ページ

2015年10月20日火曜日

「ゴトゴト、コトコト」




私は小田原駅から乗車した。オジサン二人はすでに乗っていた。
登山用のバックを足もとに置き、足は登山靴であった。
二人共かなり経験有りと思った。登山用バック、登山服、登山帽、登山用ベスト、登山用靴下、登山用の靴などがかなり使い込まれていたからだ。
大山連峰のどこかに行ったのかと思った。箱根登山かも知れない。噴火はその後どうなったか(?)とんとニュースを見ない。
正月の箱根駅伝は大丈夫だろうか。
倉敷のビジネスホテルにあったテレビは小さな、小さな正方形であった。そのテレビで箱根駅伝の予選会が終わったことを知った。
今年もわずか10秒、20秒、30秒程の差で涙、涙、涙の大学名が続いた。何しろ上位10校しか出場出来ない。

オジサンどこの山に登って来たのと聞こうかと思ったが二人ともぐっすり眠っている。
無事停年を向かえたと思うのは二人共実にいい顔をして眠っていたからだ。
うまい缶ビールを飲んだのだろう。空缶をバックのサイドにある網の中にキチンと入れている。マナーがいい。六十五・六・七・八歳位であった。
小田原から茅ヶ崎まで約30分、二人の寝息を聞きながら、大磯に停車した。

あ~私の先生であり宝物のようだった友は大磯に住んでいた。
生きていれば六十五歳を通過し六十六を向えていたはずであった。
ホーキンスの宇宙論を読みながら少年ジャンプを読み、性生活の知恵論を読みながら、英文の原書で推理小説を読む。絶えず数冊の本をバックに入れていた。

友はヤクザ物も大好きであった。
特に山口組分裂による抗争事件が毎日起きているときは、毎日内外タイムスと東京スポーツ、夕刊フジに日刊ゲンダイ。毎週アサヒ芸能とか週刊実話、週刊大衆などを読んではポイポイ捨てていた。
山口組が又分裂した今、友が生きていたら○△組と×□会はきっと殺りますねとか、○×連合と×△一家は参戦しきっと返し(復讐)をしますよねとか、大いに盛り上がるはずであった。
30秒程大磯に停まった列車の中で友と二人で飲んでいるシーンが浮かんだ。

時代は変わって今では暴対法によりドンパチは出来ない。
子分のハネッ返りで親分の体が刑務所に持って行かれてしまう、その上ゴッツイ金も支払うことになる。
暴力団から暴力を取ったら、「団」だけなのだから、一人でも多くの者が団から抜けて堅気になるのを支援してあげねばならない。
彼等も子の親であり一人の人間である。そして生きていかねばならない。
だた追い込むだけの法律では片手落ちだ。法務省に堅気転向支援庁みたいなのをつくってしっかり命を守ってあげねばならない。

列車は平塚の鉄橋を過ぎた、次は茅ヶ崎だ。
鉄橋渡る時の列車のゴトゴト音が好きだ。
湘南シーサイドゴルフ場のショートホールが見えた。木がよく育ちグリーンが見にくくなっていた。
この頃は堅気の方がヤクザ者より何倍も暴力的で凶悪だ。
私の親愛なる友人に滅法ヤクザ界に通じているのがいる。
その友人にヤクザ界を知り尽くしている、その道のジャーナリストがいる。
近々会費制でこれからどうなるのを知る会を仕切ってもらうつもりだ。
人間の表を知るには裏を知らねばならない。日々是勉強なのだ。
ヤクザ者はいよいよ動くときは、飛ぶぞとか踊るぞとかいう。

列車はゴトゴトからコトコトになり茅ヶ崎に着いた。二人は未だぐっすりだった。
♪~山男よく聞けよ 娘さんには惚れるなよ・・・ダークダックスの歌を思い出した。

2015年10月19日月曜日

「おさかな維新」




♪~別れる前に お金をちょうだい 
あなたの生活(くらし)にひびかない程度のお金でいいわ
そのお金で アパートを借りるのよ
あとはひとりで なんとかするわ
がまんさえすれば 生きてゆけるわ
別れる前に お金をちょうだい
その方が あなただって さっぱりするでしょう…。

