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2015年4月16日木曜日

「謎の先は?」




謎の味。というのがある。
どうしたらその味に近づき超えられるか、あらゆる会社があらゆる手段で追い求めたが未だに謎の味である。

一つはコカコーラ(コークと呼べるのはコカコーラだけ)、もう一つはケンタッキーフライドチキンだ。特許を取るといずれその製法を公開しなければならない。
コカコーラとケンタッキーはそのレシピは秘中の秘、数人しか知らされていないともいわれている。謎の味なのだ。

フライドチキンは数あれどやはりケンタッキーにはかなわない。
ローマ帝国はパンとサーカスで滅びたというが、アメリカ帝国を滅ぼすのはコーラをがぶ飲みしながらケンタッキーをカブリつくことだと言われている。
肥満大国の最大の原因なのだ。

日本が生んだ謎の味、謎の肉といわれるのがある。
日清食品のカップヌードル「ダイスミンチ」というサイコロ状の肉だ。
味付けした豚肉や野菜をミンチにしてダイス状に固めた具材だ。

実はこれは六年間販売をしていなかったが今週末あたりから復活するという。
ダイスミンチの代役だったチャーシュー「コロチャー」が不人気で謎肉ファンだった人々からダイスミンチの復活が待たれていたらしい。

私は一年間に数食位しか食べないが確かに不気味な味である。
ハマった人はその謎の味から逃れられないという。
またお前は一体どんな豚肉のどこをどうやって使っているのか、野菜との結合はいかなる方法かなどと、謎解きに一生涯を費やすことになる。
魔物の復活の日は近い、謎肉の謎解きに肉体の門をいざオープン。

2015年4月15日水曜日

「悲しきピカチュー」




悲しき雨音、悲しき街角、悲しき少年兵、悲しき十六才。

私が十六才の頃ヒットしたポップスの曲には“悲しき”がついたのが大ヒットした。
当時のポップスはアメリカから輸入した曲に日本の題名をつけたので、原題とまったく違うものがほとんどだった。

昨夜うんざりする雨の中、家の前の公園を歩き抜けていると木製のベンチにピカチューの人形が横になってずぶ濡れになっていた。どの人形もシュールである。
笑っているが笑ってはいない。
ずーっとまばたきもせず、ずーっと同じ姿勢で、ずーっと遠くを見ている。

公園で横になっているピカチューはずーっと雨が落ちて来るのを見ている。
目にたくさんの雨が入っても目は閉じない。人形はとても悲しい存在だ。
公園はどろんこ状態だった。

あまりにかわいそうなので手に取ったら雨をたっぷり含んで重かった。
小さな屋根の下にあるベンチに座らせて。不気味に笑いながら私を見ていた。

ピカチューは悲しき十六才かもしれない。
悲しき街角から逃げて来たのかもしれない。
今の世の中は“悲しき”という詩的言葉が使われない世の中になってしまった。
日本人は詩情豊かな国民であったはずなのに。

小学生の頃雨が大嫌いだった。授業が終わるとみんな誰かが傘を持って迎えに来てもらえる。私は母が働いていたので誰も来てくれない。
昇降口で来るはずのない誰かをずっと待っていた。
そして一人だけとなり誰かの傘の中に入れてもらった。
ピカチューを見ていたらふとそんなことを思い出した。
私たちは人形みたいに無感情でずーっと生きてはいないだろうか。

2015年4月14日火曜日

「ヘップバーン」




43才、44才、42才、43才、47才、中には二人の孫がいる女性たち、厚化粧の熟女というか、家庭内ホステスが画面に映っている。

毎月エステにネイルに美容室に20万も30万もお金をかける。バツイチもあり。
どうみても教養があるようにはみれない。
既婚者は台所をしながらもお尻の穴をキュキュとしめて美容を保つ努力を重ねる。

こんな美容おたくを美魔女というらしい。
早い話銀座の夜の蝶みたいな仕事に勝負かけているプロと違って不気味な昼の蝶なのだ。

人から年のわりにキレイねといわれたい。
人を見て私の方が全然キレイだわと思いたい。
同窓会やクラス会、PTAや地域の集会なんかで、マァ〜なんてキレイなのとか、いつもおキレイねなんて(実は腹の中ではバカ女、厚化粧に金ばかりかけて嫌なオンナと思われている)誰にもキレイねなんていわれないと子どもに向かって、ママってキレイでしょ、学校のママたちの中でいちばんキレイでしょ、キレイっていいなさいとムキになったりするのだろう。

