自切り(ジギリ)をかける。男を売る社会の言葉だ。
何か大事を成し遂げるために自分に何かを課すことをいう。
それは任された仕事をやり切ることや、親の仇討ちや、兄弟分の仇討ちや、可愛い後輩のためだったり、惚れた女のためや、恩義を決して忘れない事だったりする。
滝に打たれたり、座禅を組んだり、好きな酒を断つ、好きな博打を断つ、自分の体に傷(ズキ)をつけて、決してその目的を忘れないと誓う。
武士にとって額の傷は男の紋章、背中の傷は武士の恥といわれた。
額の傷が正面なら敵と堂々と戦った証で有り、背中の傷は敵から逃げ背を向けた証である。戦場で我が子が死んだと聞いた時、親はたずねる。
我が子の傷は額であったか、背中であったか。
悲しいかな背中の傷であったりするとお家は断絶されたり、親は腹を切って果てた。
家門の恥であるからだ。
中にはハッタリ傷といって自分の顔に傷をつける者もいる。強そうに見せるために。
だがハッタリ傷の人間はすぐにバレてしまう。本当の根性がないからだ。
いざという場面でその傷がハッタリであったとバレる。
この一年間ずっと自切りをかけていたことがある。
やり遂げないと恩に報いられないからだ。何をやったかは言ったら終わりなので書けない。が、今はひとまず自切りから開けてほっとしている。
“矢切の渡し”は細川たかしだが、自切りの私である。念ずれば通じる。
為せば成る。苦の後に楽ありという。楽ちんな気分からは大事は生まれない。
大恩に報いられない。
さあ、あなたも今日から自切りの私に。
えっ、何!痛いのは嫌!滝は冷たくて風邪をひく、座禅は足が痺れるから嫌だと。
走ったりするのは嫌、禁酒、禁煙も嫌。それなら肉を断て、魚を断て。
えっ、それも嫌だと。そんじゃゲームかテレビを断て、メールやスマホを断て。
えっ、考えられないだと。
そんなあなたは自切りの私にはなれません、背中に傷を負う事になるのです。
お家断絶!一家滅亡!