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2010年1月5日火曜日

人間市場 笑い顔市篇


日本画壇の最高峰であった、小磯良平。

現在の東京芸術大学在学中23歳の時、日展の特選に入選、開校以来の秀才と言われた。

晩年ある事業家に肖像画を頼まれた。その出来栄えを見て実業家は気に入らなかったと言う。それから数年後その実業家が死んだ。

棺に入ったその顔を見て人々は息をのんだと言う。小磯良平が描いた肖像画にそっくりであったのだ。

小磯良平は好んで人の顔を描いた。その対象である人間の深部をその先の顔を見ていたのだろう、恐るべしである。


先日亡くなった関西大学教授の木村洋二(61歳)は笑い顔を計る発明家であった。30歳の時、山で採ったキノコを食べてその毒にあたった。笑いキノコであった。三時間笑い転げたという。笑いが納まった時、不思議なすがすがしさを感じたと共に何かを悟ったのだ。笑いはコンピューターの再起動みたいなもの。フリーズした時、つまり苦しい時、悲しい時も笑い飛ばせば新しい世界が現れる、と。以後「人間にとっての笑い」が学問上のライフワークとなる。

そして、「笑い測定器」なる物を開発する。計測単位を「AH・アッハ」と名付けた。最高の爆笑は一秒当たり5アッハが目安という。愛想笑いなどには反応しない。

アッハが世界を救うよと、アッハハハハとアッハ5で笑っていたとも伝えられる。この頃、この国の民は爆笑しない。笑わない民となってしまった。

ある友人の友人の話である。

その人は生まれながらの笑い顔であった。眉が八の字、頬は緩み口はいつも開いていた(鼻が悪かった)。眼がクリクリと大きくビックリした時の目であり、目尻が下がっていた。人から見ると笑って見えるのである。入園式の時、笑ってはいけませんと叱られ、入学式の時笑ってるなと叱られ、中学生の時授業中に笑うんじゃないと叱られ、高校生の時に笑いながら走るなと叱られ、大学生の時教授から笑ってる場合かと叱られ、会社の面接の時何笑ってるんだと怒鳴られた。父親が死んだ時お通夜の席で笑っている気が知れないと親戚の人からビールをかけられた。笑っている場合じゃないと思っても顔は笑っているのである。笑っている場合じゃないのにマッハ5クラスなのです。

でもなと、友人に言いました。怒っている顔よりかいいんではないかと。一年中怒った顔はしんどいぜ、俺知ってるんだそういう顔の人。そんな話をしていたら友人の友人がお店に入って来ました。お待たせお待たせみたいな感じではなく、静かに紳士然としてバリッとスーツを着こなして、でも本当に顔が笑っていました。いい笑顔でした。でも相談された話の内容はすこぶる深刻、すこぶるデンジャラス、すこぶる打つ手無し。でも笑ってました。

小磯良平の画集を久々に見ていたら思い出したのです。友人の友人はきっと、どんな苦境の中にいても笑ってくれている筈です。


※写真は読売新聞より。

2009年12月29日火曜日

人間市場 取り巻き市篇

鉄火巻き、カッパ巻き、かんぴょう巻き、納豆巻き、ネギトロ巻き。旨いですね。
のりがいいんです。

ここに一つのりの悪い巻きがあります。
取り巻きです。これに巻き付かれるとたいがいの金持ち有名人もスッテンテンに巻かれてしまいます。一度見栄を張ったら終わるまで張り続けなければなりません。取り巻きを作る人間は孤独に耐えられない人、寂しがり屋、ずっとビンボーだった人、コンプレックスがある人、悲しい人、切ない人、酒がないと生きられない人。一人程楽しい事はない。孤独程心が落ち着く事はない。

取り巻きは蛭の様な者、美味しい血がある限り吸い尽くす。一匹二匹取り巻きは増殖する。
教授の取り巻き、親分の取り巻き、社長の取り巻き、スターの取り巻き、先生の取り巻き、ネジ巻きで巻いた猿がシンバルを叩く様にバンバンヨイショする。ゴルフへ行って、百円のティーも自分の金を使わない者。缶ビール一缶、清酒一瓶、イカの薫製一袋だって自分の金を使わない者。特技ヨイショ、趣味ヨイショ、仕事ヨイショ、そういう者がこの社会意外にも出世している。

血を吸い尽くされた人間は破滅するのみ。
過日、ある有名人であった人を訪ねた。かつて豪邸に住み、三台の車のうち一台はマセラッティ、一台はベントレー、一台はローバー。油壺にはヨットとクルーザー、三人の子は外国へ留学。海の見える家の一階からはモーターボートが出て行く。365日、取り巻きに囲まれていた。誰か金の使い方を教えてよ、なんて言っていた。金が金を生んでいた。