知るところでは、このようなタイプを妻にする男ほど浮気をしています。
家に帰ってまで厚化粧の女性はゴメンなのです。スッピンに薄化粧で十分だからです。
家はスナックやバーやクラブではないからです。

自分の女房に毎月20万も美容、化粧、エステ、ネイルのお金を払う男なんてロクな生き方をしていません。その内警察のガサ入れなんかがあるはずです。
そしてきっとパクられます。

私は美魔女っていうのは今まで、ピーターとか大御所美輪明宏さんとかみたいな種族のことだとばかり思っていた。

ちょいと調べることがあって雑誌と映像を見た。
コンビニの本棚に美魔女特集のなんと多いことかと思った。
どんなにお金をかけても快眠をしていない人は、目の周りがクマだらけです。
クマったと思ったらお化粧より睡眠なんです。

私の家には目も合わせられない、ド魔女が一人住んでいる。
クマったことにもう手のつけようがないのです。

私がいままででいちばん美しいと思った女性はシワシワになって骨と皮になったアフリカの子どもたちに言葉をかけていた、オードリー・ヘップバーンです。
まるで女神のようでした。

2015年4月13日月曜日

「存在のあまりの軽さ」



お年寄りとお手てつないでダンスをしました。
初めて農業用トラクターに乗りました。
小学校を修繕しました。
盆踊りや夏の花火大会に参加しました。
地引網をしました。
イチゴ狩りをしました。
道路を補修しました。


これは小学生の絵日記ではありません。
県議会議員とか市議会議員の選挙用のビラやチラシに書いてあることです。

バカ、アホ、何年間もかけてこんなことしかしてないのか、えっ!
運動会は◯☓回、お葬式は◯☓回、お通夜は数知れず行ったってか。
入園式、入学式、卒業式もてんやわんやとか。

何!元旦、日の出を見るときのとん汁も毎年作っていたとか、マラソン大会で水を配っていたとか、ガタガタいうんじゃないの。
政治家の端くれだったらそれなりのこともしろっていいたい。

オヤ、これが日常活動だと開き直るか。
選挙の時以外顔も見た事はない。
バカバカしいほどの給料やいろんな手当をもらって県議会議長や市議会議長なんて黒塗りの大型車で送迎だ。近所のオバサンたちはふざけんなと怒っている。
バスか歩いてか自転車で通えと大合唱だ、選挙中はほとんど自転車なんだから。
梨狩とか栗拾いとか海岸のゴミ掃除とか、畑を耕したとか、もういろんなビラやチラシを見ているとガックリしてしまう。というより情けなくなってしまうのだ。

人数は3分の1にカットすべし、大型車での送迎などは即廃止。
そういや初当選の時は安っぽいスーツだったが三期目ともなるとかなりいいスーツを着ていたな。

休日私が散歩がてらカメラを持って花を撮影してたら、イヤ〜お久しぶりお孫さん中学ご入学おめでとうございます、ご支援ヨロシクなんてFUGAという黒い車から降りて来た。「その存在のあまりの軽さ」という映画の題名を思い出した。

2015年4月9日木曜日

「カプセル人生」




寝台列車のベッドをカプセルの中に入れたほどのスペース。
それが一段、二段、三段、ハシゴ段、中には温度調整がついているようだ。

ブラインドを下げれば自分の“孤室”だ。
個室ではないさまざまな訳ありの人々がここを利用する。

一泊1700円。勿論経費を節約のためとか、出張費を浮かすためとか、外国人観光客が物珍しさで来る。新宿にある大きなカプセルマンションの中にドラマがある。
デパートでお好み焼きを売るために来た夫婦(男と女)はしっかりと分離されている。
働きながら陸上大会を目指す若者、若い頃番組制作会社をやっていた頃のゴールデン街が忘れられない。今は鳥取にいる。
会社がダメになったのだ、お金をためてこのカプセルマンションに泊まりゴールデン街で人生を思い出す。大学の応援団員たちも泊まりに来る。

金さえだせばいろんなフロアがある。
お風呂にサウナ、シャワーとか。コインランドリーを使う若い女性、風呂あがりにテレビを見るオジサンたち、パソコン相手に仕事をする男たち。
二時間だけ寝に来たという会社員。
さまざまな逃亡者と追跡者たち。
株でパンクして身を隠す者。

