ページ

2022年11月26日土曜日

つれづれ雑草「達人に感謝」

突然テレビの画面が黒一面となった。プチンという音と共に。16年前壁にへばりつけたナショナルのビエラが寿命を迎えたのだ。フランスvs日本のラグビーの試合を見ていた。いよいよあと2日後サッカーW杯が始まるというのに。深夜一時頃黒い画面を見ながら私は失意のどん底気分になりながら、手にしたリモコンの電源を押し続けた。ナショナルのテレビは生産していないことは知っていた。明るいナショナル、みんなのナショナルは、かつての家電メーカーではない。私からテレビを取るということは、キリスト教徒から聖書を取り上げるのに等しい。何故なら信仰する映画が見れなくなる。映画は私にとって不眠の友であり、夜と朝の間の愛人でもある。濃密な関係なのだ。近所の電気屋さんで買ったのだがご主人が亡くなり、息子さんが後を継いで修理専門になっている。店頭販売はしていない。映画のない長い長い時間、仕方なく本屋大賞受賞作の時代小説を読み始めたが、これが大外れ、書き出しの二行を読んでこりゃ外れだなと思った。友人に頼んでアマゾンで買って置いた一冊だった。案の定時代小説の定番物語である。藩内の権力闘争であった。やっと50ページ位読んでやめた。こういう時は「北原白秋」の詩集を読むと乱れた心は安定する。日本語の神様である。この神様は道を外した恋愛を行っているので人間的である。そうこうしている内に朝刊が来た。未だ暗い、かなり寒い。朝刊をインスタントコーヒーを飲みながら読む。嫌な見出しばかりだ。新聞といえば朝日新聞の部数が400万部を切ったとか。日本の政治家に人物がいなくなったように、アメリカもいなくなっている。防衛費を膨大にしてその財源を国民一人ひとりの税金にと企んでいる。まるで再軍備だ。いずれ戦争に参戦する日が来るだろう。歴史は繰り返すという。それにしてもテレビがついてないのは心細く時間が経つのが遅い。朝七時半頃愚妻が降りて来たのでテレビがブッ壊れたよと言った。あっそう長く使っていたもんねえ、テレビを一日中つけてるからよと言った。電気屋さんの電話番号を調べてくれよと言った。スマホが少し使える。朝九時半頃電話する。もしもし○╳の○╳だけど買ったテレビが壊れたんだと言ったら、わずか2分位で息子さんが、あ~ビエラですね、16年前に取りつけましたが、もう生産していない、部品がないのでスミマセンと言われた。ケイズ電気よ、ケイズ電気と愚妻は言う。なんだよそれはと聞けば、辻堂駅の北口にある大型の電気屋さんであった。私はそういう所は大嫌いなので行った事がない。私の体をメンテナンスしてくれる平塚の達人はメカに強いので電話するとダメだと思いますよと言った。ヤバイW杯が見れないではないか。息子に電話すると、よく持ったんじゃないとつれない返事。オ~イ、ケイズ電気に行くぞどこだそこは。先日使うだびむせび泣いていた洗濯機が壊れて、やたら小さい洗濯機を買って来ていた。どこの国の製品だか分かんないけど、もうこれでいいのよと言った。ケイズ電気に行けば安いのがたくさんあるわと言った。夫婦で買い物なんていうことは記憶にない。人の群れが苦手なのだ。ずっと昔中国の万里の長城に行った時、中国人の群れに吸収されて、圧迫死されそうになった経験がある。で、ケイズ電気は恐ろしく広いのだが、お客さんがいない、ガランガランである。聞けば出店は成功でないとか。ケイズ電気通が言った。持って帰れる小さいのにすると決めていたので、テレビを売っているコーナーで小さくて安いのに即決定。私の買い物は5分位で決める。どこの国のテレビだが分からない。平塚の達人はメーカーは別々でも、中は殆ど中国製ですよと言った。店員さんの若い男はとても親切、これにしたいけどと言ったら、在庫があるか調べて来ますと言った。15分ほどしたらありましたと言って四角い箱を持って来た。やったぁ~である。小さいから軽い、若い女性店員が親切に対応してくれた。ウェットティッシュのおみやげをもらった。さぁ~買って帰ったはいいが、どうやって配線をつなぐのか、大騒ぎの始まりであった。そしてやはりここで平塚の達人へお願いとなった。わざわざ来てくれた。鍼灸の達人はメカの達人でもある。悪いな、悪いね、悪いわね、と言いつつ達人を見つづける。所要時間約30分、オッ、オオオ、テレビがバッチリ映像を見せたのだ。スゴイね、スゴイヨ、スゴイワネと興奮した。それにしても私は使えない人間なのである。達人にたくさん御礼をしたかったのだが手持ちがなかった。いずれ盛大に御礼をする。「聖なる証」という宗教画のような映画を見た。十代の少女は九歳の時に処女を失った。その相手は少し年上の兄であった。そして二人は結婚した。そう告白する少女は、数ヶ月食物を口にしていないが生きている。一人の女性がこの不思議な少女に食事をさせて、すべてを記録して報告をするようにと仕事を与えられる。さて少女は……。ケイズ電気とは、K'sデンキであった。夫婦で電化製品を買うなどという、恥ずかしいことをした私は罪悪感を重く感じているのだ。