作詞:星野哲郎 作曲:中川博之 題名「お金をちょうだい」
歌を唄ったのは「美川憲一」大ヒット曲である。

金の切れ目が縁の切れ目というが、人間と人間別れ際がその人間の値打ちとなる。

本日朝10時倉敷のビジネスホテルをチェックアウト、二日間の映画の上映会はとてもライブなかんじでよかった。少人数だが中味の濃いものであった。
倉敷→岡山→名古屋→小田原→茅ヶ崎と乗り継いで家に帰った。
その道中列車の中で別れ際の悪い、ブザマでミットモない記事を読んだ。
橋下徹率いる連中と、松野頼久率いる連中が政党助成金を寄こせだ、絶対渡さねえ、そんじゃ印鑑と通帳は渡さねえぞと、モメにモメている。
かつて金貸し業の顧問弁護士だった茶髪の橋下徹は借金の取り立ての顧問だった。
オリャー金返せや、オドレ金返せなかったら腎臓取るゾ、なんてスゴンでパクられた金貸し業だった。
一方ホストみたいな代議士が松野頼久、陽灼けサロンに通い、ワイシャツのボタンを二つ外す。
派手ハデのオッカチャンで有名。

新聞読んでいて、金を出せ、金は出さないと言い合っている始末の悪い政治屋に美川憲一の唄う「お金をちょうだい」を唄わせたくなった。
政党助成金は国民の税金ということを忘れるなだ。

おおさか維新の会という文字をジッと見ていたら、おさかな維新の会に見えて来た。
雑魚の群れだ。

♪~しあわせだった あのころのあの日
昔のあなたは貧乏で お金なんかなかったけれど…と続くのだが。

私は下津井弁当(すごく豪華)1080円を食べながら、すいませんお茶下さい、ハイ150円です。
売り子さんはお金をちょうだいなんて言いません。
スヤイ(安い)政治屋の値段はいくらでしょうか(?)。
えっ!ただでもいらないですか。

ちなみに、下津井は岡山県の有名な漁港の名です。雑魚は出荷されません。

(文中敬称略)

2015年10月16日金曜日

「ママカリとナマズ」




岡山県倉敷に行く。
倉敷は戦国大名宇喜多秀家の夢の跡である。
終わり近き豊臣秀吉の時代五大老がいた。
徳川、上杉、毛利、前田、そして宇喜多である。

関ヶ原で敗戦後、秀家は八丈島に流刑となる。
八十三歳まで生きたというからあの時代ではすこぶる長命といえる、秀家は死ぬまで貧窮に泣いたと伝えられる。

川幅10メートルほどの倉敷川一体は秀家の時代に干拓工事を完了させ、広大な新田が誕生した。秀家が整備した良港が、蔵米などの海上輸送の集積基地として活気を呼んだ。
現在倉敷川には観光用の渡し船が行き来する。
多くの蔵屋敷に囲まれるその地は美観地区と呼ばれ倉敷の人気の場所だ。

秀家追放後徳川一族は倉敷を天領とした。明治維新後新政府はこの地を接収した。
代官所の跡地に地元の大地主がお金を出して倉敷紡績(現クラボウ)を設立した。
二代目社長の大原孫三郎がポケットマネーで建てたのが「大原美術館」なのだ。
当時の資本家は桁違いに財力があったのだ。そしてその財力を文化事業につぎ込んだ。
倉敷がB29に空襲されなかったのは、大原美術館が所蔵していた世界的絵画を米軍は知っていて焼失させなかったという説もある。

宇喜多秀家は武略、知略に富んでいたので徳川家康は五大老の中でいちばん恐れていた。名門であったので殺すことが出来ず、八丈島で生き殺しとした。
八丈島で腹ペコペコの生涯を閉じさせたのだ。

倉敷に行ったらやはり「ママカリ」を食べたい。
コハダみたいな小さな青魚だ。
刺し身よし、照り焼きよし、酢漬けよし、あんまり美味いのでごはんがすすみ、足らなくなったのでお隣にママ(飯)を借りに行ったので「ママカリ」の名がついたというので定説の魚だ。
宇喜多秀家もきっと死ぬまでに一度だけでも、ママカリでたらふくご飯を食べたかったのだろうと思う。
小さな魚に戦国時代を見る。

戦国といえば米国とベトナムが第二のベトナム戦争を始めるという。
それは「ナマズ」の養殖戦争のこと。ナマズはウナギや白身魚の代役を期待されているのでベトナムで盛んなのだが、TPPで市場開放を迫る米国はナマズを狙っている。
TPPは米国のシナリオ通り、日本は実はずっと蚊帳の外であった。
アトランタのホテルのロビーをウロウロし、仕方なくコーヒーを飲み、ホテルの一室では農水族がひたすらヤキモキしている内に、えっ!何!そんなバカなという結果で終わり、甘利明大臣以下余りに重い宿題を与えられて帰国して来たのだ。
米国は本当にタチの悪い日本国のヒモなのだ。