職業は言えない、直ぐ判ってしまうから。刑務所の塀の上を歩いている様な人生。
朝から晩まで取り巻きに囲まれていた。金、女、SEX、薬が取り巻いて、会社はあえなく倒産。
取り巻きは誰も来ない。
正しくは取り巻けない、医療刑務所の中だから。

シャブ中の治療中、太い鉄格子の中、部屋は狭い。ここに来るまで、主食コカイン、デザートコカインの生活だった銀座から消えたのは四年前だ。

年老いた母親がパジャマやガウンやスエットを丁寧に片付けている。老母は言う。取り巻きが重かったんだよ。あの子は気が弱くて、寂しがりやで、小児喘息だったんだ。
体だって小さくて細くて、運動だって何をやらせても苦手だった。ただ数学だけは飛び抜けてよく出来た。結局はそれが仇になったんだ。株や相場は恐く取り巻きはもっと恐い、そう思った。最近は幻覚が酷い様でしてね、いずれは狂うでしょう、馬鹿な子です。医療刑務所の少し斜め前のお店で渋茶を飲みながら老母と話した。


取り巻きだった人たちは一人もいない。あれだけたかりにたかったのに、血の一滴も出なくなった相手にはもう取り巻く価値がないのだろう。万が一病が治れば法を犯した事による刑罰が待っている。飲めや、歌えや、どんちゃん騒ぎはもう出来ない。

忘年会の季節となった。夜の街はそれぞれフトコロと相談して盛り上げてはいるが、あの頃の勢いはない。ただ取り巻きたちは次の美味しい血の味を求めて、あんたが社長、あんたが大将、あんたがあんたが、とヨイショ大会をしている。

たまたま一人バーのカウンターで飲んでいたら、医療刑務所で廃人へ向かっている男に取り巻いていた連中が入って来た。ボックスに座って直ぐ私に気がついた。
あっ、どうもどうも、お久しぶり、いや〜すごいですね、すごいですねと寄って来る。
何も凄くはねぇや、阿呆俺には寄ってくるなと思った。見てみるとある会社の二代目社長がバリバリに取り巻かれているではないか。スポン、スポンとシャンパンが空いた。今どき流行らねえ奴等だ。

2009年12月28日月曜日

人間市場 悪タレ市篇

長崎に行った時その店ですいません、チャランポラン下さいと言ったら恐い顔をされた。正しくはチャンポンですね。

名古屋に行った時ヒマツブシを下さいとオーダーしたら凄い顔された。次の日他の店でミソッカツを下さいと注文したらもっと凄い顔をされた。正しくは、ヒツマブシ、ミソカツですね。

ジョークのつもりだったのです。ほんの冗談だったのです。私の悪い所なんです、つい思った事を口に出してしまうのです。(反省してますが、もっと言えという人もいます)私が聞いた中で飛び切りのジョークをご紹介します。


ある会社に新人が入って来たそうです。すこぶる出っ歯で歯茎が出ていたそうです。新人が出社して一週間目、上司が出張から帰って来たのです。新人を見るや、オイお前凄い歯茎だな、日に焼けるから気を付けろ、と言ったそうです。これはもうジョークを飛び越えた人種問題ですよね。

その後、新人と上司がどうなったかはご想像にお任せします。毒舌と悪タレと口が悪いの境界線は何処ら辺なのでしょうか。人生長くやっている割にはとんと疎いのです。

オバサンが割り込んで来たからオバサンちゃんと並びなと言ったら、失礼ねと言われました。酷く太った人が避けないからブーデー、少し避けろと言ったら目を吊り上げました。

あんまり美人じゃない女性が三人車内でギャーギャー喋ってうるさいから、不美人たち静かにしなさいと言ったら、お前こそ顔を見ろなんて怒鳴られました。

その三人に対してその後私が何て言ったかはご想像にお任せします。


どうも私は社会秩序に欠けているのでしょうか。反省している様でしていません。

写実的なんです、見たまま感じたままを言ってしまうのです。

先日私がいつものコンビニに夕刊紙を買いに行きました。そこの路地にひっそりと一台のパトカーが隠れていました、ネズミ捕りです。だから三人のお巡りさんに向かって、そんな処でネズミ捕りしてるんじゃないのと言ったら、一人のお巡りさんは思わずピストルの部分に手を付けました(弾は入っていません)その後どうなったかはご想像にお任せします。

駅で違法駐輪を見配っている目つきの悪いおじさんがいます。一度、オイ元お巡りだろうと声をかけたら思わずそうだとおじさんは答えました。その後どうなったかはご想像にお任せします。

一度映画館で恐いヤクザ風の人がいい女風と私の前の席に座りました。ペチャクチャ食べながらうるさく喋るので、後ろからそっとウルサイから静かにしてくれると耳元に言ったら、オウ判った判ったと言いました。映画は「ジョーズ」でした。ドヒャッとジョーズが大きな口を開けて初めて画面に飛び出たら、その男が腰を浮かしました、きっと優しい男だったのです。いい女風は目を両手で隠していました。明るくなってよく見たら大した事なかったのです。