2022年11月19日土曜日

つれづれ雑草「忘れ茄子」

十一月十五日京都御所のところ午後二時頃、空は薄青く、時に薄灰色であり、風がはんなりと動いていた。私は友人のウェブデザイナーとそこに居た。東京発十時二十分新大阪行に乗って日帰りでやって来た。目的は御所の側にある「虎屋 京都ギャラリー」長いお付き合いをさせていただいている、大尊敬する画家にして名随筆家「麻生哲郎」先生の「京都洋館さんぽ/麻生哲郎スケッチ展」を観るためである。このギャラリーは虎屋社長に選ばれし者にしか展示されない。いわゆる画廊は画家の絵を展示して販売する。販売価格の40%か50%を画家と取り決めて経営する。又は、新人や絵を描くグループの個展やグループ展としてそのスペースを提供して、一日ん万円を得る。麻生さんは先年、独特の水彩画法(絵に直線がない)で鮮やかに京都の街並やお舞妓はんを描いて虎屋ギャラリーで人気を博した。今回は、京都のあちこちに残るレトロな洋館16館をモノクローム(白黒)でスケッチした作品だ。建築物は直線でできているが、麻生さんの絵には直線はない。どの作品もゆらゆらとした線によって描かれている。十二月四日が最終日、一人でも多くの方に観てほしいと思う。ギャラリーの横には、美しい庭園を見ながら虎屋名物の和菓子とお茶が楽しめる。女性客でいっぱいだった。友人と共に一服をして遅い昼食をする。御所の側の店で忘れ茄子と鶏もつ煮込みうどんを食す。女性店員の人に、忘れ茄子って何と聞けば、京茄子を煮ていてそれを忘れ、京茄子がクタクタになるまで煮てしまった。シマッタと思ったが味がすこぶるよく忘れ茄子となったとか。さすがに京都であった。京都に行ったら第一旭のラーメンであるが、友人と行くとちゃんと数えて36名並んでいた。二時間近くかかると言うので、ラーメンはうどんとなった。大教養人の麻生さんは、山形県鶴岡市出身である。大きな養蚕場のあとをギャラリーにしているところで個展をした時、亡き大親友と二人で行った。鶴岡出身の作家故藤沢周平が執筆活動をした、旅館九兵衛に泊った。小さいが実にいいところだった。藤沢周平の書斎になっていた部屋が丁度空いていたので、その部屋に泊った。料理もよく私的には星五つである。下級武士の悲憤とか、市井の民を書き続けた作品は、池波正太郎と人気を二分する。それにしても日本の政治はガタガタのボロボロ、私の体みたいに不治の状態となっている。私は気合いだ、根性だと、一番搾りでなく、最終番搾りで競輪の最後の直線で行なうもがきをやっている。力をふりしぼるのである。人間には10%位火事場の馬鹿力がセットされていると科学者は言う。その馬鹿力を期待して若い人間を世に残すのだ。虎は死して皮を残す。私は死して人を残す。これが不良を尽くして来た私の罪滅ぼしだ。実を取らず、名を取るのだ。世界の政治家もすっかりチンマリしている。若い人間を育てて来なかったからだ。G20サミット中国の習近平が総番長の貫禄であった。悲しいかな岸田文雄は、庶務課長みたいであった。アメリカはスター誕生を起こすだろう。バイデンvsトランプだと、二人合わせて160歳近くになる。養老院政治だ。例えばオバマの妻が出たら大スターとなるだろう。左党といえば、呑兵衛のことだが、近頃サ党というサウナ愛好家が増えている。幻冬舎の見城徹は大のサウナ派で、365日外食というだけあって、醜悪なブヨブヨの裸体で画面に出て、およそ教養人とは思えないつまんない自慢話を発信している。金満家のその姿は見るに耐えない。残念ながら日本の出版社で黒字を出しているのは数少ない。幻冬舎はその中の一つだ。知人が本を出したいと、岩手から上京してご夫婦で幻冬舎に行ったら、ん百万はかかると言われてやめた。自分史を出したいなどと思っている人はご注意を。どこの出版社も同じだから。街から本屋さんが消えて行く。つまりこの国は無教養国家になって行く。先日ある新聞の書評を読んで時代物の一冊をアマゾンで送ってもらったら、素人の作文に毛が生えた位のものであった。つまんないのなんの怒る言葉もない。読み終ってブン投げた。時代小説界10年に一人の登場と書いてあったが、“10年早いよであった。嘘もやりようである。中井貴一主演の「嘘八百」は、なんでも鑑定団のパロディで面白い。二流の映画に徹している。世の中は嘘八百なのだ。あともう一本「決算忠臣蔵」というのも面白い。仇討ちも金次第なのだ。コロナの第8波は来年の一月中旬がピークとか。嘘か真実か。もういい加減にしてくれなのだが、ウイルスも生き残りに執念を持っているようだ。(文中敬称略)