倉敷の話からすっかり外れてしまった。
ナマズはキャットフィッシュ、始めてニューオーリンズでそのフライを食べた時、白身魚のフライと全く同じで旨かった。クアーズのビールにバッチリであった。

2015年10月15日木曜日

「少年の言葉」



高知県南国市に「後免町」というのがあるのを昨日、東京新聞の夕刊で知った。
この町名をひらがなで書くと「ごめん」である。

その町の住民たちが、第十二回「ハガキでごめんなさい」全国コンクールを開催し、いいそびれた謝罪の気持ちをしたためた心温まる作品を募集している。
市販のはがきを使用し、字数は二百字以内、イラストなどを自由に加えて良い(記事抜粋)。

このコンクールは、後免町で幼少期を過ごし、201310月に九十四歳で死去した同県出身の漫画家やなせたかしさんが提案して始まったと記事にあった。
主催は「ハガキでごめんなさい実行委員会」小さな記事であったが昨日いちばんのいい記事だった。

私が会社を一人で始めて四十五年、最初の社員になってくれた男が今も私を支えてくれている、勤続四十二年目となる。その男がいなければ今日の私の命はない。
その男の長男が小学生の時、こんな言葉を書いていたのを思い出した。
正確でないかもしれない。

「ごめんなさいは、ひととひとをつなぐ魔法のことば」

あえて確認をせず記憶を頼りに書く。
いい言葉のイメージを大切にしたい。違っていたら後日訂正をする。

「ごめんなさい」この言葉がすっかり日本人から消えてしまっている。
振り返れば私の人生は「ごめんなさい」を何千、何万回もいわなければならない。
暴言、放言、失言、目まぐるしく変わる思考と指示、言動と行動、あー思い出す、あの時「ごめんなさい」をいっておけば、あーあの人に「ごめんなさい」をいっておけば、あーあいつに「ごめんなさい」をいっておけばなのである。
今度時間をつくり一日中原稿用紙に「ごめんなさい」を書こうかと思っている。

いい言葉を小学生の時に書いてくれた子の名は、清水光太朗君、長野県佐久平にいる、来年は大学受験だ。目指す信州大学に入ってくれる事を願う。
その父親は毎日長野新幹線で出社してくれている。
定刻にキチンと出社して会社を守ってくれている。

私は会社というのを作ってから帳簿というのを一度も見たこともない。
コピーというのを一度もとったことがない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい×何千、何万」なのです

会社人失格なのです。

同意語に“すみません”とか“すんません”というのがあるが、「ごめんなさい」がいちばん人と人をつないでくれる日本語でいちばんいい言葉だと思う。

2015年10月14日水曜日

「君の名は」




昨夜帰宅してアレコレゴソゴソした後、テレビのスポーツニュースを見た(フジTVすぽると!)。午前一時であった。

サッカーの日本代表監督がイランと引き分けに終わった後インタビューに応えてこういった。「このチームはもっとトレーニングしたらもっと強くなる」それを学んだと。
ハリルホジッチの姿は疲れ切っていた。

言い換えればこのチームはハードな練習をしていない、だからいつまでも進歩がない。
メンバーの名はいつも通り、何しろ戦火の中にあるシリア相手に30で勝って劇的勝利などとスポーツ紙にヨイショ、またはコケにされていた。
相手は世界ランク最下位に近い130位ほどの相手なのだ。
ガラガラのスタンド、ヘトヘトになっている姿を見てやっぱり日本は世界ランク60位の近辺なのだ。そのくせチヤホヤされて勘違いをしている。

ACミランの監督批判を延々とした本田圭佑はイタリア人から大ブーイング、出て行け、出て行けと罵声を浴びている。
こういう男がチームの柱ではサッカー界の凋落は目に見えている。
事実J1J2のチームで黒字経営になっているチームは少ない。
年々観客は減り続けている。チームを維持するために血の出るような努力をしている経営陣に対し、バカヤローフザケンナ、なのだ。
ハリル監督は乱れた髪を整える余裕もなく、ヤッテランネェーと顔に描いてあった。

その一方サッカー人気に押されっ放しだった日本ラグビー界は、エディ・ジョーンズ監督(ヘッドコーチ)の地獄のトレーニングを積んでW杯で31敗、サッカー発祥の国イングランドを抜いて世界ランク上位となった。

羽田飛行場にはファンが集まり、スポーツニュースには活躍した選手が引っ張りだこになっていた。が、ラガーマンは本当に死ぬかと思ったというほど徹底的にシゴかれた監督に対し批判などはしない。勘違いもしない。未だ未だ上に行くには物足りないといった。
が、今は誇らしいとエディ・ジョーンズは満面の笑みを浮かべた。
そして彼は日本を去って行く。
科学的に練習をすればする程強くなるという基本中の基本を教えて。