.ある会社の社長に連れられて和食屋さんに行きました。ここの親爺はあの道場六三郎の兄弟分で同じ処で修行したんだ、何でも旨いテレビで道場さんも来ていたんだ。見た?見てません。何でも注文してというから、茄子の煮物と、肉じゃが、戻り鰹の刺身と鮪のヌタ、小ぶりのカレイの煮つけを順次頼みました。まずビール(もちろんキリン)菊正宗を常温で一合、芋焼酎のロックと続いて行きました。全て食べ終わってさあクラブへ行こうかとなりました。主人がどうもと挨拶へ、今後もよろしくと名刺を出して来ました。

連れの人が旨かっただろうと言うから、不味かったと正直に答えました。他のお客も皆一瞬フリーズ状態、連れの人も固まってしまいました。駄目だよ、全然と言い出しました。その後何を言ったかはご想像にお任せします。

二度と行ってません未だやっています。勘定は私がキチンと払いました。今年又、何を言うかは判りません。でも中には私が何を言うのか息を潜めて期待を込めて待っている人もいるのです。

これはジョークでしょうか、親友の葬儀がありました。

高名なお寺、若い二人の坊さんがお経をあげています。見ると坊主が坊主でない(その宗教はいいそうです)髪が長い、戒名を書いた書体が酷い下手くそ、お経も下手くそで読経が終わった坊主が煙草コーナーでプカプカしてたので言いました。しっかり修行しろ、髪の毛切って坊主頭にするぞと、お寺は中野の宝仙寺です。

その後どうなったかはいつかの機会に。

2009年12月27日日曜日

人間市場 ヘンダ市篇

12月20日、M-1グランプリでスター誕生。

「パンクブーブー」ツッコミ黒瀬純(34)ボケ佐藤哲夫(33)スピード感ある話芸、いいネタ話は将来有望、賞金一千万は見た事もないので判りません。何しろ毎月13万位でカツカツの生活をしていたのでという。

人を何とか笑わせたいと頑張って来て、遂に笑っている場合じゃない事となりました。
4329組からのグランプリ、審査員全員から支持を取りました。過去8年で準優勝5回でした。
ちなみに第二位が「笑い飯」、第三位が「NON STYLE」でした。地方回りで力を付けていたのです。いいですねこういう話、若者二人がメジャーになる日を目指して苦節を重ねたのです。

小島よしおのパンツ姿も見なくなりました。ゲッツ坂野のゲッツも見なくなりました。グーグーと指を出していたのは誰だっけ、革のベストと短パンの大男どうしたんでしょう。悲しいですね、それを考えると夜も眠れません。


今から十年前、私の主催であるパーティを行いました。今は無くなった銀座東急ホテルです。
400人位招待しました。皮切りは「松鶴家千とせ」師匠に最後のシメは「南州太郎」師匠にお願いしました。イエ~イ、ワカルカナ、ワカンネエダロウナで始まって、オジャマシマスで終わらせたかったのです。

和田弘とマヒナスターズを計画したのですが暇がないとやんわり断られました。稼ぎ時のシーズンだったのです。
一度は飛ぶ鳥を見ただけで落とす程大人気、眠る暇無く立って眠っていたという千とせ師匠、出演をお願いに高島平(?)の団地に行くとあの独特のアフロヘアーもさっぱりと、イエーイ何の事なんて調子で、昔俺がスターだった頃あいつはヘターでただイターだけだった、ワカルカナァなんて感じで気持ちよくお受け下さいました。仕事あんましねえんだよ、芸人は芸者と同じ売れている内が花だもんねと。南州師匠は私でない人が交渉、喜んでオジャマしますと言ってくれたとか。

ある打ち上げをホテルオークラで、やはり私の主催でやりました。皮切りに誰か欲しいなと思い知人のマネージャーに相談しました。そこには当時小林旭とか天童よしみ等大物が所属していました。女性マネージャーがどんなタレントがいいんですかと聞きますから、ヘンなのがいいんだ、ヘンなのがと答えました。

いますよ一人、誰?山本ヘンダです。

山本リンダじゃないの?いえ山本ヘンダです、そっくりですよ、一発OKです。当日礼を尽くし着替えやメイクの為にスイートルームをホテルに用意させました(ただ同然で)。来ましたヘンダさん、全然ヘンでなくすこぶる美人。マネージャー、付き人(?)ヘアメイクの人たち。お腹空いたら何か食べていいよ、ルームサービスでと言って退室、そしてパーティー開始。