2022年11月12日土曜日

つれづれ雑草「エビフライのアタマとオッポ」

暗闇の空から一人のロックンローラーが降りて来た時、ベルリンの壁は若者たちの打ち下ろすハンマーによって崩壊して行った。ロックンローラーの名は、「デヴィッド・ボウイ」であった。ソ連邦がゴルバチョフによって崩壊して行く時、一人のロックンローラーが国民の心を掴み熱狂を呼んだ。「ヴィクトル・ツォイ」という若者だった。アメリカが泥沼のベトナム戦争をしている時、戦場で戦士たちに向って、こんな戦争をいつまでするんだろうと歌った若者がいた。フォークロックの「ボブ・ディラン」だ。若者たちが求めたのは、解放であり、自由であり、戦争のむなしさであった。時代を動かして来たのはいつの世も若者であった。この国の若者も、封建体制を崩壊させ明治維新を生んだ。火炎瓶と石の塊とゲバ棒を持った数十万の若者が全国で反戦運動をし、大学教育の旧体質打破に向って行動した。それは純粋であり、不純でもあり、幼稚でもあった。がその行動が国を変え、大学を変え、国民に問題提起の一石を投じたことは確かだ。国家に利用され暴力に走ったセクトの若者たちは、総括という悲惨な結末に終った。彼等にはロックンロールがなかった。つまりメッセージがなかった。ソ連邦崩壊の時、「ツォイ」は僕たちは自由がほしいんだと歌った。自由なんてと日本人は思うだろうが、今の日本は自由ではない。不自由国家である。報道の自由度は先進国の中で下位に位置する。つまり体は自由だが、頭の中が不自由なのだ。思考回路が止まっている、救い難き政治家たちに言葉を失う。先日PARCOの文化部長だった方と昼食を共にした。中国で活躍しているすばらしい監督&写真家の人と一緒であった。元文化部長は私に紹介したかったと言ってくれたが、私ごとき者には身に余る天才だった。中国で興行収入300億位の大ヒット映画を作ったが、本人は厳しい検閲の中での作品で満足はしていなかった。中国には自由がないと言った。日本の映画界で作品を作りたいと言った。日本で映画制作の会社をやっている中国人の三十五・六歳の人が、すばらしい日本語で通訳をしてくれた。天才は小柄で寡黙だが全身から殺気を感じた。命がけなのだ。中国人から見ると、この国は自由に見えるのだと思った。値上げ、値上げでどうしようもない。税金、税金で頭に血が上る。大企業は最高益でしこたま金を貯め込む。アメリカのガラクタ兵器をゴッソリ買わされる。台湾防衛は俺たちに変ってしっかりやれよと、国防予算はガッポリだ。ある番組でこんなホホエマシイのを見た。八十五・六の老人夫婦が語る。値上げ、値上げでやってられないよ。だから風呂は二人で入るっちゃ。この間カアチャンとお風呂の中でキスしただガヨオ、オラの入れ歯が外れちまって風呂の中に沈んだわさ。ギャハッハッハッ。いいですねこんな話は。昨夜「善き生徒たち」というイタリア映画を見た。実話だ。カソリック系の学校の四人の学生が、二人の女子学生を監禁し、レイプをつづけ、スマホで写真を撮る。四人の学生の二人は今も刑に服し、一人は死亡し、一人は今も逃亡犯として国際手配されている。年頃の少子学生を持つ親の人にはぜひ見てほしい映画だ。SNSの時代は思いもよらぬ人間同士が出会い、信じられないような事件が次々と起きるのだ。私が住む家から自転車で10分位のところに、日本一のとんかつ屋さんといわれている店がある。ご主人の名が大関さんで店の名を「大関」という。間違いなく日本一だ。先日昼に行くと老婆が三人で食事をしていた。私は隣りに座った。おばあちゃんたちは八十代だろうか。体はちぢんでいるが、胃袋はふくらんでいる。食欲はすごい。一人はロースカツ定食、一人はミックスフライ定食、一人はエビフライ定食であった。キャベツ千切りが山のようについている。プラスとん汁も。私はガッツリと食べる老婆を見ていてやはり女性にはかなわないと思った。三人共きれいに食べ終えた。エビフライの人がアタマとオッポを食べ残すと、一人があなたもったいない、エビはそこがおいしいのよ、私が食べるわとバリボリと音高く食べた。とその時456歳の男が現われた。終ったの、まぁ~きれいに食べるねと苦笑しながら言った。クルマで迎えに来たのだ。私は食べている動きを止めた。私も同じことを言われたのを思い出した。そうです、私も老人なので気をつけないとマズイのです。とんかつ屋さんに行ったら、ひたすら昆虫のようにキャベツだけ食べるのです。「大関」は湘南工科大学の前にあります。いつも白い服を着たご主人は、タウン紙にエッセイなどを書くと私にそっと渡してくれます。長い付き合いなので仲良しなんです。




2022年11月5日土曜日

つれづれ雑草「きつねとたぬき」

日本人の世論調査というは、本当に変な数字のコトアルヨと珍さんは言う。ダッテソーデーショ、ワタシタチ、チューコクジンニヒタシミオカンジナイト、ハチチューパーセントノヒトガコタエル、デモトテモヘンノコトアルヨ。ニホンジンラーメンダイスキ、ギョーザ、シュウマイ、ハルマキ、マーボドーフダイスキノコトアルヨ、チャーハン、スブタ、レバニラ、ミンナダイスキ。チューカリョーリハ、ニッポンノコクミンショクデショ、ニホンジンカララーメントッタラタイヘンナコトニナルノコトヨ。ニホンノブンカハゼンブチューゴクノコトアルヨ。モシニホンカラチューコクリョウリテンオナクシタラ、ナイカクガトンデシマウノコトアルヨ。韓国人に親しみを感じますかと問えば。60%位が感じないと応える。朴さんはソンナコトアリヘンニダと笑う。ニッポンジンヤキニクタイスキダ、カルビー、ロース、ミノ、レバー、ギュータン、ビビンバ、ユッケ、ナムル、クッパ、チヂミ、ドレモコレモニッポンジンダイスキダニダ。モシヤキニクテンガニッポンカラナクナッタラ、ボードーガオキルニダ。珍さんと朴さんの店は隣り同士で仲良しこよしだ。イタリアンとか、フレンチの店が例えこの国から消えてもスッカタナカンベで済むが、もし中華料理店と韓国料理が消えたら天下大争乱となる。まるで花火大会のように北朝鮮からミサイルが飛んで来る。バックに中国がいてバンバン軍事費を出している。だからと言って、日本人からラーメンやギョーザを取る気はなく。焼肉ビビンバ、カルビクッパを取る気はない。嫌中、嫌韓の政治家たちは、夜毎中華料理店に集まり、韓国料理店で浅知恵、悪知恵を出し合う。そんな政治家たちの親方だった故安倍晋三も口では中国と北朝鮮を敵視していたが、裏では北朝鮮出身の故文鮮明が生んだ旧統一教会とガッチリニギニギの関係だった。暗殺後何の実地検証もない。これほどの大事件で、これほど何の捜査をしない事はありえない。周防正行監督の「それでもボクはやってない」という映画は、若い男が電車の中で痴漢行為をしたかしないかの裁判の話だ。(きっと実話がモデル)若い男は一貫して無罪を主張した。裁判官は電車と同型の物をつくりあらゆる検証をした。若い男は無罪となる。検察は一年近く若い男を収監していた。事実は小説より奇なりというから、一国の総理大臣を暗殺したのは誰れかを永遠に追わねばならない。ジョン・F・ケネディ暗殺は、今でも事実を追っている。満員電車内ではホールドアップ、両手を上に挙げているしかない。女性重視なので、この人痴漢ですと大声を出されたら、人生は終わる。急ブレーキでちょっと体が密着しただけなのに。男にとって不平等なのだ。女性から体を触られて、このオバサン痴漢ですと言っても笑われるだけだ。珍さんと朴さんは日本そばが好きで、二人できつねうどんとか、たぬきそばを食べる。ニッポンオイシイノコトアルヨ、ニッポンソバテウチニアルニダ、と語り合う。戦争ほどの商売はないから、日本の軍事予算はうなぎ上りに上って行く。国力の低下が著しいアメリカは、日本に兵器を売りまくる。我々の年金は下がり、やがて消費税が上がる。敗戦国日本は永遠にアメリカのダンベエ(金ヅル)である。真珠湾の憎しみは絶対に忘れていない。中国は日本軍への憎しみを忘れていない。北朝鮮、韓国は日本人から受けた屈辱の歴史を忘れていない。それでもしたたかに日本人の生活の中に定着している。食を制するものは、世界を制す。私がよく行く銀座のラーメン店「共楽」には行列ができ、家族で時々行く近所の焼肉店「ワッショイ」は一時間待ちだ。あ~、万世のパーコーメンが食べたくなった。食べたら下痢覚悟の激辛カルビクッパが食べたい。隣り同士は仲良くする、それでいいのだ。銀座二丁目の「菊凰」の酢豚やカニ玉は銀座で一番旨い。過日ホテルオークラの有名中華「桃花林」で偉い人と食事をしたが、あまりにマズイのでクレームをつけた。五目焼きソバであった。菊凰と比べようがない。偉い人はエライので、いいじゃないか、熱くない焼きソバもと言った。しかしかなり残した。スミマセンでした。なんで謝らなければならないのかと思ったニダ。
(文中敬称略)