ファッションモデルになったと勘違いしているサッカー界と、ゴッツイ体に似合わないスーツ、そしてレジメンタルのネクタイという定番スタイル。
草食系代表がサッカーだとしたら、肉食系代表がラグビーだ。
私はどちらも好きだが両方共に日本人の指導者が出て来ないのが気に入らない。

熱血的科学的動物的冷静沈着的愛情十分的な人を求む。
但し間違っても日本サッカーを今日的に発展させた功労者、三浦知良選手を私情的復讐心でWカップに出場させなかった岡田武史氏みたいなのはゴメンだ。
ラグビー人気が続くことを願う。

日本人は一時的熱狂力は凄いが、忘却力はそれの何倍も凄い。
かつて「君の名は」という大ヒット映画があった。佐田啓二と岸恵子が主演だった。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
こんな言葉を思い出す。

ハードな練習をしないで能書きばかりいっている選手は、どの世界でも忘れ去られるだろう。ある日、道で会った時「君の名は」と。

2015年10月13日火曜日

「体育のヒーヒー」




病院の待合室はかつて老人たちのサークルみたいであり、そこに集っては(?)お互いの病気自慢や食欲自慢、嫁の悪口を発散するのであった。
が、老人医療費の負担増で待合室のサークル化は消えた。

昨日は体育の日、金持ちの老人たちはスポーツジムに集まりサークル化しているらしい。若いスポーツトレーナーのところに人気が集まる。
キン肉マンに老女性は胸をトキメカせ、ピチピチの肉体に老男性は胸をザワザワさせる。話題といえば、株自慢、貯金自慢とか体力自慢、そして血圧、血糖値、尿酸値の比較となり、最後は嫁の悪口に行き着く。
スポーツジムに行くというのは決して死にたくない、どんなことしたって長生きするぞの意志表示なのだ。

私が好きだった落語家に古今亭今輔さんという名人がいた。
老女を語らせたら随一であった。「おばあちゃん長生きのコツはなんですか?」なんて聞かれると、「アタシャ人を食って生きてんですよ、嫌なことはみんな嫁にやらせてアタシャ好き勝手して好きなもの食べて、何も考えずよく寝ることを心がけていますよ、みんなに迷惑かけた分長生きできんですよ、ワハハハ」
…例えばこんな調子であった。
この頃長男に結婚相手が見つからないとか、その理由は将来の老人介護なんてまっぴらごめんということらしい。

作家五木寛之氏は本の内容はともかく、本の題名をつけるのが実に上手い。
悩める人に売るコツを知り尽くしている。この頃は「嫌老社会」なんていう言葉を生んだ。昨日あるスポーツジムに打合せをすることがあり立ち寄ると、若い女性トレーナーがインカム(マイク)をつけてエアロビを教えている。
6080代の老若男女10数人が、ハイ!足上げて、ハイ!広げて、ハイハイ!回転して、ハイ!床に手をついて、起きて、ハイ!ジャンプジャンプ、少年ジャンプみたいなことを激しい音楽に合わせてやっていた。透明なガラスの向こうでやっていた。
好きな人は何回もやるらしい。

若い女性トレーナーが若い男性トレーナーになると、待っていたとばかりにマット体操をしていた老女たちが我先にと参加していった。
体にピチピチに密着したスポーツウェアがその体型を現していた。
恥じらいを捨てた人たちほど、世に恐ろしいものはない。

ゴクッゴクッと水を飲む老男性に楽しそうだねと声をかけると、楽しいね、これからサウナ入って、冷たい風呂に入って、ジャグジーに入って、それからビール飲んでカラオケだ、ギャハハハと笑った。
こういう人たちと違って、青空の下で全力で走るステキな老人アスリートもいる。
この人たちは自己記録を伸ばすことに日々鍛錬をしている。
とてもストイックなのだ。

7579歳の体力が過去最高になったとか。
ヨーイドン、老人たちの徒競走は“10メートル”だった。「嫌老社会」は私のためにある言葉に思える。夕方海岸のサイクリングロードには老マラソンマンが列を成していた。
骨と皮になった老男性がヒーヒーノドを鳴らしながら私の前を過ぎ去って行った。

新聞に400キロもある熊が一発の銃弾で殺され、クレーンで引き上げられていた。
冬眠前の熊はエサを求めて腹を空かせていたのだろう。人間の仕業だ。