すっかり山本リンダに変身してました。ソックリです、ウララ、ウララウラウラデと熱唱数曲もう最高でした。

パーティーも無事終わり支払いの明細が来ました、何これと見るとルームサービスで食べてくれた事、まるで室内バイキング状態です。仕方なし、後悔無し、食べ残し有り。一発芸で一生食べて行く人尊敬します。苦節を重ねた若い芸人たち応援します。

私の人生も一発芸みたいなものですから、ただ食べていけるかどうかは判りません。大した芸を身につけませんでしたから。

2009年12月26日土曜日

人間市場 奥多摩市篇



少年の頃、林間学校で行ってから好きなのである。
紅葉も盛りになった12月初旬、御嶽山に行った。性懲りもなくある夢を形にすべくイメージを求めて登った。
山の神霊を祀る修験の聖地、武蔵の国魂の天降る山。坂東平野の農業を守る神の山。
又はヤマトタケルを祀る武神の山として古式を残す。

この山に伝わる「太占祭」(ふとまにという)がある。毎年一月三日の早朝に行う。
鹿の肩甲骨を斎火で焙り、出来た割れ目の位置で様々な農作物の出来、不出来を占う。
厳冬の冷気の中で太古の様式を大切にして行う。ある本でこの占いの事を知った。その本の主人公は赤いダイヤといわれる大豆の相場師であった。その年の運気と勝負を占う為に太占祭に来る。

いつ頃からこの神社で始まったのかは不明だが、天保年頃には行われていたのではという文献がある。霊感が人一倍強い私は、長い長い石段を登る。左右には寄進された石塔が隙間無く建ち並ぶ。ひんやりとした空気の中に霊を感じる。人間の死霊ではなく動物の霊を感じる。

白い犬が元気よく石段を登って行く。一匹、二匹、三匹と犬たちは振り返り笑っている。決して吠えない。私の愛犬も真っ白い犬であった。雑種で紀州犬の血が少し入っていた。十三年苦楽を共にした、名はブッチであった。石段を登りながら思わずブッチ、ブッチと声を出した。

奥多摩の上流は素晴らしい流れだ。力強く、そして速い。水は深い青緑である。カヌーの川下りが盛んな所である。その川の辺りの大きな石に座ってじっくりと川の表情を見る。川の音と語る。頭の中の老いた脳ミソがどんどん若返って行く気がする。

この川は美男であり美女であり、知性と野性が流れの中で一体となる。均整のとれたスポーツマンとスポーツウーマンが激しいセックスを終わりなくしている様である。大きな石に一つの白い影。思わずブッチと言ってしまった。東京から車で二時間で魂の流れに出会える。錆びてギシギシになっていた頭の蝶番が強力な潤滑油を差してもらった様に一気に機能化する。正常な人間に環れるのである。都会の汚れた川に流れる病葉(わくらば)の様な体を引きずっていた自分を捨てられる。

自然とセックスする程気持ちいい行為はない。かなりの構想が浮かんで形になった。一月三日又この地に立つ。

時代小説が好きな人は読んだはずの中里介山の大長篇小説「大菩薩峠」の名場面、御嶽神社の奉納試合、主人公の机竜之介が地ずり青眼の構えで相手を負かす、その地がここである。とんでもなく長い小説だった。中学時代不良をしつつも必死に読んだ。確か全十三巻だった。

イワナの塩焼きにキリンクラシックラガー。奥多摩は格別だ。

2009年12月25日金曜日

人間市場 クリスマス市篇


私の家の近所の家の外側が(のの字が多くてすみません)クリスマス近くなるとまるでラスベガスのネオン状態になります。

人によってはパチンコ屋さんという人もいます。豆電球が色とりどりに家を光らせます。

サンタさんトナカイさんお星さまいっぱいのクリスマスツリー、きっと子供に優しい人なのでしょうか、毎年派手になっています、きっと子供が増えたのでしょう。

茅ヶ崎鉄鉋通り富士見町バス停斜め前、サークルKの真裏です。家の形が全部光っています、一度見に来て下さい。


クリスマスと言えばローストチキンです。これがないクリスマスはサンタさんのいないクリスマスと同じです。子供の頃クリスマスになると母親がニワトリの丸焼き(現在のローストチキン)を一羽買って来てくれました。確かその当時で350円位でした(夢のプレゼントです)。


夜遅くまで働きづくめの母がそれを持って帰ると玄関を開けたとたんプ~ンとニワトリちゃんの香りがします。私は一気に色めき立ちます。ナイフとフォークを持ちいざ食わん。丸いテーブルの真ん中に一羽のニワトリちゃん、置かれた途端ガバァ~と取りかかりアッっという間にあわれ骨だけとなるのです。

刺しては切りちぎっては食べるのです。私のメリークリスマスは今日現在までニワトリの丸焼きだけで十分です。程島肉店に三羽(息子たちの分も)愚妻が予約しました。早くバタバタ飛んで来てニワトリちゃんです。