年間に数万人がここを利用するという。
人と人が会話をすることはない。笑い声も怒鳴り声もない。
みんなここのルールを守っている。
債務者やヤクザな男に追われ、カプセルマンションを転々とする者もいる。
彼等にとって1700円は命綱なのだ。

昨日数人による詐欺団の一人が捕まった。
数億円近く稼いでいたという。捕まった男の所持金はわずか10円だった。
カプセルに入ることも出来なかったのだろうか。悪銭は身につかずという。
一度泊まってみたいと思っている。

誰かご一緒しませんか、ガイドは友人の刑事にしてもらうから。
ご安心して下さい。
カプセルマンションに四年も住んでいる男もいるというから、ぜひ会いたいと思うのです。

2015年4月8日水曜日

「もらるはあるか(?)」




AKB48の「前田敦子」という女の子は役者として抜群の演技力があることを知った。
私はアキバ系にはまったくの情報オンチである。
国民的人気投票で第一位になっていたことは知っていた。

日本の映画界で大活躍している「山下敦弘」監督はCM界出身というが間違いなく代表的監督として日本の映画をリードしていくだろう。

一本の映画を紹介する「もらとりあむタマ子」という題名だ。
70分ほどの作品だ。
舞台は山梨県甲府市のとある町、そこに甲府スポーツ店がある。
母親はどうやら男のもとに出ていってしまったようだ。
父親とタマ子(23)の二人暮らしのスポーツ店だ。
タマ子は大学を出てから店にへばりついている。何もしない。

父親の『康すおん』という初めて見る役者、この父親が実にいい。
チョイ役で出た「富田靖子」以外の役者さんは全員知らなかったがそれぞれいいキャスティングであった。
春夏秋冬一年間定点観測のように甲府スポーツ店と、なにもしないタマ子を追う。
父親は朝昼晩タマ子のために食事を作る。

映画の四分の一はタマ子が何か食べている。父
親が食事しながらテレビゲームをする、マンガを読みふける、スマホをいじり続けるタマ子に、お前なんのために大学に入れたと思っているんだ、何かしろよというと、タマ子は不機嫌になる。
何かになりたい夢があるのだが今はただタダ飯を食べ、べったりと家にへばりついている。

前田敦子はこの役を見事に演じていた。
山下敦弘監督は地方を舞台にした小さな話を作るのにすばらしい才能を発揮する(天然コケコッコーもよかった)。

ある日相変わらずタマ子はテレビを見ながらだらしなく食事をしている。
ニュースを見ながらタマ子はつぶやく、まったくこの国はダメだわ、と。
父親はボー然とつぶやく、タマ子日本がダメなんじゃない、お前がダメなんだよと。

春夏と秋冬、二組のスタッフに分けて撮影をしていたようだ。
タマ子ちゃん人生は長い、一年間食っちゃ寝、食っちゃ寝でもいいんだよ。

映画は人気俳優を起用して大きな予算をかければ必ず成功するものではない。 
100本作っても一本もヒット作は出ない。何故なら次の四つが揃ってないからだ。
一、シナリオ。二、監督。三、役者。四、編集だ。

「もらとりあむタマ子」は全てによかった。
ヒットしたかどうかは分からない。TSUTAYAで借りられます。

私たち映画バカが集まって作った三十分の作品を近々お披露目する予定だ。
二度の試写会は大好評だった。日本映画史上初めての超豪華な食事が出る。
ところでこの国にもらるはあるのでしょうか。

「寺尾学ぶ」という監督がきっと世に出ます。必ず出してみせます。
すばらしい人格と才能です。よくその名を覚えておいて下さい。

2015年4月7日火曜日

「カッパの清作の言葉」




春は言葉の季節でもある。
学校を卒業する者へ、入学して来る者へ。
定年を無事迎え退社する者へ、心を熱くして入社してくる者へ。
思いもよらぬ昇進、昇格した者へ。
思いもよらず、思いもよらぬ扱いを受け格下げされたり、左遷された者へ。

人は言葉を選び、言葉を探し、言葉を生んで期待を語り、夢と希望を語り、共に汗水を流すことを誓い、憎悪をやわらげ再起を目指せよと激励する。

私は誰がどんな言葉を語ったかをできる限りチェックしていた。
が、残念ながら心に響くものは少なかった。
そんな中で珠玉の言葉を一つだけ見つけた。
それは「めいわくかけて ありがとう」という言葉であった。