2022年10月29日土曜日

つれづれ雑草「三条河原」

ぐっすり眠った朝はきっと気持ちいいだろう。しかし全然眠らずに迎えた朝は気持ち悪い。レンドルミン一錠、サイレース一錠、リフレックス一錠を早朝五時頃に服用したのだが、効果なし。ここで酒を投入すればなんとかなるのだが現在禁酒中なのである。実はアメリカの連続ドラマ「マンハイト」を一気に見て頭がコーフンしていた。実話の物語で13度もテロ行為をした。ハーバード大学を最優秀の成績で卒業した、IQ160近い大天才の数奇の物語である。14歳位ですでに飛び級で進学した神童である。この並外れた才能をアメリカ国家FBIは利用すべきと考える。産業革命以来人間は機械によって支配されて来た。我々は国家に全て監視され自由はない。その家のルーツは何から何まで調べ上げられている。アメリカのドラマの主人公は産業革命後のデジタル社会に警告を発すべき爆弾テロを起こし続ける。この男が正気か果たして精神異常者かが、全米注目の法延のなかで判決を迎える。その判決は終身刑3回というものであった。元電通の高橋治之がついに全てを謳ったようだ。皇室系の竹田恒和は急いでパーク24の役員を辞めた。その以前にパソナの竹中平蔵も辞めた。逮捕近しの情報をつかんだのだろう。悪の元凶、森喜朗の病状悪化の情報が流れ、入院を画策して逮捕を逃れる作戦のようだ。悪者にぐっすり眠れる日はないだろう。「青空は牢屋の窓から見た時が最も美しい」とは故太宰治の言葉だ。ここでいう「青空」とは芸術、文学であり、牢屋とは俗世間の身内の桎梏、不条理な私の心の喩えである。と友人に書き綴った。我々は今心からの青空を見ることはない。アメリカのドラマではないが、大天才は機械文明の進化をいち早く見つめ、社会の崩壊を見た。だからと言ってテロリズムは許されない。天才と狂人は紙一重なのだ。人類にはこれから誰もが予想しない出来事が起き続けるだろう。拘置所の窓から青空や夜空を見ることも少ないだろうが、高橋治之、角川歴彦、その使い走りが拘置所の中から窓の外を見ている。人を見下ろして来た人々のザマだ。東京の練馬に(東京少年鑑別所)通称ネリカンという所で歌われている有名な歌がある。ネリカンブルースという。ネリカン窓開け空見れば あの星あたりがスケのヤサ(彼女の家)スケチャン今頃何している……。写真片手に目に涙。少年たちにはたくさんの明日があり、やり直しの機会も多い。が、7085歳に近い老人にとってやり直しの機会はない。ジ・エンド終りである。死を待つばかりの中でこれからお互いに罪をなすりつけ合うだろう。「人間と金」うんざりするこの関係は、我々にゆっくり眠りを与えてくれない。世の中はどんどん悪くなっていく。子どもの引きこもりが増加している。政府が出したはじめに総額ありきの補正予算に、子どもたちの将来への投資はない。芸術文化への予算もない。「国破れて山河あり」というが、国滅びて明日がない。私が少年時代に憧れていたボクサー「矢尾板貞雄」さんが86歳で亡くなった。1959年矢尾板貞雄vsパスカル・ペレスの世界フライ級タイトルマッチの視聴率は92.9%と伝えられている。二回にダウンを奪ったが、十三回でKO負けした。当時は一団体10階級しかなかった。今は4団体チャンピオンだらけの17階級。金儲け主義が世界ランクの価値を下げ、ボクシングを神聖なもので無くしてしまった。私はすでに初夢を見ている。三条の河原で市中引回しにされた。森喜朗、高橋治之、竹田恒和、角川歴彦、ゲストとしてIOCのバッハ会長が、首斬り浅右衛門こと山田浅右衛門に断首されることを。あ~あ午前七時二十六分になってしまった。先日茅ヶ崎の花火大会があった。ベランダから少し見た。茅ヶ崎は未だに猫の額ほどのサザンビーチと、加山雄三通りしか売りがない。夜空にドボーン、ドボーン、パッチパチと花火が見えた。40年以上何も変っていない。茅ヶ崎市の若者たちにヤル気がすっかり見えなくなった。湘南ボーイなんていうのは、遠い昔の話だよ今のままでは海辺は老人たちのビキニ姿だらけになってしまうぞとハッパをかけた。河野太郎という変人代議士以下子分の県議や市議たちは何も本気でやっていない。茅ヶ崎は完全に今田舎になってしまった。辻堂には湘南モールができて、和田葬儀場だけだった北口が活気を持って来た。餃子の王将事件の犯人らしき者が九年近く経って見つかった。なんとその身は刑務所の中。間の抜けた警察捜査である。筋金入りのヤクザ者は、まず口を割らないだろう。死を恐れていないからだ。
                              (文中敬称略)