昔仮住まいをしていた事があります。とても古い平屋です、庭がかなりありました。

ある日友人が四羽のニワトリを箱に入れて訪ねて来ました。息子さんがヒヨコを買ってマンションの玄関で育てたら大きくなって、もう飼えないからと言って持って来たのです。

その日から地獄の日々の始まりです。午前三時に突然コケコッコーと鳴いたり、お隣の家の花壇をボロクソにホックリ返したり、そこら中フンをしまくりです。

ウルサイ、クサイ、ゴメンナサイの毎日です。娘と息子は始め可愛いと言っていたが、飛びかかられたりつっつかれたりして気持ちが離れてしまいました。

そうでなくても眠れない私は完全に眠れない日々です。コラッ何処へ行く、コラッ入っちゃだめだ、コラッどこへフンしてんだと約二ヶ月。愚妻は全然平気です。あなた変な気起こさないでよなんて言ってます。


精も根も尽き果てたある日の早朝、縁側に座ってアッチコッチ動き回る姿を見つつお前ら食べちゃうぞ、なんて残酷な気持ちを起こしていたのです。その時ハタといいアイデアが浮かびました。

私の所にいた凄い男が静岡の山の中で夫婦共々自給自足の生活をしている、そこなら色んな動物を飼っているから大丈夫だ、なんで今まで気づかなかったんだ、で直ぐ電話朝五時頃です。

呼び出し音十数回、もしもしと奥さんの声、あっ小夜子ちゃん進藤起こしてくれる、何かあったんですか?ニワトリ取りに来てくれ、えっニワトリ?そうニワトリ四羽直ぐ取りに来てくれって言ってくれ。次の日はるばる山の中から来てくれました。

進藤博行君、優しい男なんです。小さなライトバンに四羽のニワトリとっ捕まえるのが大騒ぎでした。それでも流石に進藤君は鮮やかな動きで一羽ずつ箱の中へ、静かにしろバタバタすんなイテテなんて言いながら。

助かったよヨロシクな、やっと静かになる疲れたよ本当に。大好きなお酒とか色々お土産に、そんじゃと山の中へ帰って行きました。

戦い済んで日が明けて、その後その四羽がどうなったか。

一羽は狼に食べられ、一羽は進藤家の胃袋へ、残る二羽は天寿を全うしたとの事でした。娘と息子にその事を伝えると、えっ食べられちゃったの?食べちゃったの?信じられない、ヒドイ、可哀想なんて言われました。

クリスマスになると思い出すのです。私を悩ましたコッコちゃんたちを。

ログハウスを建てたい人は進藤博行君夫婦をご紹介します。最高の夫婦です。

2009年12月24日木曜日

人間市場 キョロキョロ市篇

親父の目が止まる事はない。
11時半にオープンして4時半位に終わるまで、大きな目はキョロキョロ、キョロキョロ。
そして時には睨みつける。カウンターに10人位、小さな座敷に4つの小さなテーブル。ここは親子連れ用である。カウンターに子供は座らせてもらえない。どこか、私が育った町のとあるラーメン屋にその雰囲気は似ている。店の名前はサッポロ軒という。メニューは極めてシンプルである。

ここも私の育った名物店と似ている。違いといえばワンタンメンがここには無い位だ。ラーメン周辺のメニューだけである。味噌と醤油味のみである。親父の目はキョロコロ、キョロコロしている。奥さんとパートのおばさんの、計3人で働いている。

 人気があり11時頃から店の前に人が並んでいる。小さなお子様はお断りと貼紙がしてある。どこまでが小さな子なのか判らないので一度聞いた事がある、その時の親父のセリフは、自分でちゃんと食べれる子です。そうでないといつまでも席が空きませんから。小さめの体に大きな目である。魚でいうとメバルに近い。奥さんは中々見栄えが良く、愛想がいい。その日の定数が終わったら食べ止め終了、閉店である。私の嫁に行った娘や息子夫婦、又義姉の息子夫婦などは、わざわざ東京から車で食べに来る。親父と話をする客は滅多にいない。
 

ある日私と愚妻、娘と息子とで店に行った。どうも最近奥さんの姿が見えない。パートのおばさんとバイトのお兄さんの布陣である。親父はイライラしていた。
「親父さん、奥さんどうしたの最近見かけないけど」
店に置いてあるスポニチを読みながら言った。ギョロッとした目が私を見据えた。
「もうこんな仕事やだっつって店に出ないの。疲れたって。こっちだって腰のコルセット外したら立ってられないんだから。それでも我慢してやってんのに勝手なもんだよ。太極拳だが、ヨガだかしんないけど、そんなもんやったり温泉旅行ばっかり行ってるよ」