元ボクシング日本フライ級チャンピオンであり、コメディアンになった「たこ八郎」さんの言葉だ(ある新聞のコラムの中にあった)。
「たこ八郎」さんはボクサーであると同時に酒好きであった。
酔っ払ってはいろんな所、いろんな人に、いろんな迷惑をかけた。
だが「たこ八郎」さんは誰からも愛されていた。
ありがたいことに迷惑をかけても、励まされ愛され応援されていた。

確か「斎藤清作」という名でボクサーをしているときは、「カッパの清作」のニックネームをもらっていた。引退し「たこ八郎」となった。
そのたこちゃんはある夜海で水死した。
当時の新聞では酒を飲んで海に入ったからだろうと推測し、警察も事故死として処理をした。私はそうは思わなかった。

「たこ八郎」さんは、これ以上は人に迷惑をかけられないと自分から海に入って行ったのではと思った。「たこ」が水に溺れる訳がない。
「めいわくかけて ありがとう」そう思いながら。
これほど簡潔で奥深い言葉を書いた文人や哲人はいないだろう。

2015年4月6日月曜日

「声なき感動」




先輩が母校の後輩に対して贈るこれほどの感動的言葉はないだろう。
但しこの言葉は声ではない。スクリーンに映された文字だ。
歌手であり音楽プロデューサーでもある、つんく♂さん(46)が喉頭がんの再発により、命をとるか、声を失うかの選択を迫られた。
彼は歌手の命、「声」を失うことを選び新しい人間として生きる「命」を得た。
彼は母校近畿大学の入学式にゲストとして登場した。首にはスカーフ、手にはギター、顔はおだやかな笑顔であったが、両の目は潤んでいた。
スクリーンには、「一番大切にしてきた声を捨て、生きる道を選びました」のメッセージが出た。後輩たちの入学を祝う曲をギターで弾いた。口を動かしていたが声はない。
私はそれを見ていて目頭が熱くなった。諦観を知った一人の人間の美しさを知った。
プロデューサーの才能はモーニング娘を育てたように有能であり、作詞作曲もすばらしい。
大切な声を失ったがこれからも人々を感動させてくれるだろう。天は彼に二物も三物も与えてくれていた。

作家故城山三郎氏は粗にして野だが卑ではない"というある主人公を書いた。
その逆を行くような一人のカリスマ編集者が画面にいた。ベストセラーを連発する会社を生み育てた。彼はいう。大切なのはGNOだよと。
G義理、N人情、O恩返しだと。そしてこう追加した。
人脈なんかブタのエサだ。癒着せよと。
徹底的に努力し、熱狂し、癒着せよということらしい。
それが「金」につながるんだ。まんまるに膨張した顔、ミル貝のような口びるを大にして語った。
私の知人があることを相談にいったらまったくGNOでなかったと聞いた。
ケチな男だったよと。
最近報道界や政界に積極的に癒着を目指している。実に、粗にして野で卑"の姿だった。
(人のことはいえた私ではないが)

四月四日・五日、一人の男に感動し、一人の男に失笑した。
前者は良き人生を送り、後者は天罰が下るだろう。
金と権力を追う人間の顔は誰より貧しく見えた。

つんく♂さんの言葉、「私も声を失って歩き始めたばかりの一回生。皆さんと一緒です。」
何と気高いではありませんか。

私の四十年来の親友は十数年前に食道癌で声を失った。が、血の出るような努力で食道発声法を学び一つの機具を使って声を出せるようになった。
宇宙人の声のようだが会話が出来る。ノド元にはポッカリと穴が開いている。
この男の紋章だ。オサケアリガトウスコシズツノンデルヨと電話の向こうで話す。
共に闘ってくれるいい奥さんに恵まれた結果だ。

2015年4月3日金曜日

「黒い画集・あるサラリーマンの証言」




原作/松本清張、製作配給/東宝、監督/堀川弘通、助監督/恩地日出夫、脚本/橋本忍、撮影/中井朝一、美術/村木忍。主演/小林桂樹、原知佐子。

主人公は中堅会社のサラリーマン。
42歳課長、給料手取り五万七千円、賞与年二回四十万円。
定年まで十三年というから当時は五十五歳で定年であった。

テレビからペギー葉山の「南国土佐を後にして」とか、水原弘の「黒い花びら」が流れている。第一回レコード大賞になった曲だ。

サラリーマンは家に帰ると風呂、ビール、新聞、テレビ、煙草、寝床でも煙草が普通であった。サラリーマンはある事件のアリバイを証明できる唯一の男、でもそのアリバイを証明する事は身の破滅となる。