2022年10月22日土曜日

つれづれ雑草「伝説の天才」

元気ですかぁ~! 元気があれば何でもできる、とみんなを元気づけたプロレスの天才「アントニオ猪木」があの世に旅立った。骨と皮になった姿を見せ続けて見事に逝った。日本でCM=コマーシャルが制作されるようになって、何人もの天才と言われるCMの演出家が、時代の流れと共に現われた。私が知る限りこの人より上をゆく演出家はいないと思って敬愛していた「原田 徹」さんが9月3日に亡くなった。国内外の受賞歴で原田 徹さんを超える人は未だにいない。広告界でいえばCM&コピーライターの「仲畑貴志」氏、アートディレクター&デザイナーでいえば「葛西 薫」氏だ。この三人は神が私たちに与えてくれた宝物である。原田 徹氏を失った私にとって、仲畑氏、葛西氏はずっとずっとがんばり続けてほしいと願う。グラフィックデザイン界の巨人たち浅葉克己さん、井上嗣也さん、副田高行さん、一ミリの線にも強くこだわり、何もない空白に多くを語らせ、一匹の蟻ん子にドラマを生む。そのこだわりが生む作品は群を抜く。仲畑貴志氏の文章をアートディレクションした広告は、葛西 薫氏によって歴史に残る作品となった。京都の高校で喧嘩三昧をしていて、もうつまらんと東京へ出て来て、仲畑貴志氏はその才能を広大無辺なものとした。北海道の高校でバドミントン三昧をしていた葛西 薫氏は、東京へ来て商店街の印刷所に就職し、その才能を極上無限のものとした。天才たちに学歴は関係ない。原田 徹さんは金沢美術大学で絵画を学び、やがてCMの世界に入った。CM界の黒澤明といわれたその演出は完全を求めた。妥協のという言葉は存在しなかった。少しでも背中を見せると容赦なく襲いかかって来た。撮影の現場では必ず日本陸軍の帽子を被った。現場は私にとって戦場だと言って。一度、八千草薫さんとの仕事を断られたと言った。軍人みたいなその姿に、八千草薫さんは、右翼みたいで嫌だと言ったらしい。一度中国にロケハンに行った時、原田さん中国は危険ですよ、八路軍(パーロー)みたいのに銃撃されますよと言った。大丈夫ですよと言っていたが、さすがに中国では軍人みたいにはならなかった。アメリカやイタリア、アッチコチ、原田 徹さんとロケに行った日々がなつかしい。私のお願いしていた、ある仕事を徹夜で編集している時、関西にいた父君が亡くなった。深夜プロデューサーから、私には絶対電話をするなと言われたのですが、やはり原田さんはご長男なのですぐに帰ってもらうべきではとのことだった。私は当然そうしてもらってほしいと言った。しかし原田さんは編集室を出ることなく、亡き父君のところへ帰ったのは、お通夜も終った後だったという。親戚縁者からあらん限りの怒りの言葉を浴びたと後日聞いた。私は演出家ですから、その仕事が終るまでは戦線離脱はできないのですと言った。まがりなりにも私が今日までメシが食べてこれたのは、原田 徹監督のおかげである。死の前までパーキンソン病で動かなくなった指に、絵筆をしばりつけて大好きな絵を描いていたと奥さまから聞いた。その姿は画鬼であり、その心は絵画少年だった。この原田 徹さんを引き合わせてくれたのが、私が出会った広告代理店のプロデューサーでNO1だと思っている、立花守満氏だ。無念なことにこの人も過日亡くした。未だこれからという歳であった。この人も天才であった。プレゼンテーションの能力は群を抜いていた。先週金曜日、銀座四丁目鳩居堂横「大黒屋ギャラリー七階」で、友人青木勤氏の水墨画展を見た。今回は体がキツイので、奥方とホテルに泊まって一週間を乗り切ると腰痛バンドをつけ気合を入れていた。会場に行くとなつかしい人たちと会った。数十点の絵には殆ど赤い印がついていた。小さな体に大きな根性みたいな人で、仕事がゴチャゴチャになればなるほどそのチカラを発揮した。ヨーロッパでスケッチしたものを五年かけて色をつけた、美しい作品であった。1022日午前十一時~浦安市にある東学寺で四十九日の法要があり友人の椎原誠氏と二人で行った。奥さまと二人の娘さん、二人のお孫さん。七人でのものであったが、ご住職のいい読経があり、天才原田 徹さんは樹木葬で土に環って行った。マスクをしていたが、背筋をしっかり伸ばした二人のお孫さんの姿にすこぶる美男子だった若き日の原田 徹さんを見た気がした。やさしい、やさしい奥さまと双子の娘さんは、20年間数々の難病と闘う原田 徹さんを支え続けてくれた。「角を持ち、獅子のたて髪をなびかせ、炎の翼を広げ、伝説の原田 徹は天に向った。」(文中敬称略)