親父の話に、店の中にいたお客は初めての経験だったのかじっと耳を立てながら麺をすすっていた。スープを飲む音がいつもより皆強く感じた。親父さんもういいじゃないの。残すだけ残したんだから。私は、私が育った町の有名なラーメン店を思い出した。雑誌フォーカスに載った。現金5千万が畳の下にびっしり隠されていた店である。総額1億円以上の脱税だった。その事を思い出した。
「親父さん、サッポロ軒って言うんだからやっぱ札幌出身?」
「違います」「へぇそうなんだ」
そこへ頼んだチャーシューメンマラーメンが出来上がった。この間テレビの取材が来たから断ったよしつこい奴等だねまったく、独り言の様に言っていた。年の頃は私より4,5歳若く見えた。息子がいないからね俺の代で終わり、そう言いながら煙草を一本うまそうに吸っていた。ハイライトであった。店の中に立って待つ事は許されない。外で待つこれが掟だ。


あ~あ、俺も終わりにしたいなと言った。店内に異様な空気が流れた。
その日から2ヶ月後、お店は開かなくなった。通常、閉店するなら閉店と貼り紙が貼られるはずである。しかし、都合により暫く休業という貼り紙がされていた。皆、暫くの辛抱だと諦めた。


その頃親父は何をしていたか。湘南シーサイドカントリーの芝の目をキョロコロ見ていたのだ。何しろゴルフが趣味で、それで腰を痛めたのだという。町のタクシーの運ちゃんが、色々教えてくれた。もう毎日の様に行ってるよ、メンバーだから、他にもレインボーと平塚富士見も持ってるんだ。他にマンションを2軒、車はなんとジャガーだという。とにかくゴルフ好きなんだよ。そんな話を聞いてから、暫くでなくず~っと店は開かなかった。今は、昔いた若い衆(?)が同じ様な味を出して結構人気を保っている。
親父はゴルフ三昧、奥さんはヨガ三昧との事である(?)。フックかスライスか、親父の目はキョロコロ、キョロキョロしているのだろう。入ればきっとパーだろう。

2009年12月23日水曜日

人間市場 龍と竜市篇

坂本龍馬は司馬遼太郎先生によって、坂本竜馬になった。
「龍」から「竜」へ。
何故、この事に関しては諸説色々と書いている人がいる。

事実を見た人は今この世にいない、それぞれの人間像を描くといい。
司馬先生は竜馬にする事でより自分の思いを主人公に託したのであろうと思う。司馬先生は快男児が好きでした。私も龍馬ではなく「竜馬がゆく」に新しい日本人像を見て胸を躍らせた。

龍馬はかなり商業的プロデューサーであった様だ。自ら作った海援隊なる組織、亀山社中は正に商社であった。ある時、紀州藩の船と自分たちの船がぶつかり沈没させられた。相手の方が何倍も大きい。
紀州は徳川御三家すっかりシカトを決め込んで弁償しない。龍馬は国際公法を持ち出し、金を払わないならシカトを決め込むなら国を貰う、なんて言って交渉する。こんな所がスーパー英雄化される。
犬猿の仲の薩長に片方には銃を片方には米を、それぞれ交換させ尚かつ手を結ばせ、自分は仲介料をゴッソリと手にする。長い間の日本に欠けていたのはこの交渉術である。日本人は外人に対してつい遠慮してしまう島国の習性国民性である。
しっかりせねばいかんぜよ。腹をすえてガンバレニッポンじゃけん。相手にナメられたらいかんぜよぉ〜。

日本中米国の基地、未だ占領下である。ハイ、どっちもどっちもと盆ござの上の様にあっちがいいこっちがいいと、さぁどうするどうする、丁か半かとかしましい。何も米国の言う通りにする必要は何もない。たっぷりと思いやりをして来たのだからたっぷりと時間を掛ければいいのだ。交渉とは時間と覚悟だ。
必死と決死、剛と柔だ。「龍」の政治性と「竜」の少年性を使い分けねばならない。司馬先生が存命ならきっとそう言うのではないかと思った。勝海舟は外交とは術なんだい、先にこっちの手を見せたら負けってことよ、と言っていたとか。

来年の大河ドラマは「龍馬伝」だ。龍馬は他力を利用する名人であった、ゼネラルプロデューサーである。プロデューサーの最大の才能と仕事はどこからかお金を引き出すこと、資金を集めること。
人間たらしに優れているか、嘘つきか大ボラ吹きかである。一歩間違うと詐欺師となり御用となる。


今年、何人もの映画プロデューサーがどこかに「フケ」た、つまり逃げた。逃げられた人は出来上がった映画を手にボー然としている。どこの映画館にもかかる予定は無い。タダのフィルムである(お蔵入りという)。