検事/平田昭彦、刑事/西村晃、弁護士/三津田健、チンピラ/小池朝雄、裁判長/佐々木孝丸、上司/中村伸郎、殺人犯にされている容疑者/織田政雄、与太学生/江原達怡、サラリーマンの妻/中北千枝子、容疑者の妻/菅井きん、殺された若妻の夫/中丸忠雄。

ただ一つの秘密以外はビールと煙草とパチンコを愛するごく普通のサラリーマン。娘と息子がいる管財課長。業者からの賄賂は全て断って来た。
電気釜が市場に出始めている。国鉄中央線は省線といった。
純喫茶、路面バス、都電が走る人口900万人の東京。

サラリーマンが容疑者(近所の人)と出会ったと言えば容疑者は無実となる。
平凡と退屈、分相応の生活がいかに大事かを知る。裁判で検事の求刑は死刑。
七・三に頭を分けたサラリーマンはさてどうする、破滅の結果はTSUTAYA100円出せば借りられます。

昨日深夜懐かしい映画を観た。いい役者ばかりでよく出来た映画であった(白黒97分)。この映画を作った人も、出演した人も今はこの世にいない。
私は中学生の頃「荻窪東宝」で観た記憶がある。
杉並公会堂が出来てその記念コンサートで水原弘が「黒い花びら」を唄い、都はるみが「アンコ椿は恋の花」を唄った。
当時人気絶頂の小坂一也とワゴンマスターズも唄った。
ラーメン一杯が35円か40円だった。

2015年4月2日木曜日

「除幕と植樹」





四月一日石巻観音寺は糸をひくような寒雨、前日とはうってかわっての空模様であった。前泊した仙台のホテルから倍賞千恵子さんたちと共に大小のバス二台で観音寺に着いた。

雨の中沢山の方々が倍賞千恵子さんを待っていてくれていた。
テレビ局や新聞社もたくさん来てくれていた。

倍賞千恵子さんを歓迎する大きな横断幕を子どもたちが拡げて持っていてくれた。
日本の職人芸をテーマに創業九十余年、仙台の笹気出版の社長や私と後藤住職を結んでくれた編集者、井上英子さんたちも来てくれた。

「祈りの塔」には白いカバーがかけてあり、紅白の縄で結ばれていた。
後藤住職たちスタッフ(一般社団法人てあわせ)が実にステキに演出をしてくれていた。
正に誠心誠意であった。

除幕式は、私と私に四十年付いて来てくれている会社の人間とで行った。
紅白の縄を引くと「祈りの塔」が現れた。その時雨は止んでいた。
その時だけ止でくれたように。拍手、拍手、笑顔、笑顔を前に私はスピーカーでご挨拶をした。デザイン界で生きて来たのでデザインで何かを残したかった。
きっとこの大地を守り、人々を守ってくれるでしょうと。

次に植樹祭があり「倍賞千恵子さん植樹」と書かれた白い木札の横に桜の木が植えられた。倍賞千恵子さんが土を三度スコップでかけてくれた。そしてまた、拍手と笑顔。

あ〜やっと「祈りの塔」が設置された。
会社を一人で立ち上げて四十五年、四月一日は新年度のスタートだ。
私も心を新たにスタートする。
桜の木が大きく育ち満開の花を咲き誇るのを見ることは出来ないだろうがずっと通い続ける。子どもたちが大人になった頃きっと息を飲むほどの絶景となっているだろう。

小さな印刷所の二階四畳半二間の時から四十五年、苦楽を共にして来た男二人と小谷中清さんと紅白の縄を引くのは万感胸に迫るものがあった。
ちなみにこの二人の男は長野県出身、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、美術学校そして現在までずっと一緒という奇跡的な二人だ。
ヤクザな私を支えて来てくれたのだ。

帰りの列車の中で何か一つ世の中のためになることをやったかなといった。
いいんじゃないですかといってくれた。

何からなにまでやってたデスクの女性が背中にリュック、両腕に重い荷物を持ってテキパキと動いていた。雨は強くなっていた、気が付くと寒いのに半袖だった。

その後みんなで大川小学校に行く、手を合わせた。
70数人の命が津波にさらわれた。
あの日はもっと寒かったはずだ、傷つき壊れた校舎が雨の中で泣いていた。