2022年10月15日土曜日

つれづれ雑草「ある広告」

電車の中から広告が激減している。中吊り広告や車額広告もスッカスカなのだが見る価値が多いのがある。広告主の多くは美容と健康であり、学校や専門校、塾などがポツポツとある。かつては週刊誌や不動産の広告が多かったが、今では少ない。整形外科や整体関係はそこそこ多い。チンポ、インポ、ホーケイを治すとか首猫背、背中猫背、頚椎症、圧迫骨折、筋膜ライン伸ばしとかを劇的に改善するとある。万病を防ぐとか、たった一日一分でとか、羽ばたき体操&サバ缶納豆で、猫背が招く「圧迫骨折」新体操なんて、ウソだろホントかよみたいなものが載っている。スマホやパソコンの見過ぎで、「カメ首」というのが増えているらしい。私は100%信用していない。だがギッシリ書かれた広告を見ていると笑えるのだ。男の力、夜の力、忘れぬ夜のための、チンポ力向上とか、中・高年の春を生むとか、彼女に恥ずかしい、ホーケイ治療をカンタンにというのは深刻だった。小さな広告の中に情報がある。昨日はこんなのが目に入った。頻尿・尿もれ自力で克服! 1分体操、過活動膀胱を改善、国立大病院で改善者が続出! 足裏の刺激で蓄尿力が向上! 昼夜とも減少。くしゃみでもれる。腹圧性尿失禁に断然効く1分タオル体操。前立腺肥大の頻尿が退く「骨盤スクワット」あおむけ足上げで夜間頻尿見事に改善、朝までグッスリ。等々信じ難きことが多彩な活字のレイアウトでビッシリとあった。現代社会は老人社会、その老人の悩みを解決すべく、超有名飲料メーカーから、地方の小薬品メーカーまでこぞって、サプリメント関係の開発に力を入れて商品を世に出している。テレビCMもこの手が多い。そして画面の中にチッコイ文字で、個人差がありますとか、個人の声ですとか、当社比較によるとかが見えないように入っている。なんと85kあった体重が2ヶ月で65kにとかがあるが、それじゃ4ヶ月で45kになっちゃうのと素朴に思う。たった四人で始めた脱毛専門の会社の社長は、いつでも何かお金を使うことないのと言っていた。毛を一本抜いていくらの商売、これぞケッコー毛だらけだよと言ってゴルフばかりしていた。今では業界一と言っていい会社になっている。一度アメリカで超売れっ子だったミュージシャンをCMに起用しませんかと言ったら、それいくら、ん千万円位ではと言えば、あっそう安いじゃないやろやろ、やろうよとなった。何しろ生えてくる毛を抜いて金になるんだから資源不足にはならないのだ。脱毛と脱税は背中合わせである。抜いた毛は元にもどせないが、稼ぎ過ぎの金はガッポリと持っていかれる。とはいえ、私をはじめ私のまわりでは、頻尿の話題が多くなった。軟便は何遍も出るという人に、一流新聞の広告に載っていたクスリの話をしたら、腹がパンパンになって出なくなった。それじゃドサッとその朝快便のクスリの話をしたら、超特急になり過ぎたと言われた。知り合いの医師にこの話をしたら、パンダじゃないんだから、熊笹飲んでどうすんのと笑われた。人には人の体質があるのでそれ以来はすすめることはしていない。すすめられても服用しない。だがしかし確実にヒンニョーになっている。1分の竹踏みで改善とかの文字にムズムズするのだ。サプリメントに治療責任はないから、作るのはカンタン、広告に有名タレントを使えば売り上げ大向上だ。この話をやはり知り合いの医師に言ったら、そんなもんはみんなオシッコで出て終りだよと言われた。以来各種のサプリメントやビタミン剤をやめたら、全ての数値が正常値になった。最後にこれはと思った広告の言葉を教える。あっ、もうだめと思ったときには「肛門締め」これはさてどうだろうか、やるべきかやらざるべきか。あなたならどーする、どーする。昨日、友人の見事な水彩画展を観た帰りの列車の優先席でこんな文字だけの広告をシラッと読んだ。



2022年10月8日土曜日

つれづれ雑草「ちくわぶとアラ」

裏表がない。この事に気づいた時、私は感動した。この事はある本に書いた。昨日金曜日は83年ぶりの寒さであった。地球の温度が上がって、日本特有の春夏秋冬の決まりが狂ってきている。夏が長くなり、秋が短かくなったのだ。秋は詩情豊かでヒトがこの時ばかりはと人間的になれた。空を見れば鰯雲が流れ、大地には落ち葉が風に吹かれて揺れ動いていた。夏に燃えた恋も、秋には切ない別れがあった。肉体を露出した愛は、コートを着る季節には、それじゃこれでさようならとなる。83年ぶりに寒い夜、おでんが鍋の中でぐつぐつするのを見ていて、人間は裏表ばかり、お前はいい奴だなとおでんに話しかけた。はんぺん、つみ入れ、すじ、昆布、こんにゃく、じゃがいも、ウインナー巻き、ごぼう巻き、バクダン、玉子、がんもどき、しらたき、ちくわに、ちくわぶ、きんちゃく、ロールキャベツ、大根にさつま揚げ。どれもこれも裏表がないのだ。こんなに正直な食べ物は他にない。余りに正直なので、黄色いからしで刺激を与える。私はおでんが大好きである。関西風の薄味より、関東煮といわれる濃い味を好む。特にちくわぶという、正体不明な白い練り物はいい。おでん以外にこの食材を見ることはない。あ~疲れたと家に帰り、今日のおかずはちくわぶよなんて事になったら、俺は一生懸命働いて来たんだ。嫌なお客にペコペコ頭を下げ、嫌な上司につまんない事で文句を言われ、満員電車に乗って、バスに乗って、コトコト歩いて、やっと家に帰ったら、夜のごはんのおかずがちくわぶなんて、ふざけんな、何! ハンペンを焼いている、そ、そ、それだけかよ、バーローと大声を出しながら目に涙をためるだろう。せめてアジの開きは、何! アジは高いだと、目刺しはないのか、あるだろう少し残りが、何! 焼きすぎてボロボロになっちゃっただと、バーローよく見てないからだよ、目刺しを焼くのはむずかしいんだよ。ちくわぶはぐったり煮すぎるといけないからな、火がしっかり通ってないと、粉のようなものが見えてダメだからなとブツブツ言いながらウロウロする。私はこんなちくわぶがたまらなく愛しいのだ。もう別れようと言い争う男と女、泣きながら別れないで、私にはここしか生きてゆけるところはないんだから。おでん鍋の中でぐつぐつと煮込まれているちくわぶを見ていてバカなストーリーを思い浮かばせる。フッフッ、ファックション、この時期必ずアレルギーで鼻の中がクショ、クショになる。目がしょぼしょぼになる。短かくなったとはいえ秋の決まりだ。裏の世界ではコテンパンにやっつけてやる事を、ハンペンにしてやったと言う。骨抜きでヘロヘロ、ペタペタ状態にしてやったという状態だ。値上げ、値上げで生活がハンペンになっている。このままだとおでんの鍋の中にはちくわぶだけになるだろう。故石原裕次郎の歌に「粋な別れ」というのがある。 泣かないで 泣かないで 粋な別れをしようぜ……。からしが効きすぎて私の目には涙がたまっている。こんにゃくにつけすぎたのだ。泣きながら食べる初秋のおでん。別れ話の相談を受けていて、つい、粋な別れをしろよ、なんて言ってしまった。何! そんなもんじゃない、血を見ないと治まらないかも、なんてブッソウな声がした。ついこの間まで、飛んでイスタンブールみたいな、派手派手で飛んだ生活をしていたのだが、超円安の状態で会社が一気に傾いてしまったとか。ブランドマニアの奥方との間に、ロシアとウクライナのような争いが続いているらしい。ピンポンと宅急便が来るたびに心臓がドキッドキッとすると言った。ご近所の家にある柿の木に、立派に育った柿がたくさんぶら下がっている。今年の秋刀魚は食べれるだろうか。明日は魚屋さんに行ってみようと思っている。大好きな鯛のアラを買いに。焼いて、煮て、アラの中にある味をさがす。アラさがしは亡き母が芸術的に上手だった。きれいに骨だけにしていたのを見て育った。私の大好物で母を思い出す味だ。アラ塩を多目にかけて焼く。これにはお赤飯が合う。何故か煮たものには合わない。焼き魚を食べるのが苦手な愚妻は、私が一時間位かけてアラ探しをしているのを見て、よく見つけるわねと言う。それでも今日のアラはサイコーだったと言うとうれしそうな顔をして、明日はブリカマを買ってくるわと言うのだ。ともあれ秋は前に進む。ちくわぶアラがあれば生きていける。鈴虫の声はまだ聞いていない。