さて龍馬をお蔵入りさせた暗殺の下手人は、
(一)、幕府見廻り組説 

(一)、土佐の仲間、後藤象二郎説(協力、岩崎弥太郎) 
(一)、薩摩の西郷隆盛説 等々諸説ある。古来より裏切り者はユダの如く一番近い処にいる。
おっと、危ない。あいつ、まさか俺をである。疑ったらキリがないので私は人を疑ったりはあまりしない。それはとても疲れるから。人を見たらドロボーと思え、人を見たら裏切り者のユダと思え、人を見たらカモと思え。


ある不動産会社の社長が朝礼でガナってました。その会社の社長が先日、裏切られ追放されました。当然、一番に裏切ったのは一番信頼していた人間です。

2009年12月22日火曜日

人間市場 心付け市篇

「冗談じゃないわ、三千円よ。あ~だ、こ~だと、うるさいこと言って、三千円よ。以前に親子で合わせに来た時。何時間もかけて、あれやこれや、あれとこれと、それとあっちと、こっちとそっちと。なに着たって似合うわけないじゃない。元が悪いんだから」

中年の女性はせんべいをボリボリ囓りながらぼやくことしきりです。

「まあ、私が予想するところ長くは持たないわね、あのお母さん。何様のつもりだか知らないけれど、いけ好かないったらないわ。なんでも試食会で、それはそれはうるさかったらしいわ」

三枚目のせんべいを囓る頃、女性の差し歯が少し動いた気がした。

「堅いわね、これ。ゲンコツですもんね、堅いわこれで止めとこ」

お年玉を入れるような小さな紅白の袋(ポチ袋)に、千円札が三枚畳んで入っている。新券はないがヨレヨレでもない。ここはあるホテルの結婚式場の着付け室である。着付けの際の心付け。その相場は判らないがたいていは一万円か五千円だろうと推察する。そして新券が礼儀である。絢爛豪華に着飾ってお色直し二度となると、心付けが三千円ではぶんむくれである。

「私の人生滅茶苦茶よ。今日は安く見積もって一万、ひょっとすると二万と思っていたのに。白無垢角隠し、次はウエディングドレス、そしてカクテルドレス。それにしてもパッとしないわね、今日の花嫁。こう言っちゃなんだけど、泉ピン子に久本雅美の出っ歯くっつけてさ、ホラ、いるじゃない、あの人、あの人、そうそう弘田美枝子。かわいそうね。何であ~なっちゃったのかしら。あんなに美人だったのに。」

気がつくと式の残り物のケーキを食べていた。

「泉、久本、弘田。その三人をカクテルしたみたいよね、ガハハ、ウハハハハハ」

例に出したお三方、ご勘弁を。本当に耳にした実話なのです。

「あなた、ローストビーフ持って変えるでしょ。あたしはチキンを持って帰るわ、子供が好きなの。五組ね、今日は。後、二組か。どっちもこっちもあんまし感じ良くなかったわ。でも三千円は無いと思うけど、一組はお嫁さんバツイチらしいわ」

その頃になるとヨックモックをボロボロこぼしながら、グチをこぼしてました。五千円だとここまでグチりません。一万円だと花嫁さん、何を来てもお美しい事。二万円ともなるともう、おだてる言葉が見当たりません。大言海、広辞苑、現代用語辞典が必要です。ヨックモックしている場合じゃありません。差し歯が浮いて外れる程の美辞麗句を連ねます。

何てお美しい、何て、何て、何てです。

心付けとは恐ろしいものです。人の心はお金で買えちゃうのです。定価無し、時価無し、相場有り、です。私の娘が結婚した時、そして息子が結婚した時も、家で心付けのポチ袋に一万円を入れていました。まあ、二人として二万か。そこへ無口な妻が来て言いました。

「五千円でいいのよ、十分なのよ。あなたは直ぐ人にいい顔するんだから」

「何だそのセリフは、いつ俺がいい顔したっていうんだ」

めでたき結婚式当日の朝であります。そう言われてみれば私の人生は人にいい顔するポチみたいなものでありました。

「嫌な顔するより、いい顔だろうが」

無口な妻は言います。

「お金じゃないのよ、人間なんて欲張りに付き合ったらキリが無いんだから」

「お前、滅多に口をきかないけど、たまにはいい事言うじゃない。そうだよな今日この日を迎えるまで、芸者みたいな人生だからな。そろそろ迎えの車が来るってか。それじゃ五千円でいいんだな、後は知らねえぞ嫌がらせされたって。ひどい奴はウエディングドレスなんかに針をわざと置き忘れたりするっていうからな。いいんだな」

そう念を押して家を出たのであります。

ある日、知人の病気平癒のお守りを貰おうと、江の島神社の階段を登り出しました。私の前にでっかいお尻のおばさんがフーフーしながら登っていました。ちょうど処暑を過ぎた頃です。厳しい残暑でした。お互いやっとこさ階段を登りました。おばさんに遅れること、約25歩お手水の所で目と目が合いました。

「あら、その節はどうもおめでとうございました」

汗だらけの満面の笑みです。「お綺麗でしたね、お嫁さんご立派でしたね息子さん」等々、その人は礼の言葉を連発です。「いや~、こちらこそ、それにしても暑いですね」と手を水に浸す。やっぱり五千円じゃなく、一万円にしといて正解だな。こうしてここで会うのも何かの縁だ。御守りにご利益がつけばいいな、お賽銭は千円にすっか。いや二千円か(?)

