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2019年10月17日木曜日

「カフカの人生論」

絶望的な世の中だ、と言う人が多い。希望を持っていない人は今の世をそう表す。確かに若者たちに胸を張って、こんな希望、あんな希望もあるぞと自信を持って言えない。恋愛もしない。結婚もしない。パラサイトのように親のところで三度のメシを食べている若者も多い。なぜかと聞けば、会社が嫌だ、仕事が気に入らない、給料が安くて明日に夢も希望も持てないと言う。親はちゃんとしろ! とか、ちゃんとしなさいよ! と言って怒る。お前が悪いんだ、何言ってんのよ、あなたが悪いのよと言い争いが始まり、子はウルセイ! と暴れ出す。こんなときは、何だお前、暴れる元気があるじゃないか、心配していたけど、心配ないわ、ハハハハと笑うのがいい。オーストリア=ハンガリー帝国領当時のプラハで生まれた、ユダヤ人商家の息子がいた。名を「フランツ・カフカ」と言う。朝起きたら“虫”になっていたという小説「変身」で有名だ。世界中の小説家や小説家志望の人間に大きな影響を与えた。カフカはプラハ大学で法学を修めた後、肺結核で斃れるまで、労働者傷害保険協会に勤め日々、実直に官僚機構の冷酷怪奇な世界の中で生きた(41歳で没)。まい日、まい日絶望と共に。本というものはほとんど読まない私の愛読書が一冊ある「絶望名人カフカの人生論」天才中野裕之監督と短編映画を作りたくてこの一冊を見つけた(まだ未制作)。カフカが私と同じ酷い“不眠症”だったと知ったからだ。この一冊の中で特に好きなところを記す。何かのお役に立てれば幸いだ。諸々、抜粋。彼の日記やノートは、日常の愚痴で満ちています。それも「世界が……」「国が……」「政治が……」という大きな話ではありません。日常生活の愚痴ばかりです。「父が……」「仕事が……」「胃が……」「睡眠が……」彼の関心は、ほとんど家の外に出ることがありません。発言はすべて、おそろしくネガティブです。しかしカフカは偉人です。普通の人たちより上という意味での偉人ではなく、普通の人たちよりずっと下という意味での偉人です。その言葉のネガティブさは、人並み外れています。たとえば、「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまづくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」。カフカは結婚したいと強く願いながら、生涯独身だった。家族と仲が悪く、とくに父親のせいで歪んでしまったと感じていた。カフカの書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、未完。すべて焼却するようにという遺言を残した。詳しく読みたい人は、新潮文庫刊、頭木弘樹編訳、本体520円(税別)を。昨日、今日私がこうして生きていられるのは、この大監督のおかげという恩人を訪ねた。牛肉が大好きなので、牛肉と牛肉弁当を持って。恩人は、絵描きさんでもある。よくぞここまで尽くしていると思う、奥様と娘さんに支えられて、いい施設の中にいた。パーキンソン病をはじめいくつもの大病で一日50〜60錠の薬を服用していたが、恩人は決して絶望しなかった。絵を描くことさえできれば。部屋は広く、中はアトリエ状態だった。たくさん、たくさん絵を描いていた。車椅子に乗りながら。「奥さんや娘さんに感謝ですね」と言った。顔がふっくらとして顔色もよく何よりだった。銀座伊東屋で24色の水彩絵の具を買って行った。今度行ったときは、きっと水彩で何か描いてくれているはずだ。私は勇気をもらって「それではまた来ます」と言って握手した。手はゴツゴツとして力強かった。人間、何か一つやり遂げたいものがあれば、絶望はしない。ああ映画が作りたい。千葉の流山に私の戦友がいる。水彩画の達人だ。大怪我を心配している。元気に絵を描いていればと思う。戦友とはシンドイ仕事をずっと一緒にやったという仲だ。


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