2022年10月1日土曜日

つれづれ雑草「故人のプライバシー」

人の死は等しく悼まれなければならない。それが仮に極悪の死刑囚のものであっても。あるいはこの国をどうしようもないほど、酷い国にした人物であってもだ。先日の故安倍晋三元総理の国葬儀を見ていて、結局故人が生前得意だった嘘ばかりであった。招待客のアゴアシその他を足すと、葬儀予算は100億は超えているはずだ。純粋にその死を悼んで自腹を切って全国から来て、ズラリズラズラ並んでいたのは数少ないはずだ。半分以上は旧統一教会系や他の宗教系の動員であったようだ。招待客も2000人近く少なかった。詳細は確かではないが。私がホントカヨーと思ったのは、菅義偉前総理の弔辞だ。その私情あふれるものは感動を呼んだという。まるで恋人へのラブレターみたいだったという人もいた。それは涙を誘い拍手を呼んだ。私はそれを聞いていてちょっと待って、プレイバック、プレイバックであった。特に感動したという故安倍晋三元総理の議員会館室のテーブルの上にあった読みさしの文章の引用だ。故人と同じ長州人、これ以上金に汚い総理大臣はいないといわれた、山縣有朋(若い頃は山縣狂介)と、これ以上女性にだらしない総理大臣はいないといわれた伊藤博文(若い頃は伊藤俊輔)。伊藤が暗殺され山縣が詠んだ言葉(マーカーで線が引かれていたとか)だ。山縣有朋は数多くの汚職にまみれた手にした金を別荘庭園づくりに投じた。伊藤博文は明治天皇から、女遊びは控えよといわれたという逸話もあり、紙幣の顔に選ぶのを天皇に先送りされていたともいう。明治維新の号砲をあげたといわれた長州人、高杉晋作や木戸孝允(桂小五郎)から、シュンスケオンナアソビハイイカゲンニセイと叱られていたらしい。さて、菅義偉前総理は人の部屋に入って行って、机の上に置いてあった他人の読みさしの本を、勝手に開いて読んだことになる。故人であってもプライバシーの侵害である。もしその本の中に、読まれてはならない故人の私的な文などがあったら許されるのか。これは許されないだろう。親子兄弟姉妹の間であっても、人が読んでいた本を勝手に部屋に入って、勝手に読んではならない。現代でいえば勝手に人のメールやスマホを見ることは許されない。あの弔辞はスピーチライターが書いたものであったはずだ。最後まで芝居がかったものであった。故安倍晋三元総理シンパは支柱を失いこれから寄るすべがないので涙を流した。日本人はやさしい国民なので、いい話だったと涙し一部のマスコミは絶賛した。長州人にもう一人明治の悪玉がいる。井上馨という国の金を扱う重要大臣だった人間だ。山縣、伊藤、井上たちのどうしようもない姿を見て、西郷隆盛は失意したと司馬遼太郎は書いていた。金と女まみれの元勲たち、日本でもっとも総理大臣を輩出した長州は、実に興味深く、松下村塾の吉田松陰は、短い間に何をどう教育して長州人を育てのだろう。私は、おもしろきこともなき世をおもしろくと書き残した、高杉晋作の大ファンである。自民党はこれから岸田文雄後への内乱となる。故安倍晋三、前菅義偉、現岸田文雄、この人間たちが残したもの、向って行く先は、メッタメタの日本である。河野太郎とか小泉進次郎などになったらと思うと、メッタメタメタメタである。野党もメッタメタだ。ジャン・リュック・ゴダールが安楽死を選んで旅立った、91歳であった。ゴダールは生前こんな言葉を残している。「私が死ぬ時、映画は終わるでしょう」と。真意のほどはいろいろ説がある。その一つに「新たな才能により生き続ける」というのもある。ゴダールはテレビの台頭、SNSの台頭を見越していたのかも知れない。若者たちは映画を早送りで見るという。映画界は製作委員会方式といって、みんなの会社の資金を集めて作る。本屋大賞受賞とか、マンガのヒット本に資金が集まる。資金を出した分、イロイロ口注文も出す。あの女優はもっとエロッぽくとか、あの殺しのシーンはもっと暴力的にとか、気の長くない監督はブチギレてしまう。神田の岩波ホールがなくなり、飯田橋のギンレイホールも近々閉じるという。名物ホールが消えて行くのは芸術文化への補助がないからだ。オリンピックが商業主義になってから、スポーツは一大利権となった。そのボス森喜朗元総理が、検察からホテルに呼び出されて聴取されているらしい。いちばんの目的は、新国立競技場を作るときの都市開発にからむ巨大な利権だ。このオッサンは、ノミの心臓といわれるほど心配性らしいが、利権がらみになると、特上カルビーとか特上ロースの心臓になるらしい。生きているだけで迷惑な人間なのだが、肺ガン治療の新薬のおかげで命を長らえている。ある映画を見た。初老を越えすでに性の交わりはない夫婦だが、同じベッドで寝ている。しかし夫には自分の勤め先に若い恋人がいる。ある日の明け方、夫のスマホにその若い恋人からメールが入る。うろたえる夫、見せろという妻、さて、その結末は。長い間セックスレスの妻は疑いが深く、とてつもなく恐ろしいのだ。そしてベッドの中で妻は夫の耳元であることをささやくのだ。故人でなく、個人の安倍晋三さんはすこぶる気さくであったそうだ。政治の世界は人間を変形させてしまうのだろう。菅義偉前総理のヤキトリ屋の話は映画的であった。本当はロマンチストなのかもと思った。(文中敬称略)