2009年12月21日月曜日

人間市場 アタリメ市篇

烏賊がスルメになってアタリメになる。

一杯の烏賊の人生も千変万化である。烏賊のままで魚屋に出ると、旨そうだな煮て食べるか。

お、烏賊のソーメンもある、ビールのつまみに絶好だな。そうだ、子供は烏賊リング揚げが大好きだったな。フライよし縁日の丸焼き最高。家じゃちょっとイマイチだな。あれはやっぱり寒川さんとか、海の家とか江の島で食べるから旨いんだな。イエス イット イズだ。新島のアカ烏賊なんか泣けるほど旨いな。知人から頂いたがああいうのには一切手を加えちゃ無礼なんだな。生身のまま頂く、これが礼儀だ。烏賊もイカした事やるじゃない。頭に来たら真っ黒い墨ぶっかけるなんて。駄洒落てる場合じゃない。


隅に置けないといったらスルメになった頃からか。平べったい板みたいになり、白い粉をふいて化粧したあたりから何故か夜の町でアタリメになって、それに何故かマヨネーズがつく(小皿に唐辛子)。おでんにカラシ、板わさにワサビ、カレーライスに赤い福神漬け、オムライスにケチャップ。いわば法律に近い関係になっている。

七輪に品川練炭を入れ、その上に網をのせてスルメを焼く。アチチ、アチチとどんどん丸くなっていく。まあ火あぶりの拷問に近い。これを又アッチチと言いながら引き裂いて、醤油、マヨネーズと少しの唐辛子を付けて食べる。秋刀魚と同じくもうその焼いている時の香りといったら日本の香りである。大衆、一位の民の宝である。大邸宅から秋刀魚とかスルメの香りが流れているのを嗅いだ事はない。まあ、お金持ちだから何か特別な装置を付けて食べておるのでしょう。しかし家で食べている時はスルメであり安っぽいもんである。

ところがこれが銀座、赤坂、六本木の夜になると、平べったくなったスルメの様子が俄然変わる。

夜の世界では乾き物である。捕られた時は瑞々しくピチピチしていても乾き物である。どこか不貞腐れた感じもする。セットで出る店は仲間に塩豆かエンドウ豆、品川巻き、ピーナツがほぼ決まりである。このセットの値段もクラブやバーによってはしたたかである。クラブ活動に慣れてない人はお通しだと思う。つまりタダだと思う。世の中タダより高い物はない。後で伝票を見ると、おつまみとは絶対書いてない。セット5000円とか書いてある。正確には判らないが、ピーナツ25個、品川巻き17個位、スルメ(ここではまだスルメ)細切り20本位である。ここで怒っては夜の街に出る事は出来ない。何しろ1本千円くらいの「いいちこ」が7千5百円~1万2千円しちゃうんだから。え、ブスがいて、何も喋らないでこっちが一生懸命笑わせて何でだろう、何でだろだよ。こう言っていてはやはり夜の街ではイケマセン。新宿のボッタクリバーじゃないんです。一応銀座、赤坂、六本木。ちょっと足をのばして飯倉、西麻布、代官山。

伝票が出る、ドキッとする。しかし、間違っても伝票なんかじ~っと見ていたらおしまいです。いくらいいスーツを着てたって、その日の内に店中の女の子にサイテーな客ね、です。基本的に伝票は見ない、金額を聞く直ぐ払う。これが夜の鉄則。私は初めての店でもまずカードで支払う事も、現金で支払う事もありません。鉄則です、法律です、全てツケです、私の飲食歴の決まりです。むしろツケの方が必ず割高ですが、ガマ口出してお札を一枚財布から金を出して飲み屋で払った事は一度もありません。気合いです、その代わり直ぐ振り込みます。それじゃこれでよろしくと名刺を出す。

スルメも一品料理で注文するとアタリメに昇格です。一品となるとマヨネーズに七味唐辛子なんかがついてきます。堂々たる一品様です。アタリメよです。スルメがアタリメになった瞬間、プライスアップ、ど~んです。銀座のちょっとした店で8千円~1万5千円の値がつきます。マヨネーズと唐辛子の露払いと太刀持ちかなり値が張ります。大体アタリメは

1本食べるのに数分間はかかります。顎がかなり疲れます。いいとこ3~5本で終わりです。ちなみにスルメはスルから縁起が悪い。アタリメはアタリだから縁起がいい、そういう事です。夜の世界は中々に洒落ているのです。高い月謝を払って憶えたのです。