(私は今は、ホタテが食べれない体質になってしまった)。仙台から硯で有名な「雄勝」に行き、現在の「女川」周辺を佐藤さんが車で案内してくれた。3年程前は何もしてなかったが、今は防潮堤の工事現場で、走っても走っても工事現場の中であった。クレーン車や、大・中・小のバックホーがあり、シャベルカーばかりであった。防潮堤は、ピクリとも動かない静かな北上川と、まったくミスマッチである。住んでいた人々はいない。みんな高い所に新居を建てていた。その地を去った人々も多い。灰色のコンクリートは、分厚くて高さは10メートルぐらいだろうか。「北上川夜曲」で有名な川と、人々が高い所で生活をしている所を分断していて、異様なものである。小一時間車で走っても、建設現場でありつづけた。人手不足なのだろうか、建築関係の人よりガードマンのほうが多く感じる。人が乗っていない建機ばかりだ。あの「大川小学校」の側にあって、大津波で破壊され一気に流された大鉄橋は再現されていた。大川小学校にはかつてのように人はまったく来ていない。ポツネンとしてあった。今年は暑かったので山林はたっぷりとした緑色であった。空はこれ以上なく青く、リアス式海岸につづく北上川は無言の禅僧のように、黙して語らずであり、点々とアンカーを下ろした小船がゆらりとも動かない。白くて細長い鳥だけがちょっと飛んでは、水面に波紋を生んだ。写真家の佐藤さんは、夜中何人かの霊を見て、なぜか若い女性の霊と、ディープキスをしたと言った。仙台で100年の歴史を持つ笹氣出版の井上英子編集長から、紹介された山の頂上にあるホテルを目指した。そこは広大な庭園があり、自然石が絶妙に配置され、松島の数々はもちろん、大津波が発生した原点(震源地が見えるので有名)を見下ろせる。雀崎にある美しく広い桃源郷ホテルは、大津波後、営業していない。ただし、ここで震災を悼む、ライブコンサートのPVをつくりたいと私が言えば、井上編集長が「OKをもらってあげるわよ」と言ってくれた。庭師のおじさんがまい日営業していない庭園の、芝生やたくさんの木々の手入れをしている。広大な魚鱗のような、逆光の海は息を飲み込み、そのまま死んでしまうほど美しい。「祈りの塔」を久々に見て感動した。赤々とした“曼珠沙華”の花が咲き、塔を際立たせていた。浅葉克己さんデザインのマークが祈りつづけていた。倍賞千恵子さんにお願いして植えた、桜の木は太く立派に成長していた。今度は桜の季節に来ることを「祈りの塔」と桜の木に約束した。寿し「伝八」の店内にはたくさんのサインの色紙が貼ってあった。震災の取材に来た有名女子アナや、レポーターのが多かった。6月8日から上映開始の映画のチラシが貼ってあった。雄勝でロケをした作品であった。今、注目の監督「白石和彌」の「凪待ち」という作品であった(この頃当り外れが多い)。海鮮丼はこれでもかと言うほど旨かった。きっとあの小泉進次郎大臣もきっと来るだろう。すっかり言語不明なタドタドしい男になってしまって、人気は急降下している。「川は流れない」が、大不況の津波が流れて来ている。石巻の岩ガキは絶品だった。大きいのを2個食べた。夜、腹ペコで帰宅して食べた「ペヤングソースやきそば」。非常食であったが、ヒジョーに旨かった。
 




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