2022年9月27日火曜日

つれづれ雑草「芝浜」

私のところのような米粒みたいな小さな会社でも、税理事務所のお世話になっている。公認会計士&税理士の先生は、アタマの毛は薄いがSEXは強いらしい。小社の創業メンバーの二人の同級生だ。月に一回時節を評じた一枚の葉書きが来る。今回届いていたのが秀逸だったので、この場を借りてぜひご一読をと思う。「罰金だらけですが、楽しんで生きましょう」と見出しがあった。働いたら罰金 所得税。買ったら罰金 消費税。持ったら罰金 固定資産税。住んだら罰金 住民税。飲んだら罰金 酒税。吸ったら罰金 タバコ税。乗ったら罰金 自動車税。入ったら罰金 入浴税。楽しんだら罰金 娯楽利用税。死んだら罰金 相続税。貰っても罰金 贈与税。老けても罰金 介護保険料。と書いてあった。税金は他にもたくさん発生する。有史以来、我々は税金を払うために日々働いている。その税金が我々のために役立つような仕組みになっていない。市井の民とは借金と税金に追われ続ける一般市民のことを指す。ところが税金ドロボーたちに罪はない。アッチコッチで中抜きする。特権階級たちである。金は金を生み、金持ちは大金持ちになって行く。ゴージャスなロココ調のリビングダイニングで、目刺しなぞを焼いて食べている。スキ焼きに玉子などもったいないと言い、その上牛肉はもったいないと豚肉だった。スキ焼きはシラタキと揚げ豆腐と、玉ネギに春菊のスキヤキのタレで食す。私はこんな事実を見聞したことがあった。ビンボー人はお金を使い過ぎるからビンボーなんです、なんて言われた。使うお金がないからビンボーなんですよと言ったら、それは違うビンボーな人は、ビンボーに馴じむように生まれて来ているんです。なまじお金を持つと馴じまないで使ってしまうんです。そのほうが気が落ち着くんですよ。落語の芝浜みたいなもんです。いつか金持ちになってやると夢を見ているほうが日々幸せなのです。取材先の人間は日本を代表するプロ野球の名監督であった。何日か経った時、その人から一枚の葉書きが届いた。美しいペン字であった。そこには「貧乏ほどの大敵はないですな」と書いてあった。私の取材目的は「成功とは何か」を聞くことだった。監督は成功とは金持ちなり、借金に追われていたら、いい作戦は生まれないからであった。こんなギンギラの部屋は女房の趣味、私はここでアジの開きや、目刺しを焼いて食べる。臭いが部屋の中を回るので文句ばかり言われていると言った。アメリカのある成功者に成功とはと聞いた時、たくさんの税金を払うことだと言ったのを思い出した。この人はピューリッツァー賞を受賞していた。私が納めた税金で国が富み、人が育てばいい時代になるからだと。どちらの人の話も「ホンマカイナ、ソーカイナ、エ~」であった。話が用意されたようによくできていたからだ。本音はどこにあるか、それはきっとサイフの中か、金庫の中であったろう。私は大きな家に住んでいる人は、大きな悪さをしている、と言っていたという亡父の言葉を支持する。本当に汗水たらして働いている人は、江戸時代の町人のようになる。私はその町人に憧れる。人情があるからだ。昨日久々に「男はつらいよ フーテンの寅」さんを見た。山田洋次郎監督も江戸時代の町人たちが大好きなのだろう。この映画には悪人がでてこないのがいい。徹底的に性善説なのだ。人情が映画になっている。山田洋次郎監督に、成功とは、と聞いたら、きっと寅さんに会えたこと、そう言うのではないだろうか。労働者諸君、今日も元気で働いているかと小さな印刷会社のタコ社長たちに声をあける。山田洋次郎監督は市井の民の味方、弱者の味方であり続けている。悪知恵を集める人間たちを嫌悪する。浅丘ルリ子のリリー役がよかった。キャバレーを歌って回る役だ。好きだった 好きだった 嘘じゃなかった……。寅さんは毎作純粋な恋心を持つのだが、正面切って言えないのだ。愛するって耐えることなのねと誰かが言った。この頃ではそうは行かない。別れる切れるの話になると、血の決裁が控えている。ゾッとするような事件が起き続ける。私は人情が消えゆく社会にこの国の明日の姿を見る。65歳以上の老人が約4000万人近くになった。2100年にはこの国は総人口約6000万人弱になる。私の孫が敬老の日を迎える頃は、人口が半分になっているのだ。変形したこの国はやがて国破れて人影なしとなるだろう。今夜は落語の名作「芝浜」を聞く。故立川談志のラストステージ物だ。夢を拾って、夢から覚めた話です。(文中敬称略)
通信機能不良のため、四日おくれの便りです。